恥ずかしくて居た堪れない雰囲気が爆発寸前の「気まず映画」の傑作!
2016年。マーレン・アーデ監督。ペーター・シモニスチェク、サンドラ・フラー。
陽気で悪ふざけが大好きなドイツ人男性ヴィンフリートは、ルーマニアで暮らす娘イネスとの関係に悩んでいた。コンサルタント会社で働くイネスは、たまに会っても仕事の電話ばかりしていて、ろくに会話もできないのだ。そこでヴィンフリートは、ブカレストまでイネスに会いに行くことに。イネスはヴィンフリートの突然の訪問に戸惑いながらも何とか数日間一緒に過ごし、ヴィンフリートはドイツへ帰っていく。ところが、今度は「トニ・エルドマン」という別人のふりをしたヴィンフリートがイネスの前に現われて…。(映画.com より)
見るからにスチールが「親子愛を描いた感動映画ですぅぅぅぅ」というツラをしていたので「5000回ぐらい観たわ、ボケが!」と逆上してしばらくスルーしていたことをこの場を借りて深くお詫びそして反省および恥じ入り候って感じで。ええ。
もう猛省に次ぐ猛省である。
『ありがとう、トニ・エルドマン』は、現時点で今年観た映画の中では確実にTOP10入りするほどの内臓爆裂級のインパクトを残すような作品であり、「ドイツ映画の乱脈」と呼びうるほどのクレイジーな作品でもあったと言えるよなぁ。
うん、うん。言える言える。
映画は、ある家のドアの前から始まる。
そこへやってきた宅配便のおっさんがインターホンを鳴らすと、ぼさぼさ頭の中年親父ペーター・シモニスチェクがドアを開けて「ちょっと待ってくれ。俺は双子の弟なんだ」と言い残して家の奥に引っ込んでいく。
しばらくすると「私が兄です。何かお届け物ですか?」と言って兄が現れるのだが、どう見ても先ほどの男と同一人物だ。
どうやら、この男はカツラと出っ歯をつけて意味もなく別人に扮装することを趣味とする、悪戯好きの奇妙なジジイらしい。
「私が兄です。何かお届け物ですか?」
油田採掘のコンサルティングをする娘を心配した彼が、娘の出張先のブカレストに旅立つのだが、前もって連絡も入れずにいきなり娘の仕事場に現れ、大事な取引先を怒らせてしまい、ついに娘から「もう帰ってちょうだい!」と怒鳴られる。
一度は肩を落として帰っていった父親だが、後日、娘が会社の屋上で上司と打ち合わせをしていると、娘のすぐ後ろに扮装した父親がいた!
友達とディナーを楽しんでいるときも、同僚たちとクラブで遊んでいるときも、石油開発会社の重役にプレゼンをするときも、彼はどこからともなく娘の前に現れる。
まさに娘ストーカー映画の金字塔とは言えまいか。
娘の会社に忍び込んだ父親と、「ちょっとパパ、何してんのよ!」と睨みつける娘。
神出鬼没の彼は、頑なに自らをトニ・エルドマンと名乗る。
だが彼の名前はヴィンフリート(役名)。
いわばトニ・エルドマンとはこの父親が作り上げたペルソナだ。
カツラに出っ歯というフザけきった装いのうえに奇行も目立つので、娘は一緒にいる同僚や取引先の手前、他人のふりをして父親の別人格ごっこに付き合うことになってしまう。
娘からの怒りの視線を感じ取った父親もまた、決して「俺たちは親子だ」と明かすことなく、あくまでトニ・エルドマンという役を演じて他人という体裁を取りながら仕事に追われる娘を見守り続けるのであった…。
ごく控えめに言ってかなり狂った映画である。
一応、大枠としてはコメディということになるのだろうが、この父親の奇行や悪戯は到底笑えるような代物ではない(あえてそうしてるわけだが)。
むしろ、トニ・エルドマンのキャラはブレまくってるわ、変人のわりには照れが生じてモジモジしてるわ、娘や周囲の人々からはドン引きされてるわで、死ぬほどユルくて、死ぬほど気まずくて、死ぬほど痛々しい空気が終始流れ続けるのだ(あえてそうしてるわけだが)。
しかも162分もあるのね、この映画。ダダ滑りの162分だよ。
また、長回しを多用するスローテンポの画運びもアンニュイな空気を助長している(あえてそうしてるわけだが)。
誰が観ても楽しめるような商業コメディとは皆無の、ある種の感性を持った人にしかなかなか伝わらない作品なのは間違いないだろう。
