言葉選びにご用心。
1963年。ロバート・マリガン監督。ナタリー・ウッド、スティーブ・マックイーン。
マンハッタンで気ままに暮らす楽士のロッキーの前に、デパートで売り子をしているアンジーが突然現れた。2人は以前一夜を過ごしたことがあり、アンジーは妊娠してしまったことを伝えに来たのだった。ロッキーは驚いたが責任を認め、処置してくれる医者を探すことを約束した。(Amazonより)
ぃぃぃぃぃぃぃぃやっはーッ!
一身上の都合により高揚しております。
本日、皆さまを相手取ってお話させて頂くのは『マンハッタン物語』という何とも言えない作品なのだけど、個人的には書いてて楽しい評になりました。
そんな話はどうでもいいとして、近ごろ煙草の本数が増えてきて困っております。しかし文章を書くにはどうしても煙草が要るので、禁煙するには批評活動を辞めねばならないわけです。
辞めてたまるか! 吸えばもろともじゃ。
というわけで『マンハッタン物語』。マンハッタンに行ってみたいなぁ。
◆「罰」言うな!◆
今月、TSUTAYA発掘良品で復刻されて「へぇ、ナタリー・ウッドとマックイーンの映画なんてあったんだ」と思ってさっそく観てやりましたよ。まいったか、この野郎。
プレイボーイの男が行きずりの関係で妊娠させてしまった女に堕胎手術を受けさせようとマンハッタン中を駆け回り、やがて諦めて結婚することに。しかし男の「潔く罰を受ける」という言葉に女は激憤。とは言えなんやかんやで最終的には結ばれる…といった安心設計のロマンス映画になっているよ。
だがこれは通り一遍のロマンスではない。なめんな!
二人の恋愛関係ではなくヒロインの人間性をひたすら掘り下げた内容になっているんでございます。
ヒロインはナタリー・ウッドが演じているが、彼女は一夜の過ちで自分を妊娠させたスティーブ・マックイーンを憎悪しつつも、堕胎医を探そうとする彼にちょこちょこと追従してマンハッタン中を駆け回る。
しかし、産みたいのか堕ろしたいのか…というナタリー本人の意思は一度も明示されないのね。
その理由はナタリーの家庭環境にある。過保護な兄と昔気質の母親に囲まれた実家で自立心を奪われた彼女は、兄が選んだ結婚相手とお見合いをさせられたり、ついに家出したかと思えば1分後には帰ってくるような主体性ゼロガール。
『マンハッタン物語』は、意志薄弱の彼女が主体性をゲットして「ある選択」をするまでの物語なのである。
そう、もはやロマンスではない。
一方のマックイーンは金持ち女のヒモになって無為な人生を送っている無職のバンジョー奏者。のらりくらりと生きているチャランポランな奴で、文なし、宿なし、ナシつけた女は数限りなし。
ところがナタリーの妊娠を知ったことで少しずつ責任感を持ちはじめ、彼なりに事態を真摯に受け止めて「中絶費用を半分持つ」と言ってみたり「責任をとって結婚するよ。潔く罰を受ける」と言ってみたりするのだが、かえって火に油を注ぐことに。
『マンハッタン物語』は、無責任極まりない彼が道理をゲットして「ある選択」をするまでの物語なのである。
そう、もはやロマンスではない。
妊娠を知ったときのマックイーンの顔を貼り付けておきます。晒し上げじゃ!
それはそうと、私もマックイーンの「潔く罰を受ける」発言にブチぎれたナタリーと同様、デキちゃった結婚をしたときに男側がよく言う「けじめ」とか「責任」といった物言いには心底むかついている。「償うために結婚するの?」と。相手の女性に失礼だし、何より生まれくるベイビーが気の毒すぎやしまいか。する。「責任をとって~」という言葉ほど無責任はものはない。
しかもマックイーンは結婚のことを「罰」言うてもうてるからね。
「結婚」を表現する脳内語彙アワードでいちばん受賞させたらあかんやつや。それ。
言葉の選び方がヘタすぎて笑ってしまいました。よりによって「罰」を選ぶかと。
世の男性諸君、くれぐれも言葉選びは慎重に!
