シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

リュミエール!

恍惚のリュミエール108連発!

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2016年。ティエリー・フレモー監督。ドキュメンタリー映画

 

「映画の父」と称されるリュミエール兄弟が遺した膨大な作品群からセレクトした映像で構成された、リュミエール兄弟へのオマージュ作品。
1895年12月28日パリ。ルイ&オーギュスト・リュミエールの兄弟が発明した撮影と映写の機能を持つ「シネマトグラフ」で撮影された映画「工場の出口」など10本の作品が世界初となる有料映画上映会で上映された。1本の長さが約50秒という短い時間ながら、それぞれの作品で取り入れられた演出、移動撮影、トリック撮影といった撮影テクニックは、現在の映画の原点とも言われている。カンヌ国際映画祭総代表のティエリー・フレモーが、リュミエール兄弟が1895年から1905年の10年間に製作した1422本の短編作品から108本の作品を厳選し再構成。(映画.com より)


知性と文化的教養を持つ一部の映画好きの間では「映画の発明者は誰なのか?」という議論が今なお続けられている。映画好きは暇なのだ。

「映画の発明者はキネトスコープを発明したエジソンだ」と言い張る者と、「いやいや、シネマトグラフを発明したリュミエール兄弟だ」と主張する者が日夜熾烈な戦いを繰り広げているらしい。

映画が誕生してから120年も経つというのに、未だにこんな議論で盛り上がれるのだからまったくおもしろい。

文化・芸術という子宮に映画の胎児を宿らせたのはエジソンだが、映画が誕生して産声をあげたのはリュミエール兄弟のお陰だ。

いわば精子提供者としてのエジソン助産師としてのリュミエール兄弟である。

どうなんだろうな、この喩え。

 

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1891年にトーマス・エジソンが発明したキネトスコープ。バカみたいな姿勢で箱の中を覗きこんで映画を観る装置だ。

 

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1895年にリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフ。撮影と映写の機能を併せ持つ複合映写機。

 

ちなみに発明ではなく映画を発展させたのは以下の三人。

映画好きなら必ず一度は耳にしたことがあるはずだ。

 

発展者① 映画文法の基礎を築いたD・W・グリフィス

『國民の創生』(15年)を撮った賢いおっさん。

映画史上初めてクローズアップやロングショットを用いただけでなく、クロスカッティングやイマジナリーラインといった映画理論を編み出した偉人。

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グリフィスに多く起用された映画史最古の女優リリアン・ギッシュ

 

発展者② モンタージュ理論を確立したセルゲイ・エイゼンシュテイン

戦艦ポチョムキン(25年)を撮った偉いおっさん。

戦艦ポチョムキンにおける「映画史上最も有名な6分間」と言われるオデッサ階段のシーンは、映像に携わる世界中の人間が研究したモンタージュの教科書だ。

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オデッサ階段から乳母車が転がっていくシーンはアンタッチャブル』(87年)でもオマージュされていた。

 

発展者③ トリック撮影を考案したジョルジュ・メリエス

月世界旅行(1902年)を撮った夢見がちなおっさん。

SFX(特撮)によって魔法のような映像を実現したSF映画の始祖。ディゾルブやストップモーションといった技法を発明した。

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月世界旅行といえばコレ!

そういえばマーティン・スコセッシヒューゴの不思議な発明』(11年)は最初から最後までメリエス讃歌の映画だった。

 

あかん。映画のお勉強みたいな記事になってきた。

脱線願望が頭をもたげ始めたので、ギュッと理性を取り戻して評論に戻ります。

 ぎゅ。

 

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リュミエール兄弟どっちかが兄で、どっちかが弟だ。

 

さて!

本作は「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟が製作した1422本の映画の中から厳選した108本によって構成されたドキュメンタリーだ。

映画とはいっても我々が普段観ているような映画ではなく、わずか50秒のサイレントフィルムである。それが108本ぶっ通しで流され、たまに思い出したように監督のティエリー・フレモーが訳知り顔で解説ナレーションをつけていく。

決してリュミエール兄弟の生い立ちや映画史の変遷をべらべら語って「わかった?」「わかった?」と観る者を教育する類のドキュメンタリーではない。

ひたすらリュミエール兄弟の映画をかけまくる。

ただそれだけ。余計な能書きやバックグラウンドの講釈など無し。この上なく弩シンプルな作品だ。

 

怒涛のようなリュミエール作品108連発。

映画好きにはこたえられない秘境の数々に、ただただ夢見心地の90分だった。もうずっと「ひゃー」って感じ。ホントよ。森昌子ぐらいのキーで「ひゃー」って感じ。

いくつか観たことのある作品もあったが、その多くは公表されていない、もしくは日本では鑑賞不可能な作品ばかりなので、資料的価値はきわめて高い。

何より「映画の父」による作品群を108連発で浴びることで、リュミエール兄弟、ひいては映画史の始まりに思いを巡らせる一助となってくれる強い味方だ。

映画を観るだけでなく映画を考える人にこそ強く勧めたい。もちろんそうでない人にも。

 

