シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

チャイナ・ムーン

主人公が魔性の女に誘惑されて夫殺しに加担してしまう系の佳作。

f:id:hukadume7272:20180824232727j:plain

1994年。ジョン・ベイリー監督。エド・ハリスマデリーン・ストウベニチオ・デル・トロチャールズ・ダンス

 

殺人課の刑事カイルは、バーで知り合った美しい人妻レイチェルと激しい恋に落ちる。レイチェルは以前から夫の浮気と暴力に悩まされており、ある日ついに夫を射殺してしまう。レイチェルを愛するあまり殺人事件の偽装工作に加担するカイルだったが、同僚の捜査によって次第に追いつめられていく…。(映画.comより)

 

おはようございます。

YouTubeで90年代J-POPのPVを延々見ながらお酒を飲んでたら、最終的に涙が出てきました。「最終的にこうなるの?」って思うぐらい涙が出てましたねぇ。ええ。

やっぱり、懐かしいものを見るとジーンとしてしまうよね。あの頃の自分を思い返したり、当時の匂いや空気を思い出したりして。

話は変わるけど、昨日久しぶりにトマト煮込みを作ったら水分過多で水臭くなってしまって、めちゃめちゃブルーになりました。親の仇みたいにトマトケチャップを足して騙し騙し食べてはみたけれど、もうなんかドロドロだし、ケミカルな味ばっかりするし…。そうだ、逆ギレしようと思って逆ギレしましたよ、トマト煮込みに。

「ちょっと水の量を間違えたぐらいでこんな事になるな!」

トマト煮込みの方から返事は返ってきません。さては私に恐れおののいて言葉も出ないのかな。

というわけで、今宵の月はどんなムーン?

『チャイナ・ムーン』!

f:id:hukadume7272:20180824232716j:plain


◆正統派の力こぶ見せろ!

先日クソミソに貶した『愛という名の疑惑』(92年)が目指すべきはこの映画だった。

どちらも主人公が魔性の女に誘惑されて夫殺しに加担してしまう…というファム・ファタールものだが、『愛という名の疑惑』には無くてこの映画にあるのはサスペンスだ。

『愛という名の疑惑』は「ヒッチコックそのもの」を「模倣」していたが、本作は「ヒッチコックが提唱した演出」を「踏襲」しているので、映画としての正統性がみとめられます。

 

そして映画とは、結局のところ正統派こそが至上なのである。

 

私はデヴィッド・リンチのような芸術的な映画も好きだし、デ・パルマのような模倣的な映画も、ジョン・カサヴェテスのような前衛的な映画も好きだ。

だが、映画とはどこまでいっても理論の産物なので、どれだけ既成概念をぶっ壊そうとしても正統派には敵わないのだ。

「俺らの漫才は邪道だからいずれは底が割れる。しょせん王道には敵わない」と言った島田紳助のように!

斬新で挑発的な映画を撮る監督は多いが、往々にしてそういうのは自己流の感性一発勝負なので、いずれはボロが出るし飽きられたら終わり。

生き残るのは基礎ができていてルーツを持っている監督だ。そういう奴らの映画には時代の趨勢に耐えうる普遍性が宿るのだ。力こぶモッコリってことだ。

要するに「センスだけいい奴」よりも「真面目に勉強した奴」が作った映画の方が遥かにおもしろくて質も高い、ということだ。

だから、映画好きなのにクラシックを毛嫌いする人は若干どうしようもないし、エヴァの告白』(13年)ジェームズ・グレイがいつまで経っても有名にならない映画シーンは動脈硬化を起こしているのである。

映画解説者の淀川長治さんは、終生「いい映画をたくさん観なさい」と鬼のように連呼していた。その言葉の意味が今ならよくわかる。


怖い怖い映画ですね

自分でもびっくりするぐらい話が脱線してしまった。これじゃあ映画評じゃなくて映画論だ。

オーケー、「脱線しすぎて読者に飽きられる。10000円払って振り出しに戻る」のマスを踏んじまったのでスタート地点までワープする。金を払うのは癪だがな。

 

はいっ。というわけで本日は『チャイナ・ムーン』ですね。

どんなムーン?

チャイナ・ムーン!

ありがとうございます。

f:id:hukadume7272:20180824232836j:plain

 

これは怖い怖い映画ですよ。エド・ハリス演じるベテラン刑事が人妻のマデリーン・ストウに夢中になっちゃうんですね。二人はアッちゅう間に結ばれた。けれどもマデリーンの夫は暴力を振るって彼女を束縛する嫌な夫なんですね。嫌な夫だ。嫌な夫だ。嫌になったマデリーンは夫を拳銃でドドーン! ついに撃ち殺してしまったんですねぇ。

さぁ、えらいことになった。えらいことになった。

殺人現場を目撃したエドハリ刑事は、仲間を呼ぼうとして通報しようとするのね。だけど電話に手を伸ばすエドハリ刑事に、マデリーンはこう言ったんですねえ。

「やめて、私を愛してるなら通報しないで!」

言われたエドハリ刑事、思わず受話器を置いてしまったの。死体を車のトランクに乗せて、大雨の夜道をブォーっと走って湖に死体を捨ててしまいました。マデリーンと抱き合った思い出の湖なんですねぇ。思い出の湖に死体を投げ捨てるあたり、いかにも怖いですね。愛は怖いですねぇ。愛は人は狂わせますねぇ。

マデリーンの夫殺しに協力して偽装工作してしまったエドハリ刑事は、だんだんだんだん追いつめられていきます。事件の謎を解いていくのはベニチオ・デル・トロ演じる遥か年下の相棒なんですね。上手いですねぇ。ベテランのエドハリ刑事が後輩のデルトロ刑事に疑われていくあたり、とても洒落た洒落た映画です。じっくりご覧なさいよ。それではまた後でお会いしましょうね。

 

ハイ、いかがでしたか?

