事あるごとにウィノナがぶっ倒れてギアが半ベソかく映画。
2000年。ジョアン・チェン監督。リチャード・ギア、ウィノナ・ライダー、エレイン・ストリッチ。
ニューヨーカーに人気の高級レストランを経営するウィルは、次々と恋人を替え独身生活を謳歌する48歳。シャーロットは22歳になったばかりの学生。2人は秋のセントラル・パークで出会った。ウィルは娘のような彼女に翻弄される快感に身を任せ、シャーロットは初めての恋に酔っていた。だが、好奇心が本当の愛に変わった時、ウィルが知った悲しい事実…。シャーロットは不治の病に冒され、残されたのは僅か一年という命だったのだ。(映画.com より)
「ライダー映画3連発」の2ライダーめと3ライダーめを勝手に予想してくださったやなぎやさんは、2ライダーめが『リアリティ・バイツ』であることは見破っていたと豪語しています。
そして3ライダーめも予想的中。
「ライダー映画3連発」の最後を飾るのは『オータム・イン・ニューヨーク』なのです!
驚異の推察力でひとり予想大会に優勝したやなぎやさんには、景品としてバーミキュラの高級炊飯器に付属している取扱説明書1冊が贈呈されます。おめでとうございました。
さて、『オータム・イン・ニューヨーク』は2000年の映画。ウィノナが万引きで逮捕されたのが2001年なので、おそらく本作の撮影中には既に万引きを視野に入れてたでしょうね。撮影が終わったら高級デパートの下見に行っていたかもしれない。
それはそうと、私はリチャード・ギアの映画もけっこう見落としているんです。
だから『オータム・イン・ニューヨーク』はライダー映画でありギア映画でもあるので、一挙両得なわけ。
しかもギアとライダーて。バイクを連想するなという方が無理だよ。
というわけで『オータム・イン・ニューヨーク』はバイク映画です。ある種ね。バイクなんて一瞬たりとも映らないけど。
バイクが出てこないバイク映画。それが『オータム・イン・ニューヨーク』。
◆スケコマシ親父と余命1年ガールの期限付きロマンス◆
プレイボーイのリチャード・ギア(48歳設定)と大学生のウィノナ・ライダー(22歳設定)が、なんだか知らんが結ばれたようである。祝福はしない。結ばれた理由が釈然としないからだ。
冒頭。一ヶ月しか付き合ってない女性に橋の上で別れ話を切り出したギアと、川でボートを漕いでいるウィノナがたまたま目が合って「はぅあ!」つって互いに一目惚れ。
後日、ギアが経営するレストランにたまたまウィノナがいて、またぞろ「はぅあ!」。
しかもウィノナの亡き母親と祖母は数十年前からギアと付き合いがあったという。これもたまたま。
偶然にも程がある。こっちが「はぅあ!」だよ。
さらに後日、電話でウィノナを呼び出したギアは「パーティに行こうぜ、お嬢さん」と彼女を誘い、その日の晩に結ばれる。
だがウィノナは不治の病に冒された余命1年ガールだった…。
うむ、きわめてどうでもよい。
◆全編に漂う榮倉奈々感◆
スケコマシ親父と余命1年ガールの期限付きロマンス。発想自体はいい。
愛し合う二人のロマンスを妨げる「歳の差」と「難病」。
これはきわめて榮倉奈々的なアプローチと言えよう。本作はいわば、榮倉奈々の代表作として知られる『余命1ヶ月の花嫁』(09年)と『娚の一生』(15年)を合わせたような贅沢仕様のクソロマンスなのだ。
加えて、そこにもうひとつの要素が重なり合う。「プレイボーイ」だ。それを演じているのがリチャード・ギアなので、まぁ『アメリカン・ジゴロ』(80年)あたりに着想を得たタイプキャストなのだろう。
本作を因数分解してみました。なんやこれ。
◆事あるごとにウィノナがぶっ倒れてギアが半ベソかく◆
