シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ぼくの美しい人だから

 身分違いの恋を描いたヘッドライト壊れっ放し映画。

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1990年。ルイス・マンドーキ監督。スーザン・サランドンジェームズ・スペイダーキャシー・ベイツ

 

広告会社に勤務する27歳のマックスは、友人のバチェラーパーティの後、家に帰る気になれず立ち寄ったバーでノーラから声をかけられる。それは先刻ハンバーガー屋で文句を言ったレジ係の43歳の女性だった。車でノーラを送ったマックスだが、したたか酔っていたため寝入ってしまう。その夜、二人は関係を持つ。一夜限りの行きずりのはずだった。しかし、翌日マックスは再びノーラを訪ねる…。(Yahoo!映画より)

 

『ぼくの美しい人だから』という、パッケージが若干エロティックな映画を観た。

ビデオ屋で何気なく手に取って観たわりにはけっこう良い作品だったが、「わざわざブログで評論するほどではないな。面倒臭ぇし」というのが正直なきもち。大事なのは犬のきもちでも猫のきもちでもない。オレのきもちだ。

だが結果的に評論して、こうして私は記事をあげている。なぜか?

それをするだけのエネルギーがあり余っていたからだ。

私はひとつの映画を評論するたびに、心身ともにカロリーを消費してとてつもなく消耗してしまう。映画レビュアーや映画ブロガーの皆さんなら分かって頂けると思うが、たかが記事ひとつ書くだけでおびただしい量のエネルギーを使うよね。私なんかはすぐお腹が空いちゃうんですよ。

たぶん1時間なり2時間なり、文章を書いてるときって頭をフル回転して思考し続けているから疲れるんだろうな。

だから映画レビュアーを仕留めようと思ったら、記事を書き終えたタイミングを狙うとよい(グッタリしてるから)

だが、近ごろの私はエネルギーがあり余っている。いっぱい書いてもそんなに疲れない。私を仕留めようとしても無駄だ。今の私はグッタリ知らずなのだ。

どうでもいい前置きはこのぐらいにしておきましょう。

以上、体調報告でした。


さて、本作は身分違いの愛を描いた大人のロマンス。

まずキャストに仰天したわ。スーザン・サランドンジェームズ・スペイダーの二枚看板で映画を作ろうという(あまりに無謀な)発想自体が90年代初頭的というか、今だと絶対にあり得ない取り合わせで味わい深いわな。


スーザン・サランドン

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伝説のカルト映画ロッキー・ホラー・ショー(75年)で注目され、テルマ&ルイーズ(91年)デッドマン・ウォーキング(95年)など90年代に獅子奮迅の活躍を見せたベテラン女優。

全米美魔女コンテスト第6位。

詳しいサランドン事情は末文に譲る。

 

ジェームズ・スペイダー

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甘いマスクが売りの元青春役者だが、のちにカルト的人気を博すインディーズ映画セックスと嘘とビデオテープ(91年)『クラッシュ』(96年)などで爪痕を残す。

2013年からは海外ドラマ『THE BLACKLIST/ブラックリストでの主演が当たり役となる。

若い頃はかなり端正な顔立ちだった。

ところが徐々におかしなことになり…

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そしてハゲた。

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内容の話をしていきましょうね。

優雅な暮らしを送っている27歳のスペイダーは、知的で穏やかな好青年だ。

ハンバーガー屋で働く43歳のサランドンは、飲んだくれで品のないヘビースモーカー。

経済的にも年齢的にも大きくかけ離れた好対照の二人が、行きずりのセックスを通して深く愛し合う仲になる。

美しいロマンスとはおよそ無縁の、地べた的な生活に根差した生々しい愛が描かれている。綺麗事なしのロマンスは最高だ。

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泥酔したサランドンがバーでスペイダーをナンパする…という野卑きわまりない馴れ初めからして既にいい。

酔っ払ったサランドンは、2年前に妻を亡くしたというスペイダーの話を聞いて大笑いする。失礼にも程があるが、私はこういうエキセントリックな人が大好きだ。

だがそのあと、酔ったはずみで息子を亡くした過去をサランドンが打ち明けたことで、彼女がスペイダーの悲しい話に大笑いしたことに一本筋が通る。彼女は悲しみを酒で麻痺させ、大笑いでごまかさねばどうしようもないほど心が壊れた女なのだ。

そのあとサランドンを家まで送る途中、スペイダーの車が電柱にぶつかってヘッドライトが壊れるという何気ないシーンがあるが、この壊れたヘッドライトはラストシーンまで修理されることはない。

壊れたヘッドライトは、妻を失って抜け殻のようになったスペイダーもサランドンと同じく壊れた人間であることを意味している。

 

この映画のおもしろいところは、愛する家族を失って心が壊れた者同士が寄り添って癒し合う…みたいなお綺麗なプラトニック・ラブではなく、貪るように互いの肉体に溺れていくという愛の生々しい側面を描いている点にある。

