おはようございます。よく眠れましたか?
この、惰眠を貪る卑しい民め!
別になくてもいいけど、もくじ。
①私を讃える
さて、シネマを一刀両断して早4ヶ月。本稿をもって100記事目らしいです。
おめでとうございます。ありがとうございます。
これもひとえに読者様のお陰です!
…なんて言っておけば慎ましく聞こえるし好感度も高いのだろうが、どうも私はこういう歯の浮くようなセリフがどうしても言えない。好感度なんか知るか。
当ブログが100記事を突破できたのは、何はさておき「私自身のがんばり」があったからこそだと思います。いや、傲りとかではなく。客観的に見て。普通に考えて。
だから開口一番、私は私自身に対して「おめでとうございます」とセルフ祝福をしたのだ。セレブレーション俺。
②あなたを讃える
もちろん読者の方にもお礼を申しあげたい。
渾身のアリス! (久しぶりに言ったな。みんなアリスを覚えてますか?)
私自身のがんばりも捨てがたいけど、やはり読んでくれる人がいなければ映画評なんて無用の長物なわけで。
極端な話、識字率0パーセントのドアホ国家でなんぼ頑張って小説を書こうが、誰にも読んでもらえないならそりゃただのゴミだ。
目の見えない深海魚たちにステキな絵画を見せたところで、その絵には何の値打ちもない。
言葉も、気持ちも、表現も、相手に届かなければ意味がないのだ。
そんなわけで、みんなの貴重な時間を使ってこんなブログを読んでくれてるだけでもありがたいのに、一部の読者に至っては忍者が手裏剣投げるみたいにビュンビュンとスター(イイネみたいなもの)を投げつけてくれたり、「ブックマーク」という何やらたいへん栄誉なことらしいアクションを起こしてくれたり、中にはそれでも飽き足らずに長文コメントまで残してくれる方がいる(それに対して私は2倍のグダグダっぷりでコメント返信している)。
本当にありがたいことです。長文コメント、大好きです。
こんなブログを読んでくれているあなたを、私は祝福します。どうもおめでとう。
でもあまり細かい字とか読んでると目を悪くしますよ。たまにはスマホから離れて河原でも走って来い!
③計り知れた嬉しみ
また、身近な知人・友人からも「貴様のブログを読み始めてから色んな映画を観るようになったよ」という最大の讃辞を頂くことも。
これは計り知れないほど嬉しい。どれくらい嬉しいかと言えば100のうち90ぐらい嬉しい。計り知れとるやないか。
映画評論の意義や目的にはいろいろあるけど、最終的な目標は「一人でも多くの人にひとつでも多くの映画を観てもらうこと」だと思う。
したがって、どれだけ優れた批評をしようが、映画に対する読者の認識や価値観を何ひとつ変えられなかったり、「読者」を「観客」にできなければ、その評論はまったくの無価値だ。限りなくゴミに似た字の連なりに過ぎない。
だから私も、「観てみたい」と思わせるだけでなく、実際に「観ました!」と言わせるだけの、人をどうしようもなく映画に駆り立てるような文章を書かねばなりません。
反省および発奮。
④私は私を開き直る
反面、当ブログを読んで気を悪くされた方も大勢いると思います。
特に『映画好きが一生され続ける質問TOP10』のブックマークコメントで私のことをクソミソにこき下ろした人とかね!
これはもうしょうがない。私が無遠慮で毒舌で有害な文章を志向する以上、どうしたって人々の癪には障ると思う。断るのがだいぶ遅くなったが、私の文章は生意気だ。
たとえば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)とか『ライフ・イズ・ビューティフル』(97年)みたいな、いわゆる「皆が大好きな映画」をコテンパンに貶すことだってあるし、今まで極力控えていた過激で下品な物言いもこれから少しずつ出していこうと思っているんだ。
したがって、今後確実に読者数は減っていくだろうが、自己表現の為にはそれも止むを得まい。
私はFacebookで友達が800人以上いるような人気者になりたいわけではない。そんなものに興味はない。ただ映画について深く楽しく語りたいだけなのだ。独りで。ときには誰かと。犠牲など顧みずにな!
