シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ポスターで選ぶ映画特集

以前、当ブログの読者を公言して憚らないkurukurucureさんから「映画の内容を度外視したジャケットの面白い映画特集をしてご覧なさい」というリクエストを頂いていたので、これにお応えします。

 私は映画も本も音楽も、まずは外見(そとみ)のデザインを重視する。もちろんデザインが悪いからといって作品そのものの評価が低くなるわけではないけれど、ポスターというのはその映画の顔であり入り口である。実際、ポスターがダサいといまいち観る気が起きないものね。

そんなわけで本日は「ポスターデザインに惹かれた映画」をただただ無機的に列挙する回と相成ります。

でもどうなんでしょうね、この企画。ただただ無機的に映画ポスターを載せて感想をつけ加えるだけとか…、面白くなる気がしません。

まぁ私は美術評論家ではないのでポスターと関係ない話もするかもしれないけど。

ただ、それだけだと本当に無機的な記事になってしまうので、後半では映画ポスターにまつわるコラムを書きたいと思うなぁ。そんな風に思っているなぁ。

それでは、紅茶でも飲みながら美術鑑賞でもするつもりでゆったりと見ていってくださいね。

 

◆ポスターで選ぶ映画特集◆

 

わらの犬(72年)

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ダスティン・ホフマンのクローズアップをモノクロで使ったポスターデザイン。メガネぶっ壊れてるあたりが印象的なポスターですね。

この映画、乱暴な要約をすると「妻をレイプされた気弱な青年が暴力に目覚める」という内容で、このポスターデザインには非暴力主義のインテリ青年が実力行使を決意した瞬間が刻まれている。よって最高のポスターデザインといえます。すぐれたポスターデザインはその映画の本質を穿つんす。

ちなみにこのポスターをオマージュしたのが園子温冷たい熱帯魚(10年)

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『欲望』(67年)

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 ミケランジェロ・アントニオーニの一番有名な作品ですね。

「なんだこれ、めちゃめちゃ格好いい!」と思って、美大時代にはこのポスターを模写したこともあるのだけど、それを見た教授が「エロティックだなぁ…」と言ってモジモジし出したので、「これ、エロと取るの? 美大の教授なのに美的感性ニブすぎない?」と思って金輪際その教授とは関わらないようにしました。失望したっ。

ちなみにスガシカオ「19才」という曲(「僕19才」が「墨汁臭い」と聴こえることでお馴染みの名曲です)のミュージックビデオはほぼ確実にこの映画から着想を得たものと思われます。

 

ダイヤルMを廻せ!(54年)

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ヒッチコック中期の作品す。

妻殺しを企む男が、出先から自宅に電話をかけて妻が受話器を取るのを合図に、あらかじめ自宅に忍び込ませた殺し屋に妻を殺害させる…という、電話殺人を絡めたプロットだ。

妻が襲われたシーンをまんまポスターに使うという、一見するとネタバレにも近いデザインなのだが、あえてそこに踏み切るという豪胆ぶりを評価したい。なぜならこのあと予期せぬ出来事が起きて妻殺しの計画が破綻してしまい、事態は思わぬ方向に転がっていくからだ。ポスターそれ自体がミスリードの装置になっている…というヒネリの利いたデザインに脱帽および失神。

 

『反撥』(65年)

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ロマン・ポランスキーの初期作にして私的最高傑作。

強迫性障害カトリーヌ・ドヌーヴが一人で勝手に追い詰められていくというデヴィッド・リンチのような作品で、美とパラノイアを融合した見事なポスターデザインだと思います。

ていうか『反撥』のドヌーヴは普段のドヌーヴに輪をかけて美しいと思います。さすが反撥ドヌーヴ。普段の自分にすらも反撥してそこを乗り越えようとする飽くなき美の探究者であるよなぁ。

僕の言ってることがわかりますか。

 

去年マリエンバートで(61年)

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アラン・レネが手掛けた実験映画のエバーグリーンにして、私の生涯ベスト映画20のどこかには入っている作品でございます。

もちろんポスターも大好きで、かつてはホームページのトップ携帯電話の待ち受けにするなど、私ほどこの映画のポスターを使い倒した人間も珍しいと自負しております。

幾何学の美しさ」と「ココ・シャネルの衣装」という本作の売りを見事に押さえ、何より「難解映画が醸し出すヤバい雰囲気」に満ちた至高のポスターデザイン! 

