志麻角度に満ちた悲劇の流転。
1967年。野村芳太郎監督。岩下志麻、宇野重吉、長岡輝子、左幸子、栗塚旭。
長い療養生活を終え、久しぶりに家に戻った名家の一人娘の伸子。戦死した兄の友人である御木宗一と知り合い、ついに結婚を迎えた。しかし宗一が財産目当てで結婚したこと、そして無類の女好きであることを知り、伸子はショックを受ける。宗一が女中を妊娠させたため、伸子は彼女とその子供に金を与えた。自分も妊娠し子供を産んだ伸子は、宗一への愛情を完全に失い、子育てだけを生き甲斐にするようになった。東京から来た彦根と妻の里枝が伸子の家に出入りするようになり、宗一は里枝に魅了される。だが不倫現場を見つけられた宗一は、夫の彦根に射殺されてしまった。 (Yahoo!映画より)
はい、おはみちゅ。
予告通り始まりました。つつがなく始まりました。本日からしばらくは一寸古めの日本映画を中心にお送り致します。アクセス数が落ちるのは火を見るよりも明らかなので、どうせなら好きなことを好きだけ語っていきたいと考えておる所存でありますれば、何卒ご理解ご協力のほどお願い申し上げたく奉りて候って感じでオーイェー。
ていうか、「日本に住んで日本文化に浴しながら日本映画を観ないって…どういうことなの?」って言っていきたいわけですよ、私は。外国映画しか観ない映画好きに!
まぁ、「おまえが言うな」と言われればぐうの音も出ないのだけど。『シネ刀』で日本映画を取り上げたことなんて数えるほどしかないし。あぁ、論破された。人生は地獄だ。
てなとこで、本日は『女の一生』です。
志麻ちゃああああん!
◆可憐なりき志麻角度◆
まずはこれを言わせてくれ。
岩下志麻という奇跡にもんどり打ちながらの祝福。
艶やかという言葉がこれほど似合う女優もそういまい。
世間的には『極道の妻たち』(86-98年)で知られるているが、『極妻』は40代の代表作だ。
もちろん歳を重ねるほどに艶は増し、77歳の現在でも妖狐のごとく麗しいのだが、彼女の若き日は艶や妖狐といったイメージとは程遠く、もっぱら可憐な健康美を誇っていたのである。
岩下志麻といえば『切腹』(62年)、『秋刀魚の味』(62年)、『雪国』(65年)、個人的には可憐さと艶やかさの端境期を刻みつけた『内海の輪』(71年)も忘れがたい。
そんな志麻ちゃんがギ・ド・モーパッサンのフランス文学『女の一生』(1883年)の映画化に挑戦し、ある不幸な女の若年期から老年期までを演じぬいた。さすが志麻ちゃん、このガッツ。
ちなみに斜め45度から見たときの志麻ちゃんは絶世級に美しい。滝川クリステルがナンボのもんじゃい。
斜め45度から見たときの志麻ちゃん。
これを志麻角度と呼ぶ。
ああ、志麻ちゃん! この可愛さのポイントは小指です、小指。わかるか。
『女の一生』はこれまでに池田義信(28年版)と新藤兼人(53年版)によって日本で映画化されている。フランスでは58年に一度映画化されており、ついこないだの2016年にもしつこく映画化された。なんぼほど日本人とフランス人に愛されているのか。
今回取り上げるのは通算4度目の映画化で、監督は『砂の器』(74年)や『八つ墓村』(77年)でブイブイ言わせた野村芳太郎。松本清張原作の『鬼畜』(78年)や『疑惑』(82年)でも志麻ちゃんを起用してブイブイ言わせた男である。まさに野村ブイ太郎。
それでは、参る。
◆志麻ちゃん若年期◆
昭和21年、春。
旧家の一人娘である志麻ちゃんが長い療養生活を終えて家に帰ってきたところから映画は始まる。バカでかい屋敷には父の宇野重吉、母の長岡輝子、乳姉妹の女中・左幸子が暮らしていたが、この屋敷にはいつも近所の奴らが用もなく訪れてはウダウダしているので、どのシーンもえらく騒々しい。
志麻ちゃんが何の病気で療養していたのかは語られないが、時代背景と長期療養という点を鑑みるに、おそらくは結核だったのだろう。本作はスタジオジブリの『風立ちぬ』(13年)と同じ時代背景を持った作品だが、志麻ちゃんは『風立ちぬ』の菜穂子とは違って不治の病に打ち勝ち、サナトリウムから生還する。本当におめでとぉ。
とにかく志麻ちゃんが犯罪的に可愛いのである。
お肌ツヤツヤやん。
で、出たぁぁぁぁ志麻角度!
