三作もやるんじゃないよ、バカヤロー!
2017年。北野武監督。ビートたけし、西田敏行、大森南朋、ピエール瀧、大杉漣、塩見三省。
関東最大の暴力団組織・山王会と関西の雄・花菱会との抗争後、韓国に渡った大友は日本と韓国を牛耳るフィクサー、張会長のもとにいた。花菱会幹部の花田は取引のためやって来た韓国でトラブルを起こして張会長の手下を殺してしまい、張グループと花菱は緊張状態へと突入する。激怒した大友は日本に戻り、過去を清算する好期をうかがっていた。その頃、花菱会ではトップの座をめぐる幹部たちの暴走がはじまっており…。(映画.comより)
何べん台風くんのじゃい、ぼけっ!
9月30日に餃子パーティーをする予定だったのに、台風のせいで飛んじまったじゃねえか!
台風だけにね。台風だけに予定が飛ぶ。
はは。おもろ。ははは。うける。愉悦。
くだらねぇんだよ、バカヤロー!
だもんで今日は、台風にキレながら『アウトレイジ 最終章』をレビューします。
読め、コノヤロー!
※批評に入るまでの能書きが非常に長いです。
◆「世界のキタノ」という言葉に漂う違和◆
わが国では馬鹿なメディアが「世界のキタノ」なんて異名を喧伝し続けたことで北野武が一人歩き的に権威化してしまい、そのせいで私のまわりの人間にはたけし好きがめっぽう少ない。軍団に囲まれてふんぞり返っている…という偉そうなイメージを持っているのだろう。
メディアが権威化したせいでたけしフリークの俺が孤独を味わうはめになったじゃねえか!
くだらな過ぎて笑ってしまう。
そもそも日本において、北野武の映画はほとんど理解されていない。
たけしの映画的ルーツは、ゴダール、フェリーニ、ルイ・マル、メルヴィル、ジャック・タチといったフランス・イタリアの作家である。80年代以前の日本ではそうした映画も好まれていたが、現代の観客はルイ・マルやメルヴィルと聞いてもポカンとするばかり。言い換えるならヨーロッパ映画の核となる映画の詩情に対する感覚が後退しているので、キタノ映画の映像詩の理解など望むべくもないのである。
実際、日本におけるキタノ映画の興行成績は軒並みボロボロ。だけどヨーロッパでは高く評価されているから、日本のメディアは「世界のキタノ」などといういい加減な惹句を濫用するわけだ。要するに海外での評価を逆輸入して持ち上げてるだけ。
白々しいんだよ、バカヤロー!
◆二度目の『座頭市』◆
たけしは『座頭市』(03年)で初めてサービス精神を開陳した。
誰でも楽しめる時代劇エンターテイメント。外人が喜ぶ剣劇や分かりやすいギャグ、あるいは金髪やタップダンスなど時代考証をドン無視した描写には千葉真一や松方弘樹が「間違った時代劇を広めるのはやめて丁髷」と苦言を呈したが、人民が望んだのは間違った時代劇だったのだ。
結果、『座頭市』はキタノ映画史上最高の興収を記録し、各国の映画祭を席巻した。
そのあと、たけしは芸術と商業の板挟みの中でノイローゼになり、『TAKESHIS'』(05年)や『監督・ばんざい!』(07年)というヤケクソみたいな自傷的迷作を撮る。たけしの荒れた精神を反映したこの二作には「理解しなくていい。なんなら観なくてもいい」といって観客を撥ねつけるようなピリピリした空気が漂っている。
そして、『アウトレイジ』(10年)。
大勢のヤクザが「なめとんかワレー」とか「うっさいんじゃボケー」と怒鳴りまくってピストルをちゅんちゅん撃つというデートムービーまたはファミリー向け映画である!
