デヴィッド・ボウイによるトドメの一撃が反則級の青春映画!
2012年。スティーブン・チョボスキー監督。ローガン・ラーマン、エマ・ワトソン、エズラ・ミラー。
小説家志望のチャーリーは、高校入学初日にいじめられてしまう。誰からも話しかけられず、「壁の花(Wallflower)」のようにひっそりと息を潜めて毎日をやり過ごしていたチャーリーだったが、陽気なパトリックとその妹で美しく奔放なサムに出会い、生活が一変。ああ、青春!
2人の親友に、自分を合わせて3人。
乏しい経験則から「本当の親友を持つなら2人まで」という漠然とした思いは今なお消えないが、友情をテーマにした映画って不思議と4人組である場合が多いんだよな。そんなことない?
そんなことないか。ごめんなさいね。
周囲から浮いた主人公と社会との関係性を描くという共通点は、製作のリアンヌ・ハルフォンとラッセル・スミスのコンビが『ゴーストワールド』、『JUNO ジュノ』、『ヤング≒アダルト』などで綿々と繰り返しているモチーフだが、本作がこの3本と違うのは主人公が内気な男の子であるという点。
「自分なんて誰かの友達になる資格がない。だけど友達がほしい…」という太宰的葛藤に苦しむ主人公の心を、年上のエマ・ワトソンと、その兄であり同性愛者のエズラ・ミラーがやさしくケアする。
しかし決して「可哀想な主人公をケアしてあげている」という欺瞞の友情ではないことは、言い争いをしているこの兄妹が、不安そうな顔で「明日もまた会えるかな…?」と呟いた主人公の言葉をまるで聞かずにぎゃあぎゃあ口論しており、ひとしきり喧嘩が終わったあとで主人公に満面の笑みを向けて「じゃあまた明日!」と言って去っていく場面を見れば一目瞭然だ。
友達として承認してもらいたい主人公を、承認するしないではなく、すでに友達と思っている二人の温かさが胸を打つ。
観てるとね、この3人のことがどんどん好きになっていく。
ゲイを演じたエズラ・ミラーは、私生活でも自らをクィア(セクシュアル・マイノリティ)と称している。ちなみに本作の撮影中にマリファナ所持で逮捕されるも「マリファナは感性を高めるものだあ!」と完全に開き直っているご様子。
また、出世作『少年は残酷な弓を射る』では、ティルダ・スウィントンと互角以上の色気を放ち、学校内で弓を撃ちまくるヤバい奴を演じていた。要するに危険な香りがする美青年です。
エマ・ワトソンは『ハリー・ポッター』シリーズが完結した現在、ハーマイオニーのイメージを払拭することに必死のパッチだが、本作で見せた躍動感あふれるダンスシーンはとても魅力的。はじめてこの娘をいいなと思った。
そして主演のローガン・ラーマン。
『ピーター・ジャクソンとオリンポスの神々』だか『マイケル・ジャクソンとサロンパスの神々』だか知らんが、童顔のくせにアクション映画に出すぎと思っていたが、本作はそんな童顔ラーマン…ローガン・ラーマンが大車輪のご活躍。舌を巻かざるを得ない。クルッ。
近親相姦や性的虐待によって心を傷つけられた少年少女たちの痛みを、某監督のように女々しく自己憐憫するのではなく、様々な映画や文学や音楽を引用して自己療養的に克服していく、ある意味ではカウンターカルチャーとしての外側へ発散した清々しさこそが、本作の原作小説が『ライ麦畑でつかまえて』の再来だと謳われた所以なのだろう。
例えば国語の授業の課題図書が『アラバマ物語』だったり、伝説のカルト映画『ロッキー・ホラー・ショー』を再現した舞台(エズラ・ミラーの中性的なカマっぷりが素晴らしい)、ザ・スミスやニュー・オーダーといったブリティッシュ・ロックへの目配せ、あるいは技術教師を演じているのがトム・サヴィーニ(『ゾンビ』などで知られる特殊メイクアップアーティスト)だったりと、ぼんやりしてると見落としそうな小ネタが映画・文学・音楽の三方向からひっきりなしに飛んでくる。
ちなみに、原作を書いた小説家スティーブン・チョボスキーが自らメガホンを取っている。珍しいケースだ。あのスティーヴン・キングでさえ自身の小説の映画化に製作として関わりこそすれ、監督まではしていない。
また、そんな数々の小ネタが単なる趣味の集積ではなく、一つひとつが意味を持って繊細に物語の世界観を築き上げている。
ここでどうしても触れておかねばならないのが、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」だ。
夜のトンネルに設置された低圧ナトリウムランプの橙色の照明が、自動車に乗る三人の未来を照らし出すと、カーラジオから流れてきたこの名曲に反応したハーマイオ…もといエマ・ワトソンが「ちょっと何これ…、めちゃいいじゃん! なんつう曲? なんつう曲!?」と大騒ぎして、天井のサンルーフを開けて上半身を出し両腕を広げる。さながら車版ひとり『タイタニック』。
主人公がこの解放感と多幸感に「む…無限を感じる…!」と呟いた瞬間、彼らは間違いなく生を謳歌していた。
そしてラストシーン。
今度は主人公が車から身を出し、あのトンネルを再び通る。そこでかかる二度目の「ヒーローズ」に、なぜだか僕は目頭が熱くなった。
僕は王になるだろう
キミは女王になるだろう
奴らを追い払えなかったとしても
僕らは奴らを倒せる
一日だけ
僕らはヒーローになれる
一日だけ