私だってハン・ヒョジュとラーメン食べたい。
2018年。キム・ジウン監督。カン・ドンウォン、ハン・ヒョジュ、チョン・ウソン。
2029年、統一が宣言された朝鮮半島で、過激なテロ集団と戦い続ける警察特別部隊、人狼。だが彼らはまだ知らない。敵はテロリストだけではないということを。
どうも、おはモーニン。どうも。
パソコンから見てくれてる人の画面にはすでに表示されてると思うけど、このクソブログのトップページに僕のTwitterを貼っ付けました。そういう行為をなんて言うんだろう?
名称がわからないから僕のTwitterとしか言いようがないんだけど、ほら、あんじゃんよ、そこ押したら僕のTwitterに行けまっせみたいなボタンですよ。なんて言うのあれ。ワープボタン? さっきからすごい荒い言葉で申し訳ないけど、まぁだいたい分かるでしょう。一を聞いただけで十を理解してほしい。
Twitterではブログの更新通知を脳死状態で垂れ流してるので、お知らせツイートが欲しいという珍奇な方がいらっしゃればぜひフォローお待ちしています。ただしそれ以外ではめったに呟きません。なぜならTwitterが苦手だから。おそらく自分は呟き体質ではなく叫び体質なので、日常で感じたことを140字以内でピュッと呟く…というのがなかなかできないのです。
でも今回、こうして僕のTwitterをオープンにしたので、なるべく頑張って呟いていこうと思います。
そんなどうでもいいお知らせはさておき、今回は『人狼』を観たのでそのご報告を申し上げる。
◆キム・ジウンというターミネーター監督◆
キム・ジウンの映画に出てくる主人公はだいたいターミネーターというステキな試論を提出したいわけだ。
『甘い人生』(05年)のイ・ビョンホンは心を失った殺人マシーンの役だし、『悪魔を見た』(10年)でも復讐心に駆られて淡々と犯人を追い詰めるロボットのような捜査官を演じていた。ロボットといえば『人類滅亡計画書』(12年)ではそのものずばりが出てくる。極めつけはハリウッド進出作の『ラストスタンド』(13年)には本家ターミネーターであるアーノルド・シュワルツェネッガーを起用。
そして今回の『人狼』でも、カン・ドンウォン扮するテロ組織を制圧する特機隊リーダーは心を失った人間兵器として組織の陰謀に巻き込まれることになる。
本作は、原作・押井守、監督・沖浦啓之の日本のアニメーション『人狼 JIN-ROH』(00年)の映画化だが、舞台を南北統一後の朝鮮半島に置き換えることで換骨奪胎を図っている。
なにかといえば「忠実な再現」を求めるヒステリックな原作ファンを軽やかに黙殺して「実写化」ではなく「映画化」を果たしたキム・ジウンは実に痛快な奴だと思う。
思い返してみると、この男はマカロニ・ウェスタンの傑作『続・夕陽のガンマン』(66年)を『グッド・バッド・ウィアード』(08年)としてそっくりそのまま韓国で映画化するという暴挙に出たのである。西部もヘチマもないのに韓国の西部劇=キムチ・ウェスタンという明らかな矛盾を飄然とパッキングして韓国国内だけで800万人を動員した。
キム・ジウンがアホなのか韓国の観客がアホなのか。いずれにせよ『グッド・バッド・ウィアード』は『キル・ビル』(03年)に匹敵しうる最高のアホ映画である。
キム・ジウンさんの作品。
◆深夜のラーメン食い◆
主演のカン・ドンウォンは、私がぶち切れた数少ない韓国映画『彼女を信じないでください』(04年)で幼稚な芝居をやってのけたチャランポランなイケメン俳優なので『人狼』を観る前は「絶対ヤバいだろ」と警戒していたが、ヘルメット姿が意外といい。のっぺりとした顔が意思も人格も失った人間兵器という役にマッチしている。
特機隊や公安部の中にはチョン・ウソンやホ・ジュノといったベテラン勢の姿もチラホラ見える。
銃を構えるチョン・ウソンさん。
韓国の福山雅治ことチョン・ウソンは45歳を過ぎても依然セクシーである。カン・ドンウォンと一緒に40キロのパワードスーツを着て走り回ったり殴り合ったりしているので「ちょ、うそーん」と驚かざるをえない(以前やなぎやさんがウケたネタなのでぶっ込みました)。
特機隊のパワードスーツも素晴らしく、日本映画のようなハリボテやアメリカ映画のようなCGではないので、然るべき硬度を湛えた重量感がアクションシーンに重さと痛さを附与している。