ハイ、言いたいことはだいたい言い終わりました。お疲れさん。
でも読み応えのある記事にするためにあと3000字ぐらい書きたいなーと思っているのだけど、取り立てて書くべきこともないので、今年に観た「いろんな事情※があってレビューを書かなかった映画」について軽く寸評コーナーを設けます。
※いろんな事情…眠い、疲れた、面倒臭い、シャワーを浴びたい、評論するにはしたたか酔っている…など。
ちなみに、ほとんど酷評してます。
20本連続レビューなので、もうテンポ重視でサクサクいくぞ!
⑤映画寸評、20連発
『LOGAN ローガン』(17年)
ジェームズ・マンゴールド監督。ヒュー・ジャックマン、パトリック・スチュワート、ダフネ・キーン。
ジェームズ・マンゴールドは50代の中堅監督の中では3番目ぐらいに信頼している監督だが、前作の『ウルヴァリン: SAMURAI』(13年)同様、どうもアメコミ映画に関わるとロクなことにならないようだ(『X-MEN』ファンからは軒並み絶賛されているようだが)。
どうでもいいが、私はヒュー・ジャックマンの顔を見ると蟻を連想してしまう。悪いとは思う。
『イエスマン “YES”は人生のパスワード』(08年)
ペイトン・リード監督。ジム・キャリー、ズーイー・デシャネル、ブラッドリー・クーパー。
私はいろんなビデオ屋を日々視察しているが、本作のDVDの回転率は異常に高く、いつ行ってもレンタル中になっているので、腹が立ってAmazonプライムで観た。
「ノー」が口癖の陰気な男が「何にでもイエスと言うことで人生は楽しくなる」というセミナーに洗脳される…という恐怖映画だ。
こんなセミナー、俺だったら2時間でぶっ潰せる。
『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』(16年)
パブロ・ラライン監督。ナタリー・ポートマン、ピーター・サースガード、グレタ・ガーウィグ。
邪悪な人間に頭を撃ち抜かれて暗殺されたことでお馴染みのジョン・F・ケネディの妻、ジャクリーン・ケネディの半生を描いた伝記映画。
端的にエピソード不足。ただジャクリーン・ケネディが「夫の葬儀どうしようかしらン?」つって一生苦悩してるだけで、ケネディ家やファーストレディの実態およびその裏側にまったく踏み込めていない。
全編クローズアップ一辺倒からも分かるように、近年露骨にキャリアアップを狙っているナタリー・ポートマンの「アタシ、芝居うまいでしょ?」に付き合わされるだけの99分。闇に消えろ。
『7番房の奇跡』(13年)
イ・ファンギョン監督。リュ・スンリョン、パク・シネ、オ・ダルス。
普段映画は観ない韓流ババアから高い評価を受けているらしいが、なるほど、これは映画というよりもテレビドラマだ。
映画とドラマの最大の違いは照明。映画は「三点照明」というライティング技術によって豊かなコントラストで格調高い画面を作り出しているが、テレビドラマは照明の当て方が(映画に比べて)テキトーなので、安っぽいというか平坦だ。おそらく監督のイ・ファンギョンはドラマ畑の人間なのだろう。自分の畑に帰れ。
『くだらないロマンス』(10年)
キム・ジョンフン監督。イ・ソンギュン、チェ・ガンヒ。
確かにくだらなかった。
『哀しき獣』(10年)
ナ・ホンジン監督。ハ・ジョンウ、キム・ユンソク、チョ・ソンハ。
『チェイサー』(08年)や『哭声』 (16年)で知られるナ・ホンジンは、いま最も骨のある新鋭監督だが、『哀しき獣』はちょっと欲張りすぎたと思う。
全体的にとっ散らかっており、槍のように鋭くて逞しいナ・ホンジンの作家性が「映画会社」と「世間の期待」によって見事にスポイルされている。
