シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ツィゴイネルワイゼン

何処からか聴こえる骨の音。

f:id:hukadume7272:20190126044412j:plain

1980年。鈴木清順監督。原田芳雄、藤田敏八、大谷直子、大楠道代。

 

大学教授の青地と友人の中砂は、旅先の宿で小稲という芸者と出会う。一年後、中砂から結婚の知らせをうけた青地は中砂家を訪れるが、新妻の園は小稲に瓜二つだった…。(映画.comより)

 

 おはようございます。

本日は渋谷あきこさんという方からトゥイッターのダイレクトメッセージでリクエストを頂いた『ツィゴイネルワイゼン』を取り上げたいと思います。

渋谷あきこさんは古い日本映画をこよなく愛する人物らしく、以前に『破れ太鼓』(49年)の評を褒めてくれたのでいい気持ちがしました。そんな破れあきこさん直々の命だからこそ、このとてつもなく面倒くさい映画をレビューしようと思えたってわけ!

なんだかんだで6000字を超えるハイパーカロリー評論になってしまった。太鼓あきこさんは私の評論魂を焚きつけることに成功しています。

f:id:hukadume7272:20190126054842j:plain


◆三度目にして筆を執る◆

2017年に鈴木清順が死んだというニュースが入ったとき、そういえば『ツィゴイネルワイゼン』の評を書いてないなと思った。

シュルレアリスムに傾倒していた学生の時分は清順だのブニュエルだのに随分狂ったものだが、『ツィゴイネルワイゼン』だけはやたらな文章を書いてはいけないという思いから評を見送っている。数年後に観返す機会があって今度こそはと筆を執ったのだが、書けない。この映画から発せられる異様な威圧感がまるでこちらの批評を拒否しているようで、思わず身がすくんでしまったのである。

そしてこの度、渋谷あきこさんから三度目の鑑賞の機会を与えて頂き、ようやく筆を執る次第。逃げ回ってばかりではいられないので向き合うことにしよう。雛形あきこさんは私を勇気づけることに成功しています。


さて。本作は『陽炎座』(81年)『夢二』(91年)へと続く「浪漫三部作」の一作目にして鈴木清順の代表作である。なお鈴木清順が何者かという話はしない。

米の炊ける匂いに勃起する殺し屋を描いた『殺しの烙印』(67年)でやりたい放題やって日活をクビになった清順が約10年間の沈黙を破って製作した『ツィゴイネルワイゼン』は第4回日本アカデミー賞で最優秀作品賞をかすめ取り、キネマ旬報ベストテンでは第1位に選ばれ、空前の清順ブームが巻き起こった(あってはならないことだ)。

相変わらずアバンギャルドな内容にも関わらず「浪漫三部作」が興行的な成功をおさめた要因を大きく分ければ「スター」と「カラー」に尽きよう。

『ツィゴイネルワイゼン』では原田芳雄、『陽炎座』は松田優作、『夢二』では沢田研二と当時人気絶頂のスーパースターを狡賢く配置し、グロテスクな原色を使った『肉体の門』(64年)の反省から中間色豊かな詩的色彩へと変えたことで分かりやすく「映像美」を確立。

そこまでして万人向けのパッケージを施しながら、やっていることは純度100パーセントの清順。

つまり幽玄耽美難解気が触れている。

個人的には『陽炎座』が清順の最高傑作だと思っているのだが、今回『ツィゴイネルワイゼン』を鑑賞してみて「やっぱこっちもすげぇや!」とひどく感心した。心のランキングが揺れそうだぁー。

f:id:hukadume7272:20190209045931j:plain

清順の死に花、浪漫三部作。


◆骨の音が聴こえるかい◆

『ツィゴイネルワイゼン』は四人の男女があの世とこの世を越境する映画である。

各地を放浪する原田芳雄が、親友の藤田敏八と旅先で出会い、ひとりの芸者と親しくなる。その後、原田は名家の女と結婚して子をもうけるが、不思議と妻の顔が以前出会った芸者と瓜二つだった(大谷直子が二役演じている)。

