中心なきドーナツ映画の傑作。
2017年。マーティン・マクドナー監督。フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル。
米ミズーリ州の片田舎の町で、何者かに娘を殺された主婦のミルドレッドが、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な3枚の広告看板を設置する。それを快く思わない警察や住民とミルドレッドの間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく…。(映画.com より)
ハローみんな、恋のダイヤル6700を回してる?
今回の前置きは音楽ですよ。
ついこないだまで、ガンマ・レイというドイツのパワーメタル・バンドと、サンダーというイギリスのハードロック・バンドを聴いていたのだけど、最近聴いてるのはフィンガー5ですね。
1970年代の歌謡シーンを席巻したジャクソン5を真正面からパクったことでお馴染みの5人組兄弟グループ。
「学園天国」とか「恋のダイヤル6700」のようなヒット曲しか知らなかったけど、聴けば聴くほどおもしろくて。
この頃の歌謡曲って、良くも悪くもロックやグループ・サウンズのような欧米文化を取り入れたバタ臭さがあったけど、フィンガー5に関してはメインボーカルの四男・晃くんが繰り出す変声期前の驚異的なハイトーンボイスが「純心」を担保していて、ギリギリのところでアメリカナイズされてないんだよ。
しかも「学校恋愛」というテーマが多くの曲に一貫していて。まさに「学園天国」なんて前代未聞の席替えのドキドキ感について歌っただけの曲だからね。
「学園天国」といえば「ヘーイヘイヘイヘイヘイ♪」だけど、個人的には「ヘイ(ヘイ!)、ヘイ(ヘイ!)、ヘイ(ヘイ!)、ヘイ(ヘイ!)、ワ~!」の「ワ~!」のところが大好きなんですよ。なんか可愛くて。
それでは参りましょう。Are You Ready?
死ぬほど関係ない話をしてすみませんでした。
そんなわけで『スリー・ビルボード』です。本当にごめんなさいね、毎度毎度。
もくじ
①イーストウッドの映画かと思った。
『セブン・サイコパス』(12年)で頭をブチ抜かれたごく一部の観客は、ブラックユーモアで塗り固められたマーティン・マクドナーがシビアな人間ドラマを撮るの? と面食らったはずだ。
実際、ブラックユーモアとバイオレンスと間テクスト性に満ちた混沌世界で大勢の人間ががわちゃわちゃやってる…という作風を得意とするマーティン・マクドナーはポスト・タランティーノと評されており、一切のメロドラマを断固拒否する新鋭作家である。
簡単に言えばマーティン・マクドナーとは、あまったれた映画界に風穴を開けてくれる突撃兵なのだ。
だから最初、『スリー・ビルボード』には困惑した。
娘を殺された母親が犯人を見つけだして復讐する…という単純な筋ではなく、そこには捜査が難航したことで母親から批判されてしまう警察署長(ウディ・ハレンソン)と、情緒不安定で暴力的な巡査など、いわば当事者ではないキャラクターを巻き込んだ意味深なドラマが紡がれているからだ。イーストウッドの映画かと思った。
あまつさえ、今年のアカデミー賞で主演女優賞(フランシス・マクドーマンド)と助演男優賞(サム・ロックウェル)まで受賞して、批評家をはじめ見識ある映画好きの間では絶賛されている。
マクドナー感、ゼロ!
