きみには届くだろうか、この映画のサウスポーが。
2015年。アントワーン・フークア監督。ジェイク・ギレンホール、レイチェル・マクアダムス、フォレスト・ウィテカー。
怒りをエネルギーに相手を倒すというスタイルでボクシング世界チャンピオンにまで上り詰めたビリー・ホープ。しかし、自身が起こした乱闘騒ぎの結果、妻を死なせてしまい、さらにはボクサーライセンスまで剥奪されてしまう。失意のどん底にあったビリーだったが、育ての親であるトレーナー,ディックの元を訪れ、過去の自分と向き合いながら、再びリングへ上がる道を模索していく。(映画.comより)
うぃっす、おはよう。
約24時間にもわたる無期限活動休止を経て、このたび満を持して復帰することになりました。ふかづめです。皆さん覚えてくれているだろうか。
この24時間の歳月はあまりに長かった。読者の平均年齢も1日分上がってしまい、今となってはお互いすっかりいい歳ですね。また、かつてはあれほど活気づいていた映画レビューシーンもすっかり時代の波に呑まれています。
だけど、こんな時代だからこそ活動を再開しようと思ったんだ。
あの忌まわしいルーター爆発事件から24時間…。この長期にわたる活動休止期間に、私はさまざまなことを経験した。シャワーを浴びたり、一平ちゃん焼きそばを食べたり、自転車のギアを変えてすぐに戻すといった貴重な体験を通じて多くのことを学んだのです。活動休止前よりも視野が広がったし、ルーターは大事にしようと思えた。
読者の皆さまにはこんなにも長いあいだ待たせてしまったことをお詫びします。
また、長きにわたる活動休止中に僕のTwitterスレッドにおいて二人だけで延々と漫才をしていたikukoさんと8マンさん。
おまえたちは死なす。
もう完全に二人だけの世界。二人だけの会話。にも関わらずそれをやってるのが私のスレッドなので、二人が互いにツイートし合うたびに私のホームに通知が届くという激うざファッキン環境に思わず脱糞。Twitterを開けたら通知が10個ぐらい届いていたので「やったー。誰かがイイネしてくれたのかなそれともリツイートしてくれたのかなそれともリプライィィィィ!?」なんて欣喜雀躍してフタを開けてみれば、なんてこたぁない、二人でずっと漫才してんの。
え、なにこの気持ち。
曰く形容しがたい曰く形容しがたいマジでなにこの気持ち初めて初めて震える震える…。
間違ってラブレター届いたみたいな。俺の家で遊んでるのに友達二人がずーっとポケモンの通信対戦してるみたいな。ホームなのに何故かアウェイ。
よっておまえたちを死なす!
というわけで本日は『サウスポー』! 右は使わん。左で死なす!
(とはいえ憎いはずのikukoさんと8マンさんのリンクをちゃっかり貼るという私の人の良さ。滲み出てるねっ!)
◆ジェイク・ギレンホール主演、というトリック◆
われわれはなんだかんだ言ってボクシング映画をいろいろと観てきたわけで、今さらアントワーン・フークアがボクシング映画を撮るからといって大して驚いたり心惹かれたりすることはないのである。それがどうしたかかって来いジャブジャブワンツーである。
そんなことよりもフークアの前作『イコライザー』(14年)が素晴らしすぎたわけで、『トレーニング デイ』(01年)以来のフークアとデンゼル・ワシントンの最強タッグに喜びの悲鳴をあげることに忙しいのだ。手垢のついたボクシング映画などに構っている暇はない。
だいたい『サウスポー』ってなんだ。ピンクレディーか。「わーたしピンクのサウスポー」ってか。ふざけるのも大概にしろ。左手で殴るぞ。
そんなわけで、1年近くこの映画を無視していた。
あまつさえ、去年観たフークア×デンゼルの三度目のタッグ作『マグニフィセント・セブン』(16年)がフークアにしては珍しく不調だったので、なおのこと敬遠してしまっていたのである。
だが、どうやら懺悔のときが訪れたようだ。
本作に多大な影響を与えた名曲。ちなみに私はミー派です(どうでもよー)。
『私ピンクのサスウポー』は『クリード チャンプを継ぐ男』(15年)にKO勝ちすることは難しいが、判定勝ちならできるかもしれない。つまりそれぐらい良い映画ってこった。
考えてみれば当たり前の話である。神経質なほど注意深く作品選定をおこなうジェイク・ギレンホールがありふれたボクシング映画のオファーなど引き受けるはずがないのだ。
一見ありがちに思えるボクシング映画にジェイク・ギレンホール。この配役自体が大いなるトリックなのである。
実際、ライトヘビー級王者が愛する家族に支えられながら防衛記録を更新し続ける映画かと思わせておいて第一幕で妻がおっ死んでしまうという驚くべき展開を迎えるのだから。この映画は1ラウンドから奇襲を仕掛けてくるぞ!
