キャシー・ポテンシャルが発揮された母親サスペンス!
1995年。テイラー・ハックフォード監督。キャシー・ベイツ、ジェニファー・ジェイソン・リー、クリストファー・プラマー。
アメリカ・メイン州の小さな島にある、富豪未亡人の邸。そこで郵便配達人が見たものは、血だらけで横たわる女主人の頭上に、のし棒を手に呆然と立ち尽くす家政婦ドロレスの姿だった…。無実を主張しながらも、事件の詳細には黙秘を通すドロレス。彼女には20年前、夫殺しの容疑で不起訴になった過去があった。数年ぶりに帰郷した娘セリーナにも堅く口を閉ざすドロレス。その全ての真相は、20年前の日食の日に隠されていた…。(映画.com より)
先日『フライド・グリーン・トマト』(91年)を観てからというもの、どうも私の脳内にはキャシー・ベイツが居座り続けていて、たいへん迷惑している。
日に2回ぐらいはキャシー・ベイツに思いを馳せている自分がいるのだ。
なんというか…、イメージよ? イメージとしては、天使の羽をつけたキャシー・ベイツが全裸で空を翔け回っているのだ。弓矢をバスバス放ちながら。
それも10人ぐらい。
キャシーズだよ。
このまま脳内でキャシーズを飼い慣らしていたら日常生活がままならぬ…というので、ショック療法的に「あえてさらにキャシー映画を観ることで脳内のキャシーズを供養できるのではないか?」とすてきなアイデアを閃いて、このたび『黙秘』を初鑑賞したわけだ。
『黙秘』という邦題なので、てっきり被告になったキャシー・ベイツが仏頂面で黙秘し続ける映画かと思っていたが、ぜんぜん違ったわ。
もくひ
①キャシー・ベイツが黙秘しない映画。
本作は、恐竜顔でお馴染みのスティーヴン・キングがキャシー・ベイツを想定して書いた小説『ドロレス・クレイボーン』の映画化だ。
スティーヴン・キング原作&キャシー・ベイツ主演…といえば『ミザリー』(90年)だが、本作は二度目のタッグとなる。
ミステリー小説好きのキチガイババアが大好きなミステリー作家を自宅に監禁する『ミザリー』。
さて。物語は、ニューヨークでジャーナリストをしているジェニファー・ジェイソン・リーのもとに、故郷メイン州の小島で暮らす母キャシー・ベイツが長年メイドとして仕えていた女主人を殺害した容疑で逮捕されたという報せが入り、慌てて故郷に帰るところから始まる。
何があったのかとジェニファーが訊ねてもキャシーは固く口を閉ざすばかりで、クリストファー・プラマー演じる警部にも悪態をつき、まるで埒があかない。
警部は女主人を殺害したのがキャシーだと睨んでいる。彼女には20年前に夫殺しの罪で不起訴になった過去があったからだ。
果たしてこの母親は恐ろしい殺人鬼なのか、はたまた…。
『黙秘』という邦題だが、キャシー・ベイツが黙秘するのはせいぜい最初の10分ほどであり、キャシーとジェニファーの親子が故郷の家で数日間ともに暮らすうちに、キャシーは事件の真相をひとりでベラベラと喋りはじめる。
ぜんぜん黙秘してなーい。むしろ「告白」では?
