シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

質屋

取りつく島もないロッド爺さんの話しかけられてもドン無視映画。

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1964年。シドニー・ルメット監督。ロッド・スタイガー、ジェラルディン・フィッツジェラルド、ブロック・ピータース。

 

ニューヨークで質屋を営むユダヤ人のソルは、ナチの強制収容所で妻子を殺され、それ以来人間不信に陥っていた。ソルを尊敬し、その助手として働いていた若者ヘズスは金欲しさも手伝って、チンピラたちとともに自分の勤める質屋から金を盗み出そうとするが…。(映画.com より)

 

えらく長い話になっちまったので、もくじをピュッと付けるぜ。

さすがふかづめ、気が利きますね。

 

とってもありがたいもくじ

 

①幻の初期作がようやく観れる!

シドニー・ルメット『質屋』

10年ぐらい前からず~~~~っと観たかった作品だが待てど暮らせどDVD化されず、折に触れて「クソが」と吐き捨てていた。

くさくさするわぁ。『質屋』が観れないことを思うと心がくさくさするわぁ!

だがようやく、このシドニー・ルメットの幻の初期作がTSUTAYA発掘良品で復刻されました。

おめでとう、ルメット。

ていうかルメット以上に、おめでとう俺。

 

シドニー・ルメットといえば生涯硬派な映画を撮り続けた社会派の巨星。

代表作に十二人の怒れる男(57年)セルピコ(73年)狼たちの午後(75年)『ネットワーク』(76年)『評決』(82年)など。

かと思えばオールスター映画のオリエント急行殺人事件(74年)を朗らかな顔で撮ったり、リメイク版の『グロリア』(99年)で大失敗をやらかすなどお茶目な一面も。

正直、映画作家としては中の上だけどお気に入りの監督である。

特に狼たちの午後『未知への飛行』(64年)は生涯BEST50に入るほど大好きな映画だ。

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②取りつく島もないロッド爺さんの塩対応ぶり

さて、ほとんど誰も興味ないと思うが『質屋』の話をしましょうね。

ナチの強制収容所に入れられて妻子を殺された過去を持つお爺さんが質屋を営む…というヒューマン・ドラマなのだが、この作品の特徴はヒューマニズムの欠片もないという点にある。

ロッド・スタイガー演じる主人公は、強制収容所での悪夢のような体験から人間不信に陥ってしまい、機械のように血の通わない老人だ。

「ちょっとヒドすぎるんじゃないか」と思うぐらい他者に対して冷たいのだが、自他ともに認めるヒューマノイドの私にはロッド爺さんのツンケンした態度がなんとなく分かるような気がした。

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若い男が質に入れようと持ってきたラジオにロッド爺さんが「1ドル」と即答すると、若者は納得いかないという顔で反撥する。

「1ドルなんてひどいぜ。そんな殺生な。このラジオは親父の形見なんだ。本当だよ。ほら、音もこんなにクリアに…。あ、あれ。なぜノイズが流れるんだ。さっきまでは調子よかったのに。怖気づいたのか! ええ!? 質屋に連れてこられて怖気づいたというのか、ラジオこらぁぁぁぁぁぁあぶりばd」

ラジオに向かって説教て。

一人でぎゃあぎゃあ喚いている若者がひとしきり騒ぎ終えると、改めて「1ドルだ」と言うロッド爺さん。

「さすがに1ドルはひどいぜ。よその質屋では15ドルって言ってたぜ!?」

「じゃあそっちに行け」

取りつく島もなし!

若者、不憫!っていう。

 

また、お腹を大きくした女性が、泣きながら「上等の金なのよ」と言って持ってきた指輪を一瞥したロッド爺さん、「メッキだ」と即答。

私なりに事情を察したところ、恐らくこの女性は自分を妊娠させた恋人に逃げられて絶望のどん底にいるのだろう。

人情というものがあるのなら、たとえメッキと分かっていても気持ち高値をつけて「何があったのかは知らないが、挫けちゃダメだよ。お嬢さん」なんつって応援してやるものだが、そんなことはお構いなしのロッド爺さん、「メッキだ」

取りつく島もなし!

