おっぱい盛リーズ・ゲーム(またはケビンズ・ゲーム)
2017年。アーロン・ソーキン監督。ジェシカ・チャステイン、イドリス・エルバ、ケビン・コスナー。
モーグルの選手として五輪出場も有望視されていたモリーは試合中の怪我でアスリートの道を断念する。ロースクールへ進学することを考えていた彼女は、その前に1年間の休暇をとろうとロサンゼルスにやってくるが、ウェイトレスのバイトで知り合った人々のつながりから、ハリウッドスターや大企業の経営者が法外な掛け金でポーカーに興じるアンダーグラウンドなポーカーゲームの運営アシスタントをすることになる。その才覚で26歳にして自分のゲームルームを開設するモリーだったが、10年後、FBIに逮捕されてしまう。モリーを担当する弁護士は、打ち合わせを重ねるうちに彼女の意外な素顔を知る。(映画.comより)
おはようござります。
昨日、Gさんから「美大に行きたがっている娘に何かアドバイスして下さい」と言われたので、今日は娘さんの進路相談に乗りたいと思います。
個人間のやり取りで済む話をなぜこんな公の場でするのかと言えば、ここでやった方が前置きを考える苦労がひとつ減るからです。文句あるなら来い。
とはいえ、美術高校~美大時代の私は教師に盾突いていた反乱分子でしたので、そんな私からアドバイスできることはとても少ないですが、大事な娘さんの将来に関わる案件なので真面目にお答えしたいと思います。
私から言えることは「教師をペンで刺せ」ということになりますよね。それは。
『エンドレス・ポエトリー』(16年)の評に詳しいんですけど、私は「美大教員になるか屯田兵になるか選べ」と言われたらノータイムで屯田兵を選ぶほど美大教員というものが嫌いでして。
そもそも芸術に教員なんて要らないんですよ。教員というのは一般教養や社会倫理を教えて立派な人間を育てることが仕事ですから、芸術とは対極のことをしている人たちなわけで、美大教員というのはそもそもからして語義矛盾なわけです。
また、美大教員はとにかくしらこい。そしてテキトー。たとえば娘さんが「芸術ってなんですか?」と訊いても「それは自分で見つけ出しなさい」とか言われるわけですよ。
はぐらかすな。おまえに訊いとんねん。
私が課題制作に行き詰まって相談しに行ったときなんて「考えすぎ」って言われましたからね。およそモノを教える側のセリフとは思えない禁断ワードに軽く戦慄。
反面、生徒はすばらしい人が多いので、その点はGさんも安心してください。
こじらせ、ハイカラ、かぶき者、うつ、思想強烈、ロリコン、アナキスト、万年病気、自称変人、自称天才、電波、ゴスロリ、メンヘラ、サイコパス、ソシオパス、パラノイア、入学初日で退学する猛者など、楽しい仲間がたくさんできることでしょう。
一般大学によくいるいちびったバカも少ないので、その点もお母さんとしては嬉しいですね。
娘さんの美大進学を応援しています。地獄へようこそ!
というわけで本日は『モリーズ・ゲーム』をレッツプレイ。
◆ジェシカ様のパラレル二部作◆
やはり想起してしまうのは『女神の見えざる手』(16年)である。政治ロビイストを演じていたジェシカ・チャステインが本作ではポーカールームの経営者を演じており、どちらにも共通点するのは「知性を武器に戦う美しき仕掛け人の物語」ということ。
要するにジェシカ・チャステインは最高ということが言えると思います。
これが処女作となるアーロン・ソーキンは『ソーシャル・ネットワーク』(10年)や『スティーブ・ジョブズ』(15年)のシナリオを手掛けてきた脚本家で、マシンガンのような会話劇を得意とする。本作も『女神の見えざる手』同様に、息もつかせぬ圧倒的情報量でパワーゲームが展開するべしゃりエンターテイメントである。
早い話がジェシカ・チャステインは最高ということが言えると思います。
スキー選手としての道を絶たれてしまったジェシカ様は、第二の人生としてロースクールを出て法律家を目指すつもりだったが、ポーカールームでのアルバイトを続けるうちに勢い余って自分のゲームルームをズドンと開設。超裕福層が大金を賭けてギャンブルに興じるポーカークラブの経営者としてアメリカンドリームを掴むが、連邦法で禁じられた手数料を徴収してしまったことで違法賭博になってしまいFBIにパクられる…。
まるで、もしも『女神の見えざる手』のヒロインがロビイストにならなかったら…というifストーリーみたいだ。
したがって『モリーズ・ゲーム』と『女神の見えざる手』のヒロインは同一人物であり、この2本の映画は彼女のパラレルワールドなのだ…というトチ狂った楽しみ方を提案してみたい。どう思う?