数年後に病気で妻を亡くした原田は、どうも藤田の妻である大楠道代と逢引きを重ねているらしいのだが真相はよくわからない。

さらに数年後、かつて出会った芸者と再婚した原田は旅先で麻酔薬を吸って事故死してしまう。夫を失った芸者は藤田の家に赴き、生前に原田が貸した「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを返してほしいと頼むが、いくら家の中を探しても見つからない。だが藤田の妻がレコードを隠し持っていたことが分かり藤田は原田邸までレコードを返しにいこうとするのだが、道でばったり会った原田の娘から「お父さんは元気ヨ。あなたの方こそ、まだ生きてると思い込んでるのネ」と言われる。藤田は慌ててその場から逃げだすが、その先の海辺では原田の娘が白菊を飾った小舟とともに待っていた…。


…と、このように筋を説明しても何ひとつ伝わらないのが清順作品。

劇中では現実とも虚構ともつかない夢幻的な映像の乱舞が観る者を不断に惑わせ、目くるめく幽玄の世界へと引きずり込む。

はじめて鑑賞したときは話の大枠すら理解できなかったが、さすがに三度目ともなれば幾らか余裕が出てくる。大体において鈴木清順という人は物語を凌辱する作家で、説話を妨害するための演出を意図的に盛り込んでは物語理解に努める観客を嘲笑うのだ。ルイス・ブニュエルと同じ性格である。

したがって物語などという亡霊を追っているうちは映画を見誤るし、清順を知ることも感じることもできまい。逆に、物語を妨害するための演出それ自体を楽しんでしまえばこっちのものなのである。

清順をしゃぶり尽くせ!

f:id:hukadume7272:20190126054636j:plain

原田芳雄と大谷直子。


『ツィゴイネルワイゼン』音によって構築された映画である。

サラサーテ作曲の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを真上からおさめたファースト・ショット(恐らくこのショットの為だけにスタンダードサイズが採られたのだろう)。1.33:1の画面にぴったりとおさまる円型のレコードはこの映画の主題群を余すことなく内包しているため、いわば『ツィゴイネルワイゼン』を語るうえで最も重要なショットだと言える。

ファーストシーンでこのレコードを鑑賞している原田と藤田は、演奏中に一瞬だけ人の声がするといって何度も聴き直すのだが、結局その声が何と言っているのかは聴き取れない…。

聴き取れない音というのが第一のポイントである。

それだけではない。盲目の門付けが唄っている卑猥な歌は原田と芸者の会話によって途中から掻き消されるし、映画終盤では藤田が発するセリフの一部分だけに奇妙な音が被さって肝心のセリフがまったく聴き取れないのだ。

隠蔽された音。

それ自体はマクガフィンと同じでまるっきり意味など存在しないので「レコードに隠された人の声とは?」とか「藤田は何と言っていたのか?」ということに頓着する必要はない。ひとまず「聴こえない」という事実を受け入れさえすれば清順はにっこり笑って次の扉を開けてくれるはずだ。

f:id:hukadume7272:20190126052043j:plain

レコードの回転に始まるファーストショット。


一部の音が聴こえないことで「聴こえる音」が相対的によく響くというのが第二のポイント。

本作はミュージカル映画を凌ぐほどの音の洪水である。

まず、骨と骨を擦ったようなシューッ、シューッという乾いた音が全編に響き渡る。原田は「人間ってやつは肉と皮を削ぎ落として骨だけになった姿が最も美しいのサ…」という気色悪ィ持論を唱えるほどの骨フェチで、それを聞いてドン引きする藤田に「オレが先に死んだらオレの骨をキミにくれてやるが、キミが先に死んだら骨は頂くぜ」と半ば強引に約束を取り交わす。ボーンプロミス。

ときおり原田宅の天井から聴こえるカラカラカラ…という音も不気味である。原田の妻は事もなげに「誰かが屋根の上に石でも投げたんでしょう」と言うが、あたりには誰もいない。まるで骨の欠片をばら撒いたような音である。

ばら撒くといえば節分の日に豆をばら撒く音も印象的であるよなぁ。パラパラとした音ではなく、もっと大きくて硬い物を撒いたようなカラカラとした音なのだ。そう、骨のような…。