ロッド爺さんのメッキ発言で、女性はさらに泣きだしてしまう。ただのメッキを金だと偽った恋人の「嘘」が、ロッド爺さんの事務的な一言によって露呈してしまったからだ。

お嬢さん、不憫!っていう。

 

またある時には、お喋りが好きな黒人のお爺さんが家にあったしょうもない家具を持って質屋を訪れ、家具の査定中に最近読んだ本について楽しそうに喋りまくる。

ところが査定が終わったロッド爺さん、本の話題を全部無視して「1ドルだ」

後日、老人は再び質屋を訪れたが、今度は手ぶらだ。事情を察するに、恐らくこの老人は独り身で寂しく、話し相手が欲しいのでしょう。

例によって老人は、今度は科学についての個人的見解を滔々と述べはじめる。

だがそれを聞くともなしに聞いていたロッド爺さん、ひとしきり話し終えた老人に向かって「質に入れる物がないなら店に来ないでくれ(大意)とバッサリ。

取りつく島がないにも程があるだろ。

傷ついた老人は「お喋りが過ぎたよ。ごめん…」と激ヘコみしながら帰っていく。

ご老人、不憫!っていう。

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 老人が夢中で話している言葉を、ロッド爺さんはまったく聞いていない。

 

押しまくればイケるという恋愛必勝法を覆すロッド爺さん

こんなエピソードもある。

募金を求めて質屋を訪れた婦人が、寡黙で知的なロッド爺さんを気に入ってピクニックに誘うが、ロッド爺さんは「ピクニックなんか行くか」とばかりに一蹴して別の客の相手をする。

ところが婦人、店内の客が帰ったあとに再びアタックをかけて「月曜日がいいかしら? それとも火曜日?」と一度はっきり断られたにも関わらずピクニックの予定を立てはじめる

もう神経がニブいのか図太いのか…。

だいたい、週明けからピクニックなんかする奴にろくな人間はいない。

さいぜんからロッド爺さんは「一人にしてくれ」、「私にかまうな」と何度も言ってるのに、それをドン無視してぐいぐいピクニックに誘う婦人。

しつこいわ~。しつこい人嫌いだわ~(私のしつこ嫌いは『若草の萌えるころ』『激しい季節』の評に詳しい)。

 

後日、街でばったり出会ったロッド爺さんに対して、しつこ婦人は「ピクニックの約束をすっぽかしたわね。なにか大事な用でもあったの?」と言いながら、心底迷惑そうにしているロッド爺さんにしつこくまとわりつく。うざ。

自分、そういうとこやで?

だが、ベンチに座って互いに身の上話をし始めたところで、私は「あかーん」と思った。

何に対してあかんと思ったのかというと、最初はしつこいアプローチに迷惑していたロッド爺さんが、あまりの猛アプローチに押されてなんやかんやでしつこ婦人に心を開いてしまうのではないかということに対してあかんと思ったのだ。

個人的に、恋愛映画とかで一番ムカつく展開なんですよ、これ。

押しまくればイケるみたいなさ。あるじゃん、そういう定説が。結局、厚かましくてしつこい無神経な人間ほど恋愛勝者になるんだよね。腹立つわー。

だから私は「負けんな。こんな猛アプローチ女なんてぶっ殺せ」ぐらいに思いながらロッド爺さんを応援していた。

するとロッド爺さん…

「私に構うなと言ってるだろ! 何故しつこく私につきまとうんだ!」

ついにぶち切れた。しくしくと泣きだすしつこ婦人。

やったー!!ですよ。

よくぞ言ってくれた! 超気持ちいい!

さすがはロッド爺さん、真性の人間不信だ。

心の扉、二重構造(あんしん)。

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勝手にべらべら喋ってるピクニックしたがりオバハンと、見るからに興味0パーセントのロッド爺さん。この温度差よ。

 

ヒューマニズム全否定のシニカルコメディ

たしかにロッド爺さんの塩対応ぶりはえげつないかもしれない。

客の値段交渉をけんもほろろに突っ撥ね、世間話さえドン無視し、女性のピクニック誘惑まで振り払うという酷薄ぶり。

だが、私自身も負けず劣らず冷たい人間なので、ロッド爺さんの態度には大いに共鳴する部分もあるんだよな。

ロッド爺さんは人を信じず、むしろ大いに嫌っている。

だがそれだけでない。そもそも他人や社会に対して興味がないのだろう。

おそらく彼にとって、相手の話は雑音でしかない。工事の騒音や近所の赤ちゃんの夜泣きと同じだ。

 

映画史上稀に見る無気力で厭世的な主人公だが、傍から見る分には大笑い必至。斜に構えて観ればシリアスな笑いだよ、この映画。もう何度吹きだしたことか。

客とロッド爺さんの温度差が激しすぎて徐々に可笑しくなってくるんですね。俗にいう「シュールw」というやつかもしれない。

私は完全にロッド爺さん側の人間なので、ロッド爺さんに対して、ハイテンション、またはしつこくコミットメントする人々を見て、つい冷笑に似た笑みを浮かべてしまった。

「なんでこんな元気に啖呵を切るんだろう、この人は。ロッド爺さんには何を打っても響かないし、どう見ても冷めまくりでコミュニケーションする気もなく暖簾に腕押しなのに、なんでそんなに積極的に話しかけて食い下がれるんだろう? 底なしのバイタリティか?」って。

例えりゃあ、今まさに自殺しようとしている人間と、大阪のやかましいおばはんの「温度差がエグい対話」を見せられているようなものだ。シュールなコントだよ!