実際、どちらのジェシカ様も頭のキレる野心家で、人心掌握に長けた計算高い才女。裁判所に出廷したり、襲われて殺されそうになったり、働きすぎて不眠症になったりなど、物語的な共通点も多い。
確実に同一人物でしょ。
どちらも未見の方は、ジェシカ・チャステインの「パラレル二部作」として立て続けに鑑賞することをおすすめします。
『モリーズ・ゲーム』のジェシカ様と、彼女を守る弁護士イドリス・エルバ。
◆ゲームルームの裏側◆
有名なポーカー映画といえば『シンシナティ・キッド』(65年)、『マーヴェリック』(94年)、『ラウンダーズ』(98年)あたりだろうか。ちょっと前にも『007 カジノ・ロワイヤル』(06年)でジェームズ・ボンドが政府の金を使い込んでポーカーしてましたね(ダメでしょ)。
だが経営者サイドからポーカー(というかギャンブル全般)を描いた作品はなかなか珍しく、これこそが他のギャンブル映画と一線を画す『モリーズ・ゲーム』の優位性である。
自身のポーカールームを開くにあたって、まず最初に法人化し、違法性がないことを弁護士に確認したジェシカ様は、参加者の人選を重視した卓組みをおこなう。プレイヤーXと呼ばれる最強のポーカー師さえ招けば彼に挑戦するセレブが続々と顧客になってくれる。そこへ金払いのいいカモを混ぜることで一晩中ポーカーが続くサイクルの出来上がり。「プレイヤーXには勝てないけどあのカモになら余裕で勝てる」という環境を整えることで参加者たちの自尊心をコントロール、どんどん金を落としていってもらおうという算段である。
さすがジェシカ様。よう考えられたあるわ。
とはいえジェシカ様は顧客の身ぐるみを剥がして銭を儲けることが目的ではない。ポーカーを快適に楽しんでもらうためのクリーンな運営に情熱を注ぐ良き経営者なのだ。
負け続けてもゲームを降りようとしない顧客には「そろそろやめときや」とスナックのママみたいな老婆心を見せ、全財産をスッて妻にも逃げられた顧客には「相談乗ったるさかい、いつでもウチ頼ってや」と気のいいママ友みたいな老婆心を見せる。良心の塊。
ところが、客が払えなくなった金を補填するためには手数料を取るしかないという部下のアドバイスに従ったことで違法賭博となり、さらにはマフィアやイカサマ師といった物騒な連中が近づいてきて違法賭博運営の罪で捕まったジェシカ様は犯罪組織との癒着まで追及されて八方塞がり。
ポーカー用語でいえばフォールド。ノーペアからのフォールド。使い方合ってる?
