シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ムーンライト

蒼ざめた沈黙

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2016年。バリー・ジェンキンス監督。アレックス・ヒバート(幼少期の主人公)、 アシュトン・サンダース(青年期の主人公)、トレヴァンテ・ローズ(壮年期の主人公)。

 

マイアミの貧困地域で暮らす内気な少年シャロンは、学校では「リトル」と呼ばれていじめられ、家庭では麻薬常習者の母親ポーラから育児放棄されていた。そんなシャロンに優しく接してくれるのは、近所に住む麻薬ディーラーのフアン夫妻と、唯一の男友達であるケヴィンだけ。やがてシャロンは、ケヴィンに対して友情以上の思いを抱くようになるが、自分が暮らすコミュニティではこの感情が決して受け入れてもらえないことに気づき、誰にも思いを打ち明けられずにいた。そんな中、ある事件が起こり…。(映画.com より)


先日、ビデオ屋で『ムーンライト』のパッケージを手に取り「ほっほーん」なんつって眺めていたら、とあるアベックが私のそばに寄ってきて、『ムーンライト』のパッケージをチラと一瞥したる男、「ハッ!」和田アキ子みたいに裂帛の空気を吐き、「これ、アカデミー賞取ったわりにはクソつまんなかったわwww」けんもほろろに唾棄。

「へえええ、〇〇くんスゴォォーイッ! 映画詳しいィィィィッ! ヒイイイイッ!!」などと女の称讃を一身に浴びて鼻高々といったご様子。

 

こういう馬鹿豚ポップコーンみたいな連中にイライラしてしまうのが自分の悪い癖で、ついつい「あのな、『ムーンライト』が作品賞を取ったのはアカデミー会員の多くが反トランプ政権の意思表明として票を入れたからであって、アカデミー賞とは必ずしもおもしろい映画を決める賞ではないのですよ。そんな単純な話じゃない。ビーチでビキニコンテストしてるのとはワケが違うんです」というニュアンスでそのアベックを冷視してしまいました。


だが、家に帰っていざ映画を観てみると、クソつまんないという程ではないが、確かにそれほど大した映画でもなく…。
今となっては、あの男が言ったことも多少は分かる。

もちろんクソつまんなかったわwww」「ヒイイイイッ!」とまでは思わないけど、まぁそういう感想を持つ男が現れるのも止む無しというか。

少なくともクソつまんなかったわwww」という意見に対して「それはお前の理解が足りてないだけだ、ばか野郎!」と叫んでこの作品を擁護する気にはなれない…というぐらいにはどちらかと言えば僕もこの男寄りの感想を持っています。

要するに、冷視してすみませんでしたというお話。

 

LGBT*1の偏見をなくしましょうという動きが近年熱気を帯びているのは分かるのだけど、『わたしはロランス』『チョコレート・ドーナツ』のような、やや神経質なまでのLGBT推しは少し苦手だ。性的マイノリティに理解を示して精一杯擁護するという行為それ自体が、ある意味では性的マイノリティに対する差別に思えて。


だが本作『ムーンライト』は、いわゆるLGBT映画ではない。
たしかに、貧困街で生まれ育った有色人種でゲイの主人公の行き詰まりを描いてはいるが、差別や貧困をことさらにクローズアップして観客の同情を乞うようなナメた作りにはなっていない。むしろ差別や貧困にまつわる描写を大胆に省略する手つきには好感さえ持てるほど。
ただ、全編通して白人が一度しか画面に映らないという明らかな作為には違和感を持ったけど、そこを掘り下げると面倒臭そうなのでスルーします。

 

差別や貧困よりも男同士のロマンスに比重が置かれている。

実際、主人公と親友の思春期の気まずい恋模様が描かれているのだが、ブエノスアイレスブロークバック・マウンテンを引き合いに出すまでもなく、同性愛を扱った映画としては少々弱い。
主人公と親友の言外の想いや気まずさを表象するような青い海辺と静かな波音など、言葉や芝居ではないところで心の機微を紡いでいく繊細な演出が特徴的だが、そうした文芸性志向は主題の平坦さを悪目立ちさせてしまう。映画のフォーカスがどこにも合ってないというか。
だけど、海、車、シャツ、ガスコンロの青い炎など、全編に配色したブルーが基調色になっていて、孤独感を抱える主人公の心象をセンシティブに視覚化する映像設定は魅力的なので、普段顔が青ざめてて青い夢を見るほど青色が好きな人にはおすすめ

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それにしても、おかしな時間がずーっと流れてる映画だ。
親切な麻薬ディーラーのマハーシャラ・アリが「ヘイ、メーン」などと挨拶を交わして仲間と仕事の話をするファーストシーンの長回し
そんな彼に保護された幼い主人公が、名前や住所を聞かれてもリトル・ミス・サンシャイン』の長男ばりに無言を貫くファーストフード店のシーン。いつの間に「沈黙の誓い」を?

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「名前はなんていうんだ?」

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「…………」

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「家はどこなんだ?」

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「…………」

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「おまえは何なんだ?」

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「…………」

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「どうか頼む。何か喋ってくれ」

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「…………」


そして大人になった主人公が、親友が経営するレストランに行って数十年ぶりの再会を果たすクライマックスでも、やはり重苦しい沈黙が二人の上にのしかかる。

 

全編に渡って「え、なにこの言論空間?」みたいな変な間が点在しているのだ。私の言葉でいうところの死に時間*2が流れている。
いろんな映画を観ていると、たまーにこの手の映画に出くわすことがある。意図的に死に時間を設けているというか。

身も蓋もない言い方をすると、これは映画的要請もなく、ただ漫然と時間を引き延ばすことで、あたかも意味ありげなシーンであるかのように錯覚させる…という文芸映画のトリック。
端的に言って映画の遅延行為だ。
サッカーだったらイエローカード出てますよ!

 

それはそうと、壮年期の主人公を演じたトレヴァンテ・ローズの強面ぶりと筋骨隆々ぶりがなかなか凄くて、精細な心を持った気弱な主人公だからまずあり得ないとは思いつつも、急にキレて暴れ出すかもしれないという戦々恐々たる空気にヒヤヒヤしていたのは私だけだろうか?

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こわ。

 

ちなみに、プランBエンターテインメントが製作に参画している。ブラッド・ピットが設立した映画会社だ。

何気に『ムーンライト』がアカデミー作品賞を取ったことでいちばん得をしたのは、女房と別れてイメージダウン真っ只中のブラピだったかもしれない。

 

*1:LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーを略した性的マイノリティの総称。BTTF(バック・トゥ・ザ・フューチャー)と混同しないようにね!

*2:死に時間…なんの目的も役割もなく、ただ無為に流れているだけの無駄な時間。完全なる私の造語です。