2018年。クリント・イーストウッド監督。アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン。
クリント・イーストウッドが、2015年にヨーロッパで起こった無差別テロ「タリス銃乱射事件」で現場に居合わせ、犯人を取り押さえた3人の若者を主役に、事件に至るまでの彼らの半生を、プロの俳優ではなく本人たちを主演に起用して描いたドラマ。
2015年8月21日、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスの中で、武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。しかし、その列車にたまたま乗り合わせていた米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトス、そして2人の友人である青年アンソニー・サドラーが男を取り押さえ、未曾有の惨事を防ぐことに成功する。(映画.com より)
いま何時! そうね大体ねー
いま何時! ちょっと待っててオー
いま何時! 15時17分
不思議なものね あんたを見れば…
胸騒ぎのパリ行き 胸騒ぎのクリント 胸騒ぎの新作
おはようございます。「勝手にクリントバッド」を歌唱させて頂きました。朝っぱらから絶唱してすみません。
今回はクリント・イーストウッドの新作『15時17分、パリ行き』です。
まだ時間ある? ああそう。パリ行きの列車が出るまでまだ少し時間があるようなので、前置きめいた雑談をしますね。
完全に前回の記事『21世紀のクリント・イーストウッド』がフリになっています。せっかくなおきちさんから頂いたリクエスト企画をフリに使ってしまって申し訳ございません。怒ってらっしゃいますか…?
言い訳になってしまうけど、『21世紀のクリント・イーストウッド』はすでに3ヶ月前から書いていたのですよ。すべてはタイミングの問題なんだ。
とはいえ私の打算は目に余る、つうこって、お詫びになおきちさんからのリクエストにもう一発お応えしたいのだけど、「是非ベッドシーンについてなにか、ランキングでもお願いいたします!」なんてトチ狂ったリクエストを送ってくるんですよ、なおきちさんったら。
何をランキングにしろと言うんだよ!
『私が興奮したベッドシーンランキング十選』?
それを読んで誰が幸せになるというのか。
(ピピーッ、ピピーッ!)
あ、そろそろ列車が出る時間だ。無駄話もここまでだよっ。
パリ行き列車に乗りント・イーストウッド。
こんなひどい前置きは初めてだ。
ここからは真面目な評論です。
◆完全変態するクリント爺さん◆
未だ興奮と困惑を振り払えない状態だから、今度ばかりは読者を無視して書きたいことを書かせて頂く。
2010年代のイーストウッド、すなわち彼が80歳の大台に乗ってから8年が経ち、ついに我々はイーストウッドが完全変態したという事実に向き合うことになる。
「イーストウッドをどう受け止めるか?」という問題について、我々はこれといった回答も算段もなく、この男のやりたい放題を半世紀近くも手をこまねいて眺め続けていた。そして80歳の誕生日を迎えるや否や、いきなり変態しだした2010年代の変態加速ぶりにはただただ面食らうばかりだ。
ごく控えめに言って、2010年代のイーストウッドは80代の映画作家としてはあり得ないほどクレイジーだ。
たとえば「なぜその題材を?」と誰もが首を傾げた『ヒア アフター』(10年)と『J・エドガー』(11年)。その後、同じ年に『ジャージー・ボーイズ』(14年)と『アメリカン・スナイパー』(14年)を立て続けに公開するという驚異的な早撮りを見せつける(驚くべきはそのどちらもが傑作ということだ)。
そして『ハドソン川の奇跡』(16年)。「普通そんなことしないだろ」というようなセオリーどん無視の妙ちくりんな脚本が特徴だが、この映画に驚くべきは96分という上映時間である(果てしなく長尺化することはあれ90分台の映画を撮ったのは初)。
2010年代イーストウッドの変態性を「エネルギッシュ」だとか「若々しい」という言葉で片づけることは容易い。
だとしたら、ついにイーストウッドが完全変態した『15時17分、パリ行き』を、我々はどのような言葉で語ればいいのだろう?