金持ちの道楽。
◆喋りまくりのおっぱい映画◆
『女神の見えざる手』評では「膨大なダイアローグ(対話)が主とは言え、決して会話劇に堕していないところが素晴らしい」と述べたが、こちらはほぼほぼ会話劇に堕している。
本作は、こないだ腐した『フェンス』(16年)と似たような瑕疵を持っていて、もっぱらジェシカ様のマシンガントークとボイスオーバーがストーリーテリングの大部分を支配するのだ。
どこかで『ソーシャル・ネットワーク』と似ているという指摘を見かけたが、フィンチャーと同列に語りうるほど『モリーズ・ゲーム』に映画的豊穣が認められるのかと言えばなかなかに厳しく。
良くも悪くも脚本優位の映画。カメラで見せるべきものをセリフで済ませてしまったり、ご丁寧にカメラで見せるべきものを見せながらセリフでも事細かに補足説明してくれるので「映画を観る」というより「話を聞く」感覚に近い。
まぁ、最悪の言葉を使うならラジオドラマで十分。
そして、この批判を想定していたであろうアーロン・ソーキンが「映像にも力入れてまっせぇー」などとわめきながら用意したものといえば、高級ルームに相応しいゴージャスなドレスであり、マフィアの暴行を受けて大怪我を負ったジェシカ様の痛々しい相貌であり、スーパーインポーズされた文字情報の数々である。
つまりセリフの情報量だけでなく映像情報も膨大を極めているが、まるで食べなきゃ損とばかりにバイキングで山盛りに乗せるオバハンのごとき卑しさが滲み出ていて…ちょっと下品な映画だなと思いました。
あと、ジェシカ様のおっぱいこそが事実上の主役といっても過言ではあるまい。
アーロン・ソーキンはスケベなのでおっぱいにカメラを向けてやまないわけだ。
事実、この映画はジェシカ様の貌がいまいち撮れておらず、『ゼロ・ダーク・サーティ』(12年)や『クリムゾン・ピーク』(15年)を彩った印象的な貌は、胸元がザッカァーと開いたドレスから半分出てるおっぱいによって押し潰され、我々の視線はもっぱらジェシカ様がちらつかせる秘境の胸元へと導かれることになる。
たとえ見るつもりはなくても、常に画面の真ん中で胸元ザッカー! 乳ブリーン!となっているので見ざるを得ないという寸法。どちらかと言えば貌より胸のほうにピント合ってない?と思うほど。
やってることがおっぱいの強要だよ。なのにちっとも色っぽくない。これが問題。
胸元ザッカーバーグからのおっぱい盛リーズ・ゲーム。
◆こなすーが来たすー!◆
このように文句ばかりブー垂れている私が140分もこの映画に付き合えたのは果たして誰のおかげだろう。
言うまでもなくケビン・こなすーのおかげだ。
『ドリーム』(16年)ではトイレの看板を親の仇みたいにバールで叩き壊し、『マン・オブ・スティール』(13年)では竜巻に飛ばされて死ぬといった迫真の名演技を見せつけたケビン・こなすーは、脇役ながらも毎度いい仕事をこなす。
本作ではジェシカ様のパパンを演じているが、鬼軍曹のように厳しい教育をしてきたせいで現在のジェシカ様との間には軋轢が生じている。
だが、娘がマフィアにしこたま殴られて逮捕までされたと知り遠路はるばる会いに来たこなすーは、「誰に殴られたんだ!? 見つけ出してそいつを死なす! こなすー、死なすー」と一人でバチクソ怒ってるうちに勝手にメソメソ泣き出してジェシカ様に慰められる。赤ちゃんみたいに。
厳格な父がはじめて娘への愛情を示したシーンに、思わずほろりと貰い泣きしてしまった。
これまで娘に会いに来なすーだったパパンが初めて娘の住むロスに来たすー。
この映画のMVPを誰に贈るべきか、非常に迷うところである。ジェシカ様のおっぱいか、ケビン・こなすーか。
いや、迷う必要などない。
娘の腕のなかでメソメソ泣き、ついでに胎内回帰願望も示したケビン・こなすーさんに決定します!
エンダァァァァァァァァ嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁ。
というわけで『女神の見えざる手』と合わせて観るもよし、おっぱい映画として観るもよし、幼児退行するケビン・こなすーに萌えを見出すもよし。楽しみ方はさまざま。
それが『ケビンズ・ゲーム』だ。