複雑なりき、未亡人心。
2007年。スサンネ・ビア監督。ハル・ベリー、ベニチオ・デル・トロ、デビッド・ドゥカブニー。
愛妻の夫を突然失ってしまったオードリーは、夫の親友でヘロイン中毒から立ち直ろうと苦しんでいるジェリーに、寂しさを紛らわせるための一時的な共同生活を提案する。そして、やがて2人は互いを支えあう存在になっていくのだが…。(映画.com より)
夫を失った妻と、夫の親友が共同生活を送る。
2人の幼い子供たちは夫の親友によく懐いているが、彼は麻薬中毒だ。女はそんな彼を長年嫌っており、生前の夫に「もうあの人とは縁を切ってちょうだい」とよく頼んでいたが、夫が死んだ今となってはそんな憎悪もすっかり消え失せ、禁断症状に苦しむ夫の親友の世話を焼き、悲しみを紛らわせようとする…。
複雑なようで単純。そして単純なようで複雑なこの人間ドラマに命を与えるのが、ハル・ベリーとベニチオ・デル・トロの二大オスカー俳優だ。
『X-MEN』シリーズのストーム役が馴染み深かろう。ちなみに髪型評論家として、ストームの外ハネ銀髪スタイルは論ずるに値する。長年ショートヘアがトレードマークだったが、近年ロングに転向。
プエルトリコが生んだゾンビ版ブラピ。
代表作に『ユージュアル・サスペクツ』(95年)、『トラフィック』(00年)、『チェ 28歳の革命』(08年)など。基本的に愉快な映画にはほとんど出ない。
デルトロと言えば選手権ではギレルモ・デル・トロに敗れたが、本人はさほど気にしていないようだ。
デイヴィッド・ドゥカブニー
映画よりも海外ドラマでの活躍が目立つドラマ野郎。世界中でヒットした『X-ファイル』の主演。
性依存症を告白した著名人の一人であり、仕事以外での主な活動はアダルトサイトの閲覧やワンクリック詐欺の対処など多岐に渡る。
正直、観る前は「悲しみを癒す系のかったるいヒーリングドラマでしょ」とタカを括っていた節はあったが、『悲しみが乾くまで』は女流監督スサンネ・ビアの的確ながらもクセの強い演出と深い洞察力が光る、かなり個性的な作品だった。75パーセントぐらいの本心から「観てよかった」と思えた。
身体の一部を切り取った超クローズアップを用いて人物の迷いや動揺をエモーショナルに表現する攻めたカメラワークの連発は、ともすればホラー演出スレスレで怖さや不安感すら煽るが、ドラマが善人しか出てこないようなヒーリング系クソ美談映画に陥る寸前でピリッと緊張の糸を張り直す役目を担っている。
だいたいにおいて私は、バカみたいにシャロー・フォーカスを使った淡い映像で、不必要に犬とか出てきて、近所のおっさんとかババアと交流して「人間っていいよね」とか「温かい心って最高だよね」などとアホみたいな結論に至る善人しか出てこないヒーリング系クソ美談映画があまり好きじゃない。嘘だらけだからだ。そんなものを観ても世界は広がらないし、人に優しくなれるわけがない。
だが本作は、そんな甘えきった糖分過多の爆裂ヒューマニズムほっこり映画には堕さない。夫を失ったハル・ベリーの心は決して癒えることはないし、共同生活することになったデル・トロとも次第に仲良くなったりしない。人間ってもっと複雑で、心のダメージは容易く回復したりしないというシビアな一線が引かれている。
実際、随所で連発される超クローズアップはマジで怖いし、「観客をにこやかにさせよう」なんて意思は一瞬たりとも垣間見えないのだ。
まぁ、万人ウケする演出スタイルではないが、万人ウケする映画なら自分だけの武器や信念をなにも持たない没個性な職業監督に撮らせればいいのだし、もっと言えばコンピューターに撮影パターンを覚え込ませて機械に映画を撮らせた方が効率的だ(近い将来そうなるかもね)。
人間が映画を撮る以上、そこには生身の挑戦と生身の表現力があらねばならない。
というわけでスサンネ・ビアの超クローズアップ連発技法は、その効果の是非に問わず、「攻めた」という意味においてひとまず称賛に価する。さすがスサンネ。ビアを名乗るだけのことはある。
人がどう思うかは知らないが、私はこの監督は女性版イーストウッドだと思った(イーストウッドも普通の監督が絶対にしないような非効率的で意図不明な演出をよくする)。
むくんだブラピに見えるわー。
そしてスサンネ・ビアのもうひとつの武器は深い洞察力だ。
女流監督にも関わらず、男同士の友情をこの上なく的確に描いている。
麻薬漬けでへばっているデル・トロのもとにドゥカブニーが会いにくる回想シーン。ダイナーで食事しながら、デル・トロはさり気なく金利の話題を振る。
のちにこれは不動産ディベロッパーとして働くドゥカブニーを「最近仕事はどうだ。大丈夫か…?」と気にかけた一言であることが明かされるわけだが、こういう男心の描写が憎いほど上手い!
