マンドーキの野郎、またこんな重い映画撮りやがって。
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1994年。ルイス・マンドーキ監督。メグ・ライアン、アンディ・ガルシア、エレン・バースティン。
熱愛の末に結婚し、見るからに幸せそうな家庭を築いたパイロットのマイケルと教師のアリス。しかし仕事柄留守がちなマイケル恋しさにアリスは酒に溺れてゆき、マイケルがそれに気付いた頃には既にアリスはアルコール依存症に陥っていた…。(映画.com より)
女性からの人気も高く、90年代は「かわいい」の代名詞だったメグ・ライアンの作品がやって来ましたよー。
『めぐり逢えたら』(93年)や『ユー・ガット・メール』(98年)などで何度も共演したトム・ハンクスと。
オープニング・クレジットの中にルイス・マンドーキという字を見た私は「またお前か」と思った。
ルイス・マンドーキといえば、ついこないだ『ぼくの美しい人だから』(90年)を観てレビューしたばかりだ。
なんなの、俺の中で今年上半期はルイス・マンドーキが来てるの?
たまたま観たラブストーリーが二本連続で同じ監督て。
マンドーキは俺に気があるの?
さて、この映画はメグ・ライアンがアルコール中毒でボロボロになり、結婚生活までボロボロに破綻して夫婦の関係がグッチャグチャになっていくという無残なお話です!(楽しいね)
夫役は、目つきがセクシーなアンディ・ガルシア。
大好きな俳優!
『アンタッチャブル』(87年)、『ブラック・レイン』(89年)、『ゴッドファーザー PARTⅢ』(90年)など、男臭い映画に多数出演するキューバ出身の二枚目俳優。『オーシャンズ11』シリーズでは冷酷非道の悪役を演じている。
ちなみにマンドーキ同様、アンディ・ガルシアとも最近ヤケに会うんですよ。ここ10日ぐらいでガルシア出演作を4本ぐらい観たかな。
ガルシアも俺に気があんの?
さて、メグちゃんのアル中ぶりはいささか目に余ります。
いつも酒飲んでヘベレケのメグちゃんは、隣家の車の防犯ブザーがうるさいと言って卵を投げつけたり、夫婦水入らずで旅行にいったときに誤ってボートから転落して死にかけたり、果ては酔った弾みで幼い娘に手をあげるようなエキセントリック女房だ。
リハビリ施設に長期入院したメグちゃんは、そこでようやくアルコールを絶つが、そのせいで家に帰ってきても四六時中イライラして夫や子供にキツく当たってしまい、「もう無理ぽん」ということで別居。
果たして家族関係は修復できるのか…?
そして夫婦は愛を取り戻せるのか…?
YouはShock!
…といった中身なんですわ。
マンドーキの野郎、またこんな重い映画撮りやがって。
本作は「ある夫婦の物語」ではなく「男と女の違い」について深く考察した内容になっていて、その意味では『恋人たちの予感』(89年)にも通じる「性差批評」としての側面が強い。
したがって本作をカテゴライズするなら、ラブストーリーではなく文化人類学なんだよ。
メグ・ライアンがキャリア史上最高にキュートだった頃の『恋人たちの予感』…「男女の友情は成立するのか?」という永遠のテーマに踏み込んだロマンティック・コメディの名作。
たとえば、メグちゃんの中には「頼られたい」とか「理解してほしい」という気持ちがあって。
喧嘩する二人の娘を叱っている最中にガルシア父ちゃんが横から入ってきてサラリと喧嘩の仲裁をしてのけたことに対して「パパがしゃしゃり出てくんじゃねえよ。喧嘩の仲裁ぐらい私に任せてよ!」と不満をもらす。
また、彼女は何かにつけて自分のことを気遣って世話を焼いてくれるガルシアに対して、日頃からフラストレーションを抱えている。