ところで皆さんは『工場の出口』(1895年)という映画をご存じだろうか。

これは、リュミエールの工場から出てくる人々を46秒間撮影した世界初の映画として知られている。

初めて映画に登場した人間は、いけ好かない金持ちでも偉ぶった貴族でもでもなく庶民だった。

『工場の出口』を皮切りに、リュミエール兄弟は世界中にカメラマンを送り、労働したり享楽する庶民の姿を捉え続けた(日本にもカメラマンを派遣して剣道をする日本人の様子を撮影している)。

フィルムを通して異国の文化や情緒を知る。今となっては当たり前のことだが、この当時は映画こそが世界の窓だったのだ。


『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)は知っている人も多いかもしれない。

美大生や映像学科の学生が真っ先に見せられる作品だ。

これは駅のホームにカメラを固定して、駅に到着した列車が人々を吐き出しては吸いこんいく様子を映した50秒の作品なのだが、これにはひとつ面白い逸話がある。

リュミエール兄弟が人々の前でこの作品を上映すると、画面奥から迫り来る列車に驚いた観客は「轢き潰される、轢き潰される」と慌てふためいて逃げ出したというのだ。

「アホちゃうけ?」と思ってはならない。

「映像」というものを初めて見た当時の人々にとっては、本当にスクリーンから列車が出てくると思ってビビりまくったのも無理はない話です。

 

この作品に、監督兼ナレーターのティエリー・フレモーは「対角線の構図がすばらしい」と述べた。

「おぅ、わかっとるやんけ」と上から目線で私は思った。

遠くの列車が画面手前に迫りくるにつれて、構図は対角線によってふたつに分割される。画面左側に停まった列車と、画面右側の乗り降りする人々が「黒と白の対比」を成すのだ。同一のショットの中でひとつの空間がふたつにぶった切られる瞬間を捉えた力強いフレーミングだ。

事程左様に、リュミエール兄弟はただテキトーな場所にカメラを固定して人や景色を撮っているのではなく、美しさを計算して「映画」を撮っているのです。

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 何かについて話し合うリュミエール兄弟。意外と映画の話をしていないのかもしれない。

 

あ、そうそう。リュミエール兄弟の偉業は現代にも通じる映画の原型を作りあげただけでなく、映画を興業化したというのも大いなるトピックである。

1895年、リュミエール兄弟はパリのグラン・カフェで史上初の映画興行をおこなった。

つまり世界で初めて人民から金をふんだくる代わりに映画を見せたのだ。

「タダで観れると思うなよ!」ということだよね。

時代背景を加味すると、産業化する前の当時の映画に最も近いのはサーカスだろう。つまり見世物だ。当時の映画は、手品やサーカスやパントマイムの延長線上にあった。史上初の映画『工場の出口』の被写体が庶民だったように、やはり映画とは本来的に庶民のものなのである。ビバ庶民。アイム愚民。


このように、世界各国で撮影された50秒の作品が108連発されるワールドワイドな本作。

100年以上も前の世界中の人々の暮らしや息遣いが感じられ、わけもなく涙が出そうになった。

「昔の人々とて、今の俺たちと一緒じゃねえか」という時空を超えた普遍性とかさ、「国も文化も違う人々とて、日本文化にどっぷり浸かった俺と一緒じゃねえか」みたいな国境を超えた普遍性に弱いのよ、私は。

時空とか国境を超える系に弱くて、すぐ泣きそうになるんだよ。

「いつの時代でも、どの国でも、人間って同じなんだ!」っていう安心感というか。

わかる?

わかりる!?

 

途中でちょっと「対角線でボッカーン分割されててな!」みたいな高度な映画論も開陳してしまったが、「こんなドキュメンタリー映画、どうせガチのシネフィルしか楽しめないんでしょう?」などと思わず、どうかあまり身構えないでほしい。

なんとなく観始めても楽しめることを請け負うよ。誰が? 僕が。もし楽しめなかった場合はそれ相応の責任をとりますよ。誰が? 誰かが。

まぁ、さすがに「普段いっさい映画は観ません。むしろ映画なんて嫌いだ。オレの野望は映画好きの人間を一人残らず始末することだ。それだけがオレの生き甲斐」とかいう人にとっては退屈きわまりない作品かもしれないが、少なからず映画を愛する人には全身全霊でオススメしたい逸品でございます。

きっと、自分の中の「映画への認識」がほんのちょっぴり変わることでしょう。

みんなで頑張って「リュミエってる?」を今年の流行語大賞にしませんか?

まぁ、僕は言いませんけどね。「リュミエってる?」なんて。

大体いつ言うねん。アホか。

 

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世界初のコメディ映画、リュミエール兄弟『水をかけられた散水夫』(1895年)

 


☆うれしい追記☆ 

リュミエール兄弟の作品はYouTubeでも観ることができるので、もしほんの僅かでも興味があれば観てみるとよいでしょう。たかが50秒だから、時間を惜しむ暇もないだろう?

 

※この頃の映画人の作品はだいたいYouTubeに上がっている。映画の著作権保護期間は70年なので、たとえばチャップリンの作品もすでにパブリックドメインとして扱われているのだ。

よく本屋さんや家電量販店の一角でクラシック映画のDVDがゴミみたいな値段 500円で売ってたりするけど、ああいうのも全部パブリックドメインです。

著作権の失効。

つまり、リュミエールチャップリンも皆のものだ!