シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

リメンバー・ミー

 傑作すぎてテンション下がるわー。

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2017年。リー・アンクリッチ監督。アニメーション作品。

 

天才的なギターの才能を持つ少年ミゲルはミュージシャンを夢見ているが、過去の悲しい出来事が原因で、彼の一族には音楽禁止の掟が定められていた。ある日ミゲルは、憧れの伝説的ミュージシャン、デラクルスの霊廟に飾られていたギターを手にしたことをきっかけに、まるでテーマパークのように楽しく美しい「死者の国」へと迷いこんでしまう。ミゲルはそこで出会った陽気で孤独なガイコツのヘクターに協力してもらい、元の世界へ戻る方法を探るが…。(映画.comより)

 

 おらぁー、新作映画週間いくぞー!

だけど心は雨模様。その理由はすぐわかります。

 

そういえば昨日、UFOを見たんですよ。河原で煙草を吸いながらボードレール『パリの憂鬱』を読んでいて、「さすがボードレール。ええこと書きよるわ」などと思惟しつつ、ふと空を打ち眺めたら柿ピーみたいなものが浮いていたんです。

「へぇ」と思って、そのまま読書を続けていたら、柿ピーがものすごい光をピカピカ発して読書の邪魔をするんですよ。まるで僕にかまってほしいみたいに。

でも僕は読書を続けたかったので、頭にきて「光るの、やめろ」と念じたら、柿ピーはすぐに大人しくなりました。

僕の言うことだったら何でも聞くのかなと思って、試しに「爆発せえ」と念じてみたら、思いきり爆発しました。柿ピーの破片がこっちにバラバラ飛んできて、僕は左腕を裂傷しました。腹立つ。もうちょっと厳かに爆発できないのか。僕を巻き添えにするのはやめろ。

たぶん鴨川には今もUFOの破片が落ちてると思いますよ。嘘だと思うなら見に行ってみてください。

まぁ嘘なのだけど。

というわけで本日は『リメンバー・ミー』を気分だるだるでレビューします!

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◆映画評殺しとしての『リメンバー・ミー』

映画そのものは傑作だけど、この映画のレビューに傑作(よく書けた評)は存在しないと思う。少なくとも私が知る限りでは。

なぜなら『リメンバー・ミー』がほとんど隙のない穏当な傑作だからだ。そういう作品に対して、われわれレビュアーは個性を発揮して独自の切り口から自由に映画を語ることが封じられてしまうのだ。誰もが「すごい」と感じたポイントを誰もが思いつくような論調で「すごい」と結論するのが関の山。悪く言えばすこぶる語り甲斐のない映画だ。

鑑賞後にライムスター・宇多丸がラジオで本作を評論している回を聴いたが、やはり穏当なことを穏当に語った穏当な評だった。今回だけはこの映画話芸の達人をもってしても相当な苦戦を強いられたようです。なんということでしょう。

 

『リメンバー・ミー』は映画評殺しだ。

宇多丸のように作品の美点と欠点をロジカルに抽出するタイプの理論派の評論も、私のような申し訳程度の個性とはしたないオフザケを売りにして豪腕一辺倒で語りきるタイプの邪道評論も、まとめて黄泉送りにしてしまう。寒気がしてきた。

この映画は、家族との軋轢に苦しむ少年ミゲルが「死後の世界」で先祖との交流を通じて現世での家族と和解する…という祖先崇拝を描いたハートウォームな作品だが、死後の世界に蹴り飛ばされたミゲルはこの映画のレビュアーそのものでもある。

映画評殺しとしての『リメンバー・ミー』に黄泉送りされた死者。ガイコツとなったわれわれレビュアーは死後の世界で死んだ評論を書くが、そんなものは3日ともたずに読者に忘れ去られてしまう。

まさにリメンバー・ミー。

 

というわけで、非常に語るのが難しい作品である。あー、イヤになるなぁ。ブルーな気持ちがするなぁ。

まったく。こんなものを作りやがって、ピクサーこの野郎。

語りようがないほど素晴らしい映画を作るんじゃねえ。

そんなわけで、活劇とメロドラマの両立とか、ギターの運指とアニメーションが完璧に同期したハイレベルな映像とか、メキシコの伝統工芸品「アレブリヘス」の色使いを反映させた色彩設計とか、今さらそんな正攻法の批評をするつもりはありません。文章の体裁を顧みず、随筆みたいに思ったことをつらつらと書いてやろうと思っているんだ。

今の私は究極的にリラックスしている。

オーケー、白状しよう。やる気がないんだ。

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◆先人リスペクターとしてのミゲル◆

まず思ったことは、ミゲルは天才的なギターの才能を持っているのだからその超絶テクを活かしてヘヴィメタルバンドを組めばいいのに、ということだ。

舞台がメキシコだからといって、べつにラテン音楽にこだわる必要はない。メキシコにだってヘヴィメタルは存在するというぜ。ディスゴージとかベリード・ドリームスとかね。

 

だが、ミゲルは視野狭窄の固定観念とらわれボーイなので「メキシコといえばラテン音楽っしょ」という単細胞なモノの考え方しかできず、デラクルスという名のメキシコの亡きミュージシャンに憧れています。

しかしまぁ、ミゲルが偉いのは流行の音楽ではなく大昔に死んじまったミュージシャンに憧れるってところだ。

基本的に若者というやつは流行を追うことに夢中になりすぎて、自分が生まれる以前の文化を知ろうとしない。そしてそういう連中の世界観はだいたい浅い。

だが、デラクルスを私淑してやまないミゲルは、いわば古典精神の塊。自分が生まれる遥か昔の音楽に魅せられ、そこに憧れるのだ。まさに先人リスペクターといえまいか。

さすがミゲル。見上げた小僧である。よく見ると若干ムカつく顔をしているが、温故知新を地でいくその精神は実に高潔だ。そこだけは評価に値します。

 

