よろしい、ならばボンクラ讃歌です。
2000年。スティーヴン・フリアーズ監督。ジョン・キューザック、ジャック・ブラック、リサ・ボネ。
音楽を愛するロブは、小さなレコード屋を経営する30代の独身男。音楽へのこだわりが強すぎるためか店の方はパッとしない。同棲中の恋人にもフラれてしまい…。(Yahoo!映画より)
ひとつの物事にのめり込んで生活の落伍者になっていく者たちがいる。
例えば食費を趣味につぎ込んで不健康な暮らしをしたり、睡眠時間を削ってプラモデルを作ったり、「二次元しか興味ない」とか言い出したり。
私もまた、彼らと同じ人種なのだろう。 青春のほぼすべてを映画に捧げたからだ(否、現在進行形で捧げ中)。
青春時代。
それは人生に訪れる一度きりの甘い夢。
恋に部活に友情。どこぞの部活に入れば上級生との縦のつながりが持てるし、学年が上がれば下級生相手に先輩風をピューピュー吹かせてすこぶる良い心持ち。
学園祭や体育祭といった行事ではクラスが一致団結。だけどぜんぜん一致団結しない男子たちが教室の後ろでふざけ合ってて、業を煮やした学級委員の女子、「男子も手伝ってよ! ロボコップの真似ばっかりしてないで!」と怒り出し、それまでイーガシャ、イーガシャ、なんつってロボコップになりきっていた男子たち、「うるせーなぁ」などとブー垂れながらも学級委員に従うみたいなクソつまんねえ学園ドラマ感を醸してイベント当日に臨む。
べつに特別な日でなくとも、なんでもない日常が輝きに満ち溢れている。
それが青☆春。
適当に誰かのことを好きになったり、運がよければ校舎裏に呼び出されて告白されるかもしれない。むしろこっちから壁ドンするかもしれない。友達とふざけ合って肩パンだってするだろうし、不良と戦って腹パンをされることもあるだろう。間違えて不良相手に顎クイをしないとも限らない。
教師のことをあだ名で呼ぶような親密な関係を築くこともあるだろう(ちなみに私は教師のことをあだ名で呼ぶような生徒、あるいは生徒のことをあだ名で呼ぶような教師はむちゃむちゃ嫌いです。なぜなら互いの敬意によって成り立つ教育的主従関係を超えてなあなあの友達関係に堕しているからです)。
テスト期間中は友達の家やマクド、関東風に言うならマックなんかで苦心惨憺、試験勉強。
バレンタインデー、夏祭り、クリスマス。
長期休暇に伴うクラスメイトの変化。髪型を変えた奴。肌が焼けてる奴。身長が伸びてる奴。松葉杖で現れる奴。
そして卒業旅行。記念写真。卒業式では担任教師のたぶん毎年使い回してる激励の言葉を胸に刻み、3年間の想い出が走馬灯のように駆けめぐって、式の場で思わず泣いちゃったりなんかしていざさらば感を醸しながら卒業証書が入った筒をンッポン、ンッポン鳴らしていつもの連中と「卒業してもダチだかんな!」と熱い言葉をかけ合い、肩を叩き合ったり揺さぶり合ったりして、おーいおいおい、わーんわんわん、たははっ、と笑って、でんっ、でんっ、でんぐり返ってバイ、バイ、バイ。
まぁ、程度の差こそあろうが、これがいわゆる青春の一部始終ってやつだ。
しかし私はこんなにも楽しい人生のイベントを、手を伸ばせば届く距離にぶら下がっていたにも関わらず「いらんのじゃい!」と言ってはたき落とした。そして映画に走った。振り返ることもせず。
周囲の物事、特に他人に対して、あまりに無関心でした。誰かから「野鳥を見に行こうぜ」と誘われても「ごめん、野鳥は見ません。僕は帰って映画を観ます」と言って背を向けたし、クラスメイトの顔と名前すらあまり覚えていなかった。
心を許せる何人かの友人とエンドレス馬鹿トークをしたり、どぎついジョークを言い合ってるだけのボンクラな日常。
本作の主人公ジョン・キューザックを見ていると、これまで私が映画と引き換えに捨て去ってきた様々なものたちの怨念が大挙して我が心を蝕むようで、とても息苦しく、後ろめたかった。
小さいレコード店を経営するジョンキューちゃんは、恋人にフラれたばかり。やがてブルーな傷心は逆上へと変わり、「どうして俺はフラれたんだ? 原因は何なんだ?」と己の心の奥底にしまっていた失恋遍歴TOP5を紐解いて自己分析、行き着く結論は「女が悪い」という独りよがりなもの。
他人に一切関心がなく、レコードだけに人生を捧げた男にありがちな自閉的世界のなれの果て。
自閉的世界といえば、主人公のレコード屋でバイトをしているジャック・ブラックも相当深刻だ。
客が店にやってきて「スティーヴィー・ワンダーのレコードはあるかな? 娘の誕生日にプレゼントしたいんだ」と言うと、急に血相を変えたジャック・ブラック、「レコードはあるが、おまえには売らない。スティーヴィー・ワンダーなんか聴くな!」と叫んで追い返す。
レコード屋の店員なのに自分の趣味に合わないレコードは売らない、というキング・オブ・理不尽な店員だ。
一事が万事この調子だから、客は寄りつかず、店内はいつも閑散としている。
まぁ、当然の帰結!
