石か玉か、それが問題だ。
1973年。バイロン・ロス・チャドナウ監督。バイロン・メイブ、ハル・リード、ジュリー・パリッシュ。
こんな映画ばかりレビューしてたら読者が離れていってしまう気もするが、話題作や有名作ばかりが映画ではない。アッと驚くカルト映画や、玉石混合のB級映画の中にこそとんでもない怪物は眠っているのだ。
そんなわけで本日は眠れる怪作『ドーベルマン・ギャング』をご紹介。
三人の強盗が隠れ家を出て車に乗り込み銀行を襲って逃亡するまでをわずか2分足らずで見せきってしまうといういくらなんでも軽やかすぎるオープニング。
思わず「軽やかやなぁ~」と口に出して言ってしまいました。
これはドン・シーゲルやマイケル・ウィナーには決して真似することのできないリズムだ。彼らに限らず、70年代の映画でこの20年代アメリカ映画的と言うほかない光速の編集リズムを持つ作品を見つけだすことは極めて困難だろう。ていうか絶対むり。
かつて、三人の強盗が隠れ家を出て車に乗り込み銀行を襲って逃亡するまでを2分足らずで描いた映画なんてあっただろうか。断じてNAI。
この時点で本作はもう異常なのである。こんな真似が出来るのは映画を極めきった天才か映画を知らないバカしかいない。
「どうしてこんなことができるのか」というよりも「どうしてこんなことをしてしまえるのか」という精神のねじれについて、本作をシリーズ化して三作まで撮ったあとに忽然と姿を消してしまった監督バイロン・ロス・チャドナウ自身が言及ことはまずあるまい。もう映画界から退いている可能性がきわめて高く、生死の確認さえとれないのだ(ネットでこの監督を調べても一切なにも出てきません)。
この謎に満ちた光速編集を解き明かす手掛かりはどこにも存在しないのだ。もどかしい。
したがって、これは葬り去られた2分間だ。と同時に、こういう言い方もできる。
86分の上映時間のうち冒頭のこの2分こそが本作の神髄である、と!
まだドーベルマンすら出てこない段階から、『ドーベルマン・ギャング』はすでにその名を70年代アメリカ映画の片隅に署名してしまったのだ。
こうなると、もはや『ドーベルマン・ギャング』というよりはただの『ギャング』で終わってしまってもいいわけだ。
そのあと、三人の強盗団は「こんなこといつまでも続かない」、「いつか捕まるで」といった消極的な話をする。家出て2分で強盗を成功させたにも関わらず。
そして、確実に銀行強盗を成功させながら一切のリスクを回避する究極のメソッドとして、何を思ったのか強盗リーダーのバイロン・メイブは根拠もなくこんな結論に至る。
「ドーベルマンに銀行を襲わせればいいんだ!」
はい、ちょっと待ってねー。
冒頭2分の光速編集でも「ちょっと待て。こんなのアリか」と思ったが、いよいよ口に出して待ったをかけるよ!
ドーベルマンに銀行を襲わせる?
なかなか興味深いので詳しく話を伺いましょう。
リーダー曰く…
「ドーベルマンって強いよね。そんなことはみんな知ってる。俺も知ってるし、お前も知ってる。今年6歳になる甥のウィリアムだって知ってる。したがってドーベルマンを訓練して、犬だけで銀行強盗をさせたら最強だよね。かつ安全だよね。万が一なにかあっても、俺たちは捕まらない。犬が捕まったとしても、犬は人語を話さないので俺たちの名前を決してバラすことはないよね。ワンとキャンとクゥ~ンしかボキャブラリーないからね。犬はね。グルルル…とも言うけれど」
……膝を打ちました。
すげえ、これ考えたやつ天才じゃない!?
いわば犬をスケープゴートにすることで逮捕される危険性を回避するという理論ね。
スケープゴートとしてのドーベルマン。スケープゴートとか言っちゃうと犬なのかヤギなのか分からないけど、空前絶後の妙案である。
ドーベルマンを調達(かわいい)。
パワードスーツで完全防備してドーベルマンを訓練。
というわけで、この馬鹿げた作戦が動き出した瞬間、あれほど私の瞳を撹乱した前衛的な光速編集は、ひたすらドーベルマンの可愛らしさで観る者を癒す弛緩した映像/編集に姿を変える、という白魔術のごときラブ&ピースが全面化する。
野原をダッシュするドーベルマンをローポジで捉えてスローモーションで見せる、というドッグフードのコマーシャルみたいな映像のつるべ打ち。
人はもう、思いきり梯子を外されたような冒頭との落差に三半規管が焼き尽くされ、あとは痴呆のような顔で残りの上映時間を行儀のいいドーベルマンを「かしこいな、かしこいな」と思いながらただただ眺め続けるというペットショップにおける客的な行為に当てていればよい。
銀行で金を要求するドーベルマン(かわいい)。
見事強盗を成功させた6匹のドーベルマンの内の1匹がたまたま自動車に撥ねられ、志半ばにして天に召されるという何の説話的必然性もない展開を迎えたあと、残りの5匹が飼い主でもある三人の強盗を噛み殺すという悪徳の裏切りを演じる。
そのあと5匹のドーベルマンは、リーダー格のバイロン・メイブの恋人に付き従い、「なるほど、女の一人勝ちということか。まさかの結末だな…」と早合点した私の虚を突くかのように、この5匹は奪った現金が入った犬用バッグを身につけたまま、女すらも裏切って気持ちよさそうに草原へと逃げてゆくのであった。
逃げる犬たちと「待て~」と言いながらお茶目なフォームで追いかける女のロングショットに、陽気なカントリー・ミュージックがテンテロテンテロ流されて、終劇。
ある意味、驚愕のラストシーンだよ!
最初のシーンと最後のシーンでまったく辻褄が合っていない。映画の体温というか、緊張感の辻褄だ。
すごいものを観てしまったという気もするし、とてつもなくいい加減な映画を観たという気もする。
これは何かありそうだぞと思わせる開幕から急速に映画は無害化されてゆくが、終わり際になってある意味この上なく有害な映画なのかもしれないと頭を抱えるような、ハチャメチャな映画体験だった。
畢竟、この映画は石か玉か。
ドーベルマンたちは実によく動く。こんなバカ丸出しの強盗作戦を本気で達成させようとする俳優陣のシリアスな芝居も見どころ。
改めて思う。本作が石であれ玉であれ、70年代のアメリカ映画は本当に素晴らしかった。