シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

三度目の殺人

是枝、社会を斬るの巻。

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2017年。是枝裕和監督。福山雅治役所広司広瀬すず

 

勝つことにこだわる弁護士・重盛は、殺人の前科がある男・三隅の弁護を仕方なく担当することに。解雇された工場の社長を殺害して死体に火をつけた容疑で起訴されている三隅は犯行を自供しており、このままだと死刑は免れない。しかし三隅の動機はいまいち釈然とせず、重盛は面会を重ねるたびに、本当に彼が殺したのか確信が持てなくなっていく…。

 

おはようございーん。

読者との距離感というのはよく判らないものですね。

お陰さまで毎日千単位の人民がノコノコ遊びにきてくれるわけですけど、諸君が何を思って『シネ刀』にアクセスしてくれているのか判らない。私自身も何を思って『シネ刀』を日々更新しているのか判らないぐらいですから。

中にはカルト信者みたいにブックマークやコメントをして下さる方がいらっしゃって、まったくもってわけのわからない繰り言をぶつぶつ呟いておられるが、そんな酔狂なことをしてくれる人はごく一握りで、99パーセント以上の読者は物言わぬ大衆、褒めるでも貶すでもなく『シネ刀』を読むといったコソ泥のごとき身の潜めようなので、そういう人たちが何を思ってらっしゃるのか、皆目見当がつかぬ次第。

「また坊ちゃん回かよ」と思っているかもしれないし、「もっと旬の映画を取り上げろ、このオタマジャクシ」と思ってらっしゃるかもしれない。

そういうところをうまく想像できればいいのだけど、まぁムリね。

人の気持ちを考えられない、というのが私の欠点であります。だからこそ映画を観てその訓練をしているのかもしれない! 複雑なヒューマンドラマとか観るとまったく判らないからね。このキャラクターはなんで泣いたんだ? とか。

まぁ、つまりアイ・アム・オタマジャクシというわけ。早くカエルになりたぁい。

 

そんなわけで、本日からしばらくは日本映画を取り上げようと思ってるんだな。第一弾は『三度目の殺人』。かかって来い!

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◆世界が称賛する日本人監督 コレッチ◆

国内外で高い評価を受けている是枝裕和、通称コレッチだが、新作を観るたびに少しずつ懐疑的になってしまう。

海外で受けている理由は「家族」という普遍的なテーマを純日本的な文化に絡めているからで、要するに北野武黒沢清に比べて欧米人がイメージしやすい日本映画なのである。そんなコレッチを国内のメディアが持ち上げるのは当然。つまり「日本映画としての分かりやすさ」が「評価のしやすさ」に直結した結果が現在の是枝フィーバーの実態なんじゃねーの。

…などとイジワルな推論を立ててみたりもするのだが、かくいう私も「過大評価されすぎでは…」と思いつつもコレッチの映画を秘かに楽しんでいるクチ、通称 隠れコレなのである。やや賛否両論の『空気人形』(09年)はお気に入りだし、海街diary(15年)にも素直に感心したクチだ。

なんといってもコレッチの人柄がいい。憎めない。

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コレッチを探そう!


何はさておき万引き家族(18年)はまだ観てないのでタイムリーなコレッチ批評ができず、が為に本稿では「2017年までのコレッチ」しか語り得ないのだが、そんな彼が万引き家族の前年に撮ったのが『三度目の殺人』になるわけだ。

是枝、社会を斬るの巻が最も露骨に打ち出された法廷映画なのだが、これが少しく厄介なシロモノで…。これまでちょっといい映画とちょっと惜しい映画の綱渡りを繰り返してきた是枝選手がここへきてガタッとバランスを崩したことで「えっ、やっぱりダメな選手だったの!?」という猜疑心がブワッと噴き出てしまったので、そこら辺の話を中心にお送りしていこうと思う。


上司殺害の容疑で起訴された役所広司は犯行を自供しており、また過去にも殺人の前科があることから死刑がほぼ確定した人生終わリストである。そんな役所の弁護を引き受けたのが桜坂タレントでお馴染みの福山雅治。相変わらずかっこいい~。

福山率いる弁護団は「無期懲役まで減刑できりゃあ御の字だよね」といって楽に終わらせるはずの案件だったが、面会のたびに供述が二転三転する役所に振り回される。しまいには被害者遺族の広瀬すずまで「役所さんは良い人なんすー」と言い出す始末。

すっかり頭を抱えた福山、気分転換に事務所のソファでギターを爪弾くうちに「役所の正体」という新曲を生み出して12万枚のセールスを記録する…といった充実の内容である。


…と、このような虚実入り混じる言説で弁護士たちを煙に巻く役所広司と、その裁判の行方を描いた作品が『三度目の殺人』なのである。

うっとうしい書き方をしてごめんね。許せね。

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コレッチを探そう!


