味のある作品という気もするし、ただの失敗作という気もする。
2016年。アン・リー監督。ジョー・アルウィン、ギャレット・ヘドランド、クリステン・スチュワート。
2004年、イラク。味方を助けるために銃撃戦の中へ身を投じたビリー・リンは、その姿を偶然ニュースに取りあげられて国の英雄となり、一時帰国中に全米凱旋ツアーへ駆り出される。故郷で歓迎を受け再出兵をためらう気持ちが芽生える一方で、自分が英雄として扱われることに違和感を抱きはじめるビリー。そして戦地へ戻る前日、凱旋ツアー最大の目玉としてアメリカン・フットボールのハーフタイムイベントに招かれたビリーは、大歓声の中で戦地を回想する。(映画.comより)
朝なので、おはようござっていくわけです。
いつも前置きで朝の挨拶をしているけど、本当はこんな無意味なことなんてしなくないな。読者によっては昼に読む人もいるし夜に読んでくださる人もいる。にも関わらず朝の挨拶をするということは、その人たちのことをまったく考えてないと思うんですよ。
私は朝にブログを更新するから朝の挨拶をしてるわけですが、それは私の勝手な都合、挨拶という名の暴力、もはやエゴであって、朝以外に読んでくださる読者にとっては関係のないことです。
私は朝を振りかざしてしまっていたのです。
あまりに朝を振りかざしすぎた。朝こそ正義と言わんばかりに。これぞ太陽賛歌の申し子といえる。
しかし本来の私は夜行性。夜に生きる映画の吸血鬼。これまでは自分を騙しておはよう、おはようと言いすぎていたのです。
もう自分に嘘はつきたくない。本当の人生を手に入れたい。月光浴をして何らかのパワーを高めたい。
というわけで金輪際「おはようございます」という前置きはしません。朝なんか二度と来るな!
そんな誓いを立てた本日は『ビリー・リンの永遠の一日』について語っていきたいと思います。よろしくお願いね。
◆なんだかよくわからない凱旋ツアー映画◆
『ブロークバック・マウンテン』(05年)や『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(12年)でアカデミー賞をさんざん荒らし回ったアン・リーの最新作は、イラク戦争から帰還した若き軍人が周囲の称賛とは裏腹に戦場でのトラウマを引きずって延々葛藤する…というとてつもなく陰気な作品だ。
イラク戦争の広告塔となったブラボー隊の7人が全米各地を巡る凱旋ツアーへと駆り出され、アメリカン・フットボールのハーフタイム・イベントに招かれる。そこで主人公のジョー・アルウィンは戦地を回想するのだが、この作品は回想シーンが主体ではなく、あくまで凱旋ツアーをおこなう現在の時間軸に比重が置かれている。
なんとも不思議な作品である。頭がシャベシャベになりそうだ。
ドラマティックな展開やそれらしい苦悩が描かれることなく、ただ凱旋ツアーの工程が淡々と映し出されていく112分。
ホテルから出たブラボー隊の7人がぎゃあぎゃあ騒ぎながらリムジンに乗りこみ、クリス・タッカー演じる映画プロデューサーから「君たちの雄姿を映画にしたい」という交渉を持ちかけられる。会場に到着した一行はアメフト鑑賞を楽しみ、隊員の一人が前列に座っていた一般市民ともめて首を締める。主人公のジョーはチアガールの一人と恋仲になり、上官のギャレット・ヘドランドはぷりぷりしながら軍人の心得を説き続けた。
そしてハーフタイム・イベントが始まる。ビヨンセ的な歌手がここぞとばかりにケツを振って歌い、花火がボンボン打ちあがるステージの上で、ブラボー隊が気をつけをしたまま人々の「ブラボー」という歓声を受ける。
そしてイベントを終えたブラボー隊は再びイラクに出征した。
終わり。
終わるの?
