犬の気持ち、猫の気持ち、鬼料理長の気持ち!
2015年。ジョン・ウェルズ監督。ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、オマール・シー。
一流の腕を持ちながら、トラブルを起こし、すべてを失った料理人アダム・ジョーンズ。パリの二ツ星レストランから姿を消して3年後、アダムは料理人としての再起を図るため、ロンドンの友人・トニーのレストランに「この店を世界一のレストランにしてやる」と、自分を雇い入れる約束を取り付ける。かつての同僚ら最高のスタッフを集め、新しい店をオープンさせるアダムだったが、未解決のままの過去のトラブルの代償が大きくたちはだかる。(映画.com より)
近年にしては珍しく腰の入ったドラマである。まるで90年代のアメリカ映画を観ているような気分。
太筆で描きあげたようなキャラクターの力強さと、シンプルながらも厚みある物語。そしてフィルムを焼き尽くすほどの激情。
技巧的なことなんて一つもやってはいないし、ハッとさせられるような甘美な瞬間もない。まぁ、それもそのはず。これを撮ったジョン・ウェルズの本業は映画プロデューサーなのだから。
腕は一流だが酒とドラッグと女に溺れてキャリアをぶち壊しにした料理人が再起を図り、ともにレストランを経営した旧友との確執を解き、かつての同業者たちを仲間に加えて三ツ星を狙う。
主人公ブラッドリー・クーパーの口からも言及されるように、これは『七人の侍』だ。
本作が『七人の侍』から影響を受けているのは物語の筋だけでなく、黒澤明の完璧主義という気質まで主人公のキャラクター造形に組み込まれている。
B・クーパーが噛んで含める「厨房は戦場だ」という台詞は、比喩でもなければ脅し文句でもない。
実際、この料理長は、秒単位の作業にわずかでも遅れが生じれば怒鳴り散らし、適温でない料理は皿ごと投げつけ、ヒラメの鮮度を落としたスーシェフに対して「ヒラメに謝れ!」と鬼の剣幕でヒラメへの謝罪を要求。
絶対服従の独裁政権。
最高の料理を客に出すためには、厨房を完璧にコントロールしてシェフたちの一糸乱れぬパフォーマンスが必要であると彼は考えるが、当然そんな独裁政治では誰もついて来ない。人間関係に摩擦が生じる。
案の定、彼は鬼料理長として周囲に怖れられ、仲間との関係に摩擦を生じさせるのだが、私には鬼の気持ちが理解できる。
オーライ。早い話が、周囲の同業者は料理人だが、この主人公は表現者なのだ。その違いが人間関係の温度差として、この厨房にただならぬ気まずさと緊張感を落とし込んでしまう。
「ヒラメ、カサカサやないか!」といってスーシェフを怒るB・クーパー。
この主人公。個人的に愛してやまないバンド、エレファントカシマシの宮本浩次とそっくりである。
かつてのコンサートでは「チャラチャラしたノリで聴くな!」という理由から拍手禁止、ライブ中に演奏がズレたメンバーに向ってマイクを投げつけ、自身のアルバムの感想に「食べにくい」という比喩を使ったラジオパーソナリティに対して「なら吐け」とキレて暴言連発など、命懸けで音楽と向き合うからこそ、まったく社会に適応できないという孤高の芸術家。
プロの声楽家並みの歌唱力を持つ宮本がどれほど歌が上手いかといえば、上手すぎて逆に下手に聴こえるぐらい上手い。
あるいは究極のロックを追い求めた結果、もはや歌うことすらやめて政治的主張を5分半に渡って怒鳴りまくるだけの「ガストロンジャー」を発表するなど、並みの平民には到底理解されないロックシンガーだ。
ゆえにこの主人公も、普通の世界に住む普通の人々にはまったく理解されない。えてして表現者とはそういう生き物だ。ただ「美味しい料理を作る」とかいう次元でシェフをやっているわけではなく、きっとその先の世界を見ようとしているのでしょう。
本作は、そんなB・クーパーの熱き孤高の魂をクローズアップするのではなく、むしろ彼に振り回される周囲のシェフの目を通して天才と凡人のコミュニケーションが描かれている。
「ソース、こぼれとるやないか!」といって自分で直すB・クーパー。
紅一点のシエナ・ミラーは、「ヒラメに謝れ!」と怒鳴られ、大勢の前で恥をかかされたスーシェフだ。
ヒラメ事件だけでなく、娘の誕生日だからこの日だけは休ませてほしいと懇願して「むり!」と一蹴された強制シフト事件で、ついに怒髪天を衝く!