◆司法制度への漠然とした疑問、ってなんじゃそら!◆

まずもって是枝、社会を斬るの巻にまったくノレない。

人の意思とは関係なく命が選別されることの理不尽さというところを出発点として、人が人を裁くことの不可解さとか法廷は真実を解明する場所ではないというテーマに敷衍していき、最終的には司法制度への漠然とした疑問を投げかけているのだが、切り口が浅いというか凡庸というか…「今さらそれやるの?」と言うぐらい手垢でベッタベタ。

法廷は真実を解明する場所ではないって…当たり前ですやん。

何を今さら…。そこに一石を投じても何の波紋も広がらねえよ。


これまでに作られた法廷映画、もしくはネットで聞きかじった「法律のふしぎ」をツギハギして映画に落とし込んでいるわけだが、「じゃあどう在るべきなのか?」というコレッチの視点はどこにもなくて、ただ司法制度への漠然とした疑問だけを撒き散らして終わっちゃってる状態で。居酒屋でクダ巻いてる酔っ払いの政治批判と同じ地平だよ!

また、裁判で勝つことしか頭にない福山は、徹底的に私情を排して法廷戦術を最優先にした調査を続ける。すると色んな人から「ああん、もう。法廷戦術のことばかり! あなたのような弁護士がいるから犯罪者が罪と向き合わないんだ!」と批判されちゃうのだが、法廷戦術を優先するのが弁護士でしょ?

勝ちにこだわるのは当然でしょうに。

でもコレッチはそれを「冷酷」と見たようだ。

どうも裁判というものに対するコレッチ個人の人道的幻想が偏向していて、「じゃあどうしたいの?」と訊いても「それは分からないけど…。うーん、裁判って何なんでしょうねぇ~」と言葉を濁すばかりで。煮え切らないことおびただしい。

したがって本作はことの真相を宙吊りにしたまま終わる。コレッチ曰く「自分が弁護した容疑者がシロなのかクロなのか分からないまま次の仕事に取りかからねばならない弁護士のモヤモヤした気持ちを追体験させたかった」とのこと。ああ、そうですか…。

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あと「うわっ、日本映画の恥ずかしいところ出てる!」と思ったのは法廷映画に馴染みのない観客に向けた過剰なまでの説明台詞。

福山が何かを発言するたびにベテラン弁護士の吉田鋼太郎が新人弁護士の満島真之介に逐一意味を説明してあげる…という体を取りながら、手取り足取りバカでも分かるように作られているのだが、親切設計も度を越すと有難迷惑というか。

ひとつのセリフの中で「死刑」と「極刑」をセットで言ったりするのね。「役所は間違いなく死刑だよ。極刑さ」という風に。この語義重複が激ウザの極みであった。言葉の無駄撃ちがすげえ。まさに台詞のバブル。

さらには、法律に無知な事務職員が白々しい素振りで説明台詞を引き出す。

 

事務員「怨んで殺した方がお金目当てで殺した方より罪が軽くなるんですかぁ?」

吉田 「おっ、いい質問だね。金目的の殺人は罪が重いわけ!」

福山 「逆に怨恨の場合は殺意を抱くやむを得ない事情があったと考えるわけ!」

事務員「へぇー。法律ってなんか不思議ですね~」

 

しらこっ。

福山&吉田の法律トークに素朴な疑問をぶつけることで観客に向けて分かりやすく解説させ、おまけに「法律ってなんなのだろう…」という本作のメッセージまで代弁する事務員の白々しさ。映画と観客の橋渡し感がすげえ。

丹下段平感がすげえ。

丹下段平…『あしたのジョー』のトレーナー。リングサイドからジョーを応援しているように見えるが、実際は読者のために試合を解説してあげてるという狂言回し。

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解説出っ歯。


◆十字、拭う、鏡面同化◆

マジメな映画なので最後ぐらいは私もマジメになろうと思う。この章では技術論について少々。

まずは十字架の用法。

映画を観ていくうちに加害者の役所と被害者遺族の広瀬が手を組んでいたことが仄めかされるが、彼らの背負った罪は映画全編に散りばめられた十字架のモチーフによって象られている。