先日コテンパンに叩きのめした『きみに読む物語』(04年)のレイチェル・マクアダムスが妻役として登場。
◆迷いと決断。そしてリングへ…◆
ジェイクを支える妻レイチェル・マクアダムスは、ホテルのロビーでライバル選手の挑発を受けたジェイクが大乱闘を起こしている最中にライバル選手の取り巻きが放ったダムダム弾に当たって落命してしまう。失意のどん底に叩き落とされたジェイクはぶざまに負け続け、幼い娘がいることも顧みずに自殺未遂を起こしたり、妻の仇討ちのために拳銃を持って相手選手を殺しに行こうとする。
もはやボクシングの「ぼ」の字もない。暴力の「ぼ」である。
とにかく映画中盤は、妻も家も仕事も失い、愛する娘も児童養護施設に入れられてしまうという暗澹たる展開が続く。
そして第二幕に至って、人はこの映画の主演がなぜジェイク・ギレンホールなのかを理解する。ボクシングシーンだけなら多くの役者が演じられるだろうが、この第二幕における全てを失った凋落ボクサーをここまで痛々しく、そして生々しく演じられるのはジェイク・ギレンホールを措いてほかにいないからだ。
絶望などという生易しい言葉では表現しきれないぐらい、第二幕のジェイクは狂人と廃人の混血児と化す。あるいは虚無と鬱憤のブレンドコーヒーだ。
「たかがボクシング映画」でこの凋落っぷりは端的に言ってやり過ぎなのだが、やり過ぎるからこそのジェイク・ギレンホールなのである。
もはやジェイク・ギレンホールって言われねえと分かんねえよ。
たしかにフークアといえば『ティアーズ・オブ・ザ・サン』(03年)や『ザ・シューター/極大射程』(06年)などでアクション映画監督というイメージが強いが、そういう先入観を持っている人は『クロッシング』(09年)という傑作を見逃している可能性が高いので観た方がいいと思います。
そもそもアクションとかボクシングなどと言ってカテゴライズする必要はない。そういうものを取っ払って考えると、フークアの作品では絶えず迷いが描かれている。ほぼすべてのフークア作品を貫く主題は迷いと決断である。
実際この映画の中盤シーケンスは、娘に嫌われて貯金も底をついたジェイクが再びリングに立つかどうかで迷う…という姿に捧げられることになる。相手をノックアウトするための拳がピストルを握り、試合の勲章だった顔の傷が自殺未遂によって付けられたとしても、ジェイクは誰かを殺したり自ら死を選ぶことはしなかった。
ボクシングを再開するというジェイクの決断は、すなわち彼が生きることを選んだことにほかならないからだ。
それは皮肉にも、生前の妻がボクシングを続けるジェイクにやがて訪れるパンチドランカーという死を予期していたことと逆行する。
かつてのジェイクにとってリングに上がることは死と隣り合わせだったが、妻なき今となってはリングに上がることでしか命は躍動しない。打ち合いこそが鼓動。客の歓声は生命賛歌。私ピンクのサスウポー。
そして生前のマクアダ嬢から試合中継の鑑賞を禁じられていた娘は、生まれて初めて父が生きる姿を目撃するのである。
◆この映画は一発KOのストレートパンチだ◆
事程左様に、リング上での闘いではなくリングに上がること/リングから降りることにスポットを当てた意義についてのボクシング映画が『サウスポー』である。
ジェイクの捨て身のファイトスタイルが彼の生き方そのものを反映していたり、トレーナーのフォレスト・ウィテカーからはじめて防御を教わることで大事なもの(娘)を守る術を身につけるなど、人生とボクシングを重ね合わせたベタなメタファーに彩られた123分。
だがこれほどベタなのにしっかり心を掴まれるのは、フークアとジェイクの無骨な振舞いがフィルムの心臓に熱い血液を送り続けたからだろう。
第一幕で訪れる妻の死はトリッキーではあったものの、結局のところ『サウスポー』はストレートパンチの映画だった。
ただし、ストレートなものに対して「おまえの動きなど読めてるわ」とか言う人にはなかなか届かないかもしれない、この映画のサウスポーが。
実際、妻を殺した犯人は放置されたままだし、ジェイクとライバル選手の関係も未消化のまま終わってしまうなどシナリオ面はかなり荒いのだが、そこも含めて捨て身のファイトスタイルというか(いま必死で擁護してます)。
ジェイク同様に立ち回りは雑だが一瞬でも気を緩めるとボコボコにされて心をKOされてしまうという…ハードパンチャーみたいな映画なのである。
本作のMVPは廃人ジェイクを鍛え直したトレーナー、フォレスト・ウィテカーさんへ贈られることになる。
『大統領の執事の涙』(13年)で持てるすべてを出し尽くして以降はただ肩をユラユラさせて片目シバシバさせながら突っ立っているという手抜き芝居が目立つ俳優だが、本作ではついにフォレスト・ウィテカーのウィテカーが火を噴いているので全ウィテカリスト必見の作である。
死んだ妻役は個人的に嫌いなレイチェル・マクアダムスなのでMVPはあげない。正直言って死んでもぜんぜん悲しくなかったことを告白しておく。
それはそうと、レイチェル・マクアダムスは『シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム』(11年)といい『パッション』(12年)といい近年殺されまくりである。いい傾向だ。
ジェイクと何かを分かち合うフォレスト・ウィテカー。『ブラックパンサー』(18年)評で悪口を言ったことを謝りたい。