無性にイライラした言霊原理主義アニメ。
2017年。伊藤尚往監督。アニメーション作品。
海辺の町、日ノ坂町に住んでいる16歳の少女、行合なぎさは幼少期に祖母から聞いた、言葉に宿る魂「コトダマ」の話を信じていた。ある日、なぎさは何年も使われないままになっているミニFMステーションに迷いこんでしまう。出来心でDJの真似事をしたなぎさの声は偶然にも放送され、その言葉がある人物に届いて…。(Yahoo!映画より)
この番組ではみんなのリクエストをお待ちしています。ステキな恋のエピソードといっしょにダイヤルをしてね!
ここでおハガキを一通。ラジオネーム「恋するウナギちゃん」。
「なぜ『シネ刀』を読むとこんなにもガッカリするのでしょう?」
それは僕にもわからないし『シネ刀』なんて略すんじゃねえよ。
ていうか、ステキな恋のエピソードを送って来いっつってんのに、なに遠回しにクレームつけてくれとんねん、ウナギこら。食うたろか、ぼけ。
とりあえずシンプルな頭で聴きゃいいんだよ、Let's get to your love!
ハイ。
ラジオの真似事をしてみました。サマになってた?
というわけで本日は女子高生ラジオアニメ『きみの声を届けたい』です。
◆湘南にて、祈りの放送◆
柔らかなポスターデザインに惹かれての鑑賞。
昨今のアニメは女子高生に色んなことをさせたがるのがトレンドだ。
私はアニメ覆面調査員として4年ほど活動していたので、女子高生がサバゲーをする『さばげぶっ!』、女子高生がバイクを乗り回す『ばくおん!!』、女子高生がキャンプする『ゆるキャン△』といったメチャメチャなアニメをずいぶん観てきたけど、JKにラジオDJをさせるというのは意外な盲点。その手があったかと膝を打った(『それが声優!』とかで既にしていたけど、ここまで主眼を置いたのは珍しい)。
神奈川県に暮らすJKのなぎさが、廃墟と化した喫茶店「アクアマリン」の一角にあるミニFMステーションを無断使用してわけのわからない戯言を電波に乗せるという暴挙に出たところ、たまたまその放送を聞いた紫音というJKが翌日アクアマリンにやってくる。
どうやら紫音は、この喫茶店でDJをしていた店主・矢沢朱音(以下:紫音ママン)の娘らしいのだが、紫音ママンは12年前に交通事故に遭ってから昏睡状態が続いていた。
紫音の境遇に同情したなぎさは、「病院で寝たきりのママンを目覚めさせようや!」といって、二人でラジオを始めることに…。
昏睡状態の紫音ママンに向けた祈りの放送。なかなかステキやん?
アクアマリンでミニFMを始めるなぎさ(右)と紫音(左)。
ただ、なぎさが何故こんなアイデアを閃いたかというと、彼女は幼少期に「言葉には魂というものがあって、口にしたことは本当に起きるんだよ。だから人の悪口は言ってはいけないよ。自分に返ってくるのだから…」という話をババアから聞かされて、「口にした言葉は現実化する」という思想に取り憑かれた言霊原理主義だからである。
だからなぎさは、病室のラジオを通して紫音の声をママンに聞かせ続けることで昏睡状態から目覚めさせるというアイデアを思いついたのだ。
ンーフ~ン。
紫音ママンの復活を願って…。
◆言論弾圧の言霊原理主義◆
でも、この物語の問題点はなぎさの言霊原理主義である。
なぎさは言霊が見えるエスパー少女だ。自分や他者の口から出てくる言霊がはっきりと見えるのだ。言霊はシャボン玉のような見た目で、誰かが気持ちのこもったパワーワードを発するとその人の口からプルンッと出てくるのだ。まぁ、アニメならではのステキな演出だと思う。
ところが、彼女は口にした言葉が現実化するという超能力まで持っている。夏の暑さに茹だるなぎさが「雨でも降ればいいのに…」と愚痴をこぼした途端に天気が崩れて大雨が降るのである。
なんやそれ。
なぎさは「口にした言葉は本当に起きるのよ」というババアの教えを信じてるだけじゃないの? なんで口にした言葉を現実化する能力まで持ってんだよ。
だから、例えばなぎさが「○○ちゃんがトラックに轢かれて死ぬ」って言ったらその通りになるはずなんですよ、理屈的には。歩くデスノートだよ。これが本当のデスボイス。
というかこんなチート設定が許されるなら、わざわざ紫音とラジオなんかしなくてもなぎさが直接紫音ママンに「さっさと起きろ」って言えば済む話なのでは? なぎさの言葉は現実化するんでしょ?
