萌えと胸アツが詰まった疑似『ロッキー』映画!
2016年。エリック・サマー、エリック・ワリン監督。アニメーション作品。
19世紀末のフランス。踊ることが大好きなフェリシーはバレリーナとしてパリ・オペラ座の舞台に立つことを夢見ていた。施設に暮らすフェリシーは親友のヴィクターに誘われ、施設を抜け出して憧れのパリを目指す。パリに到着し、ヴィクターとはぐれてしまったフェリシーがパリの街で偶然に見つけたのが憧れのミラノ座だった。バレエを習ったこともないフェリシーが、元バレリーナで今はオペラ座の掃除婦のオデットと出会い、情熱と勇気を胸に夢の舞台を目指す。(映画.com より)
久しぶりにCGアニメーションを観ました。
最後に観たCGアニメーション作品ってなんだろう。思い出せないな。よそにある私のレビューアーカイブを辿っていけば調べられるけど、そんな無意味なことはしないよ。
今まで黙ってたけど、私はCGアニメーションがまあまあ好きなんですよ。愛好家と呼べるほど観てるわけではないけど、その辺のガキになら勝てます。
私「やい、ガキ。どっちがCGアニメーションについて詳しいか、お兄ちゃんと勝負しようぜ」
ガキ「え、なんなの急に。ていうか誰…」
私「それではクイズを出題します。デン! 『Mr.インクレディブル』(04年)や『レミーのおいしいレストラン』(07年)で知られるブラッド・バードの初監督作はなんでしょうか? また同氏が初めて手掛けた実写映画は何でしょうか?」
ガキ「わかんない…」
私「ばーかばーかばーか!!」
…みたいな熱き戦いを繰り広げていきたいですよね(正解は『アイアン・ジャイアント』が初監督作で、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』が初実写監督作)。
CGアニメーションといえば、長らくディズニー、ピクサー、ドリームワークスの三頭政治が続いていたが、2010年代からは『怪盗グルー』シリーズのイルミネーションエンター・テインメントが空前のミニオン・フィーバーを巻き起こしてイケイケドンドンである。
だけど私は、いちばん贔屓にしているピクサーが近年不調続きで、注目株のイルミネーションには『怪盗グルーのミニオン大脱走』(17年)で大いに失望させられ、ドリームワークスにはもともとあまり興味がないため「結局ディズニーかよ」と白けてしまい、近頃はすっかりCGアニメーションから遠ざかっておりました。
ちょっと前までのCGアニメーションがおもしろかったのは、天下のディズニーを引きずり下ろすためにピクサーやドリームワークスが旗を揚げてディズニー帝国に挑みかかったり、新勢力のイルミネーションが不意に現れてパワーバランスを覆したり…といった戦国感なんですよ。まさにCGアニメ戦国時代だ。
だけど今は、世の中的にも「やっぱりディズニーだよね」というところに着地しかかっていて、CGアニメシーンがいまいち盛り上がっていない。
そこで本作。
『フェリシーと夢のトウシューズ』は、CGアニメの焼野原の上を美しく舞い踊る!
トウシュ――――ズ!!
もくじ
- ①アニメーションのノウハウを持たないまま作られた傑作。
- ②ドキドキ☆ワクワクのパリ旅行!
- ③フェリシーは外道。
- ④至る所に『ロッキー』の命脈が!
- ⑤個性的な脇役ども。
- ⑥欠点を補って余りあるほどの萌えと胸アツ!