そんなわけで、キャシーの告白によって徐々に事件の全貌が明かされていくのだが、物語が進むにしたがって、これが単なる殺人事件ではなく、もっと重畳的で深みを持った作品であることが露呈していく、骨太のサスペンスだ。
②女たちのスローガン。
まず、回想シーンによって「2つの事件」が並行して語られていく…という珍しいプロットが見もの。
ひとつはキャシーにかけられた女主人殺害の容疑。もうひとつは20年前の夫殺しの容疑だ。
ここで語られるのは2つの事件そのものではなく、2つの事件の中心にいるキャシーという女の半生である。
過去のキャシーが女主人のもとで20年以上どれだけ手荒にこき使われてきたか。そして家に帰れば夫の家庭内暴力や娘に対する性的虐待がどれだけ彼女を苦しめてきたか。
まさに傷だらけの女の物語なのだ。
しかし泣き寝入りしている場合ではない。
劇中で「女はときに鬼にならなきゃならないのよ」という台詞が娘ジェニファーの口から出てくるのだが、おもしろいことにそのあとキャシーも同じ台詞を言う。さらには回想シーンの中で女主人まで口にするのだ。
つまりこの台詞は、女主人からキャシーへ、そしてキャシーから娘へと受け継がれた女たちのスローガンなのである。
また、ジャーナリストのジェニファーは特ダネを他の人間に書かせると言った上司に対して「私が女だから?」と抗弁し、キャシーもまた銀行員の不当な扱いに対して「私が女だから?」と睨みつけた。
そして、あれほど意地の悪かった女主人は、キャシーの夫が娘に性的虐待をしていることを知り、事故を装って夫を殺しなさいと提言し「事故は不幸な女の一番の味方なのよ」とキャシーにむけて言う。
まさにこの映画そのものが女たちのスローガンである。何かに苦しんでいるすべての女性へ贈る復讐のエールなのだ。
『ブリジット・ジョーンズの日記』(01年)とか『プラダを着た悪魔』(03年)みたいなハンパで甘っちょい映画に励まされてる暇があったら『黙秘』を観ろ!
③実質的にはキャシー・ベイツの一人三役!
この映画の魅力は、なんといっても主演のキャシー・ベイツだ。
彼女が演じているのは原作小説の題名にもなっているドロレス・クレイボーンというキャラクターだが、実質的には一人三役といっていい。
彼女には3つの顔があるからだ。
一つめは、母親としてのキャシー・ベイツ。
酒浸りのDV夫に対して気丈に振る舞う彼女だが、夫は陰でキャシーにDVを振るう反面、娘に対してだけは優しいので、何も知らない一人娘のジェニファーは夫にばかり懐いてしまう。
クズの夫は、キャシーが娘の学費としてコツコツ貯金していた金を勝手に使い込んでは「へっへっへ」などと邪悪な笑いを浮かべるようなマジキチ悪魔で、一度ぶち切れたキャシーが夫の頭に壺を叩きつけて血だらけにしたことがあったが、そうした背景を何も知らない娘はその現場だけを見て「ママがパパに壺ぶつけてる! ママ酷い!」と誤解。
キャシーの愛は娘には届かず、娘の愛はもっぱらクズの父親に注がれるという…。
母の報われなさたるや!
泣けてくるですよ。
「今度私に手を出したら、どちらかが死ぬことになるわよ!」といってDV夫に斧を突きつけるキャシー。
二つめは、メイドとしてのキャシー・ベイツ。
娘の学費のために女主人に毎日こき使われているキャシーの両手は、家事でガッサガサだ。
この女主人はディズニー映画に出てくるふざけきったババアみたいに意地が悪いのだが、キャシーの夫が娘に性的虐待していることを知ってからは女同士の奇妙な一体感によって結ばれる。
だがその一体感は決して絆や友情などといった湿っぽい関係性ではなく、あくまで「女同士」という共通点だけで結びついた寄る辺ない関係なのだが、このサバサバとした微妙な距離感がいい。「なんだ、この女主人も単なる嫌味ババアではないのね」というあたりが微かに見えたり見えなかったりする…という、この微かイズムが非常に文芸的でリアリティに溢れているのだ。
娘を自立させたあともキャシーが10年以上メイドを続けていたのは、なんだかんだで女主人に奇妙な情を感じていたからだろう。
女主人を演じたジュディ・パーフィット。
20年後の月日が流れて、女主人がキャシーに介護される歳になると、もはや二人の間に厳しい主従関係はない。偏屈ババアとヘルパーさんのような砕けた関係だ。
女主人「ウンコが出た。だけどオムツはもうイヤなのよ」
キャシー「何言ってんのよ、オムツを履き替えなきゃ。ウンコにまみれて死んでいくつもりなの?」
女主人「私のことをバカにしてるわね…!」
キャシー「いーや、バカなのは私の方だわよ。20年以上も安賃金でこき使われてきたんだから」
