シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

素晴らしきかな、人生

ウィル・スミスがずっとボーっとしてる映画。

 

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2016年。デヴィッド・フランケル監督。ウィル・スミス、エドワード・ノートンケイト・ウィンスレット

 

クリスマスシーズンのニューヨーク。広告代理店で成功を収め華やかな生活を送っていたハワードだったが、最愛の娘を失ったことで大きな喪失感を抱く。完全に人生を見失ってしまったハワードを同僚たちも心配していたが、そんなある時、ハワードの前に年代も性別も異なる3人の奇妙な舞台俳優たちが現れる。彼らとの出会いにより、ハワードの人生に徐々に変化が起こっていく。(Yahoo!映画より)


娘を亡くして抜け殻と化した男をウィル・スミスが演じるが、悲嘆に暮れる男というよりはただ単にボーっとしてる奴にしか見えないやはり調子に乗りまくっている実子ジェイデン・スミスと公私ともに仲のよい親馬鹿セレブにこの役はいささか分不相応か。
会社のトップにも関わらず、大勢の部下の明日が懸かった経営危機をどうにかしようという気力もなく、娘が死んだ深い悲しみをドミノを作っては倒し続けるという謎の反復作業で癒すだけの毎日。
親友であり仕事仲間のエドワード・ノートンケイト・ウィンスレットが気を遣って話しかけても無反応。まぁ、絶望しすぎて人と向き合う余裕がない…ということなのだろうが、単にシカトしてるようにしか見えないという。しらこいわー。

 

監督がプラダを着た悪魔のデヴィッド・フランケルなので、本作の主要キャストも、プラダ、グッチ、クロエなどの秋冬コレクションの新作からヴィンテージまでを網羅した最新NYファッションに身を包む。当然ウィルも…。
人をシカトするぐらい絶望してるのに、おしゃれする余裕はあるのかよ!

そんな超絶ハートブレイクのウィルが、自らを苦しめている時間に宛てて書いた抗議の手紙(愛よ! おまえは俺を苦しめる! 死よ! なぜ娘の命を奪った! 時間よ! 俺の時間を返せ! …といった小っ恥ずかしい中二病レターである)を盗み読みした同僚E・ノートンらが、大金で雇った3人の舞台俳優に時間を演じてもらい、孤独なウィルと対話させることでその魂を慰撫するというウィル救済計画がおこなわれる。

は?
つまり3人の舞台役者たちは、ウィルにしか見えない抽象概念(時間)の具現化としてウィルに接触を試み、「やぁウィル、私は死よ」「どうもこんにちは。俺は時間だよ」というキチガイ沙汰の嘘を信じ込ませようというのだ。 村上春樹の読み過ぎだろうか。

まぁクリスマス・キャロルの変奏なのは分かるけれども…。

 

だが結局、彼らよりもグループセラピーで知り合った女性との交流の方がウィルを勇気づけることに関して遥かに効果的で、舞台役者たちの存在意義が甚だ疑問、ひいては物語の主軸が大きくブレてしまっている。
そんな本作。タイトルこそ酷似しているが、もちろんかの有名な素晴らしき哉、人生!のリメイクではないのでご注意。

クソややこしいわ。

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てっきりキャプラ版のリメイクだと思ったが、ビビるほど関係なかった。

 

クリスマスシーズンのニューヨークが舞台だが、人物のアップショット主体なので街の景色や雰囲気がほとんど楽しめないのが難点。
しかし、K・ウィンスレットの他に、ヘレン・ミレンナオミ・ハリスキーラ・ナイトレイなどイギリス一辺倒のキャスティングが群像劇に気品を与えており、どこまでも軽薄で無反省なゲイリー・マーシャル*1との差別化が成功している。

ウィルの妻や娘のバックボーンがまったく明示されない理由はクライマックスの仕掛けによって明かされるが、なまじ仕掛けの為だけにバックボーンを隠しているため、重苦しい展開が続くわりにはキャラクターに奥行きがなく、濃厚なドラマ性にも乏しい。
群像劇スタイルゆえにウィルの内面を描き込めず、物語の要点が拡散してしまっている節もある。

突拍子もない嘘をつき通す意思がないから、こちらとしても「騙されてみよう」と思えない。
そしてドッキリのターゲットである主演ウィル・スミスが完全なる木偶の坊。本人は懸命に虚脱芝居をしているつもりだが、傍から見てる分にはボーっとしてるおっさんにしか映らない。
というわけで、元気のないウィル・スミスが見たい人だけにおすすめ。

*1:潮風のいたずら』や『プリティ・ウーマン』などラブコメばかりをやたらに手掛ける監督。『バレンタインデー』や『ニューイヤーズ・イヴ 』など女子御用達の映画をよく撮る。2016年没