ブラット・パックの総本山的作品にしてシュマッカー先生の底なしバケツ映画!
1985年。ジョエル・シュマッカー監督。エミリオ・エステベス、ロブ・ロウ、アンドリュー・マッカーシー。
大学を卒業したての若者たちが自分の道を見つけたり見つけなかったり、未来を切り拓いたり切り拓かなかったり、明日にむかって翼を広げたり閉じたり、希望を持ったり投げたりするといった意味内容の青春群像劇。
ブラット・パックの代表作ですね。
ブラット・パックと聞いて血液パックやブラッド・ピットを連想してはなりませんよ。
ブラット・パックとは1980年代の青春映画を彩った一部の若手俳優集団を指す言葉。次代のアメリカ映画を担うヤングアダルト・スターとして大々的に売り出された連中の総称である。
うーん、日本に置き換えるなら若くて軟派な石原軍団みたいなものでしょうか。 いや、男女混成のAKBグループと言った方がわかりやすいかもしれない。
ブラット・パックの面々だけで固めたブラット・パック映画というのがあって、その代表作が、スクールカーストものの古典『ブレックファスト・クラブ』、キムタクがマイフェイバリットムービーとしてよく挙げる『アウトサイダー』、そして本作。
そしてブラット・パックの主な構成員は、エミリオ・エステベス、ジャド・ネルソン、アンドリュー・マッカーシー、アンソニー・マイケル・ホール、モリー・リングウォルド、アリー・シーディなど。
この名簿にピンときた人はほとんどいないでしょう。それも無理からぬこと。彼らはブラット・パックという流行に乗せられた束の間のアイドルに過ぎず、その多くは90年代に入った途端にほぼ消え去ったのだ。しょぼいブームでした。
アメリカの流行を好んでいた今の50代の人たちぐらいしか知識も興味も思い入れもない。それがブラット・パック。80年代アメリカの青春の代名詞なのだ。
ブラット・パックとして世に出て成功をおさめ、今なお第一線で活躍している俳優といえば、トム・クルーズ、ショーン・ペン、ロバート・ダウニー・Jrぐらいだろう。
ロブ・ロウ、マット・ディロン、デミ・ムーアも、細々とではあるが現在も活動している。
ブラット・パックの看板俳優だったロブ・ロウ&トム・クルーズ。
本作は、そんなブラット・パック揃い踏み映画の総本山。
大学時代に仲のよかった7人組の男女が大人になってから再びつるみ始め、主に恋愛を中心としたショボい群像劇が展開される。
監督は、恐ろしく打率が低いわりには30年以上もハリウッドで活躍して駄作~凡作の映画を量産し続けるしぶとさと厚かましさに定評のある三流監督ジョエル・シュマッカー先生*1。
私はこの人の映画を観るたびに、「こんな平凡な人でも映画を撮り続けられるんだから、アメリカって寛容でステキな国だなぁ」とほっこりしてマシュマロココアが飲みたくなります。
ただし、唯一『フォーリング・ダウン』という奇跡の傑作*2を撮ってしまった、という歪なキャリアゆえに、忘れたくても忘れ去ることができない監督としていつまでも私の頭にインプットされて記憶の容量を地味に圧迫している、嬉しい反面迷惑でもある監督です。
『セント・エルモス・ファイアー』にご出演された皆さん。
そんな本作は、シュマッカー先生には群像劇が撮れないという、観る前からだいたい予想できていることを確認するにはうってつけの作品なので、「ジョエル・シュマッカーって群像劇が撮れるの? 撮れないの?」という疑問がF1レースみたいに脳裏をギャンギャンよぎって何も手につかないし心なしか体重も減った…という人は早め早めに観ておいた方がいいです。ご自身の健康のために。
それ以外の人はまったく観る必要がない作品なので、安心してマシュマロココアでも飲んでおくつろぎ下さい。
まず主要人物7人の顔と名前の不一致、そして人間関係の不明瞭、さらには時系列と空間が混乱する編集など、シュマッカー先生の雑な仕事ぶりをたっぷり111分も堪能できる。なんてお得な作品なんだ。
とにかく全編通して私が気になったのは、移動が描かれないこと。
たとえば、真夜中にジャド・ネルソンの家にデミ・ムーアから電話がかかってきて、「いまホテルでエジプト人たちとコカインやってるんだけど、なんかレイプされそうな流れになってるから助けにきて丁髷」と言われる。
すると次のカットでは、ホテルの部屋の前までやってきたジャド・ネルソンへと飛ぶ。家を出てホテルに向かうまでの道中のショットがひとつも挟まれないのだ。
これはジャンプカットという映像技法で、時間経過を省略する際によく用いられるけど、この場合はジャンプしちゃダメでしょ。
ジャンプしたらワープみたいに見えちゃうでしょ。自宅からホテルに瞬間移動って。孫悟空でもしないわ、そんなこと。
一事が万事この調子で、おまけに舞台が誰かの家だったりバーだったりするので、基本的に街(野外)が映されないのね。なぜか『フルハウス』みたいなシチュエーション・コメディを地で行っている。
この形式を7人もいる群像劇に適用したらどうなるか?