北野武といえば暴力映画。
彼のフィルモグラフィを見れば、『その男、凶暴につき』(89年)、『3-4×10月』(90年)、『ソナチネ』(93年)、『HANA-BI』(98年)、『BROTHER』(01年)と、半数近くが暴力映画もしくはヤクザ絡みの映画である。テレビでのビートたけししか知らない一般層は「怖い」、「やめて」、「穏やかでない」、「末恐ろしい」、「わななく」と思ったはずだ。それゆえになかなか評価や興収に繋がらなかったわけだが、『アウトレイジ』はわれわれの予想に反して大ヒットを記録し、「ビートたけし」しか知らなかった人々を「北野武」の世界に誘い込むことに成功した(おめでと)。
『アウトレイジ』過去作。
その成功因子は、実は誰もが観たがっていた暴力映画を最大公約数としてポップに作り上げたこと。これに尽きる。
指入りラーメン、歯科用ドリル拷問、ピッチングマシンで死ぬまでデッドボールなど、残酷だがどことなくユニークな「殺しのバリエーション」が人民の怖いもの見たさの心理を大いにくすぐった。
また、新旧さまざまな豪華スターの配置や、たけし的クリシェとしてお馴染みの「バカヤロー」、「コノヤロー」が飛び交う罵倒の応酬。それに一般社会にも通じる権謀術数の騙し合い…。
そうした勝利の方程式に基づいたエンターテイメントやくざ映画は、たけしの思惑通りに成功をおさめ、間髪入れず『アウトレイジ ビヨンド』(12年)で続編化された。
したがって当シリーズは、たけしの映像詩が織り込まれた『ソナチネ』のようなナイーブな暴力映画の系譜とは明らかに異なる。『アウトレイジ』が誇るものは、従来のキタノ映画とは真逆に位置するサービス精神とコマーシャリズムなのである。
これは二度目の『座頭市』だ。
「こうすりゃみんな喜ぶんだろ、バカヤロー!」とばかりに思いきり大衆に寄せた『座頭市』と『アウトレイジ』。
◆まさか三作も続くとは思わなかった◆
さて、ようやく本題に移る(ごめんね、長かったね)。
先ほどもチラッと申し上げたように私はたけし好きを公言して憚らない人間だが、『アウトレイジ ビヨンド』の製作が決まったときに「えー、続くの~~?」とブー垂れたことを告白しておかねばならない。
『座頭市』と『アウトレイジ』で商業映画も撮れる…ということは既に証明済みなのに…。
またやんのかよ、コノヤロー!
しかも『アウトレイジ』のラストで死んだはずのたけしが『アウトレイジ ビヨンド』でしれっと現れてマル暴の小日向文世に「おまえ、俺が死んだって噂流したろ」って…、
生きとったんかい、ワレ!
今日日、実は生きてました展開って…。
でもまぁ、初のシリーズものなので「まぁまぁ。こういうのもたまにはいいか…」と自分に言い聞かせた。出来も上々だったしね。物語的にも、ヤクザと癒着している悪徳刑事(小日向文世)をたけしが葬り去るという綺麗な着地を見せていたので、「やっと終わった。次作は何を撮るんだろう。またノイローゼになって迷作を撮るのかな?」などとたけしの次なる一手に胸を躍らせたものでございます。
そして去年、たまたま蕎麦食ってるときにネットで『アウトレイジ 最終章』の存在を知った私は、思わず口から蕎麦を吐いて咳き込んだ。
いい加減にしろコノヤロー!
またやんのかよ!
蕎麦ぜんぶ出ちゃったじゃねえか!
しかも新キャストが、大森南朋、大杉漣、ピエール滝、原田泰造って…
気持ちグレードダウンしてない?
あと、たけしのサングラスが真っ黒すぎて若干タモリ入ってるし。スイミングゴーグルみたいな格好悪いグラサン掛けてた『ターミネーター3』(03年)のシュワちゃんに連なる駄目グラサンだよ。
そんなわけで当分観る気が起きなかった。まさか三作も続くとは思わなかったわ。
だけど最近、ようやく気持ちが落ち着いてきたので『アウトレイジ 最終章』のブルーレイをゲッチュしました。
最終章の新顔!
