斬新な映像表現を求めすぎたあまり「手段」に翻弄された失敗作。
2017年。チョン・ビョンギル監督。キム・オクビン、シン・ハギュン、ソンジュン。
犯罪組織の殺し屋として育てられたスクヒは、いつしか育ての親ジュンサンに恋心を抱き、やがて2人は結婚するが、ジュンサンが敵対組織に殺害される。怒りにかられたスクヒは復讐を果たすが、国家組織に拘束されてしまい、国家の下すミッションを10年間こなせば自由の身になるという条件をのみ、国家直属の暗殺者として第2の人生を歩み始める。やがて、新たな運命の男性と出会い、幸せを誓ったスクヒだったが、結婚式当日に新たなミッションが下され…。(映画.com より)
先日、スーパーで買ったお惣菜のイカリングがびっくりするほどマズくて頭の上に怒りのリングが出来てしまいました、という近況報告をしておきます。ごく一部のわけのわからない需要にお応えするために。
さぁ、韓国映画です。
韓国映画って過去にレビューしたことあったかな? なかったかな? あったかな? なかったよね?
なかったです。たぶん。
まぁ、以前やろうと思ってた『韓国映画強化月間』のために用意したレビューストックは山ほどあるんだけど、結局未だにやれてないないんですよね。
『韓国映画強化月間』は本当にやりたいんだよ。一ヶ月ぐらい韓国映画のレビューだけをひたすら載せ続けるという。
でもそれを始めちゃうと、その間は外国映画のレビューが載せられなくなっちゃうわけで、もしその間に今すぐレビューして皆さんに魅力を伝えたいような素晴らしい外国映画を観た場合が困っちゃうの。
「えー、只今『韓国映画強化月間』の真っ最中ではありますが、あまりに素晴らしい外国映画を観てしまったため、本日は急遽、自分で始めたキャンペーンおよびコンセプトをひん曲げて外国映画のレビューを載せたいと思います」みたいなことになるから。
もうグダグダじゃん、そうなると。一貫性が聞いて呆れるよ。
そんなわけで、準備は万端だけどなかなかタイミングが掴めない『韓国映画強化月間』。このままお蔵入り企画になりそうな気配がプンプンに漂っている。
そんなわけで本日は『悪女 AKUJO』評をどうぞ。
悪女といってもマリコの部屋に電話をかける方の悪女じゃないですよ。何を勘違いしとるんだ!
端的に言って、恐るべき身体能力を持つ女暗殺者が暴れまくるブッ殺しエンターテイメントである。
『ジョン・ウィック』(14年)の女性版というか、『アトミック・ブロンド』(17年)の韓国版というか。
主演のキム・オクビンと謎の男を演じたシン・ハギュンは『渇き』(09年)で共演してますね。
シン・ハギュンといえば『復讐者に憐れみを』(01年)、『マイ・ブラザー』(05年)、『トンマッコルへようこそ』(05年)などコリアン・ムービー全盛期の中で活躍したベテランで、個人的にもお気に入りの俳優だ。
さて、この映画は7分間に及ぶ長回しのファーストシーンが話題を呼んだ。冒頭5分間が公開されているので、まずは飛ばし飛ばしでもいいのでこちらの映像をご覧ください。
レビュー界隈では「物語はさておき、アクションシーンはとてつもなく凄い!」と絶賛されているが、いやいや、むしろアクションシーンの方が問題なのだよと。私なんかは言いたいな。
『悪女 AKUJO』は観る前からすごく楽しみだったし、私は自他ともに認める長回しマニアでもあるのだけど、このワンシーン・ワンショットのファーストシーンで、早くも「あぁ…」と失望してしまった。
いわゆるPOV方式(一人称視点による主観ショット)を採用したカメラワークは、映画史上初の全編一人称視点で作られた『ハードコア』(15年)の影響を受けている。
なお、POVという映画的方法論には一家言あるのだけど、面倒臭い話になるので割愛します。
全編一人称視点の『ハードコア』。3D酔いする人は絶対観れない映画。
とにかく『ハードコア』はライド感優位の体感型アトラクションとして全編POVという手法が採られたわけだけど、本作に関しては「POVという手段」と「映画の目的」が乖離してしまっている。
おまけに、転倒、振り返り、攻撃を避けるなど激しい運動によって常にカメラがブン回されている状態なので、いったいヒロインが誰のどの攻撃をどう防いでどう反撃したのか…といった戦闘状況がいまいちよくわからない。観客の動体視力が置いてけぼりなんだな。
そもそも、激しい運動とPOVの相性などいいわけがない(視覚情報が混乱するか3D酔いするだけだ)。
こちらの動体視力が追いつかない乱雑な映像のことを「スタイリッシュ・アクション」と呼ぶのならお好きにどうぞという感じだが、間違いなくこれはスタイリッシュとは真逆の映画でしょう。
なお、POV方式が使われているのはファーストシーンだけだが、その後カメラは常にヒロインの背中にぴたりと張りついているので、まるで全てのアクションシーンをクローズアップで見せられているようなカメラが寄りすぎて何が何やら現象が巻き起こっています。
バイクに乗りながら日本刀で斬り合ったり、ボンネットの上から車を運転してバスに飛び移ったりなど、たまらなくアガるシチュエーション作りは上手いけど、カメラワークが思いきり足を引っ張っていて刺激や快感を大いに削ぐ。
そんなわけで、「ココだけは凄い!」と激賞されているアクションシーンこそが致命的な欠陥になってしまっている。
このレベルで凄いというなら、『甘い人生』(05年)や『アジョシ』(10年)や『悪魔を見た』(11年)はどれだけ凄いんだ、と。
撮り方次第ではすごく艶やかな美人に見えるキム・オクビン。映画の出来には文句タラタラだが、これだけは言わせてくれ。キム・オクビン最高!
