シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

あの胸にもういちど

 峰不二子を生んだ空前絶後の事故死映画。

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1968年。ジャック・カーディフ監督。マリアンヌ・フェイスフル、アラン・ドロン、ロジャー・マットン。

 

大学教授ダニエルと恋仲になったレベッカは、レイモンと結婚してからもその関係を続けた。彼女は夫の寝ている間に起きだし、オートバイを駆ってダニエルの元へ馳せ参じるのだ。ハーレーで疾走する彼女の脳裏にはダニエルとの情事の光景が浮かぶ。その時、大型トラックが彼女を愛車もろとも跳ねとばした…。(Yahoo!映画より)


これは女性版ひとり『イージー・ライダーにして、フランス・イギリス流のニューシネマだ!

 

黒革のジャンプスーツに身を包んだマリアンヌ・フェイスフルが非常にキュート。

どれくらいキュートかといえば、思わず「キュート!」と叫んでもんどり打つほどキュート。わかりましたね。

ちなみに、アニメルパン三世峰不二子は本作のM・フェイスフルをモデルにしている。

ちなみのちなみに、ザ・ローリング・ストーンズミック・ジャガーの恋人だったことでも有名。

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60年代イギリスのキュート代表。

 

そんなM・フェイスフルがノット・フルフェイスで可愛らしい犬顔をここぞとばかりに見せつける本作。

彼女がアラン・ドロン演じる不倫相手のもとに向かってバイクをかっ飛ばすというだけの内容である。随所に妄想シーンが挟まれるが、基本的にはずーっとバイクで走ってるだけなのでストーリーもヘチマもない。

A地点からB地点までの移動を描いただけの無味乾燥の極北みたいな映画なのだ。


したがって他者やドラマが絡む余地がなく、自ずと彼女の精神世界が展開されることになる。

こうした他者を許さない自分だけの世界においては、好むと好まざるとに関わらず彼女の内面が抒情化される(『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話みたいに)。そしてこの内面の抒情化はフランス映画の特徴でもある。

実際、この映画の約80パーセントは、バイクを走らせるM・フェイスフルの独白と妄想のみで構成されている。私小説みたいな作品なのだ。

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相手がアラン・ドロンなら不倫も致し方なし。

 

ノーヘルでバイクを飛ばしながら不倫相手アラン・ドロンとの美しい思い出を反芻する彼女の、「彼ってば本当に良い男なのよ。タフガイとはこのこと」みたいな心の声が延々と垂れ流される。

「私たちの愛はかなり強烈」とか「彼のこと、かなり好き」とか。

そんな何か言ってるようで何も言ってない語彙貧弱メッセージを我々観客に押しつけてきます。
そして「あぁー、早く彼の家に行って抱き合いたいわー」なんてバイクに乗りながら一人で興奮するフェイスフル嬢、セックスの妄想に気を取られるあまり、うっかり大型トラックに轢き潰され「うっぎゃあー!」なんつって死ぬ。

 

終わり!

 

本当にただそれだけの映画なのだ。空前絶後の事故死エンド。

否が応でも連想してしまうのが『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』で、こちらもなんの前触れもなく車ごと列車に轢かれて死ぬという似たような事故死エンドだったが、いずれにせよ衝撃的な結末というか唖然とする結末だ。

この珍奇さゆえにカルト映画として一定の地位を確立した本作。

もしも唖然とする映画ランキングというのがあれば25位以内には入るだろうし、美女がノーヘルでバイクに乗って淫らな妄想をしてたら事故死した映画ランキングというのがあれば確実に1位に輝くだろう。

 

M・フェイスフルの魅力が詰まっていて、なにより映画として一生忘れられないほど異形なので個人的には大好きな作品だが、決してキワモノ映画ではないということだけ訴えておきたい。

 

第一にニューシネマとの親和性

バイクに乗る行為が露骨にセックスの暗喩として示されていたり、ソラリゼーション(反転映像)を多用したサイケデリックな映像など、いかにも「68年!」というニューシネマ的表現がふんだんに盛り込まれている。
なにより彼女の末路こそニューシネマ以外の何物でもないのだ(ちなみにイージー・ライダーが作られたのが69年なので、本作の方が1年早い)

 

もうひとつ面白いのは本作の無国籍性だ。

映画には必ず、その国の風土がある。アメリカ映画にはアメリカの質感。イギリス映画にはイギリスの空気とか。だが本作にはそれがまったくない。
この映画はフランスとイギリスの合作だが、M・フェイスフル自身はイギリス人。撮影スタジオもイギリスなら、監督のジャック・カーディフもイギリス人です。
そんな彼女がドイツハイデルベルクに向かう。

しかし先ほど述べた抒情的な映画のタッチ、これはフランス映画なんですね。

そしてニューシネマの精神は無論アメリカ
すなわちフランス、イギリス、ドイツ、アメリカのごった煮状態。

画面を見ていると「俺はどの国の映画を観てるんだろう…」というゲシュタルト崩壊に襲われる。しかしその酩酊感が妙に心地よく、退屈な内容なのに退屈を感じないのだ。

この無国籍性に無理やり国籍を与えるなら、イギリス人が作ったフランス流のニューシネマ(アメリカ映画)という感じだろうか。ただし舞台はドイツ。いずれにせよクソややこしい。

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マリアンヌ・フェイスフルのコケティッシュな容姿を拝めるだけでなく、トチ狂った結末に唖然とできるしゲシュタルト崩壊も体験できるという、たいへんお得な作品になっています。
映画としての出来はともかく、生涯忘れられないインパクトがある。

 

当ブログはゲシュタルト崩壊に苦しむ人を応援しています。