この演出自体は悪くないのだが、問題は釈然としない裁判を終えた福山が法廷を出たあとのラストシーン。ここでは「十字」に張り巡らされた電線を見上げた福山が「十字路」の真ん中に佇んで「これで良かったのだろうか…」などと呟きながら映画は終わってゆくのだが 怒涛の十字架ラッシュがすげえ。

すげえというか…しつけえ

非常にわざとらしいというか、演出過剰である。

十字架の用法といえば当ブログでも取り上げた『暗黒街の顔役』(32年)に詳しいが、まるで『暗黒街の顔役』を観た人間が「とにかく十字架いっぱい散りばめておけばなんか深い感じになるー!」と言って手当たり次第に十字のイメージを詰め込んだように見えて仕方がない。

馬鹿の一つ覚え感がすげえ。

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電線まではさり気なくてよかったのに、ラストシーンの十字路は明らかに露骨すぎてメタファーになっていない。この十字路は福山が十字架を背負うと同時に弁護士としての迷いも表しており、いわば「人生の迷子」を喩えたショットなのだが物理的に迷っているようにも見える。

「えーと、帰り道どっちだっけ…」

物理的迷子か、おまえは。

 

※以下ネタバレ!

 

次に頬を拭うという所作。これは良かった。

冒頭の殺害シーンで死体を燃やした役所は頬についた血を拭う。この殺害シーンが映画中盤でフラッシュバックされるのだが、そこにはなぜか広瀬がいて、彼女も頬を拭う。このフラッシュバックによって役所と広瀬の共犯関係が示唆されるわけだ。

そんな広瀬を庇うために「自分がやった」と嘘の供述をした役所は裁判にかけられるが、そのことを知った福山もまた彼女を庇うために真実を隠したまま役所を弁護する。だから役所に死刑判決が下されたあと、法廷を出た福山は真っ赤な西日を浴びて思わず頬を拭う。

西日とは法によって役所を死なせてしまった返り血なのだ。

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頬拭い映画の金字塔。


この三者はそれぞれに「嘘」という十字架を背負った罪人である。

だから『三度目の殺人』

一度目は役所が犯した過去の殺人。二度目は役所と広瀬による今回の殺人。そして三度目の殺人は役所を死刑にした福山=司法による殺人。

また、福山と役所は「娘とうまくいってない」という共通点があるが、この二人が似た者同士であることは接見室の鏡面が雄弁に物語っている。

通常、接見室のシーンにおいて、被疑者と面会人は左右のどちらかにポジショニングする、というのが映画理論の定石である。被疑者が右なら面会人は左…という構図を維持しなければならないわけだ。

だが本作では接見室の福山と役所はシーンごとにポジションを変え、先ほどまで役所が画面右側にいたのに次のショットでは左にいる…というチグハグな構図が取られている。

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どっちがどっちやら分からなくなるので映画理論としては禁じ手なのだが、あえてこういう構図を取ったのは福山と役所が十字架を背負う者同士であることを示唆するためだろう。

しまいには鏡面に反射した二人の顔が次第に重なるという、これまた露骨なまでのショットによってご丁寧に補足されているのだ(この演出はそのまんま過ぎて若干恥ずかしい)。

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そんなわけで『三度目の殺人』は、テーマ然り、セリフ然り、撮影然り、小っ恥ずかしいほど分かりやすい映画である。

とにかく全体的に露骨!

個人的には法廷映画が好きなのでそれなりには楽しめたが、見応えという点に関しては全くなかった。『誰も知らない』(04年)の頃のような不意打ちがなく、なんというか、コレッチの手の内がぜんぶ読めてしまうゆえの退屈感を覚えてしまったのだ。

初期作ならともかくキャリア20年でこの平易さはさすがに物足りないよ。森田芳光『39 刑法第三十九条』(99年)に比べてもまったく迫力がない。

今回に関してはコレッチの大らかさとか優しさが足を引っ張ったという印象である。この題材と取り組む以上は半ギレで臨まねばならないと思うのだが、コレッチは終始半笑いで「裁判って何なんでしょうねぇ~」つって頭を掻いてるんだから。もう。

ボサッとすんな!!

万引き家族を楽しみにしています。了。