よくポカをするけど褒め上手な老刑事が連続殺人事件に取り組むというゴミ映画。
2017年。ジョニー・マーティン監督。アル・パチーノ、カール・アーバン、ブリタニー・スノウ。
殺人課の敏腕刑事アーチャーと相棒ルイニーは、子どもの遊び「ハングマン」に見立てて犯行を繰り返す連続殺人鬼を追っていた。殺人は24時間ごとに起き、犠牲者の遺体には次の殺人へのヒントとなる文字が刻まれる。そんな中、犯罪ジャーナリストのクリスティが連続犯罪の取材をするためアーチャーたちに同行することに。さらなる殺人を防ぐべく奔走する3人だったが…。(映画.comより)
ヘイみんな、おはよう。シベリアンハスキーの頭を撫でたい。
本日は激烈B級映画の 『ハングマン』について語っていく、といったスケジュールになっております。
まったく観る必要のない映画なので本稿も読む必要がない、ということになってしまうのだけど、まぁ暇つぶしにはなるかと思います。
「映画とあらば何でも観る」というモットーを打ち出してはいるものの、さすがに人並み以上には映画を観てきた身としては観る必要のない映画は極力回避するようになってしまいます。
「観たとて」ですからね。それを観たとて何かの肥やしになるわけでもなく、話のネタにもならず、映画史との関わりもなく、論考にも紐づけられない。翌週には内容をすべて忘れて、翌月には観たことすら忘れてるようなうっすい薄い映画。『ハングマン』。
はっきり言って観ても観なくても同じみたいな映画。『ハングマン』。
そんなものを10本観るより名匠が撮った奥深い映画を1本観た方がはるかに有意義という!
そういう損得勘定が働いているのは否めないところであります。
そりゃ、映画をまったく知らない頃は何にでも手を出した方がいいけれど、ある程度観てきた人にとっては「意味のない映画を並行的に耕す」よりも「意味のある映画を深く掘り下げる」方がいいのではないかしらン…なんてことを思ってみたりもするんですけどね。だって時間は限られてっからなぁ。
われわれが残りの人生で観れる映画なんて8000本を切ってますからね(大半の読者は昭和~平成初期生まれでしょう?)。
8000本はあまりに少ないですよ。年間何千本の映画が作られてると思ってるんすか!
それに8000という数字は年に200本観る人間が寿命MAXまで生きた計算であって、50歳で大病を患って死んでしまうかもしれないし、もっと言えば5日後にスーパーカーに轢かれてオダブツにならないとも限らないんです。
映画は「空間芸術」であると同時に「時間芸術」でもありますから、小説やマンガみたいに速読するわけにもいかない。時計の針は動かせないんですう。
われわれに時間はありません。是非あなたにとって意味のある映画を観てください。
つまり『ハングマン』なんか観るな!というお話でした。
評に入る前から結論が出てしまっております。
◆安定のビデオスルー・クオリティ◆
レビューサイトには「ペラペラの内容」というペラペラの感想が多数投稿されており、中にはあまりのつまらなさに本気でムスッとしてらっしゃる方もいたが…パッケージを見ただけで分からないもんかね!
DVDパッケージには監督、撮影、脚本、出演者が小さい文字とはいえ表記されており、それぞれの代表作まで追記されている場合も。この映画に関しては、ほとんどの人が知らないスタッフ・作品名が連なっているはずだ(私も知らない)。
そんな中、唯一誰もが知っているアル・パチーノの顔と名前がデカデカと刷られているわけだが、まずここで怪しいと思わねばならない。
2010年代のアルパチは『陰謀の代償 N.Y.コンフィデンシャル』(11年)や『ブラック・ファイル 野心の代償』(16年)など、ほとんど誰も観てないVシネ同然の低予算映画にしか出ておらず、その多くが殺傷力抜群の地雷である。デニーロやレッドフォードにしてもそうだが、どんな名優でも歳を食えば食うほど大きな仕事は回ってこなくなるのだ。
それに日本版ポスターを見ても明らかにやる気がないというか、ビデオスルー感まるだしである。
~ビデオスルー作品における日本版ポスターの特徴~
①劇中のショットをコラージュしがち。
②有名キャストやキャッチコピーの押しがすごい。
③ダサい。
何が言いたいかというとこの映画がくだらないことなど自明なのだから“その先の話”をしないとねということだ。
ハングマンゲームになぞらえて24時間ごとに繰り返される首吊り連続殺人を追う3人がようやく対面した犯人はアルパチ刑事を逆恨みした人間で、その逆恨みの経緯がラストシーンでフラッシュバックされ、そこで初めてアルパチと犯人の関係性が明かされる…という後出しジャンケンなのだからまったく下らない。
おまけに犯人を射殺した部下カール・アーバンのもとに一通の手紙が届くラストシ-ン。そこにはハングマンゲームの禍々しい絵が描かれていて事件がまだ終わっていないことを示唆するのだが当の犯人は思いっきり死んでいるわけで、ほかに手紙を出しうるような容疑者もいない…という矛盾。
くだらねぇんだよ!