ちなみに私は、ややアンダーグラウンド寄りの笑いの感性の持ち主です。
漫才のようなストレートな笑いよりも、狙わない笑いとか不条理なものに対して可笑しさを感じるというか。あと、まったく可笑しくないものほど却って可笑しいと感じたり、人の何気ない言動の中に奇妙さを見つけて笑ったり。
たとえば、この父親はトニ・エルドマンに扮装するために玩具の入れ歯を愛用しているが、付けたと思ったらすぐ外すのね。そしてまた付けては「なんか違うな…」と忌々しそうに外す。
付けるならずっと付けとけよ!
まぁ、彼の中で装着するタイミングというのがあるんでしょうね、きっと。「ここで出っ歯になったらウケる」みたいな計算が。それにしては計算もタイミングもボロボロで、この父親が愛してやまないユーモアやサプライズがことごとく外れて不発に終われば終わるほど、その気まずさと哀愁があまりに悲惨すぎて、たまらなく笑ってしまうんだよね。
したがって観客は、笑いを模索する過程というか…トニ・エルドマンという全然出来上がってないブレブレのキャラを延々見せられるハメになるので、前提化された笑いの中でしか可笑しさを感じない人にとっては、終始「え、マジでつまらないんだけど…」と鼻白むと思います。
でも僕は先ほども申し上げたように、ぜんぜん面白くないダダ滑りの空気が却って可笑しくて。裏拍の笑いというか、隙間の笑いにめっぽう弱いのだ。
したがって、この父親が娘の誕生日プレゼントにチーズおろし機をあげるシーンはいたくお気に入りだ。
あまつさえ、プレゼントしたあと即座に「いらなかったら捨ててくれ…」とまで言うのだ。
え…? ということは「チーズおろし機なんか貰ってもおそらく娘は喜ばないだろう」と分かってて渡したの?そこまで分かっててなんでこんなものをプレゼントしたの?
…みたいなさ。これをプレゼントしようと思うに至った彼の頭の中を考えると可笑しくてしょうがないんだよね。
そのあと、娘と同僚たちに連れられてクラブで遊びほうけた父親は、娘がコカインを吸ってるところを目撃してひどくショックを受け、やおら頭の上でチーズおろし機をガシガシ使ってチーズの粉を自分の頭にかけるという奇行に出る。
おまえが使うのかよ!
このシーンで私は約50秒間笑い続けた。
チーズおろし機なんてわけのわからないものを娘にプレゼントしておきながら、結局おまえがチーズおろすんかい。しかも唐突に頭の上で!
この突拍子のなさ。いいわぁ。好きだわ~、こういうの。
画面が暗くて何も見えないけど、後ろを向いて頭の上でチーズをおろし始めてます。
ただ、この作品が本国ドイツで大ヒットしてさまざまな映画賞を荒らし回った理由は、もちろんこの父親が自分の頭の上でチーズおろし機を使ったからではない。
父と娘の物語が胸を打つからだ。
仕事人間の娘は、「おまえは『女神の見えざる手』(16年)におけるジェシカ・チャステインか?」というほど仕事だけが生き甲斐でヒューマニズムの欠片もない冷めた女だ。
取引先には媚びへつらって、同僚には当たりがきつく、それが仕事とはいえ採掘現場で働く貧しい人々を平気で解雇しようとする。
そんな娘に、父親はついうっかり「おまえは人間か?」と言ってしまう。
父親「おまえは人間か?」
おまえにだけは言われたくない。
そんな娘の氷のような心を溶かし始めたのは、制止する娘を振り切った父親が以前パーティで知り合った婦人の家に押しかけるシーンだ。
婦人からイースターエッグの描き方を教わり、その家の家族や親戚たちとひとしきり交流した父親は「お礼に歌をプレゼントします」と言ってピアノを弾き出し、嫌がる娘に無理やりボーカルを務めさせた。
ホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love Of All」だ。
イントロが流れても娘はしばらく拒否っていたが、一堂が固唾を呑んで期待の眼差しを向けるので「なんやこれ。歌わなあかん空気が出来上がってもうとるやないか」と諦めをつけ、ヤケクソ根性で絶唱!