 

『第七の封印』(57年)

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スウェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマンの殺人的傑作。

中世北欧を舞台に、十字軍の遠征を終えた騎士たちが丸坊主の死神に魂をぎゅんぎゅん吸い取られるという恐ろしい中身である。

死神のイメージを世に定着させたほか、『(500)日のサマー』(09年)ではパロディにされ、モジモジくんロールモデルにもなるなど、その影響力は計り知れない。

また、死神とのチェスに負けると魂を吸われるという設定は遊戯王ジョジョの奇妙な冒険にも通じるんじゃない!?(通じなかったら、それはごめんなさい)

そしてこのポスター。見所はやはりバックの雲でしょう。神秘かつ幽玄。名監督の条件は雲が撮れることです。

 

天井桟敷の人々』(45年)

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ポスターの話、飽きてきた。

企画の限界見えてきたわー。

まぁまぁ、気を取り直してやりましょう。

天井桟敷の人々』って言やぁ、そりゃあオメェ、言わずと知れたフランス映画の金字塔だけンどもよ、私は正規のポスターではなくパイオニアLDCから出ているこのDVDジャケットで本作のことを知ったんだよな。

初めてこのジャケットを見たとき、いつの映画なのかさっぱり見当がつかなかったし、アニメ映画なのか実写映画なのかさえ分からなかった。

それほど洗練されたデザインだ。若干今敏感が入っていると思うのは私だけでしょうか。

ちなみに映画の内容は、19世紀初頭のパリを舞台にパントマイム芸人の悲喜劇を描いた190分の超大作。こないだ久しぶりに観返そうと思ったら開幕15分で居眠りしてしまいました。

 

ソナチネ(93年)

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最高傑作と名高い北野武の長編4作目は、やはりそのポスターも最高でした。

青い魚が赤い空をバックに銛で射抜かれたデザインの鮮烈さ。もちろん魚を突いて「とったどー!」などという内容ではなく、やくざの抗争を描いた美しいまでの暴力映画である。

にも関わらず、一見して何の関係もなさそうな「魚」を持ってくるあたり。こういうメタファーを用いたヨーロッパ的な感性に貫かれているのが北野武という天才で、ソナチネゴダールフェリーニからの影響が最も色濃く反映された作品となってございます。

語感的にもソナチネコマネチってちょっと似てるしね(「だからなに?」とか言うな)

 

ニーチェの馬(11年)

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ハンガリーが生んだ不思議な男 タル・ベーラの爆裂引退作として知られるニーチェの馬、そのポスターには只事ではない気迫と覚悟が感じられます。

優れたポスターとは絶品のショットをそのまま使ったポスターのことを言うのかもしれない。

さて内容は、154分もかけて陰気な親子がジャガイモを掘ったり茹でたり食ったりするジャガイモ的日常が6日間に渡って延々繰り返されるというもの。反復モノクロほぼ台詞なしなので、ハリウッド病の罹患者は開幕10分で居眠りすること請け合いだ。

聖書には神が6日間でこのクソみたいな世界を創ったと記されているが、ニーチェの馬はそれに逆行したニヒリスティックな作品だ。日を追うごとに少しずつ生活が苦しくなり、最後は二人が「飽きた…」とばかりにジャガイモを食べる手を止めて辺りに沈黙が漂う。エンド。

たまらなく好きな映画だし、このポスターだってめちゃめちゃ格好いい。さすがタル・ベーラ。あとは宮崎駿スティーブン・ソダーバーグみたいに引退発言を取り消してノコノコと帰ってこないことを願うばかりだ。