◆完全にどうかしているビザール映画◆
本作は、2015年8月21日に電車内で自動小銃を振り回したテロリストを幼馴染み3人組が袋叩きにして取り押さえた「タリス銃乱射事件」を映画化したものだ。
まず驚くべきは、主演の3人が役者ではなく実際の事件に巻き込まれた本人であるということ。
2人はアメリカ軍人で、1人はアメリカ人大学生だ。もちろん芝居の経験などない。
企画段階では役者を呼んでオーディションをおこなったが、「やめじゃ、やめじゃ。やっぱり本人たちにやらせるんじゃあ」というイーストウッドの鶴の一声で急遽すべての予定を変更して究極の本物志向でいくことになった。
事件発生時の主舞台となる高速列車タリスも、セット撮影ではなく実際に走行する本物のタリス内で撮影しているし、テロリストに首を撃たれて一命をとりとめた列車の乗客マーク・ムーガリアンとその妻も本人役を演じている。
完全にどうかしている。
「タリス銃乱射事件」のテロリストよりもどうかしている。
この現代に何食わぬ顔でヌーヴェル・ヴァーグやネオレアリスモをやる88歳。もはや理解が追いつかず、ついこんな言葉を口走ってしまう。
「バカなの?」
もちろん、この作品を「リアル」という言葉で括ってしまうのは阿呆の所業だ。これはリアルなどではなく、むしろ逆。ビザール(奇妙)な映画なのだ。
半裸で銃を振り回すテロリスト。このあと若者3人から袋叩きにされる。「3対1は無理やてー」と半ベソかきながら。
◆表イーストウッド/裏イーストウッド◆
物語は、幼馴染み3人の幼少期からはじまるが、ここでもイーストウッドの変態性が狂奔している。
落ちこぼれの悪ガキ3人組がしばしば校長室に呼び出しを喰らって「お前たちはろくな大人にならない」と教師たちから見切りをつけられる描写は、のちに彼らが乗客全員の命を救ってヒーローになることの伏線として機能しているし、随所で事件発生時の列車シーンがフラッシュ・フォワードされるという演出も不穏感を煽っていて巧い。
※フラッシュ・フォワード…「現在」のシーンにインサートされる「未来」のシーンのこと。フラッシュ・バックの対義語。
いま述べたのは表のイーストウッドだ。まっとうな態度と然るべきテクニックを駆使してカチッと映画を作り上げる、彼がときおり見せる良心といっていい。
しかし、本当におもしろいのは変態趣味が意地悪く滲み出た裏のイーストウッド。
たとえば、のちにアメリカ軍に入隊するスペンサーとアレクは、子供のころから軍隊や銃器に対して異常なほど心酔している。とりわけ、幼少期のスペンサーが自宅の部屋で玩具のライフルを取り出すシーンは誰が見ても明らかなほど禍々しい。
そのあと、青年になったスペンサーが第一希望のパラシュート部隊に入れず荒れ狂ったり、入隊後も落ちこぼれの烙印を押される様子がとてつもなく不穏に撮られているのだ。
銃を見つめながら恍惚感に浸り、軍隊で徹底的にしごかれるスペンサーに『フルメタル・ジャケット』(87年)の微笑みデブを重ね合わせたのは私だけではあるまい。
鬼教官のハートマン軍曹に罵詈雑言を浴びせられて気が狂ってしまう微笑みデブ二等兵。
そう。『15時17分、パリ行き』は、結果的にはヒーローとして祀り上げられた彼らだが、一歩間違えればテロリストの側になっていたかもしれないという不吉な可能性を示唆している。
ちょうど『アメリカン・スナイパー』(14年)で、ブラッドリー・クーパーが妻に対して「下着を脱げ!」と言いながらふざけて銃口を向けるラブラブシーンに妙な禍々しさが張りついていたように。
まさに狂気と紙一重のバランス感覚。何でもないことを不吉に撮ることこそがイーストウッドの真骨頂だ。
反面、スペンサーとアレクが軍からもらった休暇を利用してヨーロッパ旅行に出かける中盤シーケンスのなんと能天気なこと!
ローマの噴水の前でイチャイチャするスペンサーとアレクなんて完全に腐女子のえじきだし、ベネチアでは水上ボートで女子をナンパしたり、アイスクリームを食べながら自撮り棒で記念写真を撮って騒ぐなど、幼少シーケンスに立ち込めた暗雲は嘘のように晴れて、超ゴキゲン&アッパーな旅行シーンのつるべ打ち。
私の口を突いて出てきたのは、またしてもこの言葉だ。
「バカなの…?」
これ撮ったの、本当にイーストウッド…?
しかもアムステルダムではアンソニーと合流してクラブで飲み明かし、早朝、ホテルの部屋で目覚めて「二日酔いだ…」。『ハングオーバー!』(09年)じゃあるまいし。
思わずひっくり返ってしまった。もはや前後不覚。およそ弩シリアスな映画ばかり半世紀近くも撮ってきた88歳の大ベテランとは思えないほど、底抜けの明るさである。
とてもじゃないが、こんなことは本物のヘンタイにしか出来ない。
こんな楽しそうな撮影現場はイーストウッド史上初。4人中4人が笑顔だなんて!
