スケベッソンの趣味が炸裂したSF珍百景。
2017年。リュック・ベッソン監督。デイン・デハーン、カーラ・デルヴィーニュ、クライブ・オーウェン、リアーナ。
西暦2740年。宇宙の平和を守るため、銀河をパトロールしている連邦捜査官のヴァレリアンとローレリーヌ。アルファ宇宙ステーションに降り立った彼らは、長い時間をかけて規模を広げ、多種多彩な種族が共存している「千の惑星の都市」の繁栄を目にする。だがその裏にはある秘密が存在し…。(Yahoo!映画より)
おはようございます。
最近髪の毛がモッサリしてきて困っています。カリスマに切ってもらいたいけど、切ってもらうためには予約の電話を入れないといけないでしょ。その電話を入れるのが億劫なので、私の毛髪は日ごと夜ごとにモッサリし続けているわけです。
しかも私が通っている断髪屋さんには過去にヘンな髪型にされてちょっとした遺恨を残したスタッフがいるので、事前にその店のサイトの「スタッフ出勤日」を確認してそのスタッフが休みの日を調べないといけない…という手間が発生するんです。これがまた面倒臭い。
まぁ、たとえそのスタッフが入ってる日でも別のスタッフを指名すればいいだけなんですけど、指名料が500円かかるのでね。
「切ってもらいたい人」ではなく「この人以外なら誰が切ってくれてもいい」という、もはや指名料というより除外料に500円払うのは馬鹿臭い…というのでこういう事をしてるんですけど、そんなことをしてる間にも髪の毛はモッサリの一途を辿るわけです。
前髪の長さが口に達したので、昨日そこだけ自分でカットしました。
というわけで本日は『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』ですね。はいはい。やりますよ。
◆妙にセコい話◆
ここへきて中途半端な復活を遂げたリュック・ベッソンが『マラヴィータ』(13年)と『LUCY/ルーシー』(14年)に続いて放り投げた第三球は「今さらコレをやるか」というようなド直球だった。
ん~~…ヴァレリアン!
興行的にも批評的にも爆死しておりますが、ベッソンの薄っぺらさがある種のおもしろさに転じた快作なので、人類はみなフランスの方角に向かって「ヤッホー」と叫ぶべきだろう。
開幕。スタンダードサイズで映された宇宙空間にデヴィッド・ボウイの「スペース・オディティ」が流れる。選曲がそのまんま過ぎて早くも失笑。リドリー・スコットが『オデッセイ』(15年)で使った「スターマン」もどうかと思ったが、それに輪をかけるセンスのなさ。
そのあと、曲が進むにしたがって画面の黒帯が左右に引っ込んでいき、サビを迎えると同時にシネスコの大画面に!
まぁ、『Mommy/マミー』(14年)をやってるわけです。
画面グーンは20秒から。
茶番が終わってようやく本編。
惑星ミュールが何者かによって破壊されるまでの導入部にえらく尺を使ったあと、宇宙船のなかでデイン・デハーンが相棒のカーラ・デルヴィーニュをしつこく口説く…というくだりが10分近く描かれる。この時点ですでに30分が経過している。「かけた時間」と「描かれた内容」の反比例ぶりたるや。今回もベッソンの薄っぺらさは健在のようで実に喜ばしい。
そんな二人の冒険活劇が繰り広げられるわけだが、『千の惑星の救世主』という邦題から『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(14年)のような銀河を股にかけるスペース・オペラを連想されては困る。誰が困るのかと言えばベッソンが困る。
本作は「千の惑星」が出てくる内容ではなく千の惑星の民族が共生しているコロニーを主舞台とした内容なので、わりと小ぢんまりした世界観なのである。ざんねん。
デインデハーン(左)とカーラ・デルヴィーニュ(右)。
おまけに話もセコい。
宇宙警察のデハーン&カーラがかつて惑星ミュールに暮らしていた絶滅危惧種のブタを救い出す過程でいったい誰がミュールを破壊したのかという謎を追っていく…というミステリー仕立てになっているのだが、二人に命令をくだす司令官役をクライヴ・オーウェンが演じていて、カーラが保護したブタをよこすよう命じる。
オーウェン「ほら、よこしなさい。ブタは私が預かろう」
カーラ「いや、大丈夫です」
オーウェン「あっ、拒否…」
カーラ「私たちが保護するように上から言われてるんで」
オーウェン「ほんまに預かっとかんでええの?」
