シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

キングスマン: ゴールデン・サークル

キック・アスの魔法は二度かからず。贅肉だらけの鈍重作。

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2017年。マシュー・ヴォーン。タロン・エガートンコリン・ファースジュリアン・ムーア

 

イギリスのスパイ機関キングスマンの拠点が、謎の組織ゴールデン・サークルの攻撃を受けて壊滅した。残されたのは、一流エージェントに成長したエグジーと教官兼メカ担当のマーリンのみ。2人は同盟関係にあるアメリカのスパイ機関ステイツマンに協力を求めるが、彼らは英国文化に強い影響を受けたキングスマンとは正反対の、コテコテにアメリカンなチームで…。(映画.com より)

 

キングスマン: ゴールデン・サークル』の評をこれから書くわけかぁ。

いやだなぁ。

 

いい映画を観たときの私は大体こんな朗らかな表情なのだけど……

 

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このシリーズに関しては完全にこの顔ですね。

 

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怒る気にもなれず、もう真顔。

 

「1作目に比べるとダメ」と言っているレビュアーはいても、「1作目もダメ」と言っているレビュアーはあまり見かけない。

前作のキングスマン(14年)については「マシュー・ヴォーンという監督は柔軟な発想力はあるがその発想を繋いだり応用する想像力がない」という論調で思いつきで作ったような場当たり感に苦言を呈したけど、今作に至っては輪をかけて酷い。

この人のキック・アス(10年)は大好きで、「レイヤー・ケーキ(04年)とか撮っていたマシュー・ヴォーンがついに化けたか!」と嬉しくなったりもしたものだけど、どうやら気のせいだったようです。

あと、ポップで残酷でケレン味のあるアクション映画をスタイリッシュと喧伝するの、そろそろやめませんか?

少なくともキングスマンはスタイリッシュとは真逆の映画だ。

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全編とにかく鈍重

もうこの一言で評を終えたいぐらい続きを書くのが憂鬱だ。

そもそも上映時間が140分の時点で「あぁ、やっちゃってるな…」と。ハリウッドの負の側面でもある「2時間20分の病」を見事に発症している。ちなみに、このぐらいの映画なら腕のある監督は110分、天才なら90分でまとめられるだろう。

日本映画もそうだけど、いま、映画を120分以内におさめられるスタイリッシュな監督がいない。ためしにビデオ屋の新作ランキングに置いてあるDVDを手に取って裏表紙を見てごらん! その多くが120分を越えてますよ。

言うまでもなく優れた監督の作品ほど、まるで引き締まった肉体のように上映時間は短くなっていく。不要なショットをがんがん削って必要最低限の筋肉だけで観る者をKOするからだ。

上映時間とは体脂肪率だよ。

もちろん扱う題材やプロデューサーとの兼ね合いもあるし、長尺の映画がすべて駄作だなんてパラノイアみたいなことを言うつもりはないのだけど。


オープニングのチェイスシーンはほとんどCGアニメを観ている感覚で、前作の美点だった「教会での大殺戮」のように、ロングテイクの中で徐々に消耗していくコリン・ファースの生々しい身体性はどこにも見当たらない。もはやビデオゲームのムービーシーンの発想。

ただし、コマ撮り風の長回しケレン味が利いていて前作との差別化にも成功していて、アクションシーンで頻出するクイック&スロー(動きが速くなったり遅くなったり)ザック・スナイダーよりも丁寧だしマイケル・ベイ現象も起きていない(とはいえザック・スナイダーマイケル・ベイに比べればマシという、とても低いレベルで褒めてます

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だけどやっぱり鈍重なのはキャラクターが躍動していないからだ。

敵の目的は何で主人公が何かをしているのか…という大局的な事態の把握が頭では理解できても映像になっていないから、われわれ観客の態度としても敵味方がワチャワチャしてるのをただ眺めてるだけって状態で、感情が乗っていかないんですよね。

「よく考えたら、さっきから一個も話進んでなくない?」という箇所も多々あり、思いつきで作ったような場当たり感はとてもスタイリッシュとは言えず。

物語を停滞させてしまっているのはそれだけではない。続編モノの宿命ともいえる「とにかくキャラクターを増やして事態を大事化する」というスケールアップ作戦も片棒を担いでいるぞ。

実はハル・ベリーチャニング・テイタムペドロ・パスカルのキャラって必要ないんですよね。別にいなくても映画は成立する(現にチャニング・テイタムは開幕早々に病床に伏すという完全なる出オチなわけで)。

 

話しは逸れるが、チャニング・テイタムには俳優として濃いところが何もなく、画面に現れたところで毒にも薬にもならない空気俳優だ。

僕は彼のことを素うどんって呼んでます。

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素うどんハル・ベリーハル・ベリーの椎茸みたいな髪型はユニークだ。

 

ヒロインの両親と食事会、金庫の中の酒瓶を頼りにケンタッキー州へ、フェス会場での諜報活動でターゲットの女と寝るか寝ないかで葛藤、ハル・ベリーの現場復帰欲、ペドロ・パスカルが味方なのか裏切者なのか、やけに引っ張るエルトン・ジョンerc…。

そうした枝葉末節と戯れて本筋を大きく迂回するから140分まで膨れ上がり、鈍重になるのだ。もう贅肉がすごいわ。脚本の贅肉が。

 

前作同様、キャラクターは骨の髄まで記号的。

主演のタロン・エガートンは相変わらず没個性で芝居もつまらないし、コリン・ファースの運用術もまったく心得ていない(だから今回のコリン・ファース見るからにやる気がない)。

それにジュリアン・ムーアほどの大物女優があんな漫画的な役を演じていると思うとそれはそれである意味おもしろいが、それを差し引いてもあの扱いは杜撰すぎる。当然ジェフ・ブリッジスも然り。思ってた以上に予算が出たから大物俳優を集めてみました、という感じ。

他方、カントリー・ロードを歌いながら景気よく爆死したマーク・ストロングには感涙。あんな冗談みたいな死に方なのに、芝居だけでグッと来させたマーク・ストロングはすごい。そして偉い。本作の中で唯一「俳優」しておりました。

 脇役俳優として20年以上くすぶっていただけに、ようやくこのシリーズで自分の居場所を見つけたことに関しては素直に祝福したい。

 

コリン・ファースの記憶喪失が治るシーンには一応ロジックがあったのに、ペドロ・パスカルの記憶喪失は都合よく一発で治る

それに序盤で仲間が大勢殺されたのは元を辿ればタロン・エガートンの手落ちが原因なわけで、そこに対するフォローが何もないあたりも雑。

あとやっぱり、マシュー・ヴォーンの背伸びした感じが気になっちゃって。メキシコ麻薬戦争とかトランプ政権の「国境の壁」をタイムリーに風刺したメタファーとか、やりたいことは分かるのだけど、ただでさえゴタゴタしているストーリーラインに社会風刺とか織り交ぜても夾雑物になるだけ。背伸びしたな~っていう。

スタイリッシュが売りなら、エモくてアッパーな英国アクションを最短距離で叩き込むようなソリッドな映像言語を志向せねば。これではグダグダ、ダラダラしているクリストファー・ノーランと同じだ。

 でもキングスマンもノーランも世間的には大ウケしてるんですよね(白目)。