シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

自我の沈殿物を混ぜっ返せよ。

映画好きには自尊心や自意識の高い人間が多い。という話をいまからするな。

 

たとえば、あるとき、ふと『スケアクロウ』という映画を観返したくなった男は、レンタルビデオ屋に赴き、『スケアクロウ』のDVDを手に取ってレジスターへ向かおうとするが、刹那、男の脳内を瞬時に曇らせる懸念あり。

それは、『スケアクロウ』をレジスターに持っていけば、ビデオ屋の店員に「こんな古い名作を今ごろ観るのかよ、いくじなし」と思われるのではないか、という不安である。
男は、相手なき相手に抗弁する。

 

違う。違うねん。俺は以前に『スケアクロウ』を観たのだ。初めて観る映画ではないのだ。ふと観返したくなって借りに来ただけなのだ。それなのにおまえは、あたかも俺が初めて『スケアクロウ』を観る、いわばスケアクロウ・ビギナーであると早合点をして。なめないでよ。たしかに、この映画のあらすじはほとんど忘れてしまったが、アル・パチーノジーン・ハックマンのコンサバティブな友情を綴った、苦いロードムービーであることを俺は知っている。なぜならすでに観たから。だからどうか私をスケアクロウ・ビギナーと早合点しないでください。

だが、その心の叫びは店員に届くはずもない。なぜなら言語音声の叫びではないからだ。心の叫びが都合よく第三者に届くのは、マンガや小説といった紙媒体のメディアだけである。

 

であるならば、と男は思う。
であるならば、レジスターに『スケアクロウ』のDVDを持って行った際に、会員カードを出しながら、独り言のように「やっぱり何度観ても名作だよねぇ」と呟く、という作戦はどうか。

この演出された独り言により、店員をして「あぁ、この人はすでに『スケアクロウ』を何度か観てるのか」と推察せしめ、見事、スケアクロウ・エキスパートだと思ってもらえる、という輝かしき正常なる理解を得るに至るのだ。

 

しかし、と男は思う。
しかし実際問題、あくまで事務的な接客をする店員を前に、いかな独り言とはいえ、「やっぱり何度観ても名作だよねぇ」と呟くのは少々イタくないか?

むしろ相手に話しかけるより、独り言として呟く方がイタさ増し増しではないか?
いわんや、統計的に映画マニアは非社交的、または反社会分子であるケースが往々にして確認されており、そんなディスコミュニケーション野郎が、店員に(独り言の体でさえ)話しかけることなど到底できるはずもない。

 

しからば、と男は思う。
しからば、言葉を発さずして自分がスケアクロウ・エキスパートだと思わしむる、他の方策を模索するまでであり、その上策とは、『スケアクロウ』より遥かにマイナーな映画を同時にレジスターに持っていくことにより、店員をして「あぁ、こんな弩マイナーな映画を借りるぐらいなのだから、この人は相当な映画マニアで、一緒に持ってきた『スケアクロウ』なんて当然観ているに決まっているよねー」と思ってもらえる、という輝かしき正常なる理解を得ることである。

しかしここで問題発生。

この作戦の胆は、囮のマイナー映画と本命の『スケアクロウ』の知名度に落差があればあるほど絶大な効果を発揮するわけで、たとえば「最近、宮崎駿の『となりのトトロ』と、ミロス・フォアマンの『パパ/ずれてるゥ!』を観たんだよねー」と語る奴がいたら、確実にこいつヤバいなと思うわけだが、その“ヤバさ”の基底には、『パパ/ずれてるゥ!』のマイナー性に誘爆されたミーハー映画の定番たる『となりのトトロ』が、メジャー映画でありながらメジャー的な見方がされるとは一概には断定できず、ことによると何か邪悪な、あるいは突拍子もない意図を含んだまなざしで『となりのトトロ』を観るのではないか、という恐るべき邪推の余地を与える高等テクニックが作用している点にある。

だがこの案件の問題点は、果たして『スケアクロウ』が知名度の高いメジャー映画であることには違いないが、“映画マニアの常識”の範囲外に偏在する“一般的な知名度”とも比例しているかというと決してそうではなく、『スケアクロウ』を知らない、観てない、という映画ファンも確実に一定数(それもたぶん意外と多い)いるわけで、そうなってくると『スケアクロウ』をメジャーとして規定することの前提そのものが揺るがされ、ひいてはどんなマイナー映画と一緒にレジスターに持って行こうが、「なんだこれ、どっちもマイナーじゃん」と思われればそれまでであり、結句、店員からはやっぱりスケアクロウ・ビギナーの烙印を押されて、その夜の枕を涙で濡らさねばならない、ということになりかねない。


み・た・い・な・こ・と・を、内容は違えど映画マニアは日々、自意識を逡巡させて悩乱しており、映画一本借りるだけでてんてこ舞いの大騒ぎ、飲み屋で年下のギャルに「映画好きなんですかぁ? あたし、スピルバーグが好きなんですうー」との言に「浅い。この糞ミーハーがっ。化粧を落として死ね!」なんて思って侮っていると、「特に好きなのが『オールウェイズ』でぇ~。あれってオードリー・ヘプバーンの遺作なんですよねぇ?」と不意打ちされて、自分が『オールウェイズ』を観ていないことに赤面および絶望をした挙げ句、飲み屋を出て向かいのビルを上って飛び降り自殺をする、みたいな実にクレイジーな行動原理に支配されているのである。すなわち、誇大妄想に操られたマリオネット!


※ちなみに私はスピルバーグが好きだという人に「浅い」とか「化粧を落とせ」とか思いませんよ。

 

この手の人種は、ある意味自尊心や自意識の高さが映画への愛に走らせているとも言える。

なんだかよくわからん話になっちまったが、要するにあれだ、自尊心の燻りと自意識の撹拌、それと感情の暴発に一定の価値を置いておけ、ということです。