いま現在誰がどこにいて、ここがどこなのかまったくわからないという時間的/空間的な混乱がもたらされるだけザッツオールである。
もう111分間ずっと「ふふふ、私はどこにいるでしょう?」ってウォーリーじみたクイズを出されてる気分。頭が痛くなってくる。
また、7人の恋模様とやらも鼻白むばかりで。
浮気性のジャド・ネルソンは、恋人アリー・シーディが意趣返しとして浮気したことに対して、自分が浮気性であることを棚上げして理不尽なキレ方をする。
バカ男代表として平昌オリンピックに出場してしまえ。理不尽ギレという種目でメダル狙えるぞ。
ジャド・ネルソン…ブラット・パック構成員。代表作に『ブレックファスト・クラブ』、『セント・エルモス・ファイアー』。以上。
アリー・シーディ…代表作に『ブレックファスト・クラブ』、『ショート・サーキット』、『ハイ・アート』など。『ブレックファスト・クラブ』における陰のある少女役(画像参照)はアリー・シーディ史に刻まれるべき。
自らを恋愛至上主義者と豪語してやまないエミリオ・エステベスは、病院で一目惚れした研修医師アンディ・マクダウェルにしつこく付きまとい、彼女が恋人と休暇を過ごす別荘にまで付いてきて「男がいたなんて…」と勝手にいじけて別荘の前に居座り謎のストライキを敢行。
ストーカー行為もここまでやれば立派なもんだ。平昌オリンピックのストーキングという種目に出てみては?
エミリオ・エステベス…チャーリー・シーンの兄。『アウトサイダー』、『ブレックファスト・クラブ』、『セント・エルモス・ファイアー』の三大ブラット・パック映画すべてに出演した。だからどうということもないのだが。
デミ・ムーアはコカイン常習者のパーティー・ガールという見たまんまの不良少女。いわゆるパリピという人種。
デミ・ムーア…80年代後半~90年代前半にかけては米国屈指のトップスター。大ヒット作『ゴースト/ニューヨークの幻』でろくろを回すシーンは死ぬほどパロディ化されている。ブルース・ウィリスの元嫁。アシュトン・カッチャーの元嫁。趣味は離婚、ろくろ回しなど。
ロブ・ロウはデキ婚した相手と別れて色んな女性を渡り歩いては捨てられ、勝手に傷心した挙げ句「自分探し」と称して単身ロサンゼルスに旅立つ。もう帰ってくんな。
ロブ・ロウ…80年代前半はトム・クルーズを凌駕するアイドル俳優として大人気だったが、淫行スキャンダルで失墜。ロウと言えば?選手権で首位をキープしていたが、ついにその栄冠をジュード・ロウに譲ってしまった。
どいつもこいつも身勝手で、散々周囲を振り回しておいて、最後にはなぜか勝手にスッキリして前向きになっているという。無反省とはまさにこのこと。全員、平昌オリンピックに出て独り相撲という種目でメダル狙え。一人ぐらい取れるだろう、これだけいりゃあ。
そんなわけで、80年代青春映画の堕落した面だけを寄せ集めました、という感じの総集編的な負の結晶体こそが『セント・エルモス・ファイアー』なのです。 楽しいですね(真顔)。
ちなみに現在では、主要人物7人を演じた出演者は映画界から綺麗さっぱり淘汰されたが、いちばん淘汰されねばならないシュマッカー先生は、今なおカメラをブン回して映画やドラマを作り続けている。解せない。
*1:ジョエル・シュマッカー…アメリカの映画監督。ゲイであることを公言しており、自作『バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲』におけるバットスーツは尻と股間がやたらに強調され、胸部に乳首をつけるという趣味丸出しのデザインでファンの顰蹙を買った。だがいちばん嫌だったのは、そのスーツを着させられたジョージ・クルーニーだろう。
*2:『フォーリング・ダウン』…平凡な中年親父がストレスを爆発させるブチギレ映画の最高峰。マクドナルドでぺちゃんこのハンバーガーを出されたことに激昂して「メニューの写真と違うじゃないか。もっとふっくらさせろ!」と騒いで店内でショットガンをぶっ放すという崇高な作品である。