シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年

ピーヒャラ感なし。パッパパラパ感もなし。

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2015年。高木淳監督。アニメーション作品。

 

まる子の町に世界5カ国から子どもたちがやってくる。個性豊かな新しい仲間にクラスのみんなは興味津々で、まる子の家にもイタリアからきた男の子アンドレアがホームステイすることに。クラスメイトたちと一緒に大阪や京都などへ出かけ、楽しい日々を過ごすまる子。2人は一緒に行ったお祭りで「また会えますように」とそれぞれ願いごとをするが、やがてアンドレアとの別れの日が近づき…。(映画.com より)

 

僕の周りにはドラえもんクレヨンしんちゃんのファンはいても、ちびまる子ちゃんのファンって一人もいないんですよねぇ。もしかしてちびまる子ちゃんを観てるのって世界中で俺しかいないんじゃないかな、って誇大妄想に駆られるぐらい誰も観ていない。

なので、このブログを通してアンケートを募ります。今この文章を読んでくれてる人の中で「ボク、ワタシ『ちびまる子ちゃん』好きだよー」って方は、心の中で「ピーヒャラ ピーヒャラ」と念じてください。

その念は僕に届くので、後日集計したいと思います。念じてくれた方の中から、抽選で5名様に「パッパパラパ」というアンサー念をプレゼント致します。

なお、当選者の発表は念の発送をもってかえさせて頂きます。

 

さて今回は、せいぜい半径20メートル以内のご近所さんとしか交流しないサザエさんよりも遥かにワールドワイドな、異文化コミュニケーションを描いたちびまる子ちゃん劇場版。23年ぶりとなる映画第3弾です。

映画作られなさすぎだろ。インターバル23年て。

前作ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』(92年)が公開された当時、紛うことなき純粋ボーイだった僕も、今やすっかり厭世主義に傾倒する地獄の映画マニアに育ちましたよ。立派なもんです。おかげサンキュー。

 

さて、そんなどうでもいい話は措くとして、イタリアからやって来た美少年アンドレアとまる子で甘美なロマンスをやるというムチャなコンセプトに、思わず「はぁ?」という第一声が口をついて出てしまった。

え、だってちびまる子ちゃんってそういうのじゃなくない?

俺たちの知ってるまる子って、地中海ボーイとガチロマンスで乙女炸裂とか…、そういうのじゃなくない?

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なんやねんこれ。まさか王道のガチロマンスを地で行くとは。


まる子とアンドレアのロマンチシズムに湿ったピュアなラブストーリーには、なるほど一抹の気持ち悪さを感じさせるには充分な違和感が含まれている。少女・まる子がになる瞬間を捉えているからだ。

たとえば、アンドレアと夏祭りに行くことになったまる子は、張りきって浴衣に身を包み、「ヨク似合ッテイマス」というアンドレア渾身のお世辞を真に受けて大いに照れる。
その後、二人の願いを乗せた灯篭流しを橋の上からアンドレアと打ち眺める、という甘美なロマンスへと急展開。その最中、アンドレアと過ごした数週間の思い出が回想され、そこに仰々しいJ-POPラブソングが乗せられるという糖分過多な演出。


あるいは、夏祭りの人混みでアンドレアとはぐれてしまい、まる子が朝の通勤ラッシュのように小汚いおっさんに揉みくちゃにされて圧死しかかっているところへ、アンドレアが肉塊の中から手を差し伸べ、まる子を人混みから救いだして見つめ合う…という、さながら『もののけ姫(97年)でオッコトヌシの身体に取り込まれたサンをアシタカが救い出す名場面を純度百パーセントのメロドラマに置き換えたかのようなシーンの数々に悪酔い!

空港での別れなんて、アンドレアへの恋心を抑えきれないまる子が、天井から雨漏りみたいにポロポロと泣き出してしまい、「行かないで…」「私を忘れないで」70年代歌謡曲のごとき純情フレーズを連発。


このように、まる子の淡い恋を全面的にフィーチャーした本作は、たとえば橋の上から灯篭流しを静観する二人を遠目から見ていた永沢くん&藤木くんでさえ、いつもの嫌味や皮肉を自重して、むしろ妖精みたいにまる子の恋路を応援するような素振りさえ見せるほどまる子の恋という主題が中心化されている。

ここには、自分のことを「あたしゃ~」と言うまる子も、「ひぇひぇひぇ~」と魔女みたいな笑い方をするまる子もいない。地中海ボーイを前に頬を赤らめて恥じらう乙女がいるだけ、ザッツオールである。

薄膜のようにこれじゃない感で覆われた圧倒的違和に終始戸惑いっ放しだった。

ピーヒャラ感なし。

パッパパラパ感もなし。

(でもタッタタラリラ感はややある)

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だからなんやねんこれは

 

それでも、この少年少女の愛らしい恋物語『あの花(略称)』君の名は。(16年)に比べて遥かにスムーズに呑み込めるのは、もともとちびまる子ちゃんというコンテンツが持つ大人の思惑を感じさせない一直線の童心が心地よく我々の心に沁み渡るからだろう。
「童心」とは他者に対するごく自然な思いやりを意味している。
まる子は灯篭にアンドレアにまた会えますように」という願い事を書く。

アンドレアの方はイタリア語で書いてるから意味はまったくわかんねえが、最後に「Maruko」とあるのでだいたい同じ願いだろう。
流れてゆく灯篭を打ち眺めながら、ふと、まる子はアンドレアの夢がカメラマンであることを思い出したのか、「灯篭に『アンドレアがカメラマンになれますように』っていうのも書けばよかったなぁ…」といって臍を噛む。このやさしい一言こそが童心コンテンツとしての『ちびまる子ちゃん』の精髄

 

そしてこの一言をきっかけに、アンドレアは「マル子ハ何ニナリタイデスカ?」と質問を投げかける。
まる子は、輝いた瞳で夜空にバンバン打ち上がる花火を見つめながら、口を開く。

「アタシは…、漫画家になりたいんだ」

このシーンは、不覚にも私の目頭を熱くさせました。

口を開けばアンドレア、アンドレ…だったまる子が、このクライマックスに至って自分の夢を語りだし、その表情はアンドレアを見つめる表情よりも断然活き活きしている。もう謎の身震いを禁じ得ないほど、心を鷲掴みにされた一言だったよね。ありていに言って。
とかくロマンスとは、「好き」だの「会いたい」だのと相手への想いばかりを語るが、自分自身を語れない奴にどうして人を語れよう
「漫画家になりたい」という夢をアンドレアにはっきりと伝えた瞬間、この作品は単なるロマンスを超えたと思う。普段はバカでお調子者のまる子が一瞬マジメに自分自身と向き合った内省的な深い感動が、この1カットの奥には織り込まれているのです。
そして私の感涙は、「漫画家になる」という夢が、ほかでもなく原作者・さくらももこを投影したまる子の口から発せられたことに対する涙でもありました。

 

始めこそ「『ちびまる子ちゃん』でロマンスをするなんて、ちょっと気味悪ィな」という抵抗感があったが、なんやかんやでそれは払拭された。結果オーライだった。

 

追記

まる子のお姉ちゃんを演じた声優・水谷優子は、本作の公開後に51歳の若さで亡くなった。

お姉ちゃんのために西城秀樹「傷だらけのローラ」を傷だらけで歌唱します。

お疲れ様です。今までありがとうございました。

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