いつも三人組で各地を巡業している盲目の門付けも杖の音をよく響かせる。


相分かった。どうもというのが本作の主題らしい。

原田が心酔する骨。それは「死」の暗喩としてフィルムの全域にべったりとまとわりつき、その骨が奏でる不気味な音が生死の境界を曖昧にしていくのだ。

ここで話題はファースト・ショットのレコードが「音」以外に示したもうひとつの主題…すなわち円型の主題に合流する。

本作は円型のレコードに始まっているのだから、当然のちのシーンでも画面の端々に円型のイメージが頻出する。たとえば原田邸で鍋を囲むシーンでは皿や卓袱台だけでなく人物までもが猫背になることで円のイメージを象っているし、藤田と大楠が箸をつつく懐石料理の赤くて丸い器は不自然なほどテーブルにびっしりと並べられている。

f:id:hukadume7272:20190126052359j:plain

背景以外はすべて円といっていいほど円型のイメージだけで構成されたショット。

 

骨の渇いた音が「死」であるなら、主に食事のシーンで見られる円型のモチーフは「生」そのものである。

一人二役の大谷直子は、妻を演じているときも芸者を演じているときも卓袱台の脇でひたすらコンニャクをちぎる。骨=死の音に対抗するようにブチュブチュと水気のある生の音を響かせるのだ。

さらに言えば、大谷の登場シーンの多くは何らかの形で「食」が絡んでいる。そしてその大谷は魚獲りの樹木希林と同じく丸顔なのだが、おそらくこの映画の女は全員丸顔にしようという清順の意図があったのだろう。大楠にしてもオカッパ頭という円型を象っており、映画後半では花や果物の香りでアレルギーを起こすはずの彼女が丸々とした水蜜桃にかぶりついているのだ。

樹木希林が獲った魚を原田と大谷が口移しで食べさせるシーンにも顕著だが、「円型」と「食事」と「生」はすべてイコールで結ぶことができる。

だからこそ本作屈指の難解シーンでは、日中なのになぜか真っ暗な原田邸にやってきた藤田が死のような暗闇のなかを彷徨い、不意に現れた大谷が指パッチンを鳴らすのである。

これまでは一心不乱にコンニャクをちぎることで生の音を鳴らしていた大谷がパチッという乾いた音=死の音を鳴らす。おそらくこの指パッチンは藤田がこの世の人ではなくなった瞬間を告げたもの。もっとも、当の本人は原田の娘から死を告げられるラストシーンまでは無自覚なのだが…。

f:id:hukadume7272:20190126052419j:plain

クルっと上半身をひねって指パッチンをする大谷。なぜか乳まるだし。


◆清順はハッタリ倒す◆

原田邸に向かう道中で藤田が何度ものぼる切通しの坂道がいい。

あの世とこの世を繋ぐものとして「切通し」や「橋」や「トンネル」が何度も出てくるのだが、そうしたところにも死の玄妙な香りが漂っている。

また、一方向に歩く人物のショットをまったく同じ構図・方向で二度繰り返すという映画文法の破壊も印象深い。これは『けんかえれじい』(66年)で清順が発見した「映画の壊し方」なのだが本作でも執拗に繰り返されている。かれこれ10年以上も私の脳裏に焼き付いて半ばトラウマと化すほどの悪夢的イカレ演出だ。

逆に微笑ましいのは、死んだ女の股からカニが出てくるショットのふざけた合成! 原田が海辺で人をぽんぽん投げ飛ばすシーン! まったく無意味なスローモーションの揉み合い!

映画を観すぎてバカになってるフランス人は清順を観て本気で感心しているようだが、この人の精髄はハッタリにあり。ハッタリ倒せばハッタリ倒すほど清順映画は人々の理解から離れていくのだが、こんなにハッタリだらけの『ツィゴイネルワイゼン』が日本アカデミー賞を取ったりキネ旬で1位に選ばれたりするのだから、まぁ、世の中バカばっかりである。

f:id:hukadume7272:20190126054401j:plain

あの世とこの世を繋ぐ切通し。そして股からカニ。チョキチョキチョキチョキ…というハサミのBGMがえらく可愛い。

 

この映画を語っておきながら原田芳雄に言及しないなんて放火殺人よりも罪が重いのではないだろうか。ちがいますか。

なんといっても心奪われるのは原田芳雄の野生である。

しぶすぎ! やばすぎ!

f:id:hukadume7272:20190126054609j:plain

 

えろすぎっ!

