お花畑に福山の巨大顔面が浮くメルヘン・アクション。
2018年。ジョン・ウー監督。チャン・ハンユー、福山雅治、チー・ウェイ。
製薬会社の顧問弁護士をつとめる男ドゥ・チウは、パーティの翌朝、社長秘書・希子の死体の横で目を覚ます。現場の状況証拠はドゥ・チウが犯人だと示しており、罠にはめられたと気付いた彼は逃亡を図る。独自の捜査でドゥ・チウを追う敏腕刑事・矢村は、ドゥ・チウに近づけば近づくほど事件に違和感を抱くように。やがてドゥ・チウを捕らえた矢村はドゥ・チウの無実を確信し、警察に引き渡さずともに事件の真相を追うことを決意する。(映画.comより)
ヘイみんな、どうなのさ。
ここ3日ほど執筆と編集に追われてまったく映画が観れていません。本質をザクッと突いちゃうけど、映画好きが映画ブログするのって本末転倒だよな。
映画が好きだからブログを始めた→ブログのせいで映画が観れない→ブログを憎む→コンピューターを破壊する→映画も憎む→DVDをへし折る→憎しみの塊になって河原で爆発する→魂が天にのぼっていく→読者にドンマイって言われる。
つまり私の末路は爆発。しかも河原で。映画好きなんてなるんじゃなかった。
そんなこってパンナコッタ、本日は『マンハント』です。
行ったらんかい!
◆その男、大味につき◆
ハトと二丁拳銃をこよなく愛するジョン・ウーが、高倉健の『君よ憤怒の河を渉れ』(74年)をリメイク。
ジョン・ウーといえば『男たちの挽歌』(86年)で知られる中国人監督で、ハリウッド進出後は『フェイス/オフ』(97年)や『ミッション:インポッシブル2』(00年)といった大作を手掛け、2008年には三国志まるだし映画『レッドクリフ』二部作で中国映画に帰ってきたアクション映画の大家である。
ジョン・ウー印ともいうべき彼の作風は、大量のハトが飛び交う中を男たちが二丁拳銃で撃ち合うさまをスローモーションで撮る。以上。
とにかくジョン・ウーといえば、ハト、スロー、二丁拳銃!
これまでに手掛けた作品は育ちの悪さが窺えるような大味アクションばかりだが、ジョン・ウーにとって「バカ」とか「大味」は至上の褒め言葉なのだ。
ハトと弾丸がよく飛ぶジョン・ウー映画。
また、ジョン・ウーは「薄情な監督」として一部の映画スターから顰蹙を買っている。
ハリウッド進出作『ハード・ターゲット』(93年)で主演を務めたジャン=クロード・ヴァン・ダムは、ヴァンダムのヴァンダムによるヴァンダムのためのセルフパロディ映画『その男ヴァン・ダム』(08年)の中で「ヤツは『ハード・ターゲット』で知名度を上げたのに、有名になった途端にオレを見捨てやがった!」と名指しでジョン・ウーを批判。
続くアメリカ資本作『ブロークン・アロー』(96年)はクリスチャン・スレーターとジョン・トラボルタのW主演作で、この作品によってジョン・ウーは欧米での人気を確立したが、次作『フェイス/オフ』はニコラス・ケイジとジョン・トラボルタのW主演。つまりクリスチャン・スレーターが見捨てられた。
当然、スレーターの心は擦れーたー。
さらに次の作品『ウインドトーカーズ』(01年)はまたしてもニコラス・ケイジの主演作だがクリスチャン・スレーターも出演している。ところが、スレーターには映画中盤で首を切り落とされて惨殺されるという悲しい役をあてがわれた。
事程左様に、自分を有名にしてくれた俳優をことごとく冷遇するという裏切り行為の連発者。そして非暴力の意味を込めてハトを飛ばす。
それがジョン・ウーだ!