◆貌を見る映画◆
さて、いよいよ評も大詰め。
一応のところ本作は「感動の実話」というパッケージで売り出されているが、もちろんイーストウッドだからそんなわけがない。そもそも、メインとなる「タリス銃乱射事件」はわずか10分足らずで驚くほどスムーズに解決してしまうのだ。
また、実話ベースの映画を手掛ける際にイーストウッドがいたく気に入っている「エンドロールでご本人登場」も今回は少しヒネっていて、劇中に「実際におこなわれた勲章授与式の映像」が無理くりカットバックされるという…(実際のニュース映像の画素数と映画用カメラの画素数が微妙に合ってないのでやや不自然)。
まさに無理くり。まさに豪腕。
無理クリント・豪腕ウッド(このネーミングも無理くりの豪腕)。
劇中で使われた実際のニュース映像。5人中、笑っているのは3人だけ。赤シャツのアンソニーが半笑いを浮かべていることは、ガチの勲章授与式よりも映画撮影の方が楽しかったことを傍証している!(妄言)
『アメリカン・スナイパー』、『ハドソン川の奇跡』、そして『15時17分、パリ行き』の一連のフィルモグラフィから「近年のイーストウッドは本腰を入れてアメリカ人を撮り始めた」と素晴らしい論を展開しているレビュアーがいたが、確かにその通りだろう。
だが本作に関しては、イーストウッドの真の狙いは「タリス銃乱射事件」から乗客の命を救ったアメリカ軍人の称揚でもなければ、落ちこぼれの悪童3人組が英雄になるまでの成長譚でもなく、スペンサー、アンソニー、アレクの貌を撮ることだ。
イーストウッドは、わざわざプロの役者ではなく事件当事者たちに主演をさせた理由について、「とてもいい貌をしていたから」と告白している。
すべてはこの一言に尽きるだろう。
ここでイーストウッドが言った「いい貌」というのは「映画映えする貌」ということだ。
「映画映えする貌」というのがどういう貌なのかについて説明するとそれだけで2300字ぐらい使ってしまいそうなので一言で要約するなら「無言のアップに耐えうる貌」ということだ。
実際この3人は、なぜ役者にならなかったんだと思うぐらいスクリーン向きの貌をしているし、前情報ナシで本作を観てメイン3人がプロの役者だと勘違いした観客も多い。
特に主役格のスペンサーは、飛びぬけて映画の神に愛されている(ゆえに彼のエピソードに比重が置かれている)。
映画を撮るということは、取りも直さず「貌を撮る」ことから始まる。
だから、スピルバーグもウディ・アレンもデ・パルマもリンチも、勘のある映画作家ほど芝居より貌にこだわるのだ。
特に本作はイーストウッド至上最高度の前衛性と変態性だけで勝負したバクチのような作品なので、徹底してハリウッドスターではなく一般人の貌に頓着したのだろう。
飛びぬけて映画の神に愛された貌を持つスペンサー。
◆『ハドソン川の奇跡』と対になった作品◆
誰も指摘してないから言ってしまうが、前作『ハドソン川の奇跡』をそっくりそのまま裏返したのが『15時17分、パリ行き』だ。
乗客全員の命を救った機長トム・ハンクスが「過去」の事故に苛まれるのが『ハドソン川の奇跡』。
だが本作は、やがて起きる事件に手繰り寄せられるように「未来」へと進む運命論的な物語。この二つは真逆の構造である。
『ハドソン川の奇跡』は「事故が起きたあと」から過去を掘り下げていく構造だが、本作は「事件に至るまで」の未来へと突き進む。
『ハドソン川の奇跡』と同じく90分台にまとめ上げているのも、おそらくは意図的なもの(しかも『ハドソン川の奇跡』より2分短い本作は、イーストウッド史上最短上映時間の作品となった)。
ちなみに、「運命に直面する幼馴染み3人組」という共通項からも、もちろん本作の奥底には『ミスティック・リバー』(03年)の源流がある。
オバマと写真を撮る主演3人。4人中4人が笑っているが、後ろに掛けられたジョージ・ワシントンの肖像画が笑ってないので、やはり何にもまして映画撮影が楽しかったのだろう(自分でも何を言ってるのかわからない)。