まぁいいけどさ、どーでもこーでも。
なぎさには、かえでと雫と夕という幼馴染みがいる。
ボーイッシュで男勝りのかえでとお嬢様育ちの夕は、学校こそ違えどラクロス部の次期部長候補という共通点があるが、夕は昔から何をやっても一等賞というタイプで、負けず嫌いのかえではそんな夕に劣等感を抱くあまり二人は険悪な関係になっていた。
かえでは折に触れて夕を腐すような発言をするが、そのたびに言霊原理主義のなぎさが「悪口は自分に返ってくるから言うな。昔は仲良かったんだからあんまり夕を嫌いなや」と諭す。
後半には賛成だが、前半はまったくのクソだと思う。
なぎさがかえでの悪口をことごとく封じるさまは言葉狩りの最たるものだ。
悪口が自分に返ってくるのならそれはかえでの自己責任の範疇だし、それに対してなぎさがとやかく言うのは筋違いでしょうが。
たしかに他人の悪口はよくないけど、批判精神は文明を築くうえでも非常に重要なことで、じゃあなぎさは「悪口」と「批判」を線引きする基準を持っているのかといえば別にそんなものはなく、ただ「漠然としたネガティブ発言」を周囲の友達に禁じてるだけっていう、なかなかタチの悪い独裁女で。
そもそも、かえでには散々「悪口を言うな」と言っておきながら、自分は寺の鐘の中に入って大声で悪口叫んでストレス発散してるという矛盾ぶり。
「鐘の中だけは何を言っても許されるのですぅ」って…
そんな話あるかバカヤロー!
自分ルールがすげぇなオイ。
事程左様に論理として破綻してるんですよ、この女の言霊原理主義は。
しかもこの娘、出会うひと全員に「言霊っていうのはね…」なんつってババアの教えを説いて回ってるんですよ。布教すんなよ。もうほぼほぼ宗教だよ。
ネガティブ発言を禁じることで言論の自由を奪い尽くす。それがなぎさにまつわるエトセトラ。
まぁ、私自身が口の悪い人間なので、どうしてもこのヒロインとは相容れないのですが。
悪口ダメ、批判ダメ、ネガティブ発言すらダメって…。そりゃあオメェ、言語表現の在り方や思考の多様性まで奪いかねない、かなり危険な思想ってもんよ。そもそも悪口が許されないなら映画評なんて書けないものねぇ。商売あがったりだよ。
だから敵だよ敵。
なぎさは俺の敵!
おまえのやってるラジオに俺をゲストとして出せ。そこで徹底討論しようじゃないかよ。耳からマイク突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろかい。
◆はたしてこの番組は楽しいのだろうか?◆
はじめのうちはなぎさと紫音だけでラジオをやっていたが、そこにかえでと雫も加わって、挙句の果てにはラジオオタクのあやめとか音楽学院に通う乙葉といったキャラクターまで参加する始末。
いろんなキャラ炊き込んだなー。
あやめと乙葉に関してはなぎさたちと何の接点もないのに、急に現れて「協力してやんよ」なんつって仲間に加わり、次のシーンでは親友ヅラしてんですよ。怖えんだよ。
まぁ、大人の事情を暴露すると、ラジオを本格的に運営する…という中盤のプロットにはラジオに精通するあやめというキャラクターが脚本上どうしても必要で、自分たちで曲を作って歌を披露するという後半のプロットには音楽学院に通う乙葉というキャラクターが不可欠だから強引にぶっ込んだと。焚き込んだと。
それにしても炊き込み方が雑である。まさに雑炊。雑炊は美味しいけどさぁ…。
増えたなー。
はじめこそ紫音ママンに向かってピンポイントで「ママン、聴こえてる?」なんつって話しかけていたラジオも、徐々にリスナーを獲得して町内全域で愛されるようなローカル番組へと急成長。
にも関わらず、かえではラジオ越しに喧嘩中の夕に語りかけたり、なぎさが闇落ちした紫音を慰めたりと内輪ネタばっかりで。
公共の電波を使って内々の話をするなっ。
なぎさたちが商店街を歩けば、商店の奴らがわらわら寄ってきて「おっ、なぎさちゃん。いつも聴いてるよ~!」とか「次の放送はいつなんだい!?」なんつってえらい評判なのだが、そもそもさ…
これ、楽しいけ?
