シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

三人の女

しっくりこなイズムが通底する難解映画。

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1977年。ロバート・アルトマン監督。シェリー・デュヴァル、シシー・スペイセク、ジャニス・ルール。

 

カリフォルニアにある老人患者専門のリハビリ・センターにやってきた娘ピンキーは、看護婦ミリーに付き添い、見習いとして働き始める。やがてふたりは不思議な絵を描いている女性ウィリーの夫が経営するアパートで生活し始める。そんな折、ミリーから邪魔者扱いされ、部屋を追い出されたピンキーが自殺を図るという事件が。彼女は一命を取りとめるが、その後、性格が一変して…。(映画.comより)

 

ご機嫌麗しゅう。

ブルーベリーチョコレートを優雅に舐めながらの前書き執筆となります。そして手元には赤ワイン。これぞ王者の振舞い。Ipodからは よく分からずに入れたマイルス・デイヴィスの不可解なジャズ。奇しくもイキがり要素満載。

だけどテーブルの端に置かれた味ぽんがすべての調和を崩しております。しょせん私も下々の民というわけか。というか、なんでこんな所に味ぽんがあるんだろう。

というわけで本日は『三人の女』

内側から語った文章になっているので、すでに本作をご覧になった人しか楽しめないと思う。そしてこの映画を観ている人はほぼいない。

つまり本稿は確実に人気が出ない。

ああ、人生は地獄だ…。

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◆しっくりこなイズム◆

pikaさんが観ておられたので真似っこして私も観ました。

ロバート・アルトマンは意外に多作である。『M★A★S★H マッシュ』(70年)ロング・グッドバイ(73年)『ザ・プレイヤー』(92年)『ショート・カッツ』(94年)あたりは映画好きの多くが押さえているが、さてそこから先は…となるとお手上げ状態の人が続出するという有様。

かくいう私もアルトマン好きを公言していながらほとんど観ていないという背徳のペテン師なのだが、このたびpikaさんに倣って「たまにはアルトマンも観なきゃなぁ」とぶつぶつ言いながら鑑賞に臨んだ次第。

今や時代はアントマン(15年)だが、せめて我々だけでもアルトマンを観ましょうね。


カリフォルニア州パームスプリングスの温泉付きサナトリウムに勤務初日のピンキーがやってきて、先輩看護婦のミリーに仕事を教わりながらジジババの世話をする。

ピンキーは異常なほどミリーに懐き、ミリーもまたピンキーを妹分としてよく可愛がっている。たいへん仲のよい二人だ。

やがて同じアパートでルームシェアをした二人は、休日になると町はずれの酒場でビールを楽しむようになる。その酒場には絵描きのウィリーという妊婦がいて、ペンキを使って地面に半獣人のキモい絵を描き続けていた。彼女は街中の至るところにキモい絵を描きまくっており、ピンキーが「その絵、キモいね」と話しかけても無視するといった不思議な女である。

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ジジババの扱い方をレクチャーするミリー(左)と指導を受けるピンキー(右)。


ここまでが映画前半。三人の女たちの生活が緩やかに描き出されていくのだが、この時点で相当量の謎と刺激がわれわれの大脳を揺さぶることになる。

第一に、何気ないショットをかすかに震わせる「何かがおかしい。しっくりこない…」という感覚。

本作はホラーに位置づけられているが、べつに胸をざわつかせるような撮影・演出をしているわけでも、なにか具体的に恐ろしいことが起こるわけでもない。むしろごく普通の女たちの生活がごく普通に撮られているだけなのだが、なぜか不協和音のような気持ち悪さを覚えるのである。

われわれ観客も、普段の日常生活の中でしっくりこなイズムに陥ることがある。

たとえば、いつも付けている腕時計をたまたま付け忘れたことに気づかないとき。

シャツのボタンを掛け違えていることに気づかないとき。

スーパーの帰り道で大事なものを買い忘れたことに気づかないとき。

それに気付くまでの間は「なんかしっくりこない…」という微かな違和感を覚えるはずだ。その微かな違和感が通奏低音のようにず~~~~っと続く映画。それが本作なのである。なんとなく伝わってますね?


◆謎の同化現象◆

そうした「微かな違和感」の正体はいろいろある。

たとえば奇妙なキャラクター造形。ピンキーは純粋な少女だが、人目を盗んで車椅子を乗り回したり、ストローに息を入れてジュースをブクブクさせたり、なみなみ注がれたビールに息を吹きかけて泡を散らしたりといったはしたないことを平気でやってのける。

「純粋ゆえに悪戯が好きなだけ」という見方もできるが、それを悪戯と呼ぶほど微笑ましい撮り方はされておらず、どちらかと言えば誰も見ていないところで心のうちに閉まった闇を吐き出しているかのような秘密めいたショットとして提示されるのである。

そしてミリー。

彼女はいつも同僚の看護婦たちに取り留めのないことを喋っているのだが、やがて観る者は誰一人としてミリーの雑談に反応を示さないことに気づく。返事も相槌もなく、まるでテレビから垂れ流された下品なトーク番組みたいにミリーが一人延々と喋り続けるのだ。

つまり周囲の人から無視されているわけだが、自分が嫌われていることにすら気づかない彼女はどれだけ無視されても積極的に人に話しかける。だが決してハートが強いわけではない。彼女には「自分が無視されている」という自覚すらないのだ。