ただでさえ韓国の俳優は隠れマチズモなので、たとえカン・ドンウォンのような線の細い俳優でも実はムキムキ、脱げばシックスパック、ことによるとエイトパック、頑張ればテンパックも夢ではないほどのマッチョ揃いゆえに、この怪物みたいな40キロもの衣装を着こなして飛んだり跳ねたりすることなどお茶の子さいさいなのだろう。
そうそう。アニメ版のファンでもなんでもない私がこの映画を観た理由を述べておかねばなるまい。
ひとつはキム・ジウンの監督作だから。
もうひとつはハン・ヒョジュが出ているからにほかならねぇ。
私はハン・ヒョジュの精神的なパトロンである。経済的に支援することはできないが、精神的なサポートおよび何らかのアフターケアをおこない、出演映画はすべて観るという…、まぁ早い話がファンだ。ハン・ヒョジュのファン・ヒョジュなのだ。
そんなファ…ハン・ヒョジュが、主人公が爆死させてしまった少女の姉役として出てくる。赤い口紅と緑のコートが『チェンジリング』(08年)のアンジェリーナ・ジョリーを彷彿させるのもおそらく計算尽くなのだろう。
少女の日記を返しに行ったカン・ドンウォンは、そこでハン・ヒョジュに誘われるままにデートをエンジョイする。ケーブルカーに乗り、南山タワーに上って、ラーメンを食う。
もはや韓流ドラマのテイスト。
このシーンに喜ぶのはカン・ドンウォン目当てのババアだけではない。私もだ。カン・ドンウォンが羨ましくてしょうがない。ずるいぞ、カン・ドンウォンばっかり。
私だってハン・ヒョジュとラーメン食べたいのに。
ちくしょう、私を羨ましがらせる為だけにわざわざこんなシーンを用意しやがって。でも最高。このシーンがずっと続けばいいし、二人がラーメン食ってるシーンだけですでに最高点を叩き出してるよ、この映画。もういいよ人狼なんて。争いごとはもう沢山だよ。私と韓流ババアどもがこんなにも喜んでいるじゃないか。
俺ならびにババア歓喜のシーン。深夜のラーメン食い。
◆全編に横溢するメルヴィル趣味◆
ちょっとオフザケめいたレビューになってきたので、ここらで一丁まじめな批評もしておこうと思う。
『人狼』は全編に渡ってキム・ジウンのメルヴィル趣味が炸裂したノワールになっている。
『甘い人生』は『サムライ』(67年)を下敷きにしているし、『密偵』(16年)は『リスボン特急』(72年)の翻案。
雨にけぶる夜のネオン街、濡れた車体や人影、そしてクライマックスの舞台となる地下水路のナトリウムランプといったノワール的世界は、『ゴースト・イン・ザ・シェル』(17年)、『ブレードランナー 2049』(17年)、あるいは『アウトレイジ 最終章』(17年)などに受け継がれているが、本作がそうした疑似ノワール群と一線を画してメルヴィルの血脈を継いでいる理由は寒冷なショットである。
べつにこの物語の季節が冬だとは明示されていないし、雪や白い吐息といった映像季語も使われていないにも関わらず、観ているだけで風邪を引きそうなほどどこを切り取っても寒々しい。
また、先ほどのラーメンショットのほかにも、車中の人物を車外から捉えたガラス越しのショットも多用されている。ガラスの表面を彩る雨や結露や曇りによって主人公の置かれた状況を幻想的に示唆するという寡黙な演出もメルヴィル仕込みだ。
事程左様にモロにジャン=ピエール・メルヴィルの影響下にあるので、ことによるとキム・ジウンを今回の映画化に駆り立てたのは『人狼 JIN-ROH』へのリスペクト以上に『人狼 JIN-ROH』がメルヴィルをやるのに適した作品だったからではないかという試論を持っています。
とりわけ本作は押井守のアートデザインを基にメルヴィルの『いぬ』(63年)をやったという印象で、そんなごった煮状態の世界観のなかでカン・ドンウォンとハン・ヒョジュが深夜にラーメンを食うという…なんだかよくわからない作品世界が乱れ舞っている状態で。
良くも悪くもキム・ジウンのアホさが噴きこぼれてる作品として楽しめるのだが、惜しむらくは直線的な物語でこそキム・ジウンの強味が出るので、いくつもの勢力が政治的な駆け引きをする『人狼』や『密偵』は少々不向きだったかもしれない。
※本作はNetflixオリジナル作品なのでNetflixでしか視聴することができません。
我らレビュアーが映画の間口を広めてるというのにそっちで狭めてどうするんだよ!
窓越しのハン・ヒョジュ。箸の持ち方がちょっと気になる。