女子高生がリスナー無視して友達に向かって超個人的な話をしてるだけの、俗に言うチラシの裏、便所の落書きみたいなラジオ。
楽しいけ?
楽しいならいいけどさ。このラジオによって地域の人々の生活に少しでもハリが出るというならそれはステキなことであるけれどもさあ!!!
ん、僕? 僕なら絶対聴かないけどね。なんなら電波妨害してやりたいとさえ思っているよ。
増えたなー。
◆混沌を極める境内コンサート◆
さて、いよいよ大詰めです。
なんか急にアクアマリンが取り壊されることになり番組は最終回を迎え、「最終回いきなり来たなー」とショックを受けた町内中のリスナーが仕事を放棄してなぎさたちのもとに大挙襲来する(仕事せえ)。
アクアマリンが工事の奴らに占拠されたため、最後の放送は神社の境内でおこなわれた。
なぎさたちは、乙葉が作ったちょっと気持ちわるい曲に合わせて絶妙にヘタな歌を披露し、町内の奴らから「感動をありがとー」などと高い評価を受ける。なあなあもいいとこである。
なんやこれ。
そのあと、なぎさが「ラジオは好きかー!」なんつって、愚民たちが「ラジオ最高ー」みたいなコール&レスポンスをすると、みんなの口からプルンっと出てきた大量の言霊が風に運ばれ、救急車で別の病院に移送中の紫音ママンの体内にギュンギュンギュンギュン吸いこまれていく。すると言霊パワーを受けた紫音ママンは、ようやく長きにわたる昏睡状態から目覚めたのであります。
ただ、言霊はなぎさにしか見えないはずなのに、このクライマックスの言霊だけは町内の奴らにも見えてるんだよね。「あ、綺麗ぇぇぇぇ」と感動する者や、「わぁわぁわぁ、口からなんか出てきたっ」と大騒ぎする者がいて、「まぁでも害はなさそうだし、いいか」みたいなところに落ち着いて、花火大会みたいなノリで大空を舞っていく言霊をみんなで打ち眺めるのだが…
これ、ダメじゃない?
なぎさにしか言霊が見えないのは、それが言葉の力を信じる者の特権だからだ。
そしてアニメの主人公というのは「特権化された存在」でもあるので、いわば「自分にだけ見える」ことでなぎさはヒロイン足り得るわけ。
ジジと会話できるのはキキだけだし、トトロが見えるのはサツキとメイだけ。誰でもジジと話せますよとか誰でもトトロが見れますよだったら夢もヘチマもないわけだ。誰でも話せて誰でも見れるって、そんなもんはメイド喫茶だけで充分だっつーの。
◆新人声優応援アニメ◆
そんなわけで、涼しげなポスターに惹かれて観たわりに内容の方は笑止千万。
とはいえ、フォローもしておきたいのですよ。
なんといっても萌え豚に媚びを売らないキャラクターデザインには好感が持てるし、夏休みの話にも関わらず中間色のパステルカラーを多用した色彩設計もなかなか実験的で、『マイマイ新子と千年の魔法』(09年)や『ももへの手紙』(12年)とはまた違った柔らかさが出ている。
主舞台となる湘南・鎌倉のロケーションもいい(特に神奈川の景色を切り取っていくファーストシーンは絶品)。
セリフはやや説明過剰だが、まぁラジオ(声)を題材にしたアニメってことが免罪符になっている…かなぁ? どうかなぁ? まぁいいよいいよ。深夜アニメのベラベラ長広舌に比べれば寡黙な方だよ。
ロケーションは良好。遠い記憶を呼び覚ますような温かさ。
それにこの作品、新人声優発掘育成企画が母体になっていて、メインキャラクター7人のうち6人の担当声優がぽっと出のニューカマーだっつうのね。
新人発掘という試みはたいへん素晴らしいと思う。
アニメ業界に作家主義が持ち込まれた90年代末以降は、アニメーション監督や声優など一部の売れっ子の寡占状態…という印象を持っていて、とりわけ声優がアイドル化している昨今のアニメ界には薄気味悪さを感じているのだけど(声優至上主義はセリフ量の増加=説明過剰の温床になる)、本作のようにニューカマーをどんどん投入することで声優界の新陳代謝が期待できるのなら、それはステキなことだなって思います。
動脈硬化したアニメ界に新たな血を!