 

普通の映画ならさ、心を閉ざしていたロッド爺さんが色んな客と交流を重ねていくうちに少しずつ人間の心を取り戻していく…みたいなヒューマニズムに帰結するじゃん。

しないのよ、これが。

唯一ロッド爺さんを師匠と崇めていた質屋の従業員が、金に困って店の金庫から1000ドルを盗もうと企てたことである最悪の結末を迎えてしまう。

妻子を失ったロッド爺さんが、人間不信に陥った結果、またしても大事なものを失う…という喪失のスパイラルを描いたやりきれない作品なのだが、私は先ほどの客との温度差コントが尾を引いて最後まで笑ってました

陰鬱で後味の悪い映画ほど、見方を変えれば大爆笑コメディなのだ。

 
あい。ここまでが映画紹介。

残りの紙幅は映画批評に充てたいと思う。

 

⑤金網と疑古典主義

強制収容所でのトラウマを表現するために全編に渡ってサブリミナルが何度も用いられるが、クドいほど一本調子でルメットの引出しの少なさを自白している。こういうところが「中の上」たる所以だ。

反面、主舞台となる質屋で、客とロッド爺さんとを隔てる金網の使い方は巧い。この店は壁の代わりに金網が使われているほど、店中どこを見渡しても金網だらけだ(DVDジャケットでもロッド爺さんの顔に差した網の影は確認できる)。

言うまでもなく、この金網はロッド爺さんが過去に囚われた男であることを表現しており、自閉した世界と外界とを隔てるメタファーになっている。

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金網に囲われたロッド爺さん。質屋とは牢獄でもある。

 

もうひとつ、この映画の奇妙なところはクラシック映画への擬態

本作が公開されたのは1964年だ。64年にもなればカラー映画が主流であるにも関わらず、この作品はモノクロ。

実際、中盤まではクラシック映画のセオリーに沿って撮られているので(室内セットが舞台だったり、クローズアップが多いetc)、誰が観ても「かなり古臭い映画だなぁ」と思うことだろう。

ところが後半になると急にウルトラモダンなビルが立ち並び、未来派キューブリックのような幾何学的なロングショットによって、やおら前衛性を帯び始める。

早い話が、大昔の映画だと思いながら観ていたら急に未来っぽくなる。

まるでワープしたみたいだ。

「一体これはいつの時代の映画なんだろう?」と時代感覚がおかしくなってくるが、もちろんこれもルメットの創意。

 

では、なぜルメットはこんな演出を仕掛けたのか?

強制収容所での体験は時代を経ても癒えることはないのだ」なんて、いかにもそれらしい創意を読み取ることもできるが、私はそんな優等生みたいな解釈はしない。

おそらく、ルメットはクラシック映画に憧れていたのだろう。

青春の多感な時期をクラシック映画を観て過ごしたルメットは、時代がカラーに移りつつあるのに、『蛇皮の服を着た男』(59年)『丘』(65年)など、あくまでモノクロ映画にこだわり続けた。

また、オリエント急行殺人事件でのイングリッド・バーグマンローレン・バコ-ル、それに『評決』でのポール・ニューマンのように、70年代(バリバリ現代映画)になってもクラシック映画の大スターを起用している。

だが時代の波には抗えず、本作以降はカラー作品が目立ち始める。だから本作ではクラシックとモダンが混ぜこぜになっているのだし、ヌードもセックスシーンも出てくるのだ(クラシック映画では御法度)。

いわばこの作品はクラシックとモダンの過渡期を記録し、自ら映画史のエアポケットに飛び込んだ時空の行方不明者である。

 

最後の最後で小難しい話をしてごめんな。

とにかくロッド爺さんと客の温度差がエグい会話がひたすらシュールでおもしろいので、ごっつええ感じとかが好きな人には楽しめると思う(楽しめないかもしれない)。

次回の『シネマ一刀両断』は、話題作に騒ぐ浮世に迎合してキングスマン:ゴールデン・サークル(17年)をぶった斬りたいと思います。

ほなな!