この映画でのナ・ホンジンは自分を信じられていない。だから6年ものスパンを経て『哭声』を撮りあげたのだ。
『哭声』こそ自分を信じなければ撮れない映画だ。そういう意味では『哭声』の大成功は『チェイサー』の失敗の上に成り立っている…と言えるかもしれないし、言えないかもしれない。
『スイス・アーミー・マン』(16年)
ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン監督。ポール・ダノ、ダニエル・ラドクリフ、メアリー・エリザベス・ウィンステッド。
無人島に漂流したポール・ダノがダニエル・ラドクリフ演じる死体と共にサバイバルする…というアイデア勝負の一本。
良くも悪くも勘だけで作られた映画。
バカみたいに面白おかしくレビューしてもよかったのだが、すでに数多のブロガーが私よりも面白おかしくレビューしていたので拗ねて評論しなかった。
私が遅れて到着した頃には、すでに『スイス・アーミー・マン』という畑は耕されていたのだ。この世は早い者勝ちだ。私に足りないのは何らかのスピードかもしれない。
『戦争プロフェッショナル』(68年)
ジャック・カーディフ監督。ロッド・テイラー、イベット・ミミュー、ジム・ブラウン。
タランティーノが影響を受けた作品らしいが、私には何の影響も及ぼさなかった。
映画とは薬のようなものだ。効く人間と効かない人間がいる。
タランティーノは好きだが、「タランティーノが好きな映画」は好きになれないことが多い。まぁ、よくある話だよな。
少なくとも私は「友達の友達」と仲良くなれたためしがないから、友達と会うときに「友達の友達」を連れてくるな! と友達に言いたい。
『歓びの毒牙』(69年)
ダリオ・アルジェント監督。トニー・ムサンテ、スージー・ケンドール、エンリコ・マリア・サレルノ。
ダリオ・アルジェントといえば『サスペリア』(77年)や『フェノミナ』(85年)で知られる イタリアのホラー監督の重鎮だが、いちばん怖いのはこの人の顔だと思う。
アルジェントの名誉のために顔の画像は載せない。
『サバイバルファミリー』(17年)
『ウォーターボーイズ』(01年)や『スウィングガールズ』(04年)で知られる矢口史靖の最新作は、ある日急に訪れた大停電により「電気」という文明を取り上げられた都市生活者のサバイバルを描いたシニカルな逸品だ。
「くだらないハリウッド映画を観るぐらいならこっちを観た方がいい」という常套句が久しぶりに当てはまる、爽やかな知性が溢れた日本映画です。
そもそも「小日向文世を主演にして映画を撮る」という発想からして頭ひとつ抜き出ている。
『スイッチ・オフ』(15年)
パトリシア・ロゼマ監督。エレン・ペイジ、エヴァン・レイチェル・ウッド。
こちらも『サバイバルファミリー』同様、ある日急に訪れた大停電により「電気」という文明を取り上げられた山暮らしの一家のサバイバルを描いた映画だが、爽やかな知性は溢れ出していない。
中盤までは停電サバイバルを描いていたのに、後半ではレイプされて妊娠したエヴァン・レイチェル・ウッドが子供を産むか産まないかで逡巡するという話にすり替えられていたので、パトリシア・ロゼマという監督は臆病だと思う。
『サバイバルファミリー』と併せて停電映画特集をしようと思っていたが、2本では心もとないので、せめてあと1本、たとえば…そう『大停電の夜に』(05年)が未見なので観なければならず、でも記事を書くために映画を観るというのは本末転倒な気がして、結局アホらしくなってやめた。
やめて正解だ、こんなもん。
『アトミック・ブロンド』(17年)