ところが、いざ鑑賞してみると一発で留飲が下がりました。なるほど、これはマクドナー作品以外の何物でもない。
②中心なきドーナツ映画。
物語は、娘をレイプされて殺されたフランシス・マクドーマンドが、殺害現場の道路沿いに3枚の広告板(スリー・ビルボード)を借り、「娘はレイプされて焼き殺された」、「未だに犯人が捕まらない」、「どうして、ウィロビー署長?」というメッセージを張り出すファースト・シーンに始まる。
この時点で「どうやらこの映画は犯人捜しのサスペンスではないようだ」と誰もが理解する。実際、事件を捜査している様子は一度も描かれないし、ネタバレでも何でもないから言ってしまうが、この事件の犯人は最後までわからない(とされている)。
したがって本作の主要人物は、まずはじめに遅々として進まない警察の捜査に業を煮やしているマクドーマンド。次に、マクドーマンドに名指しで批判された警察署長のウディ・ハレルソン。そんなハレルソンに付き従っている下っ端の巡査サム・ロックウェルが出しゃばってきて、これで合計3人となる。
『スリー・ビルボード』とは彼ら3人のことでもある。
娘が殺された事件と警察の怠慢を世に知らしめるために物々しいメッセージを張り出したマクドーマンドは、いわば自らが広告となり周囲の人々を扇動する。
ハレルソンもまた警察署長として正義を貫く街の看板だ。
一方、暴力的で差別主義者のロックウェルはビルボードの負の側面を象徴する存在で、その意味では彼もまた差別や暴力の広告塔なのだ(だからマクドーマンドは3枚の広告板に火をつけた犯人がロックウェルだと早合点して復讐する)。
この映画のおもしろさは、物語の中心人物となるべき犯人(諸悪の根源)が不在で、残された被害者遺族と警察という善良な人間同士が怒りや誤解によってぶつかり合ってしまい、その中で各々に罪を背負ってしまうという因果な人間ドラマにこそある。
物語の中心人物がいなくて、あまり関係ない人たちがその周りでゴタゴタやってる…という意味では、ある種のドーナツ化現象だよね。
『桐島、部活やめるってよ』(12年)だよ!
肝心の桐島がいっさい出てこなくて、その桐島がどうやら部活を辞めたらしい…ということで同級生たちがガチャガチャやってるこでお馴染みの青春群像だ。完全にコレですよ、『スリー・ビルボード』は。
だけど私は『桐島~』よりも真っ先に連想した映画があって。
先ほどチラッと名前を出したけど、イーストウッドの『ミスティック・リバー』(03年)である。この映画も、ひとつの殺人事件を引き金に幼馴染み3人組の運命が狂っていく…という中心なきドーナツ映画で。
つまり『桐島~』+『ミスティック・リバー』=『スリー・ビルボード』っていう。
「あ~」って思った?
思わない? 思えよ。
ドーナツ映画の系譜。
③フランシス・マクドーマンド。
さて、この映画にはすばらしいところが沢山あって。まずはマクドナー感について言及せねばなりません。
先述した通り、マーティン・マクドナーという監督はブラックユーモアとバイオレンスでもってメロドラマを粉砕する突撃兵だ。
本作でもそんなマクドナー感は心地よく横溢している。
なんといっても、アカデミー賞主演女優賞をゲットしたフランシス・マクドーマンド。
青のつなぎにバンダナというロックンロールな佇まいが猛烈に格好いい。
嫌味を言ってきた歯医者の手に歯科ドリルをぶっ刺したり、息子をいじめる同級生たちの股間を一人ずつ蹴り上げたり(女生徒も股を蹴られる)など、邪魔するやつは片っ端から殴っていく暴力女だ。
挙句に、広告板を燃やしたのがロックウェルだと考えて、その報復として真夜中の警察署に火炎瓶を投げ込む!
おまけに誰彼かまわず憎まれ口を叩くのだけど、そうした戦闘的な態度が「シリアスな笑い」になっていて。物語自体は不快で沈鬱でやるせないが、なんか笑ってしまう…という絶妙なユーモア感覚があるのだ。これぞマクドナー感!