「何なのあいつ、かなりありえない! ヒラメといいシフトといい、マジ厳しすぎない!? かなり嫌いよ!」
ところが徐々にそんなB・クーパーと打ち解けて、やがて恋にまで発展するのだ。怒鳴られ過ぎて感覚が麻痺したのだろうか。
(ちなみに『アメリカン・スナイパー』ではB・クーパーの妻を演じている)。
また、過去に大きな確執がありながらも、なんだかんだで主人公をサポートする支配人ダニエル・ブリュールが、実は同性愛者で人知れずB・クーパーを恋慕していたというツンデレ外伝も胸を打つ。
主人公のせいでキャリアを潰されたけど、でも好きだから応援しちゃう! というアンビバレンツ・ラブ。
叶わぬ恋と知りながらもB・クーパーのケツを目で追ってしまうダニエル・ブリュール…。不憫萌えという新たなる地平を切り拓くことに成功している。
ヤケになったB・クーパー、「ええい、ままよ!」とばかりに最初で最後の義理キス。
そして過去に泥酔した主人公に鼠を店に放り込まれて営業停止処分を受けた料理人オマール・シー。これはひどい。気の毒すぎる。
「あのときは鼠を投げてごめん」というB・クーパーの謝罪を受け入れて和解、彼に雇われて一緒に料理を作るオマール・シーだが、実は鼠投げ事件の怨みを忘れておらず、のちに主人公をどん底に叩き落とすあるとんでもない復讐に出る。
こ、これは他人事ではない…。
「友達だと思ってた相手が実はリベンジャーでした」とかさ。『最強のふたり』でイイやつ認定したはずのオマール・シーがただただ怖えよ。
さらには主人公と拮抗する実力を持ちながらも、いつも僅差で敗北を喫して涙を飲んできた料理人マシュー・リスも良い味を出している。彼は、天才(B・クーパー)を超えられない努力の凡人。諸葛亮孔明を超えられない周瑜なんですよ。
しかし、あれほど主人公に対して嫉妬と憎悪を抱いていたが、みじめに落ちぶれて自殺未遂まで起こした主人公に無言でスクランブルエッグを作って慰めるシーンは落涙必死。
事程左様に、まるで『北斗の拳』のごとき愛憎相半ばするホモソーシャルなライバル関係に幾度となく魂をブチ抜かれた。
ブチ抜かれすぎて、もはや魂、蜂の巣だよ。
「この仕事が大変なのは分かるけど、ヒラメはもっと大事にせな」といってスーシェフを諭すB・クーパーと、「せやで」と彼を援護射撃するダニエル・ブリュール。
そうそう。鬼コーチの罵倒を浴びながら半ベソでドラムを叩く映画『セッション』との類似点も指摘したい。
期待通りに動けない料理人に怒声を浴びせて大暴れするB・クーパーは鬼コーチのJ・K・シモンズそっくりだが、それと同時にJ・K・シモンズにしごかれる学生マイルズ・テラーの分身でもある。本作のB・クーパーは指導者であると同時に表現者でもあるからだ。
実際、B・クーパーが借金の取立て屋に血祭りにされた直後、ミシュラン(レストランの格付け調査員)が抜き打ちテストに来たというので血まみれの満身創痍で厨房に立つシーンは、コンペティションに向かう道中で自動車事故に遭って大怪我を追いながらも全身血だらけで会場に着いてフラフラになりながらドラムを叩いたマイルズ・テラーそのもの。
たとえ血まみれだろうが表現活動に没頭する姿の滑稽さと格好よさが胸を打つ。
「もっと速く叩け、ブタ野郎ッ!」
これほど腰の入ったドラマを101分で簡潔にまとめ上げた監督ジョン・ウェルズ(61歳)の手腕が冴える。
映画プロデューサーとして長年活動していたが、2010年に『カンパニー・メン』で監督デビュー。本作は2013年の『8月の家族たち』(121分延々とメリル・ストリープが食卓で家族を罵り続けるという心温まる内容)に続く3作目。
「ケツの青い映画作家どもの後塵を拝するワシではないわ!」と言わんばかりの熟年パワーがみなぎっている。
少なくともハーヴェイ・ワインスタインの166倍ぐらい高潔な魂を持つプロデューサーです。
主人公の食にまつわるオレ哲学も名言の宝庫。
『セッション』(14年)、または『北斗の拳』が好きな人に強く推したい。ツンデレ好きとBL好きも必見。
「ピリピリした空気は嫌。でもどうしても料理映画は観たい」という駄々っ子にはこちらをおすすめ↓