男はバカなくせに照れ屋だから、男同士の会話には含意が多い。二十歳の誕生日を迎えた私に「おめでとう」と素直に言えず、「また今度、酒でも飲もうや」と吐き捨てるように呟いて去った父親のように。
回想シーンで示される、麻薬中毒者のデル・トロと裕福層のドゥカブニーの立場を超えた無言の友情がとにかく素晴らしいの。いつまでも観ていられる(ごめん、そりゃ嘘だ)。
夜の街を散歩しながら語らう親友同士。ええの~、ええの~。
だが物語はあくまでドゥカブニーの妻ハル・ベリーと、ドゥカブニーの親友デル・トロの微妙な空気が漂う共同生活がメインだ。
ハル・ベリーは昔からデル・トロのことを嫌っていたにも関わらず、なぜか自宅のガレージに住まわせて、子供たちの父親代行みたいなことをさせる。このへんの女心というか未亡人心は、到底私の理解の及ぶところではない。
「なぜハル・ベリーは大嫌いなデル・トロに衣食住を提供したのか?」を私なりに考えたところ、5つぐらいの理由を思いついたが、彼女自身「わからない…」と漏らしたように、恐らくこれら全てが綯い交ぜになった感情が彼女を突き動かしたのだろう。複雑~。
ハル・ベリーの内面は、文学的と言っていいほど緻密に描かれている。
ドゥカブニーは水に顔を浸けられない息子を最後までプールに入れることができなかったが、デル・トロは巧みなコミュニケーション能力で息子をおだて、ついに水の中に潜らせることに成功。
その様子をプールサイドで見ていたハル・ベリーは、てっきり「デル・トロすごい、見直した! 水嫌いの息子をプールに入れるなんて! お前は水泳インストラクターか!」って喜ぶのかと思いきや、かえって不機嫌になってしまうのだ。
「初めて息子をプールに入れた喜びを、夫ではなくあなたが味わうなんて」
も~、複雑~。
微妙にも程があるだろ、未亡人心。
私なんかは「素直に喜べよ。そしてデル・トロに感謝せえよ」なんて思ってしまうが、図式的な人間ドラマを嫌う本作は、そんなハル・ベリーの複雑で生々しい心情を素描してゆくのだ。
個人的な統計だが、「サスペンス映画が好きな人はヒューマンドラマをなかなか観ない」という傾向があると思う(手近な例が3~4人いるだけの心許ない統計なのだが)。
謎や仕掛けを好むミステリー体質の映画ファンにとっては、人間の心の機微をじっくりゆったりと見せられても眠くてかったるいと思ってしまうのだろう。
だがそれは違う。なぜか大嫌いなデル・トロに手を差し伸べたハル・ベリーの得体の知れない動機のように、かくも人間の心とはミステリーに満ち溢れているのだ。
ヒューマンドラマは「この人は何を考えてるんだろう?」とか「なぜこんな事をしたんだろう?」のオンパレードだ。行間を読むことで徐々にキャラクターの内奥が見えてきて、物語の因果関係が輪郭を帯び始めるのである。わかった?
こうなってくると、ヒューマンドラマとサスペンス映画の違いは「事件化するか、しないか」でしかない。
まぁ、そもそも論を突き詰めると映画をジャンルで選り好みせずとも、もともと映画にジャンルなんて無い…という極論に達してしまうのだけど。
ヒューマンドラマもサスペンスも同じだよ、コノヤロー!
恐るべき脱線をしてしまった。脱線は私の得意技なのでもう諦めてください。
主演のハル・ベリーは相変わらず綺麗だけど、どの映画でも一本調子というか演技に色彩がないので、「夫を失った悲しみが癒えぬうちに夫の親友と交流を重ねる未亡人」という難しい役どころを持て余していたように思う(逆に『X-メン』のようなコスプレ映画や『ザ・コール 緊急通報指令室』のようなスリラー映画では上手くハマる)。
そして本作は、なんといっても麻薬中毒の親友を演じたベニチオ・デル・トロの魅力と巧さに尽きる。
デル・トロの映画はだいたい観ているが、彼の芝居で度肝を抜かれたのは初めてだ。いつも寡黙でムッとしている役ばかりだが、デル・トロってこんなに表現力が豊かな役者だったっけ?
麻薬中毒で身体はボロボロだけど、心は温かくて聡明な判断を下せるナイスガイだ。
サイズの合ってないダブダブのスーツを着てドゥカブニーの葬式に現れるファースト・シーンでは、ヤバい顔つきで足元もおぼつかないが、退屈そうにしている子供たちに冗談を言って笑わせる。この顔で。
観る者はデル・トロのことが一瞬で好きになるはずだ。デルトロと言えば選手権でベニチオの方のデル・トロに一票を投じたくなるはずだ。
また、デル・トロが絶薬会で出会った元麻薬中毒の看護婦アリソン・ローマンも良い清涼剤になっていた。
いつ見ても10代の少女に見えるが、現在38歳だ(!)。子供も産んだ(!!)。
ローマンというか童顔。代表作に『ホワイト・オランダー』(02年)、『マッチスティック・メン』(03年)、『スペル』(09年)など。
2010年に息子が生まれてからは一切活動していない。
ラストシーンは「みんな明るく前向きになれて良かったね」では終わらない、光と影が同居した余韻を残す。
ハル・ベリーの悲しみは最後まで乾かないから、『悲しみが乾くまで』という邦題はいささか疑問だが、『悲しみがガビガビに乾きました』とかではないだけ遥かにマシだ。
人間心理の「微妙」を見事に映像化した、味わい深い一作。
笑ってますが、決して仲良くないです。この二人。