この辺で日曜洋画劇場』における淀川長治さんのモノマネはやめます(思ったより出来なかった)

ここからは私の文体に戻してレビューを再開したいと思う。

f:id:hukadume7272:20180825060448p:plain

「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」でお馴染みの淀川さん。同じ言葉を執拗に繰り返す話術には定評がある。


◆隠すプロと暴くプロのかくれんぼ◆

主人公が魔性の女に誘惑されて夫殺しに加担してしまう系の映画といえば、しつこいぐらい何度もリメイクされている郵便配達は二度ベルを鳴らす(39年、42年、46年、81年)をはじめ、『深夜の告白』(44年)白いドレスの女(81年)、そして『愛という名の疑惑』など数多く存在するが、わけても本作ならではの優位性は「エドハリ刑事の偽装工作が露呈するまでをロジカルに描いている」という点にある。

主人公は刑事ゆえに「殺人がバレない方法」も熟知していて完璧に証拠を隠滅するが、その事件を捜査するのが主人公の捜査方法を熟知している部下なので、師弟関係の頭脳勝負になってゆくのだ。

隠すプロと暴くプロのかくれんぼ。恐ろしいですね。これぞ一級のスリルですね。

また口調が淀川さんになってきた。

f:id:hukadume7272:20180824232824j:plain

恐ろしいですね。

 

展開性も豊かで、かなりツイストの利いた一発逆転もあるんだけど、よくありがちな「どんでん返しの為のどんでん返し」ではなくて、そこにちゃんとロジックが一貫しているあたりも、淀川さんの言葉を借りれば「とても洒落た洒落た映画です」

また、カット割りがやけにリズミカルなので筋運びが明瞭。それでいてヒッチコック的演出をカチッと決めてくれるので、「ありがちな題材をおもしろく見せる」という創意工夫にも満ちている。


◆名優たちの誤用◆

ちょっと気になったのはキャスティング。

「刑事が犯罪に加担しちゃって同僚に疑われる」という筋なのに、その焦燥感がまったく出ていないのはなぜ?

原因はハッキリしている。エド・ハリスの感情表現の狭さである。

はっきり言ってエド・ハリスはこの手の映画で主演には向かない。彼の出演作の大部分を占める「黒幕」とか「右翼(本人自身は左翼だが)」といった一元的な役こそ得意とする俳優で、本作のように「良い人間だけど判断を誤って後悔する人」とか「善悪の狭間で揺れる複雑なキャラクター」とか…無理だから!

f:id:hukadume7272:20180824232610j:plain

カタギとは思えないエド・ハリス

 

次いで、ファム・ファタールを演じたマデリーン・ストウ

90年代アメリカ映画を観て育った世代としては、そりゃあ好きですよ。『不法侵入』(92年)とか『バッド・ガールズ』(94年)とか。今やすっかり忘れ去られた女優だけど、俺は覚えてるよ。アイ・リメンバー・ストウだよ。

だが、死ぬほど美人ではあっても死ぬほど色気がない。

美人が一人いれば済むような冒険活劇やホラー映画ならそれでいいけど、女を巡って男たちが破滅していくような映画においては蛇のような色気がないとファム・ファタールは務まらない。たぶんこの人は清純すぎるのだろう。この役を引き受けるからにはドロドロの離婚劇ぐらいは経験しないと。

f:id:hukadume7272:20180824232558j:plain

90年代にフワッと活躍したマデリーン・ストウ

 

この頃のベニチオ・デル・トロはまだ何者でもなく、デル・トロをデル・トロたらしめる泥臭さも出ていないのでどうも退屈だ。妙に小奇麗なデル・トロなど金の額に飾ったグラフィティアートのようなものだ。

また、驚くべき二面性を持ったキャラクターであることが明かされていくが、『真実の行方』(96年)エドワード・ノートンとの力量の差は明らかだろう。デル・トロは芝居ができないと言っているのではなく、デル・トロの運用を間違えているのだ。

この映画のキャスティング・ディレクターはよほどのマヌケか大きな権力に阿諛追従したマヌケとしか考えられません!

f:id:hukadume7272:20180825061051j:plain

プエルトリコが生んだゾンビ版ブラピ、ベニチオ・デル・トロ

 

ただ、ジョン・ベイリーが監督と知ってちょっと驚きました。

『普通の人々』(80年)『恋はデジャ・ブ』(93年)『恋愛小説家』(97年)など大小さまざまなハリウッド映画を手掛けてきたカメラマンだが、本作はそんなジョン坊がメガホンを取った最初で最後の監督作なのである。

本職カメラマンなのにショットよりもプロットに力を入れる…というよくわからないことをしているが、凡百の90年代サスペンスに比べれば遥かに出来はいい。

エド・ハリスが湖に飛び込んでハゲが露呈するシーンがあるけど、エド・ハリス好きにはおすすめです!