そして三つめが現在のキャシー・ベイツ。
老いさらばえた現在のキャシー・ベイツは、すっかり疲れ果てている。
女主人殺害の容疑でプラマー警部からムチャクチャに怪しまれているが、「私は無実よ」と主張したうえで、ジェニファーに対して「でも有罪になろうが無罪だろうが、どっちでもいいのよ」と心情を吐露している。
再三に渡ってジェニファーから弁護士をつけるようアドバイスされているのに「いらん」の一点張り。まるで何かを罪滅ぼしするかのように、自ら有罪判決を臨んでいるような身振りだ。
まさにキャシー・ポテンシャルが発揮された、キャシー・ベイツありきの映画化である。
どうやら私は彼女のオモシロに目を向け過ぎたあまり、「キャシー・ベイツは巧い」ということを忘れてしまっていたようだ。
本作は、そんなキャシーの女優としての凄さがよく出ている、実力キャシー勝ち映画の最高峰といえます。
④キャシー返し、キャシー七変化…。溢れ出るパワーワード。
『黙秘』はよくある90年代サスペンスではなく、映像表現や説話技法などが驚くほど洒落ていて。
現代パートでの青味がかった色調は、この物語の季節が冬であることを表す映像季語として使われているだけでなく、今のキャシーの諦念や寂寥感、あるいは抗精神病薬に依存しているジェニファーの疲弊した人生を表象している。
また、現在パートから回想シーンへのトランジション(場面転換)がひとつのショットの中でシームレスにおこなわれたり、回想シーンの中に現在のキャラクターが登場したりなど、マジックリアリズムのような映像に心地よく幻惑される。
マジックリアリズムといえば、光学合成を使った空の見せ方もすごく幻想的で、50年代のテクニカラー(総天然色というやつです)を見ているよう。
本作のキャシー・ベイツは不幸なおばさんを演じているので、残念ながらキャシー・スマイルに癒されることはないけど、減らず口に関してはどのキャシー映画よりも抜きんでているので、そういう意味ではしっかりとキャシー映画になっている。
警部「鑑識のためにあんたの髪がいるんだ」
キャシー「いいわよ。何本でもくれてやるわ。今週は美人コンテストには出ないから」
自虐なのか皮肉なのかよくわからないことを仏頂面で切り返す、このキャシー返し。最高!
現在パートと回想パートとでは本当に20年の歳月を感じるほど、キャシー・ベイツが老けたり若くなったりするというキャシー七変化も大いなる見所だ。
もちろんメイクと照明が裨益するところも大きいが、注意深く観ると表情の明るさ・暗さとか、身振りの大きい・小さいとか、さらに言えば声のトーンや瞬きの回数などに微妙な変化をつけることで、過去キャシーと今キャシーを繊細に演じ分けていて。
左:過去キャシー、右:今キャシー。
ハイ、今日だけで5つのキャシーワードが新規登録されましたね。おめでとうございます。ありがとうございます。ぜひ覚えて帰ってくださいね。
・キャシー・ポテンシャル
・キャシー返し
・キャシー七変化
・過去キャシー
・今キャシー
⑤ジェニファーとプラマーもまた良し。
そして脇を固めたジェニファー・ジェイソン・リーとクリストファー・プラマーも妙々たる光彩を放っている。
役者紹介が遅れたが、キャシーの娘を演じたジェニファー・ジェイソン・リーは『ヒッチャー』(86年)、『ルームメイト』(92年)、『マシニスト』(04年)など、充分メジャーではあるけどあまり映画を観ない層にも伝わるほどの超有名な代表作はひとつも存在しないことでお馴染みの女優だ。
タランティーノの『ヘイトフル・エイト』(15年)で、カート・ラッセルに護送されてボッコボコに殴られてもゲラゲラ笑ってる女囚人を演じたあの人ですよ!
キャシーを犯人と決めつける鬼警部を演じたクリストファー・プラマーは、50年代から活躍している大御所俳優である。
『サウンド・オブ・ミュージック』(65年)のトラップ大佐ですよ!
80歳の大台に乗った今なお、『人生はビギナーズ』(11年)で各賞の助演男優賞をゲットしたり、『ドラゴン・タトゥーの女』(11年)や『ゲティ家の身代金』(17年)など、大物監督たちの話題作に多く起用されている。
ちなみに『サイレント・パートナー』(78年)という馬鹿サスペンスが実に最高なので、よかったら観てね(TSUTAYA発掘良品にしれっと置いてあります)。
あ、言い忘れた。
キャシー・ベイツの独壇場ともいえる『黙秘』だが、やはりキャシーといえばあの映画…。
そう。もちろん『ミザリー』オマージュにも満ちてるよ!
DV夫に斧を向けるキャシー。やってることほぼ『ミザリー』やないか。