◆たまたマンハッタンのステキ味◆
さて、映画としては美点と欠点がハッキリしているので、誰彼かまわず勧められるものではございません。
ちなみに私には相当キツい映画で、正確に9回居眠りしている。103分の映画なのに最後まで観終えるのに3時間ぐらい要した…というビターな思い出だけが心に残りました。
本作最大のネックは戯曲性への固執。
決して戯曲を基にした映画ではないのに限りなくそう見えるほど戯曲的で、端的にいえば台詞依存なのである。
すべてのシーケンスが密室での会話劇で、ナタリーとマックイーン、あるいは両者の家族がせわしなく画面を出入りして、まあ喋る喋る。
ちなみにエリザベス・テイラーが好きな私としては『去年の夏 突然に』(59年)とか『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(66年)みたいな会話劇をさんざん観てきたのでそれなりに耐性を持ってはいるけれど(それでも9回寝てるんだけど)、本作がキツいのは感情的なナタリーと不快な脇役キャラ。登場人物が全員むかつく…という精神衛生上あまりよろしくない映画で。
まどろみながらイライラするという怒りと倦怠の豪華2点セットを味わいながらの熟睡。いやな夢を見ました。
一方の美点は撮影全般。
先ほど「室内が主舞台」という話をしたものの、マンハッタンの街並みが随所にちりばめられていて、それが実にいいわけです。
世界一マンハッタンを撮っている人間といえばウディ・アレンで、特にそのものずばりな『マンハッタン』(79年)は私の生涯ベスト100に入るほど好きな作品なのだけど、とはいえ『マンハッタン』で描きだされたマンハッタンはウディ・アレンの郷愁に満ちた思い出補正の産物…、つまり監督の目から見た主観的な都市がある種の幻想としてフィルムの表層に立ち上がっているに過ぎない。
対して本作は、1963年のマンハッタンが生々しい息遣いで胎動するさまを当時の風俗ごとパッキングしている。いわば たまたま映りこんでしまったマンハッタン、いわば「たまたマンハッタン」という歴史資料的な純粋さを持っているのである。わかって頂けるか。
そんなマンハッタンの純粋さが「二人の純粋さ」に結実するのがラストシーン。これは見ものですよ。
大喧嘩の果てに「結婚するぐらいなら死んだ方がマシだ」と考えるようになったマックイーンが、数日後に路上でバンジョーを弾きながら掲げたプラカードには「死ぬよりも結婚の方がマシ」の文字。
驚いたナタリーは人混みを掻きわけるようにして逃げ出すが、プラカード野郎はバンジョーを弾きながら執拗に追う。キモいキモいキモい。そしてついにプラカードを捨てたマックイーンは、人が犇めき合う交差点の真ん中でナタリーと熱い抱擁を交わすのだった…。
この馬鹿馬鹿しくも可愛らしいラストシーンはゲリラ撮影によって生まれたものであり、たまたま映りこんでしまった通行人が「えっ、ナタリー・ウッドとスティーブ・マックイーンじゃない!?」と驚く顔もちらほら。
作為も郷愁もなし。ここには生々しく胎動するマンハッタンが生命を謳歌しておりました。
見せつけてくれるじゃないのさ!
◆世界の奴らはナタリー・ウッドをもっと評価しろ◆
本作はアクションスターの代名詞であるスティーブ・マックイーンがアクションをしない数少ない映画のひとつである。
すでに『荒野の七人』(60年)と『大脱走』(63年)でそこそこの地位を確立したあとの作品だが、『ブリット』(68年)や『ゲッタウェイ』(72年)で世界的な大スターになるのはもう少し先の話。
本作では男女の機微に通じない無責任&不器用な男を静的に演じていて、マックイーンの「芝居」が楽しめる貴重な作品になっている。
ほかの映画では誰よりもよく動くマックイーンが、本作では誰よりも物静かで、馬に乗ったりバイクに乗ったりもしない。脱走もしないし華麗でもない。
スティーブ・マックイーンという時代のアイコンを別角度から見つめ直すことができた作品でした。ええ経験さしてもらいました。
さぁぁぁぁて! さてさて!
さてぇぇぇぇぇぇぇぇッ!
大声出してごめんなさいね。とは言え、さて!
ようやくナタリー・ウッドのお話ができることに心をブギウギと躍らせております。
ナタリー・ウッド。とてもお気に入りの女優である。『古典女優十選』では惜しくも漏れたけど 11位にはいましたから。
…やっぱ嘘。19位かな?(とは言え!)
人はナタリー・ウッドという字の連なりを真剣に再認識せねばならない。
せめて一年に一回、5分だけでもナタリー・ウッドについて考える機会をどこかに設けても罰は当たらないはずだ。
なのになぜ設けないんですか、という話である。たった5分すら惜しむほどあなたは忙しい人なんですか。大統領ですか。ジャック・バウアーですか。
一年に一回 5分だけナタリーのことを考える。そんなに難しいことでしょうか。それすら難しいと感じるほどあなたはおバカな人なんですか。トランプ大統領ですか。Mr.ビーンですか。
ナタリーと聞けばすぐポートマンと言う!
ウッドはどうした、ウッドは!
子役として『三十四丁目の奇蹟』(47年)に出演し、その後ジェームズ・ディーンと共演した『理由なき反抗』(55年)、ジョン・フォードの最高傑作『捜索者』(56年)、バカみたいにヒットした『ウエスト・サイド物語』(61年)と、今なお語り継がれる数々の名作に出ていながら どうも過小評価されている気がして仕方ないのである。はらたつ。
なるほど、当時の映画女優にはマストの「派手さ」はないし、スクリーンを彩る添え物女優という向きも否定できまい。みとめる!
だが彼女はハリウッドの闇にこそ生きる女。
ヘイズコードの敷かれたハリウッドにおいて、本作では妊娠、堕胎、親の抑圧といったタブーに切り込んでいる。
ちなみにエリア・カザンの『草原の輝き』(61年)もこれとよく似た映画で、過保護な母親に育てられたナタリーが行きすぎた純潔教育に縛られ、恋人であるウォーレン・ベイティからの性交渉を拒否し続けた結果、彼がほかの女と肉体関係を持ってしまったことに深く傷つき、自殺未遂を起こして精神病院にぶちこまれてしまう…という悲惨なキャラクターを演じている。
ナタリー・ウッドは「数々の不幸を背負った庶民的女性」を演じ、スクリーン越しにアメリカの暗部をえぐり出したスターなのだ。
そんな彼女は1981年に43歳の若さでこの世を去った。ポンコツSF映画『ブレインストーム』(83年)の撮影中に入り江で水死しているのが発見されたのだ。
事故死とされる一方で他殺を疑う声もあり、マリリン・モンローの不審死のように長らく迷宮入りしていたが、2018年2月に重要参考人として名前があがった元夫の俳優ロバート・ワグナー(88歳)が事情聴取を拒否したことがニュースに。今後、捜査は進展するのだろうか…。
まさに『マンハッタン殺人ミステリー』(93年)。
ウディ・アレン監督/主演のまあまあおもしろい映画だよ。ナタリー・ウッドとは何の関係もないけど。
この髪型、大好き!