シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

スター・ウォーズ/最後のジェダイ

このシリーズに必要なのはノスタルジアの破壊。

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2017年。ライアン・ジョンソン監督。マーク・ハミルデイジー・リドリージョン・ボイエガ、アダム・ドライバー、オスカー・アイザック。 

 

前作でついに登場した伝説のジェダイルーク・スカイウォーカー。眠っていたフォースが覚醒したレイは彼のもとで修行を重ね、やがてダース・ベイダーを継ごうとするカイロ・レンとの決戦に挑んでいく。二人は光と闇のせめぎ合いの中で揺れ動き、互いに苦悩する。そんな中、銀河を二分する戦闘はますます激化。銀河の支配をもくろむ組織ファースト・オーダーを率いるのはスノーク。それに立ち向かう同盟軍レジスタンスを指揮するのはレイア・オーガナ。激戦の末、しだいに窮地に追い詰められていくレジスタンスだが…。(Amazonより)

 

はいはーい、スター・ウォーズの新作ですー。

ダルすぎてしばらく無視していたけど、遅かれ早かれ観なければならなかったので重い腰をあげて観てきました。

前置きを書くのもダルいので、とっとと本題に入りますね。

 

もくじ

 

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サルでもわかるスター・ウォーズ

当ブログの読者の中にはSFが苦手と公言している人もいるので、改めてスター・ウォーズという映画を死ぬほどわかりやすく解説します。

一言でいえば宇宙規模の親子喧嘩ですね、ハイ。それ以上でも以下でもない。

ジェダイと呼ばれる英雄たちがフォース(超能力)を使ったりライトセーバー(凶器)をブンブン振り回して悪の帝国に立ち向かうというステキなお話です。

主人公のルーク・スカイウォーカーと極道のダースベイダーは親子なのです。

 

このシリーズを作ったのがジョージ・ルーカスというおっさんで、スター・ウォーズはすべてルーカスの実体験を基に作られています。幼き日のルーカス少年と父親との確執をスペースオペラに置き換えたのがスター・ウォーズなのです。

ルーカス少年は映画監督になるのが夢だったけど、ルーカスの父親は「絶対許さん。家業を継げ!」と無理強いしたので、ルーカス少年は父親と喧嘩別れしてハリウッドの門を叩きました(そこでスピルバーグと仲良くなった)。

だから主人公のルークとはジョージ・ルーカスの分身で、ダースベイダーはルーカスの父親がモデルなんです。

要するに、どこにでもある話なんですよ『スター・ウォーズ』って。あなただって親と喧嘩したことぐらいあるでしょう?

だから、すでに始まってるわけですよ、あなたの中にも。スター・ウォーズが。

ハイ、親近感を覚えましたね?

 

ちなみに、日本文化なくしてスター・ウォーズは生まれなかった。

そもそもスター・ウォーズという映画は、黒澤明隠し砦の三悪人(58年)をそっくりそのままトレースしたもの。

ルーカスは黒澤明の大ファンで、スター・ウォーズの世界観にも武士道の精神が貫かれています。

ジェダイ」という用語は「時代(劇)」という日本語から来ているし、ジェダイが着ている衣装も柔道着に着想を得ている。

また、ダースベイダーの甲冑は戦国時代の鎧兜をもとにデザインされたもの。

当初はダースベイダー役に三船敏郎(黒澤映画の常連スター)が打診されていたぐらいだ(オファーを受けた三船は「こんな子供だましの映画はやらない」と言ってにべもなく断った。まぁ正論だ)。

事程左様にですね、全世界に熱烈なファンを持ち、今なお愛されているスター・ウォーズの根底には日本文化があったのです。

もはや『スター・ウォーズ』は日本映画にカテゴライズするべきだ。

ハイ、親近感を覚えましたね?

え、覚えませんか?

じゃあもう無理。これ以上のプレゼンはできん。むり。

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そして愛すべきキャラクターたち。

 

②シークエルは瀕死のファンを治療するためにある。

2年前に突如公開されたスター・ウォーズ』シークエル(続三部作)の狼煙を上げた前作スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(15年)を簡単におさらいすると、雑兵と乞食が巨悪を倒すというアメリカンドリーム丸出しの下剋上映画だった。

雑兵は黒人で、乞食は女性。今やルーカスフィルムはディズニーの手中。そしてディズニーはアナと雪の女王』(13年)みたいなマイノリティー擁護映画を濫造している。

映画会社ルーカスフィルムがディズニー帝国主義に呑み込まれたのが今から6年前。我々パンピーには想像もつかないほどのマネーゲームがおこなわれた。

スター・ウォーズ』とは政治なのだ。

株価が動き、企業が金を生み出し、全世界の経済が変動する。オバマが嬉しそうにライトセーバーを振り回すとパンピーたちがはしゃぐ。続編が作られる。またマネーゲームが始まる。ループ。

 