 

『めし』(51年)

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日本映画四天王の一人、ミキティこと成瀬巳喜男の代表作。

原節子上原謙加山雄三のパパですね)がメシ食ってるスチール写真だからといってメシばっかり食ってる映画なのかと言えば断じてノー。

だが、戦後日本の中流家庭を蝕む断絶と倦怠を描いた本作において、このポスターデザインはまさに正鵠を射る!って感じでベリーグッドなのだ。家族の正体は食卓にあり! 縦の構図も緊張感があって良い。 

 

ていうか、しつこいようだけど今一度おのれに問うてみるね。

ポスターと絡めて映画を語るっていうこの特集…、NANI?

最初はイケるかなと思ったけど、もうあっぷあっぷだよ。語り方がわかんねえっていうか、視座みたいなものが定まんねえ。

今ごろkurukurucureくん、ぶち切れてるのかな。

申し訳ないな。私の頭がkurukuruだよ。

 

アメリ(01年)

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よっしゃあー、気を取り直していくでー(何回目だろうな、気を取り直すの)

アメリを愛する20代女子大生とか30代OLなんかは軒並み目が腐っているので「ポップでオシャレ~」と言うが、逆だよ逆、アメリ』はキッチュでグロテスクなんだよ。

世の中、うんざりするぐらい逆ばっかりだわ!

ジャン=ピエール・ジュネデリカテッセン(91年)ロスト・チルドレン(95年)などで暗く湿った頽廃的な映像を確立した人ですからエイリアン4は言うに及ばず)

そして映画の舞台も「地下」や「牢屋」などジメジメとした息苦しい所ばかり。

そんなジュネが初めて地上…それも荒廃していないパリを舞台にパリジャンとパリジェンヌの日常を描いたのがアメリなんだけど、とにかく映像がローキー&湿り気を帯びていて、確かに色彩はカラフルなのだが、どこか奇妙な鬱気に覆われている。セクシュアルな描写もひどく生々しい。

このキッチュな頽廃とも呼ぶべき色彩設計を確立したことがひとつの発明であり、新世紀の夜明けなのです。アメリは90年代の映画的記憶を蹴り飛ばし、次代に先行した作品でした。それを雄弁に物語っているのがこのポスターだと思います!(よし。無理やりポスターにこじつけることに成功)

 

『サンドラの週末』(14年)

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ダルデンヌ兄弟マリオン・コティヤールを主演に迎えてお撮りなさった作品。

仕事を休職していたコティヤール演じるサンドラが、同僚たちの投票によって復職or解雇が決まるというので、週末に同僚たちの家を訪ねては「復職に一票入れて!」と説得してまわる…という週末説得映画の金字塔である。

自然体のコティヤールをおさめたショットをそのままポスターに使っているが、これを見て「ナチュラルだ」などと言ってはいけません。

なんてことのない日常をさり気なく描いたナチュラルな映画ほど監督の「作為性」によって知的に操作されているのです。

徹底されたワンシーン・ワンショットは「恣意的な足取り」を装うコティヤールを計画的にフォロー・パンしていく。直線的放浪性とも呼ぶべきダルデンヌ兄弟の作為性に満ちた、アンナチュラルな作品およびそのポスターである。

なんかもうただの映画寸評みたいになってきたけれども、オレはそんなこと気にしない。

 

『胸騒ぎの恋人』(10年)

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非常にショッキングなポスターです。

なんでしょうね、カフカ『変身』のような顔面切りぬき系のポスターデザインが強烈なインパクトを残すよね。

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カナダが生んだ二枚目ゲイ監督 グザヴィエ・ドランを初めて観たのがこれ。

インテリアデザイナーとかしてる野郎が休日の昼下がりにシュリンプをつまみにヱビスビールを飲みながら観てるような雰囲気オンリーのポップアート映画」といってボロクソに酷評したが、不思議な磁界に引き寄せられて残りの5作品を一気に鑑賞、しまいには掌を返してカナダ映画を背負いうる若き実験者!とかなんとか言ってグザヴィエ・ドランのファンになってしまいました、私。

『胸騒ぎの恋人』は、たぶん今観ても相変わらず怒るだろうけど、ポスターは素晴らしいですね。ちなみにポスターで使われている顔がグザヴィエ・ドラン本人です(俳優でもある)。

 

『ショート・ターム』(13年)

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ここ5年ほど、これを超えるポスターについぞ出会ったことがない。実にエモーショナルなポスターデザインといえます!