演出も脚本もムッチャクチャ。
だがそんなことをいちいち論ったところで意味がない。なぜならすべて織り込み済みだからである。というわけで次の章では「その先の話」をする。
「その先の話」という名の「与太話」を。
◆老いのブルース◆
アル・パチーノが演じた主人公は元刑事。すでに引退してクロスワードパズルばかりやっているような爺さんなのだが、連続殺人を担当するカール・アーバンが「ボク一人じゃ手に負えない事件なので力を貸してください」と頭を下げ、今回の事件だけという条件付きでアルパチが復帰する。
この映画が面白いのは、アルパチ演じるカムバック老刑事が勘と経験を活かした老巧な推理でガンガン犯人を追い詰めていく…と思いきや よくポカをするというあたり。
大事なことを忘れてたり、重要な手掛かりを見逃したり、「わっかんねぇ…」と言ってイライラしたり。
そりゃあ、行動を共にする後輩のカールや犯罪ジャーナリストのブリタニー・スノウに比べればいくらか優秀ではあるのだが、わざわざ頭を下げて特別復帰させるほど大した刑事ではない。
この、役には立ってるけど思ったほどは仕事ができないという、要るっちゃあ要るけど要らないっちゃあ要らないみたいな役回りが実に切なくて哀愁抜群。
通常、アルパチクラスの老俳優であればヒヨッコ刑事が考えつかないような推理・捜査をして「さすがアルパチ。セルピコの名は伊達じゃねえ」と思わせるようなベテラン刑事を演じさせるのが常套手段なのに…。
結局は犯人の方が一枚上手で、チーム・アルパチは毎日23時に犠牲者が出るハングマンゲームに翻弄されてしまう。
あまつさえ、チーム・アルパチが殺人現場に駆けつけて「えっぐ…。また殺られてもうてるやーん」などと言ってウダウダしているころ…犯人はまだ現場にいるのだ!
なんと大胆不敵な犯人なのでしょう。死体を見て「きっしょー」などと言っているチーム・アルパチをわりと近い距離から覗き見て「クックック…」などと嘲笑するのである。中二病なのだろうか。
ていうかそんな所にいたら見つかりますよ?
案の定、アルパチは犯人の存在に気づいて「待て待て待てーい!」と言いながら追跡するのだが、待てといわれて待つバカはいない、犯人は韋駄天のごとくピューッと走っていってフツーに逃げおおせる。
犯人とアルパチとでは脚力に大きな差があるので走って追跡したところで追いつけるわけがないのだ。
ゼェゼェ言いながら「そりゃそうだよな…」という顔をするアル・パチーノ77歳。
この哀愁。老いのブルース。
撮影当時77歳。
◆みんなアルパチが大好きさ!◆
唐突にこんなことを言っても信じてもらえないだろうが…『ハングマン』はほっこり映画である。
アルパチは部下のカールに対しては同じ刑事として対等な立場で仕事の話をするが、取材同伴しているだけのブリタニーや監察医のおばちゃんが事件解決の手掛かりになりうる発言をするたびに「よくやった」という誉め言葉を忘れない。下っ端警官もよく労うし、隙あらば誰彼かまわずハグをする。
だいぶほっこりする。
アルパチに褒めてもらった人はほぼ例外なく心をときめかせ、はにかむ。まるで大好きなご主人様に褒めてもらった犬みたいに喜ぶのである。
みんなアル・パチーノが大好きなのであるっ。
アルパチと他のキャストとの何気ないコミュニケーションというあたりに注目しながら観るとすごくほっこりします、この映画。
やっぱりアル・パチーノって魅力的だよなぁ。さり気なく人を誉めたり労ったりハグするのは「役だからそうしてるだけ」ではなく、他の映画でもよくやってることで。いわば素の振舞いに近い。だから余計にほっこりするのである。
アル・パチーノはロバート・デ・ニーロとは違ってメソッド演技をしない。だからアルパチの人柄はスクリーンにおいて如実に反映される。
メソッド演技というのは「役になりきる」という方法論なのだが、正しく理解されていないので少し補足説明をしたい。
メソッド演技は役の内面を徹底的に掘り下げ、自分が演じるキャラクターの感情や人生を追体験することで「役を演じる」のではなく「役になる」という同化の作業である。
「刑事のように」ではなく「刑事になる」わけだ。
だから当然危険も多い。メソッドアクターが犯罪者や宗教家の役を構築するとそっち側の世界に堕ちてしまうし、実際にメソッド演技を実践したことで精神的におかしくなってしまった俳優は大勢いる。ヒース・レジャーが死んだ理由を『ダークナイト』(08年)における過剰なまでの役作りだと人は言うが、「役作り」という言葉自体が誤用なのである。メソッドアクターは役を作ったり演じたりはしない。役を役とも思わずそのキャラクターに同化するのだから。
デ・ニーロは完全にメソッドタイプの役者なので自我を捨てて役と同化するが、アルパチはそうではないので彼自身のクセとか仕草とか価値観がモロに反映される。
その反映ぶりが近年の出演作よりも一層ノスタルジックに立ち現れているのが『ハングマン』ってこったす。
つまりアルパチ好きは必見ってこったす!
でも地獄みたいに下らない映画だけどな!!
永遠の盟友にして凄艶の名優、アルパチ&デニーロ! この写真だけで泣ける自信がある。泣かないが。
追記
カール・アーバンとブリタニー・スノウはアルパチと一緒に仕事ができてさぞ嬉しかったと思う。いい思い出になったね。
カールは役作りで増量して前世ミートボールみたいになり、ブリタニーは『ピッチ・パーフェクト』(12年)シリーズよりもくっきり撮れています。そういえば英語版の『耳をすませば』(95年)で月島雫を演じてるんだね、この人。
アルパチとの思い出づくりに成功した前世ミートボール(右)とブリタニー・スノウ(左)。