心などという曖昧で観念的なものはさておき、まずは物理的に愛し合うことで喪失感を埋めて活力を蓄える…みたいなさ、身も蓋もない言い方をすれば極めて動物的な愛が描かれているんだよね。

肉感的で色気のあるサランドンを配した理由もまさにそれでしょう。

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だが、やはりこの作品の見所は身分違いの愛だ。

サランドンは電気代が払えず、映画中盤ではついに電気を止められて暗闇での生活を余儀なくされる。唯一の光源は蝋燭だけ。中盤以降にかけてはもう蝋燭映画だよ。

不憫に思ったスペイダーは金を渡そうとするが、施しを受けることを快く思わないサランドンは「よしてちょうだい」と言ってこれを突っ撥ねる。

また、スペイダーは家族や友人にサランドンを紹介することを躊躇っており、自分が秘密扱いされることに苛立ったサランドンは「そんなに私が恥ずかしいのかよォー!」と叫んでヘソを曲げちゃう。

サランドンは前の夫が最低のクズ野郎だったから誰も信用できず、些細なことで怒ってしまうほど神経過敏になっているし、スペイダーとの身分の違いも理解しているから自虐的にもなる。

「あなたはデートのたびに、いつも時間通りに待ち合わせ場所に来てくれるでしょ。本当は嬉しかったのよ。毎回『もう来ないんじゃないか』と思ってしまうの」

スペイダーが世間体を気にしたり、サランドンが自虐的だったり攻撃的になるのも無理はない。性格や年齢だけでなく、育った環境も社会的階級も真逆なのだ。

二人の間には綺麗事ではどうにもならない現実的な問題が横たわっている。

 

そんなわけで、けっこうシリアスな内容だ。もうとにかく重い。

いつ怒り出すかわからないサランドンの不機嫌サスペンスが、ピンと張られた緊張の糸みたいに我々の精神を圧迫する。胃が弱い人が観ると体力を持っていかれる可能性が高いので注意されたし。

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ハンバーガー屋で喧嘩!

 

だが、サランドンが「私にあなたは分不相応だから消えます。探さんといて下さい」みたいな置手紙を残して姿を消してしまうクライマックスからはロマンスの百花繚乱だ!

あちこち探し回るスペイダーの車のヘッドライトはもう壊れていない。

ようやく別の街のレストランで働いているサランドンを見つけだしたスペイダー、火の玉になってカランコロンと入店し、「探さないでと言ったでしょう。注文は何にする?」と他人行儀な振舞いでサランドンが渡したメニューを「こんなものっ」とばかりに脇に捨ててキス!

テーブルの上に押し倒してキスの嵐!

「まぁ!」と驚きながらも祝福する客とウェイトレスたち。周囲の客に「ヒュー、ヒュー!」と囃し立てられながらしつこくキスを続ける二人にエンドロールがかかる…。

平和かっ。

 

ラストシーンで一気に大味なロマンティック・コメディみたいになってしまうが、それまでの重々しい空気がフリとしてよく効いていたので、思わず好々爺みたいなアルカイック・スマイルで「よかったのぅ~」と祝福してしまった。

私は、頭からっぽの若者同士のくそ甘ったれたロマンスという名の恋愛ごっこ映画を観るたびに際限なくイラついてしまうのだけど、この手の大人のロマンスは大好きだ。必要以上に恋愛を美化せず、嘘も綺麗事もなく、むしろ男女間のエゴイスティックな面まで曝け出しているからだ。

何より、主演二人のいちびってない感じがいい(非常に重要)

スーザン・サランドンを据えてロマンスを撮るという発想自体が「あー、マジで?」という感じで目新しいし、ヘッドライトの物理的な故障をスペイダーの心の故障として表現したメタファーも気が利いている。

なにより客に媚びてないのが良い。

この映画が公開された1990年といえばプリティ・ウーマン(90年)ゴースト/ニューヨークの幻(90年)がバカみたいにヒットした年だ。

にも関わらず、よくぞこれほど地味でネットリした映画を撮りましたってことだよね。

この映画を撮った監督には何かネットリしたものをお贈りしておきます。

 

ちなみにスーザン・サランドンは、俳優のクリス・サランドンと離婚したあと、フランスの巨匠ルイ・マルと交際して『プリティ・ベビー』(78年)『アトランティック・シティ』(80年)といったマルの作品に出演。

その後イタリア人監督フランコ・アムリと交際したのち、ショーシャンクの空に(94年)で刑務所内の雰囲気をいい感じにしたことでお馴染みの主演俳優ティム・ロビンスと付き合い、ティムの監督作デッドマン・ウォーキングに出演してアカデミー主演女優賞をかすめ取ったが、2009年にティムとの約20年間のパートナー関係を解消した。

また、『ハンガー』(83年)で共演したデヴィッド・ボウイとも20年前に関係を持ったことを激白している。

まさに男のパワーを吸い取って己の魔力へと変える妖婦。

現在も、71歳とは思えないほどの魔性っぷりを発揮してやまない。

 

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