ドラマになる手前でエピソードが寸断されたポンコツ群像劇。
2009年。ルーカス・ムーディソン監督。ガエル・ガルシア・ベルナル、ミシェル・ウィリアムズ、ソフィー・ナワイデ。
人気ゲームサイトの創設者として成功を収めたレオは、救命医として働く妻エレンや7歳の娘とともに、ニューヨークの高級マンションで恵まれた生活を送っていた。しかし互いに多忙なレオとエレンはすれ違いの連続で、娘の世話もフィリピン人家政婦に任せっきり。そんなある日、レオは仕事でバンコクを訪れるが…。(映画.com より)
話のネタにもならないぐらい劣悪な映画を観たとき、おそらく多くの人は「最近、こんなヒドい映画を観たの!」とは友人に語らないだろうし、映画レビュアーにしてもそんな劣悪な映画はいちいちレビューしないと思う。
なにせ、話のネタにもならないぐらい劣悪な映画だからね。
だが、私は語っていく。
アクセス数の足しにもならないような映画だけど、個人的に若干ムカついているので、怒りを吐き出さないわけにはいかない…と、こうなるわけです。
というわけで本日は、確実に誰ひとり待ち焦がれていなかった『マンモス 世界最大のSNSを創った男』をぶった斬って候。
◆世界最大のSNSを創った男の話ではないという裏切り◆
『世界最大のSNSを創った男』という副題だから、てっきりジョブズやザッカーバーグみたいなIQがぐんぐんに高い電脳男を描いた作品かと思いきや、主人公がIT関係の仕事をしているというだけでSNSはまったく絡んでこない。なんやそれ。
さらに言えば『マンモス』という題も、主人公がマンモスの象牙を使った万年筆をビジネスパートナーからプレゼントされるというシーンがあるだけで、特に何の意味もなければメタファーでもない。なんやそれ。
パッケージ詐欺も甚だしいわ。もちろん映画には何の罪もないが、とりあえず日本の配給会社の連中を叩き殺さねばならない。
本作はガエル・ガルシア・ベルナルとミシェル・ウィリアムズが夫婦役を演じた作品なので、観る前からどうせロクなことにはならない暗澹たる内容だろうと誰もが予想する。
実際ファーストシーンでは、高級マンションの自宅で幼い娘ソフィー・ナワイデとふざけ合う一家の幸せな光景が執拗なまでに描かれるのだ。観客に向かって「幸せなのは今だけだから、しっかり噛みしめておけ」とでも言うかのように。
ゲームサイトのファウンダーであるベルナル父ちゃんは、「出張だ。契約だ。てんてこ舞いだ!」と言って家族を残してバンコクに飛ぶ。
ミシェル母ちゃんは救急病棟の外科医。昼夜逆転の生活なので、娘・ソフィーちゃんの世話はフィリピン人の家政婦 マリフ・ネセシトに任せっきりである。
そして家政婦マリフは、国に幼い息子たちを残してアメリカまで出稼ぎにきている女で、毎晩のように国際電話で「僕が働くから帰ってきてよ、母ちゃん!」と長男に帰国をせがまれている。
『マンモス 世界最大のSNSを創った男』は、この三者による群像劇である。世界最大のSNSを創った男の栄枯盛衰を描いた『ソーシャル・ネットワーク』(10年)のような話ではない。どちらかといえば『クラッシュ』(04年)や『バベル』(06年)の性格に近いだろう。
なにか良からぬことが起きそうな、不吉な予兆を湛えた群像劇なのだ。
メキシコで最もハッピーエンディングから遠い俳優、ガエル・ガルシア・ベルナル(画像左)。
アメリカで最もハッピーエンディングから遠い俳優、ミシェル・ウィリアムズ(画像右)。
◆マリフの炒め物は出来上がっとんねん◆
ドラマ性に乏しいのでひどく退屈する。
物語やドラマなんて二の次三の次に置く私でさえ退屈したのだから、普段ストーリーで映画を観ている人には耐えがたい苦痛がもたらされるだろう。
何か起きそうで何も起きないのだから。
ベルナル父ちゃんはビジネスパートナーに商談の一切を委ねており、実質的には最後に契約書にサインするためだけにバンコクに来たようなものだから暇で暇でしょうがなく、あの鬱々としたベルナル顔でバンコクの地を死人のように彷徨っているだけ。なんやそれ。
一方のミシェル母ちゃんは、ソフィーちゃんと家政婦の仲のよさに嫉妬を覚えつつ、急患の少年の処置に追われ、次第にその少年を我が子のように思い始める…という謎のベクトルに母性迷走。なんやそれ。
天文学に興味を持ち、何かにつけて「ビッグバンは最高」と連呼していたソフィーちゃんは、家政婦マリフと親しくなるうちにマリフの祖国・フィリピンの文化に興味を示しはじめる。ミシェル母ちゃんに呼び出しを喰らったマリフは「娘は宇宙飛行士になりたがっていて天文学ルートを歩んでいるからフィリピンルートに誘導しないで」とやんわり怒られる。なんやそれ。
だからどうということもない各々の営為がモッタラモッタラ描かれているだけザッツオールである。個々のエピソードが未完成というか、ドラマとして実を結ぶ手前でエピソードが寸断されているのだ。
作り手も、これじゃあいけないと思ったのか、「ベルナル父ちゃんがバンコクの美女とワンナイトラブをキメる」というのと「マリフの息子がフィリピンで怪我する」という起爆剤を盛り込むものの、結局ハジけることなくパッとしない映画に。
そりゃそうだろう。「浮気」と「怪我」をぶち込むぐらいでどうにかなるなんて群像劇をナメすぎだ!