◆『最終章』は元気がない◆
ブルーレイを突っ込み、「あー、面倒臭ぇなぁ…」とダッルダルに弛緩した状態で鑑賞したが、夜の韓国の繁華街にカメラを向けた冒頭で「おっ」となり、これは真剣に観なければならないと襟を正した。
まるで濡れた路面やネオンサインたちと死のワルツに興じるかのように、月光を浴びて黒光りするメルセデス・ベンツが怪物のような緩慢さで徐行するアバンタイトル。凄艶といっていいほどエロティックなこのイメージは、すでに枯れかかった男たちの死と色気を見届ける『最終章』に相応しいオープニングである。
巨大抗争の末に拡大した花菱会と韓国マフィアのいざこざを軸に、すっかり凋落した山王会や情熱を失った警察組織を巻き込みながらのパワーゲームが展開される『アウトレイジ 最終章』。主要キャラはおおかた死んでしまっており、生き残りし老害たちの醜い椅子取りゲームが描かれる。
「処刑シーンのバリエーションが少ない」とか「罵声の応酬に迫力がない」など、前作に比べてずいぶん大人しい印象を持った観客が多いためか、世間の評価はあまり芳しくない。
たしかに、死をエンターテイメント化した遊び心はほとんど跳ねておらず、視覚的なおもしろさという点では大きく見劣りしており、端的に言って元気がない。
◆キタノ映画のニヒリズム◆
ところが、だ。
本作は『アウトレイジ』ファンの期待を裏切る作品かもしれないが、キタノ映画ファンの期待には十二分に応えてくれる。
そもそも今回は血で血を洗う巨大抗争の終末期を描いた作品である。そしてヤクザ映画に出てくるアウトローなど大抵の場合ロクでもない末路を辿ると相場が決まっている。
つまり本作は、盛者必衰の衰の部分に焦点を当てたエンプティーな完結編なのだ。
だから北野武は、バリエーション豊かな処刑シーンで不必要に画面を賑やかせることもなければ、コマーシャルな役者を揃えたりドスの効いた罵声を要求することもない。
いみじくも誰かがこの完結編を「出涸らし」という言葉で貶していたが、まさにその通りで、これは意図された出涸らしなのだ。『ゴッドファーザー PARTⅢ』(90年)を思い出すまでもなく、ヤクザ映画の最後なんて大体は盛り下がるものなのだから(そこに破滅の美と一抹の寂寥がある)。
ヤクザ映画、ましてやキタノ映画に華々しいフィレーナなんて似合うわけがねえだろ、バカヤロー!
『ソナチネ』より。世界中の映画人に衝撃を与えたキタノ映画の真骨頂。
たけしが義理と復讐のために捨て身で花菱会を潰しにかかる『アウトレイジ 最終章』に漂うのは『ソナチネ』のような得体の知れない虚無感である。
塩見三省は新会長(大杉漣)の小人物ぶりに花菱会の限界を感じ取り、刑事の松重豊はヤクザの言いなりになる警察組織に絶望して辞表を叩きつけるのだ。
ファーストシーンとラストシーンで呼応する釣りの描写が『ソナチネ』を連想させるのは言うに及ばず、屋上駐車場でのキタノブルーや自殺のイメージなど、とにかくキタノ映画のニヒリズムが全編に張りついている。
また、撮影前に大病を患った西田敏行と塩見三省の衰弱しきった姿がかなり痛々しいが、その「演技ではないやつれっぷり」が却って虚無の増幅装置として(偶然にも)作用している。
虚無と哀愁のキタノブルー。
◆迷惑もハローワークもあるかい、ボケ!◆
ビートたけしのユーモア感覚が不思議な笑いを誘発するあたりも心地よい。
花菱会幹部の河野(桐生コウジ)の出所パーティで、会場に掲げられた横断幕には「出所祝い」とか「放免祝い」といった文言ではなく「河野くんを励ます会」なんてくだらないことが書かれている。
舎弟の大森南朋が桟橋で釣りをしながら「あの野郎、ぶっ殺してやりたいですよ!」と怒りを露にすれば、隣でボーッとしていたたけしが「俺だって同じだコノヤロー!」と叫んで海面に向かって銃弾を撃ち込むと死んだ魚がプカリ…と浮いてきた。
なんだろうね、この感覚は。どこが可笑しいのかは分からないが、なぜかクスッと笑ってしまうのだ。これぞオフビートな笑い。
そもそも韓国マフィアのボス役に俳優でもない金田時男を起用した理由だって完全に顔なわけで(妙なオモシロが漂っているのだ)。
また、西田敏行が言う「迷惑もハローワークもあるかい、ボケ!」は近年まれに見るパワーワードだと思いました。
妙なオモシロが漂う金田時男。
メインキャストである西田敏行と塩見三省が病み上がりでほぼ動けない状態なので、役者全員がミニマムな動きという制約を課せられてしまい、それゆえにアップショットorバストショット主体で画面が組まれている。これが作品の「大人しさ」に直結しているのは事実なので、ファンが物足りなさを覚えるのも無理からぬことであるよなぁ。なんとも惜しい。
首から下をほとんど動かさない(動かせない)二人。
さて、これにてようやく『アウトレイジ』トリロジーが終結した。
たけしは(どこまで本気か分からないが)純愛映画を撮りたいとか言っているので、次作では『Dolls』(01年)のようなモノが出てくるのか、あるいは商業映画に味を占めてさらに砕けた映画を撮るのか。またノイローゼになるのか。
なんにせよトリロジーが終結したことで、私としてはとてつもない解放感を味わっています。
『アウトレイジ』はマジでこれっきりにしてくれよ。
もうやるなよ、コノヤロー!
大杉連、フォーエバー。