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なんとなく神経に触る顔なんですよね。僕だけなのかな。

 

あと、ミゲルといえば否が応でも臭いを消す方のミゲルくんが頭をよぎります。悲しいことです。

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◆珍奇冒険譚を経て、動かぬババアへと収斂される物語◆

そんなミゲルが、ふとした拍子にあの世に迷い込む。そこには煌びやかな死後の世界が広がっていて、全身ガイコツの死者たちが死後ライフを大いに満喫しているのだ。

ちなみにその背景美術が『ズートピア』(16年)『ベイマックス』(14年)に似ていると言う人もいるけど、そういう重箱の隅を突くような指摘を受けること自体がこの作品のレベルの高さを物語っている。

ただまぁ、ミゲルがあの世で出会った先祖たちと邂逅するシーンには、もうちょっとエモーショナルに表現する余地はあったんじゃねえかと思う(重箱の隅をちくちく)。

だが、素性の知れないガイコツ、ヘクターとの珍奇冒険譚はさすがにおもしろい。世界観の説明をしながら活劇を同時進行するというストーリーテリングの巧さにはただただ脱帽。止め絵同然の画面に説明台詞を延々垂れ流す深夜アニメに見習ってほしいです。

あと、死後の世界で追いまくられるミゲルが周囲のガイコツどもに溶け込むために顔をペイントしてカモフラージュするのだけど、それがめちゃくそ可愛いんだ。

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こういう顔の女性いるよね。

それゆえに、ギターを弾きながらプールに落っこちてメイクが取れちゃう第三幕での私の気落ちっぷりは計り知れない。

せっかく可愛かったのに!

まったく…、ギター弾きながらプールに落ちるかね? 鈍臭い子だなぁ。でもそういうところも可愛いなぁ。素顔は若干ムカつくけど。

 

バカ犬の使い方も抜群にいい。

ディズニー/ピクサーには『アナと雪の女王』(13年)に出てくる狂った雪だるまや、『モアナと伝説の海』(16年)常時発狂しているニワトリのようにイカれたマスコットキャラがやけにたくさん出てくるが、本作におけるバカ犬は単なるコメディリリーフや賑やかしではなく、窮地に立たされたミゲルを何度も救うことで活劇に裨益し、ミゲルの八つ当たりを甘んじて受けることで説話的な感情の起伏にも貢献するほか、しまいには「ある進化」まで遂げるのだ!

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バカ犬だけど健気で愛くるしいんだ。

 

そして本作のキーパーソンとなるママ・ココ!

100歳近く、生きてるのか死んでるのかもよく分からないようなババアだが、彼女は不動にしてこの映画のすべてを司る恒星(そもそもこの映画の原題は『Coco』)

現世でボーっとしているババアを中心に、ミゲルとその祖先たちが死者の世界でドタバタやっているという、まるで『ゴッドファーザー』(72年)におけるマーロン・ブランドのようなババアの貫禄と求心力たるや。

アニメにおいては「よく動く奴が目立つ」というのは当たり前の話だが、ピクサーにはそんな当たり前など通用しない。一切は石像のようにただジッとしているだけのババアへと収斂されていくのです。

われわれがこの映画のラストシーンに涙するのは、ミゲルが弾き語る「リメンバー・ミー」に心を動かされるからではない。

その曲によってガッサガサに渇いたババアの肌が一筋の涙で潤い、大魔神のような緩慢な動作で身体性を取り戻し、深夜の商店街のように真っ暗なその瞳がいまいちど燦然たる輝きを帯びるからだ!

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スリープモードのママ・ココ。動かざること山の如し。


◆ギターを潰したエレナに死を!◆

すこぶる楽しい映画なんだけど、現世で死亡して黄泉の国でガイコツライフを送る死者たちが「もう一度死ぬ」という設定は寂寥感たっぷり&よく考えると若干コワい。

誰の記憶からも忘れ去られたとき、ガイコツたちは「本当の死」を迎えて消滅するのです。

人は二度死ぬ。007も二度死ぬ。

だから今を生きるわれわれは人の記憶に残るような生き方をせねばならないし、たまには死んでしまった奴を思い出してお墓参りなんぞに行かねばなりませんよ…っていう、かなりステキな教えを説いた作品である。

ただ、私は墓 全否定人間のうえに、子供の頃から「死後の世界なんて現世の人間が救われるために誂えた宗教概念に過ぎない」と割りきっているので、そもそも論としてこの映画とはまったく相容れないのだけど…、そんな私でも大いに満喫したという事実を改めて明言しておきます。

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あと、ミゲルに音楽禁止令を発令した祖母 エレナ・リヴェラの毒親っぷりが度を越しててキレそうになりました。

「かつて息子が音楽の道を選んで家族を捨てたから、音楽なんてロクなもんじゃねえ」というバイアスえぐい思想は百歩譲って理解できるとしても、ミゲルからギターを取り上げてぶっ潰したのは許さん。それをするぐらいならミゲルを虐待する方がまだマシだと思います。

ミゲルにとってギターは自己表現そのものなんだよ。それをぶっ潰すという行為はミゲルの魂を刈り取るも同然だ。

あー、エレナ・リヴェラぶっ殺してえー。

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追記

ヘクターの正体が割れたあたりでこのキャラクターのことがどんどん好きになっていくのだけど、ただひとつだけ不満を…。

生前のヘクターがナオト・インティライミみたいな顔ですごい嫌でした。

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腹立つわー。