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悪戯女のピンキー(左)、一人喋りのミリー(右)。


そんなピンキーとミリーはルームシェアを始めたことで次第に同化していく。

ミリーは自分の服をピンキーに与え、やがて同じ男と関係を持つように…。

また、ミリーという名前は「ミルドレッド」の愛称なのだが、のちにピンキーは自分の本名がミルドレッドだと明かす。名前まで同化してしまうのだ。

そんな二人の同化現象を暗示するように、同じ職場にいる「双子」が何度も画面を横切ってゆく。

一方、絵描きの妊婦ウィリーは、二人が住むアパートのプールの壁にキモい絵を描き続ける。子供の父親はピンキーやミリーとも関係を持った男である。

映画は、そんな三人の女を水槽越しのショットで何度も捉えていく。二人がルームシェアした部屋に置かれた水槽をイマジナリー・ラインとして、カメラは室内のピンキー&ミリーとプールで絵を描いているウィリーを交互に切り返すのだ。画面手前に置かれた水槽のせいで、まるで被写体が溺れているかのような画面設計がなされているわけだ。


そんな「しっくりこなイズム」が集積して、漠然とした謎を形成する映画中盤。

このあと全てが明らかになるのでしょうか?

先に言っておきます。なりません。

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職場の双子がヤケにかわいい。


◆あなたはどのキャラに近い?◆

些細なことからピンキーとミリーの仲に亀裂が生じる。

傷心したピンキーがプールに飛び込んで入水自殺を図るもウィリーに救助され、病院で意識を取り戻したピンキーだったが、なぜか自分のことをミリーと言い出すように…。

むっずー。

わけがわからん。この映画むっずー。

そして、その日を境に自分をミリーと言い張るピンキーは性格が豹変し、高飛車のパーティガールと化してしまう。

一方、絵ばっかり描いていたウィリーは急に産気づいて、ミリーの助産のもと赤ちゃんを産んだが死産…。

ラストシーンでは三人の女が町はずれの酒場を切り盛りしている。ピンキーはなぜかミリーのことを「ママ」と呼んでおり、お腹の子を失ったウィリーはなぜかピンキーとミリーを我が子のように可愛がっている。おわり。

 

むっずー!!

 

一体どういうことなのだろうか。

できればご自身の目で観て、ご自身の頭で考えてもらいたいので解釈論は避けたいところだが、さすがにこのまま終わるわけにもいかないので私の所感を少し。


かいつまんで言えば、この映画は三人の女がひとつの人格に統合されていく話だ。

裏を返せば、もともと一人の女が三つの人格に分裂した話とも言えるのだけど。

本作はイングマール・ベルイマン『仮面/ペルソナ』(67年)に影響を受けた…という予備知識が大きなヒントになっている。

『仮面/ペルソナ』という作品は、失語症に陥った女優と看護師が海辺の別荘で療養生活を送るうちに双方の人格の境界線があいまいになっていく…というヘンテコな映画である。

ピンキーとミリーの「同化」、それにラストシーンで突拍子もなく示される「血縁関係の構築」は人格統合の比喩なのだろう(違ってたらそれはごめん)

ウィリーはミリーを産み、ミリーはピンキーを産んだ。

温泉、水槽、プールといった水回りのイメージは子宮と羊水の比喩で、プールに飛び込んだピンキーを妊婦ウィリーが救い出した瞬間に新たな血縁関係が構築されたのだ。だからウィリーは死産した(ミリーを産むために)。

ウィリーとミリーの接点は、二人が意識不明のピンキーを病室のガラス越しに見つめる鏡像がぴったりと重なっているあたりに示されている。それに「Millie」「Willie」は頭文字の「M」「W」を逆さにひっくり返したものである、という面白い指摘をされている方もおりました。

他人を産むというファンタジーを可能たらしめたのは、おそらくウィリーが描いた半獣人の絵がトリガーになっているのでしょう。半獣人=異種交配として、ウィリーはその絵が描かれたプールに浸かってしまったわけだから。

違ってたらごめんな。

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半獣人のキモい絵ばかり描いている妊婦ウィリー。


べつにこんな絵解きと戯れずとも滅法おもしろい作品である。

アルトマンは人間風刺を得意とするイジワルな作家なので、各キャラクターの性格分けとか描き込みが実に丹念。3人それぞれが女性あるあるをなぞっているという楽しみ方ができるわけです。

 

ピンキー…好きな人(ミリー)を追いかけ回し、趣味もファッションも彼女に合わせて同化しようとする自我ゼロ女。

ミリー…人気者だと錯覚して自分語りをするけど陰では嫌われてるイタ哀しい女。

ウィリー…他者と距離を置いて自分の世界に生きる孤高のサブカル女。

 

女性に限らず、男性が観ても「あ、自分に重なるな…」というポイントがきっと見つかるであろう本作。

私の場合はどうだろう。ウィリー7割、あとミリーが3割入ってるかもしれない。

ミリーはヤだなぁ…。


追記

ピンキー役に『キャリー』(76年)シシー・スペイセク。そしてミリー役は『シャイニング』(80年)シェリー・デュヴァルが演じている。

伝説のホラークイーンの共演!

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