デヴィッド・リーチ監督。シャーリーズ・セロン、ジェームズ・マカヴォイ。
女スパイの映画だから単純な話を無理やり複雑にして、そこにシャーリーズ・セロンのアクションシーンとサービスシーンをまぶし、仕上げに通好みの長回しと音楽でシネフィルにも目配せしました、という映画。
なかなか狡賢いが、ぜんぶ見通しだ。
ニコラス・ウィンディング・レフンのような雰囲気映画を好む人にとっては心地いい作品だと思います。
でも確かにシャーリーズ・セロンにはヤられた。次代のミラ・ジョヴォヴィッチだ。
『キッズ・イン・ラブ』(16年)
クリス・フォギン監督。ウィル・ポールター、アルマ・ホドロフスキー、カーラ・デルヴィーニュ。
エリート坊ちゃんがヒッピーコミュニティとズブズブの関係になって元居たまともな世界に帰ってこれなくなる…というティーン向け青春映画。
ウィル・ポールターのマヌケな顔といい、アルマ・ホドロフスキー(アレハンドロ・ホドロフスキーの娘!)やカーラ・デルヴィーニュの奥ゆかしい小悪魔感といい、キャスティングの妙も手伝って、なかなか悪くない作品でした。
『夜空はいつでも最高密度の青色だ』(17年)
近年『舟を編む』(13年)などで商業映画に媚びを売っていた石井裕也がようやくホームに帰ってきた! といって石井ファンは狂喜乱舞しているが、「作風をもとに戻しました」の一点だけで絶賛するのは「石井ファン」ではなく「石井信者」だと思う。
この映画にはとても違和感を覚えた。たとえば、そう…、昔よく遊んでもらった親戚のお兄ちゃんと10年ぶりに会って、人柄も口癖もあの頃のままだけど、見た目がすごく変わっていて戸惑う…みたいな。「ピアスあけたの? ていうかその筋肉なによ?」 っていうさ。
もちろん変わることは大事だし、表現者にとって「らしさ」ほど無意味なものはないのだが、やはり石井裕也には『川の底からこんにちは』(09年)のような激情ほとばしる血潮をこそ求めたい。
『無限の住人』(17年)
SMAP解散後のキムタクが主演を務めた時代劇エンターテイメント。監督は原作レイパーとして知られる三池崇史。
すっかり手抜きを覚えた近年の三池崇史にしては意外と力が入った作品で、部分的には目を見張るところもあるが、やはり冗長でメタボな語り口が気になる。
これを観るぐらいなら、同じ三池作品の時代劇でも『十三人の刺客』(10年。こっちには稲垣吾郎が出ているぞ!)を観た方がよっぽど楽しめる。
ただし、俳優としてのキムタクは相変わらず良い。
『ホワイトラブ』(79年)
歌手としての山口百恵は大好きだが、映画を観たのは初めてだ。
曲やラジオを聴く限り、Winkの相田翔子ばりに無感動な人だと思っていたが、フィルムの中ではとても柔らかくて人間味がある(「ごめん!」と言って舌を出しながらウインクするシーンが超キュート!)。
「あぁ、これがギャップ萌えというやつなのか」 って思った。
映画としてはゴミ以下だが、百恵ちゃんの新たな顔が垣間見えたので結果オーライってやつだ。
馬鹿にしないでよぉー♪
『青春残酷物語』(60年)
大島渚といえば『戦場のメリークリスマス』(83年)。
また、現代っ子の間では『新世紀エヴァンゲリオン』における渚カヲルの名前の由来として知られているが、私は大島渚のことをあまりよく知らない。
なんとなく通ってこなかったのだ。
だからこの作品はとてもフレッシュだった。これが松竹ヌーヴェルヴァーグか。
きっと映画好きの皆さんにも「なんとなく通ってこなかった監督」はいると思う。誰ですか。僕は教えたんだから、皆さんも教えてください。そうじゃなきゃフェアじゃない。
僕だけが一方的にアドバンテージを取られるなんてずるい!