カーラ「お気持ちはありがたいですが結構です。私たちが責任を持って保護しますから」
オーウェン「じゃあ一日だけ預からせて」
カーラ「ダメです司令官。なんで食い下がってくるんですか?」
オーウェン「なん…っじゃオラ! ええやろ一日ぐらい! クソがッ」
黒幕こいつやん。
露骨に怪しいんだよ。登場5分で犯人わかったよ。さすがベッソン、子供でも分かる謎解きを仕掛けてくれてどうもありがとうだよ。
『クローサー』(04年)や『トゥモロー・ワールド』(06年)などで一時は売れっ子だったが近年パッとしないクライブ・オーウェン。黒幕です。
◆ベッソン集大成◆
このように、誰が惑星ミュールを滅亡させたのかという本筋は最初からミエミエなのだが、ベッソン自身はそこにこだわっている様子はない。
むしろ全編ほぼ寄り道的なエピソードの集積によるコロニー散策こそがこの映画の見所。
水辺も出てくるし砂漠も洞窟もあるしこんな都市もありますよ!といった目くるめくSF珍百景が紹介されていく、まるで風景画のようなビジュアル優位の作品である。
さまざまな宇宙人が犇めきあう雑多な世界観なんてさながら『スター・ウォーズ』。
いや、宇宙の運命を左右する決め手が愛(笑う)という共通点からも、本作は『フィフス・エレメント』(94年)の焼き直しなのだろう。
実際『フィフス・エレメント』が好きな人なら高い確率で楽しめると思います。ゲイリー・オールドマンやイアン・ホルムといったユニークなキャラクターは今回イーサン・ホークとリアーナが引き継いでいるし(1分だけ登場するルトガー・ハウアーも忘れてはなりません)。
ビジュアルを楽しむといいよ。
ベッソン作品だから薄い、軽い、長いはご愛嬌。
特にデハーンがバカの子まるだしで、司令官が拉致された宇宙船をガンガン撃っちゃうような向こう見ずだったり(上司殺す気か!)、人食い族に捕まったカーラを救出せねばならないのにリアーナのセクシーダンスに見惚れてたり。
そうした枝葉末節にえらく尺を取ったせいで全体的に鈍重な印象を受けるあたりも否定できない。ちなみに上映時間137分。
ハリウッドで活躍する多くの商業監督と同じく、ベッソンもまた「120分の壁」にぶち当たっている作家の一人で、あの薄味メロドラマの『レオン』ですら2時間におさめられない三流である。
だが、近年のベッソンは一味違う。
112分の軽快なコメディ『マラヴィータ』で肩慣らしした後に、『アンジェラ』(05年)の自己アンサーともいえる『LUCY/ルーシー』ではやりたいことを全部やりきっての89分。ここでようやくベッソンは映画監督としてひとつのピークに達するわけだ。
リュック・ベッソンの到達点は『LUCY/ルーシー』。これで打ち止め。
さぁ、このあとに何をするのかと言えば、20年以上前…ことによると幼少期の頃から作りたいと願い続けてきた『ヴァレリアン&ロールリンヌ』(フランスの漫画)の映画化である。そもそも『フィフス・エレメント』は技術的な問題から『ヴァレリアン&ロールリンヌ』を映画化できなかったことの代償行為として作られたものだ。
だがVFXやCGの進歩によってようやく数十年来の夢が叶うと知ったベッソンは、あるひとつの結論に達する。
「薄い、軽い、長い。上等!」ということである。
本作『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』が莫大な製作費(1億7000ドル以上!)を回収できないと知っても、またぞろひとつの結論に達する。
「知るか」ということである。
本作に見られる美女、英雄譚、変なクリーチャー、変なガジェット、最後は愛が勝つイムズ…といったベッソンモチーフのごった煮状態は、こうなったら好きなものを全部詰め込んでやるぞという開き直りの表れだ。
薄い、軽い、長いも気にしない。赤字必至の負け戦だろうと知ったこっちゃない。
映画監督としては『LUCY/ルーシー』でピークに達したのだから、それを「貯金」に好き放題やらせてもらうよ、というワガママに貫かれた趣味炸裂の一人遊び。それが『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』なのだ。
たしかに作りは雑だし脇も甘いが、だからなんだと言うのだ。しょうもない。
大体においてベッソンが撮り続けているのは映画ではなくおにゃのこなのである。昔からそうだっただろうがよ!