さて、私は前作の評でこのようなことを論じているので、一部抜粋する。

「6部作のスター・ウォーズサーガが、ほとんどジョージ・ルーカスの自叙伝みたいなものだったのに対して、7作目となる本作には、監督のJ・J・エイブラムスの個人的な情念はまったく叩きつけられていない。本作はプラクティカルな工業製品だから、意志や情念などあるだけ邪魔なのだ。これはEP1~3によって損なわれたEP4~6のノスタルジアを復元するという実用的な機能を宿命的に抱えた、いわばファンの治療目的に作られた新作なのである。ずいぶん大袈裟な話に聞こえるだろうが、実際それほど大袈裟な映画なのだ」

 

たとえば前作では、セット撮影、着ぐるみ、インダストリアルな錆びたメカニック、チャンバラの速度を落とす、アイリス・イン/アウトなど、スター・ウォーズ』オリジナル三部作の様式美を現代に再現することで、悪名高いプリクエル三部作によって子供時代の思い出を木っ端微塵にされたファンどもの傷ついた魂を慰撫しようという目論見があった。

要するに、プリクエル三部作に絶望しすぎて死にかけている全世界のスターウォーズ・ファンを治療するための新章こそが今回のシークエル三部作ってわけ。

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 改めておさらいしますと、スター・ウォーズシリーズは4→5→6→1→2→3→7→8→9の順で作られています。

70年代から始まった4、5、6は旧三部作(オリジナル)

90年代末に作られた1、2、3は新三部作(プリクエル)

今やってる7、8、9は続三部作(シークエル)…と呼ばれている。時系列がクソややこしいわ!

 

老いたミュージシャンの最新アルバム。

だが、新章第2弾となる本作は違う。スター・ウォーズらしさに囚われず、ようやく(批判覚悟で)新たな物語を紡ぎ始めた前進の一作だ。

うまく伝わるかわからんが、全国をドサ回りして往年のヒット曲ばかり演っていたキャリア40年の大御所ミュージシャンが久しぶりに最新アルバムを発表したような…まぁそんな感じの仕上がりだ。

でもそういうアルバムって大抵ダメなんだよねぇ。

体力が落ちてて全盛期の迫力はないし、アイデアもセンスも枯渇してるから過去のヒット曲を繋げたようなマンネリのメロディばかり。何よりファンにとっては過去のヒット曲さえあれば充分なわけで、別にいまさら新作なんて望んでないという…。

まさに本作は「年老いたミュージシャンの最新アルバム」なのだ。

 

新しいスター・ウォーズを紡ごうとしているのだが、好むと好まざるとに関わらず過去に引きずられてしまっている。

血統主義の否定」や「善悪二元論の解体」など、スター・ウォーズの存在理由を根本から覆すような危なっかしい展開はなかなかスリリングだが、この改変って「僕たちロックバンドだけど、今回のアルバムでは少しだけ電子音を取り入れました」という程度の微妙なアレンジでしかなくて。

それに「血統主義の否定」や「善悪二元論の解体」は物語全体のほんの一部分というか…サイドストーリーに過ぎず、あくまでこの映画の本筋は敵のファースト・オーダーに追撃されてるレジスタンスが「ヤバいヤバい。宇宙船の燃料がもうあらへん」とか言ってるわりにはいつまで経っても燃料が尽きずただやみくもに逃げ回ってるだけ…という。

本当にただそれだけの内容なのだ。今回の新作は。

したがって物語の展開性は皆無に等しい。一言でいえば中身がない

映画まるまる一本…、それも152分も使って「敵の宇宙船からただ逃げ回るだけ」を描いたランナウェイ映画の金字塔と言えるでしょう。

内容、薄っす~~。

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 シークエル三部作の主人公は女性! そして脇っちょにいるBB8がカワイイ!

 

④「素晴らしい、すべて間違っている」

また、前作ではレイという女性主人公がカイロ・レンというイラチの悪役に立ち向かっていくというシンプルな構図があったが、今作では群像劇になっている。 

 

・敵に追われる宇宙船内で「どないしまひょ、どないしまひょ」とわたわたしてるだけのレイア姫

・ブスの女を味方につけて敵の戦艦に潜入しようとするポーとフィン。

・引きこもり島で隠遁生活を送るルークを「力、貸してんか」と説得しに行くレイ。

・「レジスタンス、いてもうたるでー」つって悪さを企むカイロ・レンと総大将スノーク

 

まさに群像劇だ。

そういう意味では英雄譚というより『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16年)にも通じる、歯車に過ぎない一個人が大いなる意志のもとに集い、人知れず誇り高く仕事を果たすサラリーマン応援映画に近い。

いろんな所でいろんな人々が頑張ってる…っていう。

だけど、個々のカットバックが冗漫でキャラも捌き切れてないから「誰が何の為に何をしてるのか?」という大局的状況やキャラの行動原理がボヤけちゃってて、おまけに話が一個も進まないので「おまえ達は何をやってるんだ?」と。