心に傷を持った子供たちをケアする保護施設で働く女性の物語で、ポスターに使われているのはたびたび奇声を上げて猛ダッシュする男の子ブリー・ラーソン演じるヒロインが全力疾走で追いかけるショットである。

わけもなく涙が出そうな、激しく感情が揺さぶられるショット。そのショットを選び抜いてそのままポスターに使ったのは、もう天性のセンスでしょうね。ポスターセンスがすげえ。

ちなみにブリー・ラーソンはこの映画で知名度を上げた「アメリカ映画のダークホース」だ。

 

以上で「ポスターデザインに惹かれた映画」を弾丸列挙するコーナーは惜しまれながらも終了です。

黙れ、「やっと終わった」とか言うな。

最後に「映画ポスターにまつわる3つのコラム」を楽しく書いたので、それをサッと読んだあとに各自解散してください。

 

◆「白のSF」と「黒のSF」◆

SF映画には「白のSF」「黒のSF」がある。

いや、無いかもしれないが俺はあると思っている。

「白のSF」は光量が多くて明るい空間を主舞台とした作品であるのに対し、「黒のSF」はノワールばりに影を落としてパキッとした画作りが特徴的だ。この二つの見分け方は至極簡単。だいたいポスターを見れば一目瞭然なのだ。

「白のSF」とは要するにこういう映画。

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 2001年宇宙の旅』(68年)惑星ソラリス』(72年)インターステラー』(14年)『メッセージ』(16年)

 

そして「黒のSF」はこれ。

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サイレント・ランニング』(72年)ダーク・スター』(74年)『トロン』(82年)ゼロ・グラビティ』(13年)

 

ちなみに「白のSF」と「黒のSF」をコンプリートした俳優が、オブリビオン(13年)オール・ユー・ニード・イズ・キル(14年)トム・クルーズだ!

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「で?」って言われたら、もうどうすることも出来ないので「で?」って言い返すしかないのだけど…。

 

どうもSF映画界には白黒戦争があるように思う。

いや、無いかもしれないが俺はあると思っている。

キューブリック2001年宇宙の旅タルコフスキー惑星ソラリスで「白のSF」が台頭したかと思えば、スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(77年)の世界的メガヒットによって瞬く間に「黒のSF」一色、もしくは「白にも黒にも属さないSF」が幅を利かせるようになった。ところが近年、インターステラー『メッセージ』などで「白のSF」が再び隆盛を極めるように…。

もちろん、「白のSF」と「黒のSF」の分水嶺宇宙空間を映す時間に依る。

SF映画の醍醐味は色彩を含めた「造形美」にあるので、色に注目してみるのも面白いと思うのです。

ちなみに私は「白のSF」の方が好きだけど、キミはどっち派?

 

◆クローネンバーグのポスターは大体素晴らしい◆

デヴィッド・クローネンバーグのポスターは大体素晴らしい、ということが言えると思います。

テレビ(メディア)に取り込まれた男の運命を哲学的に描いたヴィデオドローム(82年)と、「死ねっ」と念じただけで相手の頭を木っ端微塵にできる超能力者同士の対決を描いたスキャナーズ(81年)は、そのポスターデザインが妙にグロテスクで怖い。

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まるでヘビメタのアルバムジャケットだ。

 

また、近作コズモポリス(12年)は、巨万の富を手に入れた若き投資家がリムジンの中でひたすら哲学問答をする、上映時間の8割がリムジンの中という…紛うことなきリムジン映画で、若き投資家演じるロバート・パティンソンがリムジンの中で哲学しているさまがポスターに使われている。