①アニメーションのノウハウを持たないまま作られた傑作。
もしダンサーの読者がいたら非常に申し訳ないが、私はダンスに対する理解がない。踊ることの意味がいまいちよく分からないのだ。したがってバレエを見て美しいと感じたこともない。
この先、一万回生まれ変わったとしてもダンサーにだけはならないだろう。
そんな私でも思わず「トウシュ――――ズ!!」と叫んでしまったのが『フェリシーと夢のトウシューズ』だ(もちろんこの映画に「トウシュ――――ズ!!」と叫ぶシーンなどない)。
まず、製作したのがどこぞのアニメ会社ではなくゴーモンだということに驚かされる。
おっそろしい名前だよな。ゴーモンて。仕事のできない社員は確実に拷問されてるだろうね。「良い映画を作るためなら社員を拷問することも厭わないですよ」という意味でゴーモンと名づけられたのだろう。
ゴーモンといえば『レオン』(94年)や『最強のふたり』(11年)などを手掛けた、フランスにある世界最古の映画会社だ(1895年設立)。
この話のポイントはゴーモンはアニメ会社ではないということだ。
おまけに、本作を手掛けた監督、プロデューサー、アニメーション・ディレクターたちも本来は実写映画に携わっており、製作者の中にアニメ畑の人間が一人として存在しないのだ。
つまり本作はアニメーションのノウハウを持たないまま作られた、ということになる。
にも関わらず、『フェリシーと夢のトウシューズ』は紛れもない傑作である。
どういうこと?
ゴーモンにアニメ部門なんて存在しないし、製作側もいわばアニメ素人。それなのに、なぜこれほどまでの傑作を生みだせたのか? ちょっとしたミステリーだよ!
②ドキドキ☆ワクワクのパリ旅行!
19世紀末のフランス。物語はブルターニュ地方の児童施設から脱走を企てようとする少年と少女が、鬼の形相で追いかけてくる事務員のオヤジを振り切って荷物列車に飛び乗るところから始まる。
少女の名前はフェリシー(声:エル・ファニング)で、オペラ座の舞台に立つことを夢見てパリ行きに憧れている踊りきちがいの孤児である。
そんなフェリシーと幼馴染みのヴィクター(声:デイン・デハーン)は偉大な発明家を志す少年だ。口臭がキツかったり所かまわず放屁をするなどしてフェリシーからは蔑まれている。エチケットをわきまえない汚らしいガキだ。
踊りきちがいのフェリシーと放屁小僧のヴィクター。
都合がいいにも程があるが、二人が飛び乗った荷物列車はたまたまパリ行きだった。
夜が明けてパリに到着した二人は、セーヌ川に架かるイエナ橋の上で立ち往生する。ちなみに時代設定が19世紀末なので、イエナ橋から一望できるエッフェル塔はまだ建築中である。
「着いたはええけど、どないすんねん、こっから先…」と早速路頭に迷っていると、大量の鳩につつかれたヴィクターが橋から落下。はっ、まぬけな野郎だ。
運よく通りがかりの船の上に落ちたことで死は免れたが、船とともにセーヌ河の流れに運び去られてしまう。
「明日、同じ時間にここで会おう!」とわけのわからないことを言い残して…。
建築中のエッフェル塔。アニメとは言え…、否、アニメだからこそ不思議なノスタルジーに胸が締め付けられる、美しいシーンだ。
さて、ひとりぼっちになったフェリシーが半ベソかきながら夜のパリを彷徨していると、ひときわ強い輝きを放つ光を見つける。
都合がいいにも程があるが、たまたま目的地だったオペラ座に辿り着くのだ。
そこで出会ったオペラ座の掃除係オデット(声:カーリー・レイ・ジェプセン)にしつこく付きまとったフェリシーは、「ダンサーになりたいからお姉さんのコネでどうにかして。ついでに寝るところがないから無料で泊めてね」とムチャクチャなことを要求する。
オデットはル・オー夫人という邪悪なババアの家で住み込みの家政婦として働いており、フェリシーもまたル・オー夫人邸の住み込みの掃除係として働くことになった。
ところが、ル・オー夫人の娘でバレエに打ち込んでいるカミーユと大喧嘩したフェリシーは、オペラ座から届いたカミーユ宛の招待状をル・オー夫人に渡さず、自分がカミーユになりすましてオペラ座に入学することを思いつく…。
③フェリシーは外道。
自分の夢を叶えるためにカミーユ宛の招待状を使ってオペラ座に入学する…という外道のようなフェリシーの振舞いは批判されるべきかもしれない。でも可愛いから許す。
とにかくフェリシーが尋常ではなく可愛いのだ。
いわゆるアニメ的な記号表現には堕さず、中間色豊かに表情をつけていくことでフェリシーというキャラクターの内面までもが肉付けされていて、とってもチャーミングだ。
何よりバレエを扱った作品だけに細緻を極めた身体表現がすばらしい。バレエシーンだけでなく、たとえば日常のちょっとした所作ひとつ取っても、各キャラクターによって動き方が違うのだ。
ことにフェリシーに関しては、一挙手一投足の中に「萌え」がある。動きが可愛いこと。それこそが萌えの入り口だ。
なんというか…、「フェリシー萌え」という新たなる地平?