ジョン・ウー映画の男たち。
◆混沌的多言語と桜庭エクソシスト◆
さて、チャン・ハンユーと福山雅治のW主演でお送りする、大阪を舞台にしたノンストップアクション逃走劇『マンハント』。
オリジナルの『君よ憤怒の河を渉れ』も大概メチャメチャな映画だが、それに輪をかけてメチャメチャな映画としてリメイクするというジョン・ウーなりのリスペクトに溢れた珍奇な作品である。
中国語と英語と日本語が意味もなく入り混じる。
ウェス・アンダーソンの『犬ヶ島』(18年)では言語の断絶によって犬と人間の無理解を表現していたが、本作における多言語は各国の映画市場に対する目配せなのでノイズ以外の何物でもないのだが、まぁいい。
ヒロインのチー・ウェイは中国の女優でありながら日本人を演じ、なぜか同じ中国人のチャンと英語で話して福山とはたどたどしい日本語で会話するというアイデンティティがしっちゃかめっちゃかの女なのだが、これもまぁいい。もういいよいいよ、全部許すよ。
チーちゃんとチャンは英語(両方中国人なのに)。チーちゃんと福山は日本語。福山とチャンは英語。だけど時々福山は日本語を話す。クソややこしいわ。
ただ、チー・ウェイがたどたどしい日本語を話すシーンと流暢な日本語を話すシーンがあって、「なぜシーンによって日本語の上手さが変わるんだろう?」なんて
思っていると、流暢な日本語を話してたシーンは声優による吹替えなんですよね。
あ?
だから観客からすれば、シーンごとにチーちゃんの言語力が上下するわけだよ。「急に日本語上手くなったなぁ」とか「急に下手になったなー」とか。
だったら全編「たどたどしい日本語」か「流暢な日本語吹替え」で統一しろよ!
なぜそこを使い分けるのか皆目見当がつかない。やりたい放題かよ。
『ウインドトーカーズ』で日本兵に襲われたニコラス・ケイジ演じるアメリカ兵が、助かりたい一心で「ベイコクキライ! ニホンダイジ!」というカタコトの日本語を連呼して観る者の爆笑を誘ったが、本作における日本語のおかしさはそれを遥かに凌駕している。
さすがジョン・ウー。シリアスな笑いを偶発的に生み出すことにかけては他の追随を許さない。
次に、警察署のオフィスで刑事の福山と助手の桜庭ななみが殺人事件を推理しながら「ここで犯人は首を絞めたはずだ」なんて犯行当時の状況を再現していくが、福山が「犯人になったつもりでリアルにイメージしろ」とか言ったせいで、桜庭ななみの想像力がヘンなベクトルに解放、犯行当時をリアルにイメージし過ぎて被害者になりきった桜庭ななみは一人で首を絞められた演技をしてゲエゲエ言い始める。
あ、こわい。 霊媒師みたい。
ドン引きした福山は、妄想の世界に入ってしまった桜庭を正気に戻すために「おい、大丈夫か!」なんて言いながら肩をガックンガックン揺らすと、ようやく正気に戻った桜庭は殺された被害者に同化しすぎて大粒の涙を流していた。
ドン引きだわ。
まさか桜庭ななみが『エクソシスト』(73年)をする映画だったとは。
オフィスで事件の調査をしてるだけでこんなことになります?
◆お花畑に福山の巨大顔面が浮く◆
そしてこの映画の真骨頂は映像技法にあり。
たぶん何を言ってるのかわからないだろうが…、福山の顔だけ残してディゾルブするのだ。
パソコンを見つめる福山から岡山県・蒜山の花畑へとディゾルブするカットがある。
ディゾルブというのは現在のショットに次のショットがダブりながらじわじわ出てきて、徐々に現在のショットが薄くなり、やがて完全に次のショットに切り変わる場面転換技法のこと(映画やドラマでしょっちゅう使われてるね)。
ここでジョン・ウーは、なにをトチ狂ったか福山の顔面だけを残して次のシーンに繋げるという暴挙に出る。
つまりこれが…↓
こうなる↓
お花畑に福山の巨大顔面が浮いているぅ。
背景は次のシーンに切り替わってるのに福山の顔面だけがいつまでもあるぅ。
メルヘンすぎて感動さえ覚えた。普通、ディゾルブに「残す」とかないんだけどね。福山の顔面を次のシーンまで残すって。なにこれ。
編集ミス?
