1973年。アントニオ・イサシ監督。オリヴィア・ハッセー、クリストファー・ミッチャム、カール・マルデン。
次々と発生するマフィア暗殺事件。それは父の復讐を誓うレイの仕業だった。次の標的はボスのアルフレディだったが、人質にとった娘のタニアにレイは恋をしてしまう。(Amazonより)
『夏に観たい映画十選』と題して冬の映画をおすすめするという嫌がらせ記事を書こうとしたけど、アホらしくなってやめました。
だいたい私は季節とか記念日に踊らされるのが好きじゃないのだ。夏祭りもバレンタインデーもクリスマスも正月も、私に言わせればない。
そんなものはない!
そもそも季節とか日付とか、もっと言えば「時間」という概念自体、人間が便宜上作り上げた基準に過ぎないので、そんなものに騒いだり金を使う行為はナンセンス。宇宙規模で考えればナンセンスなのだっ。
だから小学生の時分、夏休み明けに「どこか行った!?」と訊かれて「家で麦茶を飲んでました。漫然たる日常の繰り返しだよ」と答えたらば「せっかくの夏休みなのにどこも行ってないの!? 可哀想な子!」みたいな憐れみアイで見られたので、「え、夏休みってどこかに行かなきゃいけないの? わざわざクソ暑い中に外出することが美徳とされるの? むしろ涼しい部屋で好きなことを満喫する方がよっぽど費用対効果が高くて理に適ってると思うけど」と反論したくなったけど、残暑厳しい9月、こんなことでいちいち熱くなりたくなかったので、涼しい顔して「ンーフ~ン?」つってました。嫌な子供だな。
何が言いたいかというと、本日取り上げるのは『サマータイム・キラー』という映画だけど、べつに夏だからといって「サマー」と名のつく映画を取り上げているわけではないんだぜということです。
たぶん誰もそんなこと思ってないのに。これぞ自意識過剰の極北。
◆8世ちゃうんかい◆
オリヴィア・ハッセーのことをオリヴィア8世と勘違いしていたのは私だけではあるまい。
昔、うちの母親がオリヴィア・ハッセーの名前を時おり口にしていて、8世?と思った私が「1世から7世までどこ行ってん」と言ったら「ええツッコミや」と私の返しを評価した(大阪人なのでね)。
俺が言ったのはツッコミじゃなくて「疑問」だよ!
実際、字で見ないと勘違いするよね。当時、映画雑誌の『スクリーン』を読んで初めて「8世ちゃうんかい!」と気づいた人も多いはず。
70年代に人気を博したオリヴィア・ハッセー。何かの8世ではない。
さて。いい年こいた読者の皆さまにとっては懐かしのアイドルでしょう。
『ロミオとジュリエット』(68年)のヒロインにして、布施明の元嫁としてもお馴染みのオリヴィア・ハッセー。
そんなオリヴィアが人気絶頂期に出演したのが『サマータイム・キラー』という謎のカルト映画なので、本日はこれをぶった斬っていきましょうね。
◆ミッチャム感◆
オリヴィアのお相手役はクリストファー・ミッチャムという、ブリティッシュバンドでベーシストしてますみたいな顔の青年で、なんというか「ミッチャム!」って感じがよく出ています。髪の毛をくしゃくしゃしながら「ミッチャムやの~、おまえは!」と可愛がりたい。
ちなみに私が彼を見たのは今回が初めてだったが、「これ絶対ロバート・ミッチャムの息子だろ」ということぐらいは一発で分かった。隠そうとしてもムダだ。だって明らかにミッチャム顔なんだもの。
ロバート・ミッチャムのミッチャムを受け継がないとこんなミッチャム感は出ないよ!
ロバート・ミッチャムのミッチャムを受け継いだご子息クリストファー・ミッチャムさん。
そんなミッチャムが「ミッチャムー」と言いながらバイクをブンブンかっ飛ばし、怖いマフィアをバンバン暗殺していく開幕30分。
たとえ狙撃に失敗して敵に追われまくっても「やべぇやべぇ」と小走りでバイクを停めた所まで駆けていって死ぬ気で逃げる!