『サブウェイ』(85年)のイザベラ・アジャーニ、『グラン・ブルー』(88年)のロザンナ・アークエット、『ニキータ』(90年)のアンヌ・パリロー、『レオン』のナタリー・ポートマン、『フィフス・エレメント』のミラ・ジョヴォヴィッチ、『アンジェラ』のリー・ラスムッセン、『LUCY/ルーシー』のスカーレット・ヨハンソン。
そして本作のカーラ・デルヴィーニュ!
映画をタテマエに好みの女を撮りまくって あわよくば手を出す…という背徳の身振り(アンヌ・パリローやミラジョボとは結婚していた時期もある)。
これがベッソンの生き方なのである。
人呼んでスケベッソン。
浮気ヴァレリアン。
ベッソンミューズ。
◆映画を救った二人◆
先述した通りストーリーテリングは鈍重だしストーリー自体も一本調子。言うまでもないが画面はどこまでも薄っぺらく、キメのシーンも逐一ダサい。
宇宙人のキャラクター造形をはじめガジェットやセットも既視感たっぷりで、考えまいとしても、あぁ『ブレードランナー』(82年)やってる、まんま『アバター』(09年)じゃん、相変わらず『攻殻機動隊』が好きなのね、といった引用元がビュンビュン脳裏をよぎる状態。
とは言え、いい意味でガキっぽいのだ。
なんやかんやで「ぼくのすきなもの」が無節操に詰め込まれたチグハグな世界観が楽しく、おもちゃ箱をひっくり返したような野放図なパワーに満ち溢れている。どこにも誰にも遠慮していないという意味では、ちょうど『キル・ビル』(03年)を観ている感覚に近い。
そんなチグハグな世界の中でもしっかり魅せてくれるのが若き主演二人。
プレイボーイの自信家を演じたデイン・デハーン(ベッソンが自己投影したキャラ)は寺沢武一の『コブラ』のように飄々としていて、全編に渡って跳んで走って落っこちる。その活気ある身体性が本作をかろうじて活劇たらしめている。
そんなデハーン坊、若き日のディカプリオに似ていると評されているが、『クロニクル』(12年)や『アメイジング・スパイダーマン2』(14年)を見るにつけディカプリオとは対極のアクション娯楽路線を突き進むのだろうか?
今後が楽しみな俳優であります。
そして相棒を演じたカーラ・デルヴィーニュ。
『天使が消えた街』(14年)や『キッズ・イン・ラブ』(16年)を観たときは「ヘンな顔したモデル上がり」ぐらいにしか思ってなかったが、さすがは女優撮りのスケベッソン、本作では抜群の相貌を湛えて画面におさまっており、物語が進むにしたがって相棒→女傑→お姫様と格上げされてゆくさまが楽しく。
ちなみに『スーサイド・スクワッド』(16年)ではクネクネ踊っているふざけた敵(エンチャントレス)を演じていたが、あんなもので「カーラ・デルヴィーニュを見た」とは思ってほしくないほど凛然と画面に映えておられる。
本作はこの二人に救われている。『千の惑星の救世主』ではなくアホのベッソンの救世主なのだ。
ちなみに国防大臣を演じたハービー・ハンコックの汚い顔が出てくる度になぜか笑ってしまったことを懺悔しておく。
可愛そうなハービー。