もはや映像文法を解体した前衛映画だぜ、これ。こう言っちゃあなんだけど…麻薬食べながら編集したのかな?って本気で思ったよ。
◆ハトは主役の命まで救う!◆
ジョン・ウー映画のシンボルであるハトは、チャンと福山の格闘シーンで出てきます。
これまでのジョン・ウー作品において、ハトは画面を彩る添え物に過ぎなかった。
『レッドクリフ』では金城武が伝書鳩を使うなど、申し訳程度の説話的役割を持たせたケースもあるが、基本的にはマイケル・ジャクソンの「ポー!!」とかバカボンのパパが言う「これでいいのだ」と同じで、別になくてもいいけどあったらであったで嬉しいお約束…という程度。
ところが今回のハトは一風変わった使い方をしている。
ハトが、殴り合うチャンと福山の命を救うのだ!
激しい格闘の末、福山に拳銃を向けられたチャン。絶対絶命かと思いきや、二人の間をハトが横切り、チャンはその隙を突いて福山を蹴り飛ばす!
チャン「ハト、ありがとー」
さて、蹴り飛ばされた福山の落下地点には割とヤバそうな岩があり、このまま地面に倒れると後頭部をしたたか打ちつけて死ぬる。
ところが倒れゆく福山の目の前をまたしてもハトが横切り、福山が「あ、ハトだ」なんつってハトの方に視線を向けたことで首の角度が少し変わって、そのおかげで岩の上に頭をぶつけずに済んだのだ!
福山「ハト、ありがとー」
ハト「かまへん、かまへん」
鳥は幸運をもたらす動物で、中でもハトは平和の象徴として知られている通り、ハトを見た二人は幸運によって死や大怪我を回避し、やがて友情を育んでともに巨悪に立ち向かい平和を取り戻すのである。
なんとも感動的な話であるよなぁ。
でもハトのゴリ押しでもあるよなぁ。
◆なぜかキムタクの話…◆
その他、國村隼や竹中直人をはじめ、斎藤工(一瞬で死にます)、TAO(一瞬で死にます)、田中圭(もとより死んでます)、など新旧さまざまな日本人キャストが脇を固める。
そして韓国からは『TSUNAMI -ツナミ-』(09年)や『第7鉱区』(11年)のハ・ジウォンが参戦。
ハ・ジウォンとアンジェルス・ウーの女殺し屋コンビがなかなか良くて、チャン&福山のバディと対を成してるあたりが心憎いのよねぇ。
ハ・ジウォンつよいぞー。かっこいいぞー。
先述の通り脚本はグチャグチャだし、回想シーンを連発してメロドラマに傾斜していくさまなんて日本映画より出来が悪くて目も当てられない。
口が裂けても「佳作です」なんて言えないシロモノなのだが、「ジョン・ウーがここへきて狂い出した」という斜に構えた視座をもって臨むと恐ろしいほど楽しめます。それぐらいヘンな演出のオンパレードだから。
海外映画初出演にも関わらず福山雅治は相変わらず何色にも染まってなくて、実に素晴らしい(皮肉ではなく)。
私は俳優としての木村拓哉をわりと真剣に褒めているのだけど、福山雅治も同じ系譜だと思っている。つまり褒めざるを得ない。だけど「キムタクは何をやってもキムタク」と言う人にはたぶん何を言っても伝わらないんだろうなー。
何をやってもキムタクにしかならないから凄いんですけどねぇ。
というわけで本作は、初の海外映画というプレッシャーを跳ねのけて福山雅治が「福山雅治」を刻みつけたハト飛び放題メルヘン・アクションの急先鋒!
最後は福山雅治の「虹」でお別れしましょうね。
借りてほしい映画があるよ
いつか言いたかったセリフがあるよ
それは特別な映画なんかじゃないんだ
そう それは難しい映画なんかじゃないんだ
ただ ウーに従って
ただ ハトを待ってたんだ 答えもなく
いま僕は行くのさ
イメージの向こう側へ ハトの向こうへと
さぁ 飛び立とう
僕が いつかチャンを追い越せるその時
僕が いつかガンを手に入れるその時
ウーは笑ってくれるのかな
また逢えるかな