一方、クローネンバーグの猛毒が注ぎ込まれたマップ・トゥ・ザ・スターズ(14年)は、映画業界を強烈に皮肉った内幕モノ群像劇だ。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの上で膝をついたミア・ワシコウスカがポスターに使われているのだけど、本編を観ればこのポスターがいかに皮肉めいているかが分かると思います。

単純にデザインとしてもシャープだし、ありそうでなかなか無い、洞察を喚起するポスターだ。

僕は妙にクローネンバーグ作品のポスターが好きなんですよ。ヒストリー・オブ・バイオレンス(05年)も、超カッコいいじゃないですか。

まぁ、それだけの話です。コラムにすらなってないな。

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◆日本映画のポスター事情◆

映画好きとしてはかなり好ましくない態度だとは思うけれど、ここ1~2年の日本映画は完全に黙殺しています。

もう疲れた。もちろん中には優れた映画もあるけど、その大部分(特にメジャー)はやってることがあまりに馬鹿馬鹿しすぎて取り合う気にもなれない。そして、その遠因にはポスターデザインがある。

日本映画のポスターは情報量が多すぎてガチャついとる問題ですね。

キャストの顔を全員出さないと気が済まないようで、「この人が主役ですよ! あとこの人も脇で出てますよ!」てな具合に、もう顔、顔、顔。

デザインとしての美しさが絶無で、端的に言ってさもしいです。

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『64 ロクヨンミックス。は未見だし、存外いい映画なのかもしれないけど、もうポスターだけでお腹いっぱい…。

 

ここ5年ぐらいの韓国映画のポスターデザインも雑多な印象を受けますね。パッケージとしての訴求力とデザインとしての美しさの欠きっぷりは日本映画とドッコイドッコイ。

加えて、とにかく情報過多なのでDVDジャケットを見ても目が滑るというか、その映画の概要が一発でキャッチしづらいものが増えてきたように思います。

そんな中、これは良いなーと思ったのはサッド・ムービー(05年)シークレット・サンシャイン(08年)でしょうか。特にサッド・ムービー登場人物泣きまくり群像劇なので、「だったら泣き顔をポスターにしてまえ!」って力任せに開き直っている感じが「やっぱり韓国映画の強味ってコレだよね」っていう。

シークレット・サンシャインの方はスチールとしてほとんど完璧だと思います。

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いずれにせよ中国以外のアジア映画…特に日本と韓国はポスター用にスチール写真を撮ってPC上でデジタル処理をする(脇役の顔を差し込んだり文字情報をベタベタ乗せる)…というやり方が一般的で、欧米のように劇中のショットをそのまま使うということをあまりしない…、というか出来ないのですね。なぜならポスター映えするようなショットがそもそも撮れないから。

小津黒澤が活躍していた日本映画黄金期には劇中ショットやスチール写真をそのままポスターにしていたけど、今の日本でこれをやっているのは岩井俊二、韓国ならキム・ギドクぐらいでしょう。

 

何はともあれ、私は明確で鮮烈なポスターに惹かれるのです。

ポスター、それは映画の入り口。

普段、われわれは何となしに映画を手に取っては「観よかな」などと鼻を垂らしながらその映画にアクセスするが、多分そうさせたのはポスターデザインの魔力だと思う。

なので日本映画のポスターを作って下さっている方々も、めったやたらに出演者の顔をペタペタ貼らないで、手に取らずにはいられない、美しくて格好いいポスターを作ってください! そこのみにて光輝くとか結構よかったんだからさぁ)

映画ポスターについて考える機会を与えてくれたkurukurucureさんにスペシャルサンクスって言います。

スペシャルサンクス!

 

はい。

つうこって、そろそろ体力の限界を迎えそうなのでこの辺で終わります。

なんだかボヤッとした特集になってしまったけど、最後まで読んでくれてどうもアリスね。