『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』(16年)
ロジャー・スポティスウッド監督。ボブ(猫)、ルーク・トレッダウェイ、ルタ・ゲドミンタス。
ちょうど『僕のワンダフル・ライフ』(17年)と同時期に観たので動物映画特集をしようと思ったが、アホらしくなってやめた。やめて正解だ、こんなもん。
ヤク中のホームレス・シンガーが猫と出会って路上で弾き語りするうちに有名人になっていく…という実話を基にした映画なのだが、結局メディアや大衆は彼の音楽なんか聴いてはおらず、ただハイタッチを得意とする猫が可愛かったからキャーキャー言って持て囃していただけという、猫ブームに救われた哀れなシンガーの話だ。泣けてくる。
たとえばゴールデンボンバーの曲を、果たしてどれだけの人が音楽として真剣に聴いているのだろう。
この映画の本質は、キャラやパフォーマンスがウケすぎて肝心の音楽を聴いてもらえない…というミュージシャンの苦悩にあると思う。
『マイティ・ソー バトルロイヤル』(17年)
タイカ・ワイティティ監督。クリス・ヘムズワース、マーク・ラファロ、ケイト・ブランシェット。
この映画の見所(聴き所?)はレッド・ツェッペリンの「移民の歌(Immigrant Song)」と、ケイト・ブランシェットのアメコミ参入。以上。
タイカ・ワイティティとかいうわけのわからない監督は、『マイティ・ソー』から神話要素を取り上げる代わりにコメディを附与した。『デッドプール』(16年)に匹敵するほどの全編ギャグのつるべ打ち。
とにかくこの、限りなく語感が「ワイキキ」に似ていることでお馴染みのワイティティ、イマジネーションは貧困だがビジュアルの牽引力がなかなか凄いので、文句を言う暇も与えずに見せきってしまうハードパンチャーだ。
クリス・ヘムズワースも活き活きしている。画面越しに撮影現場の空気が伝わってくるので、こちらも楽しくなってヘラヘラしながら観てしまう。おまけに何度も流れる「移民の歌」…。
うっかり間違って「傑作!」と叫びそうになる。
『パワーレンジャー』(17年)
ディーン・イズラライト監督。デイカー・モンゴメリー、ナオミ・スコット、ベッキー・G。
日本の戦隊ヒーローものをハリウッドが本気で映画化した特撮愛溢れる逸品!
…と言いたいところだが、学園青春モノとしての比重を置きすぎたことで肝心の「変身」に至るまでがえらく長い。あまつさえキャラの掘り下げや人間関係もまったく描けておらず、アクションシーンもゴテゴテのCG(あの…、「特撮」の意味わかってます?)。
「特撮」と「青春」を両立させようとして共倒れしたバカみたいな映画でした。
『200本のたばこ』(99年)
リサ・ブラモン・ガルシア監督。ベン・アフレック、ケイト・ハドソン、クリスティーナ・リッチ。
年越しパーティをするために大勢の若者が大晦日で賑わう街に繰り出したり繰り出さなかったりする…という意味内容の群像劇。
日本の大晦日ってだいたいみんな家にいるから街は静かだけど、アメリカの大晦日はかくも賑わう。おまけにアホばっかり。
ショットも演出もあったものではないが、不思議とスルスル観れてしまうし、何より憎めない。憎みきれないポンコツ映画だ。
だが絶対に大晦日には観たくない。一年の映画ライフの締め括りがこんな作品に台無しにされてたまるか。
これだったらまだ『ニューイヤーズ・イブ』(11年)を観ていた方がマシだ。
だが本当に大晦日に観るべき映画は『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)である。大晦日の夜に豪華客船が沈没して人がどんどん死んでいく…というハートウォーミングな傑作です。
はい、終わり。
「映画寸評20連発」って言ったけど、いま数えたら21本あったわ。
嘘ばっかりついてごめんなさいね。
今後ともよろしくどうぞ!