シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

クロコダイルの涙

思わず日曜日の午後を見計らってブルーな顔で溜息をつかずにはいられないジュード・ロウの美貌。

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1998年。レオン・ポーチ監督。ジュード・ロウ、エリナ・レーヴェンソン、ティモシー・スポール

 

青年医師スティーヴンは、自分を愛してくれる女性の血を吸わなければ死んでしまう吸血男。次々と女を誘惑してはその首筋に食らいつき完全犯罪を重ねていたが、新たな獲物アンと付き合い始めたスティーヴンは彼女を本気で愛してしまい、血を吸うことにためらいを感じ始める…。


駅のホームから飛び込み自殺をしようとしてそわそわ歩き回っている一人の女。

その女の、革をこするような乾いた靴音が、映画冒頭で木の隙間に挟まった車が立てるギュッギュッという音を想起させ、何か禍々しいことが起きそうな気配に思わず息を詰める。 そして地下鉄のトンネルから闇を裂くように現れた電車の前灯と轟音により、画面を見つめる観客は「ああ、この女は死ぬのだ」と確信する。

すると一人の男が電車に飛び込もうとした女の腕を引っ張り、いわゆる壁ドンをして至近距離で女の顔を見つめる…。

何を隠そう、この男こそがジュード・ロウだ。

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「ハゲる前のジュード・ロウは格好よかった。まぁハゲても格好いいけど、ハゲる前はもっと恰好よかった」

世界中の女性がそう呟き、思わず日曜日の午後を見計らってブルーな顔で溜息をつかずにはいられないジュード・ロウの美貌は、つまるところ本作を以てその極致と成す!

ジュード・ロウがいかに綺麗な貌をした俳優であるか」という問題が本作を評する上での総合的なバロメーターになると言ってもいいほど、この映画はジュード・ロウの貌こそが総てだ
よって本稿ではジュード・ロウの話しかしない

映像がどうだ脚本がどうだといったクソみたいな話は、もはや本作を批評する上ではナンセンスかつ犯罪的な脱線でしかないからだ。


~1ジュード~

まず無口なジュード・ロウがたいへんよい。

ちょっと難しい話をします。映画における役者の沈黙には、さまざまな意味や効果がある(最もオーソドックスなものだと、沈黙によって何かを語らしめる、あるいは示唆するというストーリーテリングの補助的役割)

しかし本作のジュード・ロウは、無言のアップに堪える寡黙さに収まることで「沈黙するジュード・ロウ」そのものを主体化したショットを立ち上げている。

どういうことか。こういうことだ。

映画においては「被写体」と「発話者」は必ずしも同期しない

本来、「役者A」が台詞を発している途中で、聞き手の「役者B」にショットを切り返すのが対話シーンにおける編集の基本。その場合、「役者A」は画面外からの音声によってしか存在の持続を許されない。

ところが「役者の沈黙」というやつは、「黙りこくった役者A」のショットをぶった切って別のショットに繋げてしまうと、「役者A」の存在はそこで完全に寸断されてしまう。なぜなら「沈黙」とは観客の「眼」によってしか確かめることのできない可視的な身振りだからだ。

したがってジュード・ロウが沈黙を続ける限り、その画面は好むと好まざるとに関わらず持続を余儀なくされる。別の被写体にカメラを向けることができなくなるのだ。

ジュード・ロウを被写体とした全てのショットがジュード・ロウに従属している、と言ってもいい。

あ、ジュード・ロウの「ジュー」と従属の「従」で韻を踏んでしまったわ。どうでもよー。


~2ジュード~

黒のタートルネックの着こなしがたいへんよい。

顔がすっきり映えて最高だ

黒のタートルネックといえばオードリー・ヘップバーンだが、本作のジュード・ロウ線の細さも含めてどこかオードリーのよう。また、タートルネックを着ていた一時期のアラン・ドロンの色気すらも漂わせている。

ジュード・ロウタートルネック。この神秘的な足し算の解は、世界中の数学者でも明かせない宇宙の神秘そのものとは言えまいか。まぁ、さすがに言えないよね。自分でも今なにをいってるのかぜんぜんわからないもの。

普段は髪型にばかり目がいってしまって衣装を楽しむ余裕がなかなか持てない私だが、とにかくタートルネックのチョイスは効果覿面だ。

ついでに言うと、ジュード・ロウの髪型は前髪を下ろしていた映画前半の方がよく、どうして後半では散髪しておでこを見せてしまったのだと憤慨した(おでこなどその後のジュード・ロウの映画で嫌というほど見れるのに。ハゲるから)

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~3ジュード~

背中を丸めて苦しむ姿がよい。

床に倒れて背中を丸めるジュード・ロウをローポジションで正面から切り取ったショットの見事さに、誰もが日曜日の午後を見計らってブルーな顔で溜息をつきたくなるはずだ。

ぽきぽきした身体といい、背中の丸め具合といい、腕を虫のようにもうねらせる動きといい、恐らくすべてが計算された運動設計とも言うべき人体の奇妙およびダイナミズムは、まるでフランシス・ベーコンの絵画のごとき戦慄である!

私はこのショットを観て意味もなく地べたに寝転がってみたくなったが、服に細かいゴミとか埃が付着するのでやめた

私がかしこくてよかった。バカならここで「僕もジュード・ロウのマネやるー」と言って地べたに寝転がり、ゴミだらけ埃まみれになって大いに後悔したはずである。

しかし真のかしこならベッドの上でジュード・ロウのマネをやっただろうし、更に野心あるかしこであれば細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出演したはずだ。

そこまで考えが至らなかった私は、やはりジュード・ロウにはなれないなと思った。

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~ヘイジュード~

そんなわけで、『クロコダイルの涙』は筋で観る映画でもなければ、映像で観る映画でもない。

「ヘイ」と言いながらジュードで観るロウ映画なのである。

そして仕上げに、日曜日の午後を見計らってブルーな顔で溜息をつけば、たちまちアナタも重度のロウ信者です。ハッピー。