『オータム・イン・ニューヨーク』の欠陥は、「歳の差」と「難病」と「プレイボーイ」という三本柱がてんでバラバラの所に乱立しており、しかも腐った木で出来ている…ということだ。
紛うことなき欠陥住宅映画。軽い地震がきたら一発で倒壊するだろう。
メインとなる「難病」は描き方が不十分きわまりない。
ヒロインが一年以内に確実に死ぬので「今この瞬間の幸せ」を高らかに謳いあげた作品になっているが、実質的な主人公ともいえる秋のニューヨークがまったく綺麗に撮れてないので胸を打たないことおびただしい。
とにかく紅葉がきったねえのよ。
紅葉っていうか…枯葉じゃない?っていう。
たとえば、美しい紅葉の中を散歩する詩情豊かなショットがひとつでもあれば、われわれは別にこれといったエピソードやセリフがなくとも「今この瞬間の幸せ」に切なさがこみ上げてくるだろうが、カメラを向けるのが屋内でベラベラと愛の言葉を囁き合ってるギアとウィノナじゃあねぇ。
紅葉の美しさゼロ。まるでウニの上を歩いてるみたい。だとしたら二人の黒い服は海苔を表しているのだろうか? 見ようによってはウニの軍艦巻き映画ともいえる。
ただし、ウィノナが事あるごとにぶっ倒れて救急搬送されるので、幸せなシーンも気が抜けない。ぶっ倒れサスペンスまたはぶっ倒れコメディとしてはなかなかいい。
ウィノナがスケート場でちょけて滑っていて、派手にすっ転んだと思ったら発作で意識不明だった…という、どう見てもギャグとしか思えないシーンには声をあげて笑った。
氷の上でちょける・ライダー。この直後にすっ転んで救急搬送される。
「プレイボーイ」に関しては、もはや完全にギャグだ。
ギアが昔の恋人と寝たことがバレて「許してくれ。もう一度チャンスをくれ」と半ベソかきながらウィノナに許しを乞うたり、ギアが過去に妊娠させた女性の一人娘(ヴェラ・ファーミガ)と再会して「許してくれ。ダメな父親でごめん」と半ベソかきながら許しを乞うなど、とにかくギアがベソかいて許しを乞いすぎ。
そしてウィノナが死んだラストシーンで三度目のベソをかく。
こんなリチャード・ギアなんて見たくない。一体どこのどいつが半ベソかきのプレイボーイとぶっ倒れ女のロマンスなんかに感動するというのか。
よく泣く男とよく転ぶ女。
泣く、転ぶ、泣く、転ぶ、死ぬ、泣く…みたいな、そんな映画ですよ。
「歳の差」についても「私たち、恋人というよりまるで親子ねぇ。ケタケタケタ!」とウィノナが笑い飛ばしてそれで終わり。
ギアも「まじそれな。HAHAHA!」とか言ってんの。
え、それだけ?
もうちょっと、こう…、歳の差恋愛の難しさとかに切り込まないわけ?
なんということでしょう。映画のテーマが一笑に付されて終わった。なんと豪胆。なんたる豪腕。
天に召されるウィノナ。合掌。
そしてギアは…どこ見とんねん。ウィノナ見たらんかい。
◆髪型評論家として一言…◆
リチャード・ギアはよく撮れていてファッションもキマっているが、ウィノナ・ライダーの撮り方にはやや不満が残る。
ウィノナ必殺の「はにかみスマイル」があまり引き出せてないし、何より髪型ね。毛先ガタガタだし、後ろ髪が寝起きのようにしなびている。ヘアメイク係がいなかったのだろうか? これじゃあ『17歳のカルテ』(99年)の二の舞だ。
このポンコツロマンスを手掛けた監督は『ラストエンペラー』(87年)や『ツイン・ピークス』(89年~)で知られる中国の女優、ジョアン・チェン。
ちょけて監督業に手を出した俳優特有のノッペリとした倦怠感に満ちた凡庸作。
二度と秋のニューヨークに立ち入るな。紅葉と称してウニをまき散らすな。
いつも乳を半分放り出している女優、ジョアン・チェン。
紅葉をウニのように撮ることにかけては他の追随を許さない。中国では「ウニ撮り名人」の名を欲しいままにしているとか、いないとか…。