そういうのが見えてくると思います。ええ。
飛ぶ、回る、走る…といった身体表現は気持ちよくデフォルメされており、それによってバレエの芸術性をエンターテイメントに置き換えて「べつにバレエに精通してなくても楽しめますよ!」という間口の広さを確保しているあたりも親切だ。
とあるレビュアーは「慣性の法則を無視していてリアリティがない。こんな動きができるわけない」となぜか物理学の観点から批評を加えている。
ええ、ええ。ご尤も。リアリティがないですね。こんな動きができるわけないですね。
だからこそのアニメなんですよ?
「ない」を見せてくれるのがアニメの醍醐味だというのに。やれやれ…。
④至る所に『ロッキー』の命脈が!
また、この作品にはありとあらゆる成長物語の要素が詰め込まれている。
たとえばバレエ未経験のフェリシーが、元バレエダンサーのオデットに教えを乞うて修行に励むシーケンスでは『ベスト・キッド』(84年)や『セッション』(14年)なんかを彷彿したり。
その修行シーンというのも「足元に水溜りを作り、木の枝につけた鈴を垂直にジャンプして手で鳴らしたあと、水溜りが跳ねないように着地する」など、バレエならではの特訓が視覚的なおもしろさを作り上げているのね。
そしてカミーユとのライバル関係。
招待状なりすまし作戦が露呈したうえに、カミーユとのバレエ対決の前日にイケメンダンサーと遊びほうけたことで戦いに敗れたフェリシーは、一度ブルターニュの児童施設に強制送還されてしまうが、再びオペラ座に舞い戻ってカミーユにリベンジマッチを申し込む。
『ロッキー3』(82年)だよ!
チャンピオンベルトを手にしたことで自堕落な天狗になったロッキーがハングリー精神剥き出しのクラバーに惨敗を喫してしまうが再び闘争心を取り戻してクラバーにリベンジマッチを申し込む…ことでお馴染みの『ロッキー3』だよ!
そして、オー夫人のスパルタのもと最新器具でトレーニングするカミーユと、オデットが発案した掃除の動きを活用したトレーニングメニューをこなすフェリシーの対比。
『ロッキー4/炎の友情』(85年)だよ!
大自然の中で丸太を担いでトレーニングするロッキーと科学の粋を集めた最新技術を駆使してトレーニングするドラゴを「自然vs科学」という対比でカットバックする名シーン…でお馴染みの『ロッキー4/炎の友情』だよ!
もう激アツ!!
この二人が、誰もいない大ホールの舞台で技を見せつけ合って喧嘩という名のバレエ・バトルをするのだが、やおら舞台から降りて客席のシートの上をピョンピョン飛びながら人が行き交う大広間に出て、大階段から飛び降りる!
まさにアニメーションならではの映像快楽だ。
舞台→客席→広間→階段…と、勝負がヒートアップするに従い、四段階に渡って徐々に空間を広げていくことで観る者を加速度的に興奮させているわけだ。
これは巧い。そしてアツい!
⑤個性的な脇役ども。
イエナ橋ではぐれたヴィクターも忘れてはならない。秘かにフェリシーに片想いしながらも、発明家としての我が道を突き進むナイスキッズだ。
「汚らしいガキ」とか「まぬけな野郎」とか言ってすみませんでした。
ヴィクターが発明した鳩ウイングはクライマックスでしっかり活かされるし、フェリシーをたぶらかすイケメンダンサーと恋の鞘当てを演じる姿も愛らしい。
完全に『アベンジャーズ』のファルコンです。このクソガキ! マーベルをパクったな!?