この映画に足りないのは根気よくエピソードを煮詰めるという作業だ。
私はダメな群像劇を観るたびに「群像劇を撮るならロバート・アルトマンぐらい予習してきてくれ…」と思ってしまう。
この世にはロバート・アルトマンも勉強しないで群像劇に手を出す監督が多すぎる。最低限、『ナッシュビル』(75年)と『ショート・カッツ』(94年)ぐらいは研究しましょうよ。
「『ナッシュビル』、観てないんだわぁ」 という顔をするベルナル父ちゃん。
たとえば、バンコク美女と寝た翌日にしらこい顔で帰国したベルナル父ちゃんは、「やっぱり家族が一番だぁ!」なんつってミシェルとソフィーを抱きしめて映画は幕引きとなるが、そこには浮気をしたことの背徳感や、妻に真実を告白するかしまいか…という葛藤があって然るべきだ(バンコクでさまざまな誘惑を振り払ってきた誠実な夫なら尚のこと)。
また、ミシェル母ちゃんが危篤少年を我が子のように思う以上は、そのぶん娘への愛情が消えていくという演出をするのが定石ではないのか。
一番の問題はマリフ周辺のエピソード。ベルナル父ちゃん、ミシェル母ちゃん、家政婦マリフを主軸とした三者の群像劇なのに、後半で急にマリフの息子がしゃしゃり出てきて怪我に至るまでのくだらないエピソードが紡がれていくという…。
これ、映画終盤になって新キャラ出てきたのと原理は同じよ?
たとえば、炒め物が完成する直前になって新しい具材をフライパンに放り込むがごとき禁断の身振り!
「今さらこんなもん入れるなよ!」と。
すでに完成しとんねん、マリフの炒め物は。
◆愚劣なカメラは使わないでほしい◆
さらに言うなら、愚劣なレンズを使っているのか、愚劣な撮り方をしているのか…、映像の色幅が単調で陰影のコントラストもまったく出ていない。
低予算映画を観ていると度々こういうものに出くわすが、とにかく私は「安い映像」がたまらなくイヤなのです。
一昔前の業務用ビデオカメラのような解像度で、色の深みや彩度にも無頓着な、ただ撮れればいいという娼婦みたいなカメラ!
きっと皆さんも経験があるはずだ。映画を観ていて「テレビドラマみたいな映像だなぁ…」と感じた瞬間が。
しかも本作に関してはテレビドラマ以下の画質で、もう…どうにもナランチャ。
安い映像というのは、音楽でいうなら音が悪いのと同じだ。いかにすぐれたミュージシャンが胸を打つ演奏をしようが音が悪ければぜんぶ台無し。
映画撮影は「どういう風にカメラを使うか?」ではなく「どのカメラやレンズを選ぶか?」からすでに始まっている。
映画を撮る以上、最低限の映像水準ぐらいはクリアしてください。お願いよー。
というわけで、華麗なる駄作。
親愛なる皆様におかれましては、わざわざ『マンモス 世界最大のSNSを創った男』を観る必要も道理も理由もありません。
誰も観んな!