シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

八月の濡れた砂

「気だるげな空気を演出すること」と「気だるげに撮ること」は違うからね?

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1971年。藤田敏八監督。広瀬昌助、村野武範テレサ野田、藤田みどり

 

藤田敏八監督が、若者の持つけだるい感性をスピード、セックス、バイオレンスによって描いた異色青春ドラマ。ギラつく真夏の湘南、高校生・清は不良学生に暴行を受けた少女・早苗を目撃し、やがて彼女とつるむようになるが…。(Amazonより)

 

みんな、おはよぉぉぉぉ。みんな、おはよぉぉぉぉぉぉぉぉ。

クソ昔の日本映画ばかり取り上げてみんなを苦しめる作戦だったけど、かえって私が苦しくなってきました。

日本映画特集、飽きてきた。

端的に言って。

もうええっすわぁ。堪りませんわ。

だって、何日目やのん、これ。今日で6日目でっせ? もうええっすわぁー。そろそろしつこいわぁ。どの映画もおかめ納豆みたいな女優ばっかりだし(志麻ちゃんは別)

そろそろ西洋の風に当たらせてぇなぁ。頼んますわぁ。

とはいえアクセス数はまあまあ好調なんですよ。みんな凄いと思うわ。古い日本映画なんて、たぶん多くの人にとってはまったく興味ないだろうに、わざわざ(いちいち)目を通してくれて。

偉いなぁ。凄いなぁ。グローリーだよ。チャンピオンだよ!

何に勝って何を手にしたのかは分からないけどチャンピオンだよ!

 というわけで明日からは海外映画も取り上げつつ、なし崩し的に通常営業に戻していくという感じで参ります。

本日取り上げたるは八月の濡れた砂です。特にどうってこともない映画なので読まなくていいですよ。

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◆50年代イタリア映画のような青春無軌道映画◆

1971年。斜陽化した日活が経営を立て直すために日活ロマンポルノという新体制でエロを全面に押し出した。本作八月の濡れた砂はロマンポルノに移行する前の日活最後の作品である。

監督は修羅雪姫(73年)『スローなブギにしてくれ』(81年)藤田敏八。日活ロマンポルノを手掛ける傍ら、沢田研二山口百恵のアイドル映画も監督するというわりと節操ない人

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『キル・ビル』(03年)に影響を与えた修羅雪姫梶芽衣子(左)と『スローなブギにしてくれ』浅野温子(右)。

 

さて、本作は真夏の湘南を舞台にしらけ世代の気だるく無軌道な青春を描いたインモラル・ムービーである。

将来の夢も生きるよすがもない広瀬昌助は、高校を退学処分になった悪友・村野武範とつるみ始めて自己破滅的な夏を謳歌する。悪いやつらに輪姦されて海辺に捨てられた少女・テレサ野田と出会った広瀬は、彼女の姉の藤田みどりが生意気だから犯そうとする。村野はよく喧嘩をして空き地でヤクザにしこたまど突かれた。

やくざに負けた村野は「チクショー」と思って、母の再婚相手からクルーザーとショットガンを奪い、広瀬とテレサとみどりを乗せて大海原へ。

「海賊王に俺なっちゃう」

ところが、ふざけて撃ったショットガンが船体に穴を開け、あっという間に船内は浸水。若者たちは「どうしたもんかなー」と途方に暮れ、やがて死を覚悟した。おわり。

 

実に人を食った映画である。

内容などあってなきが如し。これぞ無軌道。これぞ無作法。正真正銘のインモラル・ムービーだ。

藤田敏八は映画を撮るのではなく時代を撮る監督だ。70年代の匂いを真空パックした本作は、もっぱら「夏」とか「湘南」といった季語的映像だけで紡がれた感覚派の作品と言えるだろう。

おそらく本作がベースにしているのは1950年代のイタリア映画。50年代のイタリア映画には『青春群像』(53年)『狂った夜』(59年) のように、若者たちの無軌道な生活を描いた頽廃的な作品群が跋扈していたのだ。ある種のピカレスク・ロマンと言っていいかもしれない。不道徳かつ無反省。そして、あたかもそれがモラトリアムの美徳であり、若者の特権だとでも言うかのように開き直る、救いがたきヤングたち…。