なんと勇ましい奴なんだ。険しい山道をガックンガックンなりながらバイクで逃げまくるミッチャムのめちゃくそな逃亡劇に思わず笑う。必死のパッチすぎて。
こんな言い方をするべきではないけれど、「おるあああああ!」つってゴキジェットをかけまくってるときのGのような なりふり構わぬ逃げ方というか…。
その後、ボスの娘であるオリヴィアを誘拐したミッチャムは、湖上に浮かぶボートハウスに彼女を監禁してボスをおびき寄せるというだいぶ卑怯な戦法に出るが、いつまで経ってもボスとの人質交渉が進まず、うだうだしてる間にオリヴィアとデキちゃう。
監禁場所だったボートハウスはいつしか愛の巣になっていました…ってか?
ふざけやがって。
まったく、ふざけてやがる。
◆コピーギャグとイカれまくった回想◆
もう我慢の限界だ!
ファーストシーンからずっと思ってたけど…なんなんだよ、このさくひん。
もうムチャクチャなのだ。ミッチャムの父親がマフィアに殺されるファーストシーンで、プールに沈められた父親が水面から顔を上げたり何度も殴られるシーンで、特定のショットを使い回しするというかなり奇妙な編集をしている。つまり「3発殴られたショット」ではなく「1発殴られたショット」を3回繰り返すという。
二次元に置き換えるなら漫☆画太郎のコピーギャグだよ。
とはいえ、同じシーンを繰り返すという編集技法はたしかに存在する。ジャッキー・チェン映画における見せ場のスタントとかね。でもあれは別のアングルから撮ったショットを使ってますから。
まぁ、B級映画の中には本作と同じように「完全に同一のショットを何度も使い回す」という映画も存在するけど、そこには「ショック」だったり「サイケデリック」だったり、何かしらの映像効果が意図されているわけで。予算がないからこそ編集を工夫するという経済的演出だ。
だが本作の場合は何の演出にもなっていない。「わざわざ同じ演技を3回してもらうより、1回してもらったやつを3回繰り返した方が楽じゃね?」みたいなやる気のなさが露骨に感じられるのだ。
実際、父を失ったミッチャム少年が母と二人で孤独な日々を送った幼少期はストップモーションの写真素材で語られるだけ。
それに、マフィアのボスとオリヴィアの親子愛を表現するのも「ニコニコしながら野原を駆け回るオリヴィアと、ニコニコしながら娘にカメラを回すボス」というイカれまくった回想シーンで語っているのみ。
ホームビデオの中のオリヴィアは、どう見ても現在のオリヴィアと同じぐらいの歳だ(21歳)。
野原で大はしゃぎするマフィアのボスとその娘。
『映画遁世日記』さんから無断でパクってきました。
いや、ちょっと待ってよ。
21歳の娘がマフィアやってる父親と野原に出掛けてカメラの前で「キャハハ! 撮らないでよ、パパ~!」なんてやるかね?
やらねえわ。
やるにしても相手はボーイフレンドだわ。
どこの世界に20歳過ぎて父親(しかもマフィアのトップだぞ)と野原デートをする女がいるんだよ。もしいたとして、確実に婚期遅れるだろ!
パパもパパで、20歳過ぎた娘のホームビデオなんか今さら撮るな! あんたマフィアでしょうが。休日に娘と野原に行って「オリヴィア、かわええの~」なんつってカメラを向けてる場合か。壊滅するぞ、そんな組織。
◆ハッセー出てこねぇ◆
そもそも映画の構造的にも、フィルムノワールとメロドラマという決して相容れない主題をぶつけ合っているわけで、上手くまとまるわけがありません。
本来はとても単純な話なのにノワールの下手な真似をして「語るべきことを語らない」から人物相関図や主人公のバックボーンが説明不足になっているし、ストーリーテリングも弛緩と停滞の極致。
オリヴィア・ハッセーのアイドル映画としても、30分経ってようやく登場するという勿体のつけ方で。こういうの意地が悪くてキライ!
コンサートで言うならSEが30分続くのと同じだよ。
こっちとしては「いつ出てくるのかな? いつオリヴィア・ハッセーが出てくるのかな!?」って期待に胸を膨らませながらSEに合わせてバンバン手拍子を続けてるのに、10分経っても20分経っても出てきやしねぇ。
手ぇ、真っ赤っかやわ。
ドリンクチケットで貰ったビールもほとんど空だわ。
そんなわけで、編集むちゃむちゃ、オリヴィア出てこねえ、ミッチャムは山道でガックンガックン…な映画が『サマータイム・キラー』というわけだ。
ちなみに絵師レビュアーという特異な生態を持つseicolinさんが、だいぶ素敵なイラストをお描きなさっている。
『ミーハーdeCINEMA』から無断でパクってきました。