もンのすごい空気だ。
娘の心情を思うと本当にキツい。見ず知らずの大勢の前で熱唱することの恥ずかしさと、無理やり歌わせた父親への怒り。これ以上の辱めはないよ。
観ているこっちも「うわー……」みたいな。「でも魂ふるえるー」みたいな。こんなキツい歌唱シーンは『サイタマノラッパー』(09年)以来だよ!
だがこの件をきっかけに、娘の中で何かのタガが外れる。
上司と同僚を自宅に招いて懇親会を開くことにした彼女は、そろそろ皆が来る頃になって着ているドレスを変えようと思い脱ぎ始めるが、タイトなドレスがフィットし過ぎてなかなか脱げない。寝室でケツを丸出しにして苛立ちながらもがくさまを廊下から捉えた冷ややかなカメラが彼女の滑稽味を助長する。
息も切れ切れにようやくパンツ一丁になった彼女は、「あ、なんかもう…どうでもよくなってきた」とすべてに疲れ果て、一人目の来訪者である女性スタッフをパンツ一丁で迎え入れる。
その女性は始めこそ面食らった様子だが、すぐに平静を取り戻した。
「まぁ、土壇場になって服を変えたくなることってよくあるよね。一緒にドレスを選ぼうか?」と言ってくれたのだ。
ところが娘は…
「もういいの。このままいくわ」
このままいく?
次にやって来たのは男性の上司だ。
玄関に向かう途中でついにパンツまで脱ぎ出した娘、全裸でドアを開け、唖然とする上司に「絆を深めるには裸の付き合いが一番ということで、急遽ヌード懇親会になりました。服を脱いで入ってきてね」と笑顔で伝える。
その後にやってきた女性の助手にも全裸を要求して、すっぽんぽんの男女が無言でシャンパンを飲む…というとてつもない空間の出来上がり!
極めつけは、娘がドアを開けた途端に「ぎゃあ!」と叫んだ、全身毛むくじゃらのクケリ(ブルガリアの精霊)の恰好をしたある人物。
もちろん中に入っているのはあの男しかいない。
最後に現れた来訪者。ドアを開けたら全身毛むくじゃらのバケモノが立っていた。
「なんなのコレ…」とバケモノを訝しがる娘。俺たち観客からすればアンタもアンタでよっぽどおかしいがな。
もうとにかく頭イカれすぎてて最高なのだが、このあとのクライマックスでまさか心を鷲掴みにされるとは想像もしていなかった。
「号泣した!」というレビュアーも多いぐらい、このマジキチみたいな状況から大いなる感動シーンへとなだれ込むのだ。
振り幅がすげえわ。
とにかくビタイチ面白くない162分。
だが言うまでもなく、面白さとつまらなさはまったくのイコールだ。
全編に渡って恥ずかしくて居た堪れない雰囲気が爆発寸前の気まず映画。
オーライ、紛うことなき傑作だ。
ちなみに、ジャック・ニコルソン主演でハリウッド・リメイクも決定したとか。
ハリウッドがこの「狙わない笑い」をどこまで理解できるかがポイントになるかもね。
トボトボと街を彷徨うバケモノ。