ハーフタイム・イベントがクライマックス。
◆なんだかよくわからないヘンな映画◆
映画はブラボー隊の7人を兵士ではなく人間として扱っているようだ。
事実、ここにはジョーを除く残りの6人が大いに羽を伸ばし、下品なジョークを飛ばし合いながらアメフト鑑賞を楽しむ様子や、人々の称賛を浴びたことでまるで自分たちが神にでもなったかのように傲然と振舞う様子が描き出されているのだ。
ジョーの姉を演じるクリステン・スチュワートは、再びイラクに戻ろうとする弟を涙ながらに止め、かと思えば恋仲になったチアガールは「あなたは軍人でしょ?」と言って再出兵に戸惑うジョーをイラクに行かせようとする。
ジョーたちを英雄視する大衆と、英雄視されることに違和感を覚える当人たち。
この両者の間に生じたズレをひたすら見つめ続ける映画…とでも申しましょうか。申しちゃいましょう。とにかく本作は一軍人の内的葛藤にフォーカスした内容で、いわゆる機関銃をばりばり撃って喜んでいるような「戦争映画」の即物性とは明らかに一線を画した作品である。
なんだろうな、これ。主題も内容もまったく違うが、どこかデヴィッド・クローネンバーグの『コズモポリス』(12年)を思わせる観念性を湛えています。掴みどころがないというか。要するに頭がシャベシャベになりそうな映画ということだ。
『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』と同じく、幻想とも幻覚ともつかないマジックリアリズムのようなシーンが随所に見られるし、ジョーのケータイに届いたEメールが画面に直接スーパーインポーズされるという若々しい演出もよく跳ねているが、どうもこの映画のテーマと乖離しているように思えて私はあまり快く思わなかった。
まぁなんだ、一言で片づけてしまうとヘンな映画なのだ。
ことによるとアン・リーは酒を飲みながら撮ったのではないかと勘繰りたくなるほど、不思議な酩酊感が映画から三半規管を奪っている。したがって評価が難しい。どうすりゃいいんだ、俺は。こんなものを見せられて。
なかなか味のある作品という気もするし、ただの失敗作という気もする。
ただしアン・リーはこれを撮らねばならなかったのか? という疑問だけは明確に残るので、その点だけは厳しく追及したい。
イラクに派遣された米軍人たちのパーソナリティに釣瓶を落とすことで、軍人というフィルター抜きに彼らを見据えてイラク戦争の再解釈を促す…。
なるほど、狙いはわかるが それにしては遅すぎる。10年前ならともかく、なぜ今になってこの作品を世に送らねばならなかったのかと考えると、うーん…機を逸した感が尋常ではないわけです。
ジョー(左)だけがアメフト観戦を楽しんでいない。
◆なんだかよくわからないけどキャストは豪華◆
死ぬほどパッとしない映画にも関わらずキャストがハンパに豪華というのが一層酩酊感を加速させるよな。
『トロン: レガシー』(10年)で初主演を飾ったギャレット・ヘドランド。
『ラッシュアワー』(98年)のお喋りクソ野郎ことクリス・タッカー。
この手のよくわからないマイナー映画によく出るクリステン・スチュワート。
『サボテン・ブラザーズ』(86年)や『ピンクパンサー』(06年)のコメディアン スティーヴ・マーティン。
さらには映画一本で2000万ドルをゲットする世界一のギャラ泥棒 ヴィン・ディーゼル(すぐ死にます)。
ちなみに本作の製作費は4000万ドル。この内容にしてはかなり破格の予算だが ほぼほぼヴィン・ディーゼルがかっさらったものと思われる。
皆さんです。
主演のジョー・アルウィンは1991年生まれの男の子。たぶん素直な性格。映画初出演のド新人だが、驚くほど貌がいいのできっと売れるだろう(もちろん格好いいという意味ではなくスクリーン向きの貌ということ)。
ちなみに男をとっかえひっかえするたびに失恋の痛手(笑)を曲にすることでお馴染みのウーウウッウッウー女、すなわちテイラー・スウィフトの最新ボーイフレンドらしいので、彼女の曲にジョーが登場する日も近いだろう。
なお、ウーウウッウッウー女は上官役のギャレット・ヘドランドとも過去に交際していた。ええ加減にせえっちゅーね。
交際は順調らしい。
いずれにせよ『リダクテッド 真実の価値』(07年)、『ハート・ロッカー』(08年)、『アメリカン・スナイパー』(14年)など、数あるイラク戦争ものとは明らかに異なる映像言語で作られた作品なので、もしもあなたがヘンな映画を好むのであればチェケラとだけ言っておきます。
そうね。ジャンルは違うけど『ドッグ・イート・ドッグ』(16年)によく似ているよ。
いったいアン・リーはどこへ向かおうとしているのだろう?
ついそんな思索に耽ってしまうような圧倒的迷作に後ずさりしながらの祝福。
というわけで今回の評は大失敗。
内容が内容なだけにフワフワした評になってしまったことをお詫びします。これはちょっと反省しなきゃいけないな。
ウーウウッウッウ~♪
テイラー・スウィフトにはまったく興味ないが長回しマニアとしては適度に楽しめるMV。