フランシス・マクドーマンドといえば『ファーゴ』(96年)をはじめコーエン兄弟の常連として知られる名女優だが、本作での使い方はコーエン兄弟よりもうまい。このダーティで渇いたキャラクターはマクドーマンド以外にはちょっと考えられない、完璧な配役だ。
これほど強いキャラクターだけど、周囲の嫌がらせを受けて心が折れそうになったり人知れず涙ぐんだり…という多面性をさり気なく見せることで、決して「ぶち切れ暴走おばさん」という単純なキャラクターになってないあたりも素晴らしい。
④警察署長と巡査。
ウディ・ハレルソンは街の住人から慕われている公正明大な署長だが、膵臓癌を患っており余命幾ばくもない。
ちなみに、ここで「どうせ死ぬなら法を無視してやるぜ。いやっはー」とアンリアルな方向に振れてしまうのが『ノクターナル・アニマルズ』(16年)のマイケル・シャノンね。
マクドーマンドに「さっさと犯人を見つけなさいよ!」と非難されてタジタジになりながらも彼女と向き合おうとするハレルソンの…何と人間臭いこと。このキャラの捌き方ひとつ取ってみても『ノクターナル・アニマルズ』との格の違いは明白でしょう。
私は、この署長役にハレルソンを当てたことにひどく驚いた。
ウディ・ハレルソンといえば公私に渡る極悪人間だからね。
過去には数々の暴力事件、マリファナ栽培事件、タクシー破壊事件、果てはゴールデンゲートブリッジよじ登り事件などを喜々として引き起こすハリウッドきっての問題児。映画の中でも殺し屋とか連続殺人鬼の役が多い。
本作では公正明大な署長を演じて「犯人を逮捕したいー」とか言ってるけど、むしろ逮捕される側の人間なんだよ。
余談だが、私は「きっと明日はハレルソン」というギャグをウディ・ハレルソンにプレゼントしたいと常々思っています。
そして、最低の巡査を演じたサム・ロックウェルは畢生の当たり役。
もともとこの役者は、母ちゃんの腹ん中に頭のネジ一本置き忘れてきた感じの飄々としたクレイジーを演じることが多くて、本作でも怒りの沸点がわからない予測不能な男をスリル満点に好演。
警察を侮辱するマクドーマンドを目の仇にしていて、彼女に広告板を貸した広告会社のケイレブ・ランドリー・ジョーンズを脅しつけた挙句、窓の外に放り投げて路上でボコボコにするワンシーン・ワンショットは観る者の心に刻まれるべきだ。長回しマニア垂涎の名シーン!
ちなみにマクドナー作品の常連で、狂気的だがどこか抜けてて基本的にはヘタレというロックウェルの性質がうまく引き出されている。市民に対しては威勢よく吠えまくるけど、上司のハレルソンに「調子乗ってたら怒るソン!」と一喝された途端に「へぇ、すみません。ハレ旦那…」と萎縮する…小者感? これがまた良いんだよねぇ。まさに権力の犬だよ。
音楽に夢中になるあまり…というところも妙にユーモラスだったね。
こんなクズみたいな巡査だが、ある事件をきっかけに心を入れ替えて贖罪を果たそうとする。そしてマクドーマンドやハレルソンも人道的または宗教的大罪を犯し、魂の救済を求めて彷徨い歩く。
『スリー・ビルボード』は、行き場をなくした3つの魂が交差する「罪と赦し」についての物語だ。
ロックウェル「こいつ、バレないように殺していいすか!?」
ハレルソン「そんなことしたらすぐバレるソン」
⑤理性を染め上げる赤い映画。
本作の裏側には数々の宗教的モチーフがまぶされている。欧米人でさえ見落とすようなディテールとして処理されているので、ほとんどの日本の観客はそこに気付くことはないだろうけど、あくまでアクセント程度の扱いなのでご心配には及びません。
この映画の本質はそこではなく、あくまで『ミスティク・リバー』をはじめ『クラッシュ』(04年)や『クロッシング』(09年)のような、コミュニケーション不全が招いたやんごとないトラブルを楽しめればよい。
で、そこを楽しむコツは、いたるところに配色された赤。
『スリー・ビルボード』は赤を観る映画である。
画面の端々に忍ばされた赤のモチーフは、登場人物たちの怒りや暴力の暗喩になっている。
パトライトの赤い明滅に始まるファースト・シーン。そこから赤い広告板、火事、顔面流血…と、キャラクターたちが暴走するほどに画面は赤で埋め尽くされていく。
とりわけ白眉なのは、マクドーマンドが亡き娘のために供えた赤い花と、独自捜査を決意したロックウェルが手にした赤い受話器だ。
マクドーマンド演じる主人公の役名は「ミルドレッド」だし、彼女に協力するC・L・ジョーンズの役名に至ってはそのものずばり「レッド」(偶然にしてはあまりに出来すぎている)。
マクドーマンドが青いつなぎの中に赤いシャツを着ているのは、彼女が深い悲しみの中に怒りを滾らせているキャラクターだからだ。
『ムーンライト』(16年)や『シェイプ・オブ・ウォーター』(17年)など青の映画がやたらに多い中で、『スリー・ビルボード』は血と炎と怒りの看板によって人間の理性を真っ赤に染め上げる!
愛だの相互理解だのといったメロドラマを断固拒否するマーティン・マクドナーの「人間ってもっと複雑で残酷な生き物だよ。だからこそ赦し合おうぜベイベー」という忌野清志郎イズムが狂奔したヘヴィな傑作!