たしかにメグちゃんは日常生活もままならないほど重度のアルコール中毒だが、夫がやさしく接してくれればくれるほど、まるで自分がダメな子扱いされている気がして余計みじめになってしまうのだ。
だから、リハビリ施設で出会ったアル中仲間から色々な相談を受けて頼られたとき、ようやく彼女の中で「必要とされたい」という承認欲求が満たされ、ありのままの姿を曝け出してレリゴーできるのだ。
一方のガルシアは、われわれ観客から見れば完璧な夫だ。
度重なる妻の泥酔奇行事件に愛想を尽かすことなく、妻の苦しみを理解してすべてを包み込む。妻の入院中は仕事を休んで家事をこなすし、不安がる娘たちをジョークで笑わせて勇気づける。
だが、イライラピークのメグちゃん曰く「あなたはダメな私をヒーロー気取りで救おうとしてるだけ!」らしい。
「あなたはまるで腫れ物に触るようにやさしく気遣ってくれるけど、そういうことをされるとすごくみじめな気持ちになるの。私は誰かに必要とされたいのよ!」
男がよかれと思ってしたことが女にとっては苛立ちの原因だった…という。
あー、村上春樹の小説でいっぱい読んだわ。こういうの。
要するに、ガルシアにとっては脆くて不安定な妻を支えることが愛だが、メグちゃんが夫に求めている愛は自分を理解して信じてくれることなのだ。
まぁ、なんだ…、愛の定義が食い違ってたからこんなことになったんだろうな!
ご苦労さん。
事程左様に、男心と女心のすれ違いがピリピリした雰囲気で延々続く。
この重苦しくて険悪なムードは『ぼくの美しい人だから』にも終始漂っていた。
マンドーキだなぁ~。
ちなみに私は観ている最中、メグちゃんの自己憐憫っぷりとワガママっぷりに辟易したクチです。
「酒に溺れてた頃よりも断酒したあとの方がひどくない?」と思うぐらい、禁断症状でいつもマックス怒ってる。「断酒してそんなにイライラするなら、いっそのこと飲めばええやないか」と言ってウイスキーをプレゼントしたいぐらい。
あと、しきりに「頼られたい」とか「必要とされたい」と口にするんだけど、それが出来ないから家族みんなでアンタを支えてるんでしょうが、って。
泥酔して裸のまま表に出ていったりシャワー中にすっ転んで意識不明になるような妻に何を頼れるというんだよ!
このくせ、手を差し伸べてくれるガルシアに「ヒーロー気取りか!」と激怒して、夫のやさしみを跳ね返すというムチャムチャぶり。
よく聞いてね、メグちゃん。ガルシアの気持ちを俺が代弁するから。
ほな、どないせえゆうね。
夫婦カウンセリングを受ける険悪な二人。何もカウンセラーを睨みつけることはないだろうに。
映画としての弱点はいくつかある。
撮影は概ね良好だが、編集がえらくモッタリしているので体感時間が長い。
ただでさえ、ほぼ全編メグちゃんが騒いでガルシアがなだめる…の繰り返し夫婦漫才なので、人はこの映画に永遠(とわ)を感じてしまうだろう。
そして何より配役を外していると思う。
生まれながらにしてハッピーフェイスのメグちゃんが一生懸命険しい表情を作って「いつも不機嫌なアル中女」を演じているので画面の情緒がムチャクチャというか。観る者は「この妻、いつもピリピリしてるなぁ…」と「わぁメグちゃん可愛い!」というアンビバレンスな感情を抱き、やがて精神錯乱に陥るだろう。
一方ガルシアの方は、優しい夫を演じろ、っつってんのに顔が怖い。もう完全に『ゴッドファーザー PARTⅢ』でマイケルの跡を継ごうとして必死のパッチになってるときの顔だよ。
いつまでもゴッドファーザーを引きずるな!
『ゴッドファーザー』顔をするな!
ただし、二人の娘たちがポヤポヤしていてたいへん愛らしかったことを付け加えておく!