僕の言葉で言えば、ほとんど全編が死に時間なんですよ。

なんの進展性も生産性もなく、ただただ無為に時間だけが流れていって、その中で大勢のキャラが無駄な行動や回りくどいことをワチャワチャやってるだけという。

 

もちろん本作はジョージ・ルーカスによる正統派スター・ウォーズではなく「ディズニー・スター・ウォーズなので、黒人をはじめ東洋人や女性といった「ディズニー忖度」がふんだんに施されているが、こういう過度な配慮はスペースオペラとしての世界観を大いに狭めてしまう。

パイロットの役半数が女性とか、ロマンス担当がブスの東洋人とか。

おまけに惑星とは名ばかりのカジノ街まで出しちゃってるので、「遠い昔、はるか彼方の銀河系で…」とか言われても「嘘つけ。まんまアメリカやないか」と。

まぁ、要するになんだ、ロマンがない。

 

ポーグとかいう新キャラの鳥もあざとく萌えを押しつけてくるだけのマスコットで、「おもちゃ買ってね」とばかりにハナからグッズ化を狙ってる副次的収入源でしかなくて。

また、終始だるーんとした物語の異常なまでの起伏のなさはアクションの配置にも原因があるのだろう。

このシリーズの見せ場とも言える「惑星での白兵戦」がほぼ無く、宇宙空間でズドーンドカーンを一生やってるだけで、一丁前に金だけかかった血の通わないCGを見せられて「アツくなれ」って言われても、ねえ…。

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新キャラのポーグ。物語上の役割はなく、ただキャーキャー鳴いて「可愛い~」と言ってくれるのを待ってるだけ。焼き鳥にして食ったろか!

 

でもルークとレイアの再会や、ルークとヨーダ(CGヨーダではなくオリジナル三部作のパペット・ヨーダ!)の語らいはファン号泣モノだろうし、心の広いファンはなんやかんやで許しちゃうんでしょうね、今回の映画を。

たしかに、ライバル関係だったレイとカイロ・レンの共闘はムネアツだし、敵軍が予想外に手強くて一杯一杯になりながらやっとの思いで返り討ちにしていく殺陣も良い。

あと、何といってもルークが残した「素晴らしい。すべて間違っている」という名言ね!

なにこれ、かっこよ! 折に触れて使っていこ!

ルークが久々に再会したC-3POにウインクする瞬間も抜群にクールだ。

ついでに言うと、スターウォーズ・ファンではなく映画ファンの私としては、不意打ちのように現れるベニチオ・デル・トロローラ・ダーンのキャスティングには大いに心をくすぐられたりもしました。

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 懐かしのパペット・ヨーダ

 

ノスタルジア、ひいてはファンとの対峙。

でもやっぱり、スター・ウォーズの新作として…ということ以上に「ひとつの映画として」欠陥がありすぎる。

だいたい、こんなクソみたいな筋書きに152分も使わないとまともに映画さえ撮れないようなライアン・ジョンソンは、普段ハイカロリーなものを食べすぎて不摂生なのだと思う。たとえば朝食を白米と納豆と焼き魚に変えるなどして、さっさとスリムでヘルシーな作家性を身につけるべきだ。

あと、宇宙空間でエスタブリッシング・ショットはあまり必要ないから、乱発されても困る。

 

とどのつまり、本作の脱『スター・ウォーズ』という前衛的な試みスター・ウォーズ』最新作に義務化されたサービス精神は両立しないのだ。

私はべつにスター・ウォーズファンではなく、なんなら映画好きが決して評価してはならない映画の代表格こそがスター・ウォーズだと考えている類の人間だから、多くのファンやマーク・ハミル(ルーク役)さえもが本作の出来にブチ切れている理由もいまいちよくわからない。

ただ、「過去を捨て去って新しいことに挑戦しようとするけど、どうしようもなく過去に引きずられてしまう」というジレンマの根幹には「ファンの期待に応えねばならない」という義務感が横たわっているのだと思う。

何より、オリジナル三部作こそ至上とする懐古主義のファンがあまりに多すぎる。

オリジナル三部作だってそんなに大した映画じゃないぞ?

ここで話はうまい具合に冒頭に繋がって、再び「ノスタルジア」というキーワードが登場するのだが、いまのスター・ウォーズが抱えているのは「ファンのノスタルジアとどう向き合うか?」という問題だろう。

作り手のファンに対する神経質なまでの配慮が、スター・ウォーズというコンテンツが持っている本来の輝きや表現力をものの見事に劣化させてしまっている。

 

さぁ、次のエピソード9でいよいよ終わりです。

本作にたいへんな不満を抱えているマーク・ハミル「エピソード9は誰の子供時代もブチ壊しませんように」と皮肉めいた発言をしているが、私はハミ公とは正反対の意見です。

ファンの顔色など窺わず、むしろノスタルジアなど積極的にブチ壊していくべきだ(莫大な金が懸かっているのでまず無理だろうが)。

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下半身(球体)を回転させてコロコロと走るBB8は超かわいい。

コロコロ~。コロコロ~。かわいい!