ついでに合掌!
暇を持て余した彼らが何をしているかというと、ラッシュの「ヤコブの梯子 (旧約聖書創世紀より) 」のギターソロのパートを歌い狂ったり、アルバムのタイトルを口にする友人に「そのタイトルの前に『ザ』はつかない!」とマニアックな音楽談義をしたり、心の名曲TOP5を発表し合って「なかなか良い選曲だ…」と互いを讃え合ったりしている。
とんでもねえボンクラどもだ。
しかし私にはこいつらの自閉的世界が他人事と思えなかった。
ミートゥーだからである。
かくいう私も、映画好きの親友と「夜のごみ収集車といえば…」、「『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』!」みたいな矜持を懸けた早押しクイズをやったり、「フランク・キャプラの名作は?」との問いに『素晴らしき哉、人生! 』や『スミス都へ行く』を挙げるとナメられそうだから『群衆』を挙げるべきか否かで延々悩んでみたりもするほどのボンクラだからだ。
幼稚な好事家ほどTOP5やBEST10を作りたがるという傾向もあるあるだと思うし、もう何から何まで身につまされるってわけ!
オーライ。
でもそんなボンクライズムって、どうしようもないようで実は大切なんだって、オレ信じてる!
ていうか信じないとやってられるか、こんな人生!
なんかね、僕はボンクラという生態に対する愛憎相半ばする思いがあるんですよ。
「ボンクラって本当どうしようもないよな」と思いながらも「でも普通の世界で普通に生きてる普通の人に比べたら、知識とか探究心とかパッションとか、色々すごいよね」っていうさ。
そういうボンクラのことを、人は「オタク」と呼ぶけど、オタクって要するにスペシャリストだからね。天才にいちばん近い人種ですよ。これを読んでくれてる〇〇オタクのあなた、おめでとうございます!
天才にいちばん近いんですって。
何をやっても平均的で、これといって特出したところのない没個性な人よりも、一点特化型の極端パラメーター人間が大好きなんですよ、僕は。
だから「スティーヴィー・ワンダーなんか聴くな!」といって客を追い返したジャック・ブラックに対しても、「間違ってる! 間違ってるが大好きだ!」っていうアンビバレントな好意を抱かずにはいられない。
そんなわけだ。どんなわけだ?
そもそもロック野郎のジャック・ブラックに対してスティーヴィー・ワンダーのレコードを持って行った方が悪い! 娘の誕生日なら『レッド・ツェッペリン II』を贈れよ!
すっかり映画とは関係のない話になってしまいましたね。悪い、悪い。
ウディ・アレンの『アニー・ホール』との類似性に着目して論を掘り下げてみたかったのだけど、色んなレビューサイトを覗いてみると既に見識あるレビュアーさんたちが語り尽くしていたので、「どうにもナランチャ」って感じでこんな文章になってしまいました。
怨むなら見識あるレビュアーさんたちを恨んでくださいね。
当ブログはすべてのボンクラ、およびすべてのボンクラの行き場をなくした魂を応援しています。