そしてオデットとフェリシーを苛め抜くル・オー夫人のトチ狂いっぷりが最高。
フェリシーが娘のカミーユを下して主役を勝ち取ったことで妬み嫉みの化身となったル・オー夫人は、大型ハンマーを振り回してフェリシーを叩き殺そうとするのだ。
このババア!
ル・オー夫人とカミーユの親子。
フェリシーをプリマへと導いた師匠・オデットのキャラクターもよかった。
無感情で子供嫌いのオデットは、まさに俺。
始めのうちはハグしてきたフェリシーに「アすみませんやめてください本当マジで気持ち悪いんで…」と拒絶しまくっていたが、修行を通じて少しずつフェリシーを実の娘のように想いはじめ、あの忌わしい強制送還事件を経てオペラ座に復帰したフェリシーと二度目のハグ!
一度目の「アすみませんやめてください」のハグがあったからこそ、二度目のハグには胸を打たれる。このさり気ない反復技法が実に憎い。
美しき師弟関係とはまさにこのこと。
「拭き掃除は足を使いなさい」。オデットが子供虐待をする風景。
⑥欠点を補って余りあるほどの萌えと胸アツ!
ダメ出ししているレビュアーもお見受けするが、まぁ確かに89分の作品なので安直な作劇や都合のいい設定だらけですよ。はっきり言って。
フェリシーのバレエが上達することにロジックがなく「もともと天才でした」っていう才能ありきの話だし、やたらと大事にしている「形見のオルゴール」もまったく活かされないので小道具として機能していない。
だいたい、バレエのバの字も知らないようなフェリシーが、あれよあれよという間に熟練した生徒たちを追い抜いて主役の座を射止める…とかさ。さすがに「はぁ?」だよ。それ、ずっと地道に努力してきたほかの生徒たちに対して失礼な展開じゃない?
何年も厳しい練習に耐えて本気でバレエと向き合っている人たちにしたら「バレエ、ナメんな」ってことになるよね。
主役の座を射止めるからには、そこに至るまでにフェリシーが味わった苦労や挫折といったバレエの厳しさをもっと見せるべきでしょう(『カーズ』のようにな!)。
また、フェリシーのキャラクター造形が弱いあたりも大きなネックで。
そもそもフェリシーはダンスが好きなのであって、バレエに固執しているわけではない。「バレエだろうが何だろうが、踊れりゃいい。とにかく私を躍らせろ!」っていうスタンスの娘なの。
実際、居酒屋に潜り込んだフェリシーは、テーブルの上でハンガリアン・ダンスとか踊ってんだよ。
だから、フェリシーのバレエに対する愛がなかなか伝わってこない。「ダンスとバレエを混同してないか、おまえ?」っていうさ。だとしたら、本気でバレエと向き合っている人たちに対して余計に失礼だよね。
あと、これまた某レビュアーが「バレリーナなのに、落ちたら怪我しそうな高いところで踊ろうとするのが理解できません」と仰っていたが、笑ってしまうほどごもっとも。
オペラ座の大階段からアイキャンフライも十分危険なのに(大事な公演会の日だというのに足でも挫いたらどうするんだ?)、しょっちゅう高い屋根の上で踊ってんですよ、この娘。
足滑らせたら死ぬからね。
「挫く」とかじゃなくて「死ぬ」からね。
命懸けの大ジャンプ。
事程左様に全身弱点だらけの底抜けバケツみたいな出来ではあるが、それを補って余りあるほどの「萌え」と「胸アツ」が詰まった作品なので、私はなんやかんやで擁護する所存だ。
返す返すも、製作側がアニメーションのノウハウを持っていないにも関わらず、これほど心を動かす作品に仕上げたことが驚きなのですよ。
あと、何度でも言うが、フェリシーが可愛い。前髪の分け目がいい。
ちなみに吹替えでフェリシーの声を務めているのは土屋太鳳…という情報をつけ加えておく。
どうでもよ~。