 

骨に憧れる無頼の旅人として尋常ならざる色気を放散しており、どうしようもなくこの男の一挙手一投足に目がいってしまうという不思議な磁界の持ち主だ。

親友の藤田でさえこの男を深くは理解しておらず、だからこそ足しげく原田邸に通ってしまう(切通し=死への道を歩いてしまう)のである。

そんな原田フリークの藤田だが、自分の妻である大楠が原田と浮気しているかもしれないという情報を小耳に挟んだことで原田に対しても妻に対しても猜疑的になっていく。

二人の浮気現場…これは夢とも現実ともつかない撮り方がされているのだが、そこでは原田の目のなかに入ったゴミを大楠が舌で舐め取る…というとんでもない事をしている。

f:id:hukadume7272:20190126052928j:plain

 

ぇぇぇえろすぎっ!!!

眼球ペペロンチーノ!


そして三人組の門付け。エロくて怖くて難解な本作において、彼らのボサッとした佇まいがホッと一息つけるアクセントになっている。

こいつらは老人と若い男女から編成された盲目の旅芸人で、行く先々で「ポコチンの歌」を絶唱しては日銭を稼いでいる(世が世なら逮捕。ヘタしぃ処刑)

主に老人がボーカルを担当し、若い男は特になにをするでもなく白目を剥いて揺らめいている。女は三味線を弾きながら時おり股をパカパカ開くので乞食が股見たさになけなしの銭を放って女の股間を覗き込む…という高度な営業戦略で生計を立てている門付けなのだ。

彼らを遠目に眺める原田が「あいつら三人はどういう関係なんだい。親子かナ?」と面白がって訊ねると、妻の大谷が「老人と女が夫婦で、若い男は弟子ですヨ」と言う。

ところが数日経つと若い男が女と乳繰り合っていた。

「どうやら関係性が変わっちまったようだナ」と笑う原田、いよいよ面白くなって恋の結末を見届けるべく三人組を尾行する旅に出る。旅を終えた原田は、土産話として彼らの恋の顛末を藤田に語って聞かせた。

ここで原田の回想シーンに入るのだが、男二人が女一人を取り合って木の棒でシバき合うという世にも馬鹿げたシーンが笑いを誘う。白目をむいた男二人が交互に頭をシバき合って血がビュービュー噴き上がり、しまいには頭をシバかれすぎて二人とも絶命する始末。

f:id:hukadume7272:20190126051843j:plain

生き残った女はやはり円型(生)に庇護されている。

 

まさに門付けバトルロワイアル。

映画の雰囲気をブチ壊すほど清順ギャグが炸裂した迷シーンなのだが、この決闘で使われた打撃音もやけに乾いた音=死の音なのだ。現に死ぬし。

それに、女をめぐる三角関係は藤田の妻が原田と浮気していたというエピソードとも符合する(ただしこの浮気説は真偽不明なのだが)。

おもしろいのは、この土産話を藤田に聞かせていた原田に対して、妻の大谷は「またデタラメばかり…」と言って原田の嘘を追及しはじめるのだ。つまり原田たちの三角関係のみならず、門付けの三角関係まで真偽不明。すべては嘘かもしれないし本当の出来事だったかもしれない…という、実に不思議な話なのである。

私の読みだと三人組の門付けは原田たちのドッペルゲンガー(比喩)ということになるのだが、無責任な解釈論はよしておく。


ともあれ『ツィゴイネルワイゼン』は蠱惑的な世界観と難解な筋、それに色気を湛えた人物たちが織り成す極上の三重奏。

ファーストショットで回転するレコードに秘められた最後の主題は映写室で回されるフィルム(映画)かもしれない。清順の摩訶不思議な世界に眩暈を起こしながらのきりもみ回転。

弧を描きながら目くるめく清順ワールドに落下するのみよ!