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レイプ被害に遭って海辺ですんすん泣くテレサ野田

 

断崖から海に飛び込むさまが自殺願望を表象していたり、こじらせ童貞・広瀬昌助と不思議な姉妹の関係性が村上春樹の小説におけるポストモダンな人的ネットワークを連想させたりと、70年代という混沌の中で変容していくもの(生き方、人付き合い、生活環境etc)をサラッと掬い取っていて、良い意味で引っかかるところが多い作品だ。

広瀬と村野が招かれた姉妹の家には偶然にも泥棒がいて、そのあと取り押さえた泥棒の処遇をめぐって4人が議論するシーンが少しおもしろい。姉のみどりが「今回だけは許します」といって縄をほどいてやると、泥棒はみどりを突き飛ばし「ばか」と言って逃げていく。

なんとも無情。かくも70年代とは義理や人情が失われ、正直者が馬鹿を見る時代なのか。

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本作で女優デビューしたあと歌手デビューも果たし、しまいにはロックバンドを結成したテレサ野田


◆そのまんまなんだよ!◆

おっと、先にこれを言わねばならなかった。

駄作です。

鑑賞中、私は3回居眠りして1回熟睡した。とても気持ちよかった。翌日改めて観返したが、そこではっきりと結論した。こりゃ駄作だ。

これは本作に限らず無軌道な若者を描いた映画にありがちなのだが、気だるげな空気を演出すること気だるげに撮ることを履き違えた作品が多い。とにかく多い。

こないだ酷評した『ソルジャー・ボーイ』(72年)などまさにそうだが、無気力・無軌道な若者の青春を描くために無気力・無軌道にカメラを回しただけ…という、端的に間違った態度で作られた映画が多いのである。

たとえば、やる気が感じられないオフビートな映画。

たとえば、何も考えてないような勢い重視のロック・ミュージック。

あるいは、行き当たりばったりの漫才。

言うまでもないが、そういうものはすべて計算尽くの創意によって作られている。

観客に「やる気が感じられない」と思ってもらえるようにやる気を出して作ったのがオフビートな映画であり、リスナーに「勢いだけで何も考えてない」と思ってもらえるように色んなことを考えながら作ったのが勢い重視のロック・ミュージックであり、行き当たりばったりの面白さを表現するために用意周到な台本で臨むのが漫才なのだ。

テレビのお馬鹿タレントは馬鹿を装っているし、天然キャラで通っている人は天然を演じている

ホンモノの馬鹿が馬鹿なことをしたら、そりゃただの馬鹿だ。

要するに、気だるげな物語だからといって気だるげに撮った本作はただの馬鹿だ。

そのまんまなんだよ!

無味乾燥なんだよ!

 

本作は、人生に何の価値も見いだせずに日々ダラダラしている若者たちが自己破滅に向かっていくさまをダラダラした画運びで見せている。「ただ撮った」というような何の情感も興趣もない退屈なショット、何の狙いも拘りもない弛緩したカット、べつに湘南でなくともいいような杜撰なロケーション。

無論、海風になびく女優陣の髪がモラトリアムの免罪符になることも、破滅に向かってかっ飛ばしたバイクの排気音が主人公の心の叫びを代弁するといった「映画的な瞬間」もここにはない。

なびく髪はただなびく髪として、排気音はただ排気音として、それ以上に何ら意味を持つこともなくフィルムへと還元され、われわれの目耳に届けられるだけである。

そのまんまなんだよ!

無味乾燥なんだよ!


もっとも、「それが藤田流」と言われれば「それが藤田流か!」としか言えないのだが、ちょっとこれはあまりにお粗末でした。

関係ないけど、海で遊んでるような連中が嫌いです。泳いだり、ナンパしたり、ビーチボールを変なとこに飛ばしたり。そういう奴らはだいたいバカみたいなサングラスをかけて車内でEDMとかレゲエを聴いたりしているのだ。

サメに食われろ!

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こういう連中はいつの時代にもいるのか。いらいらする。