次はアクション以外について。
物語の骨格は『ニキータ』(90年)と『キル・ビル』(03年)を借景している。
要はこの上なくシンプルな復讐譚なのだが、とてつもなくまどろっこしくて呑み込みづらい話になっちゃってます。
この物語は3つのフェイズに分けられる。
(1)かつて犯罪組織のボスに殺し屋として育てられたヒロインが、(2)今度は国家情報院の暗殺者養成施設に収監されて国のために働く暗殺者として育てられ、(3)かつてのボスがヒロインにひどい仕打ちをしたので復讐しまっさー…っていう話ね。
(1)と(2)って説話的に重複してるよね。
「ふたつの異なる組織に育てられる」って、ただ単に同じ事を繰り返してるだけやないか!
このようにシンプルながらも鈍臭い大筋だけど、嫌がらせのようにまどろっこしくて飲み込みづらいストーリーテリングが観る者にストレスを与えます。その要因は以下の3つ。
・時系列シャッフル(めんどくさ!)
・整形手術でヒロインの顔が変わる(ややこし!)
・回想シーンの連発(まどろっこし!)
物語をクソややこしくする三大ややこし演出を網羅したダメなとこ取りの脚本なのである。
しかも回想の中の回想という禁じ手(というか素人芸)までやっちゃってるもんだから、筋はシンプルなのに待てど暮らせど話が一個も進まない。
ヒロインが暗殺者養成施設から出所して自由の身になったあとは、同じアパートのイケメン隣人(その正体は政府から差し向けられた監視役)と恋に落ちて結婚するまでがモッタラモッタラ描かれるけど、「別の映画はじまった?」って思うぐらい映画のトーンが一変するの。韓流ババアが喜ぶような湿潤のメロドラマだよ!
血まみれバイオレンス映画なのに、中盤だけなぜか胸キュン必至の韓流ドラマに。
「アナタガ、チュキダカラー!」
そのあと、結婚が任務の一環だったことを知ったヒロインは激しく動揺して「騙したわねぇぇ!」とブチ切れるが、われわれ観客にはその遥か手前でイケメン隣人の正体が明かされているので、そこに何の驚きもないしヒロインとの感情の共有もできない。
組織のボスとヒロインが因縁の対決に至った経緯も「なんでそうなるの?」のオンパレードで、シナリオ自体がもともと破綻していて。で、その破綻をごまかすために三大ややこし演出で観客を目くらまししてるだけ…っていう。
事程左様に、一から十まで手際が悪い。
人がアクション映画にこそ求める「スッと一本筋の通った痛快さ」はここにはありません。
百歩譲って肝心のアクションそのものがまったく撮れてないだけならまだしも、ストーリーテリングまでストレスフルで、早い話が「活劇」になってないのよね。
斬新な映像表現を求めすぎたあまり目先に囚われて手段(POV)に翻弄された結果、かえって手垢のついた古い映画さえまともに撮れないことが露呈しちゃったような、そんな失敗作でした。
中島みゆきの「悪女」は大好きな曲だけど、こっちの『悪女』は好きになれないなー。
結婚式が始まる前にウェディングドレスのままサクッと暗殺任務をこなす花嫁。本当に結婚する気があるのだろうか。