そんな折、ナイスガイの栗塚旭と出会った志麻ちゃんはとんとん拍子で結婚するのだが、この栗塚という男がどうも怪しい。
一見まじめな好青年ではあるが、夜の縁側で照れながら志麻ちゃんへの愛を語ったあと、部屋に戻って女中の幸子に「ヘイ、疲れたからマッサージを頼むぜ」などとやや横柄な態度をとったり、食べ残した食器を灰皿代わりにするといった無作法な身振りが散見されるのである。こういう人、嫌いだわぁ。
目下の人間と食べ物を粗末にする奴はいかなる事情があっても死ぬべきだと思う。
果たして栗塚は、志麻ちゃんというベリーキュートなお嫁さんがありながら、女中の幸子(志麻ちゃんの乳姉妹)に手を出して妊娠させてしまうのであった!
『新選組血風録』や『燃えよ剣』など時代劇ドラマを中心に活躍した栗塚旭。なに栗塚角度やっとんねん。おまえの45度はいらんねん。
あー、栗塚ころしてー。
栗塚の野放図な性欲は留まるところを知らない。妻と幸子では飽きたらず、発電所所長の若妻とも肉体関係を重ねており、しまいには不倫に気づいた発電所所長が「怒りの電圧8000ボルト!」なんつって栗塚を猟銃で殺害し、妻も射殺したあとに自殺してしまう。
ナイス発電!
栗塚が死んだのはたいへん喜ばしいが、そのために発電夫婦まで死んでしまったのが少しショックだ。とはいえ栗塚の死は志麻ちゃん(と私)のこゝろに平穏をもたらした。
ざまぁ見さらせ、栗塚。不倫がいけないのはもとより、食器を灰皿扱いするからこういうことになるんだぜ。
食器なめんな、カス。
死ーん…。
◆志麻ちゃん中年期◆
あれから幾年の歳月を経て、栗塚との間にもうけた息子を育てる志麻ちゃんは少し老けた。
女中の幸子も屋敷から追い出して、凶悪な非行少年と化した息子は吉澤ひとみの真似をしてひき逃げ事故を起こし、祖父の宇野重吉と大喧嘩の末に家を飛び出した。
ちなみに成長した息子は田村正和になっていた(若すぎて識別不能)。
若き日の田村正和(右)と老いさらばえた志麻ちゃん(左)。
夫も息子も女中もいなくなって、すっかり寂しくなった屋敷。
だが、こんなことになってしまった遠因には志麻ちゃんの教育不足がある。名家の一人娘である彼女はデレデレに甘やかされて育ったので、一人息子の田村正和も何不自由なく育て、デレデレにスポイルして育ててしまったのだ。
東京でその日暮らしを送っている正和は、父・栗塚に似て大の好色家で女をとっかえひっかえ、挙句、事あるごとに志麻ちゃんに金をせびるようなクズ・オブ・サン。
家庭崩壊っぷりがすげえ。
志麻ちゃんのダディ・宇野重吉は「送金すんなっつーの!」といって娘の親バカぶりを正そうとする。
この宇野ダディが実にすばらしい。孫の正和が轢き逃げ事故を起こしたときは単身東京に赴いて被害者家族に頭を下げて示談を成立せしめたし、栗塚(故!)の不倫が発覚したときは「娘を泣かせた以上はキミを叩き斬らねばなるまい」といって日本刀で斬りかかるような娘思いのナイスダディなのだ。
普段は知的で温和、されどいざとなったら刀を抜く。シビれんばかりの格好良さ。
ただし、正和関連のゴタゴタを片づけたあとに、ようやく一息ついて風呂に浸かり「いやー、極楽、極楽…」と言いながらマジで極楽に行ってしまったのには笑った。なんという古典ギャグ。妻の長岡輝子が「あなた、湯加減はどうですか?」なんて浴室を覗くと、すでに湯舟で事切れていたのだ。
おい、こんなときこそ田村正和の出番だろう。解決せえよ、古畑任三郎!
ちなみに宇野重吉といえば寺尾聰のリアルダディである。ルビー歌手にして半落ち俳優!
◆志麻ちゃん老年期◆
さらに時は経ち、志麻角度でわれわれを虜にしていた志麻ちゃんもヨボヨボのババア。
だが志麻ちゃんに生気がないのは歳のせいではない。不幸続きの人生ゆえだ。
惚れた亭主は遊び人で、よりによって乳姉妹の幸子を身ごもらせる。そのせいで姉妹同然の幸子とも絶縁し、亭主は怒りの8000ボルトで殺される。唯一の生き甲斐だった正和は女好きのパリピと化し、吉澤ひとみの真似をしてLOVEマシーンに乗って人を轢く。挙句に最後の良心だったナイスダディも「極楽、極楽…」と言いながら極楽直行。
すべてに疲れた志麻ちゃんは、寝床に就きながらこう言う。
「私の人生なんてね…、見終わったあとで思い出したくもないお芝居のようなもんじゃないかしら」
この世には薄幸映画というのがある。
本作を観ていて真っ先に想起したのは、溝口健二の大傑作『西鶴一代女』(52年)だ(ヌーヴェルヴァーグに影響を与え、長回しという映像技法を主流にした世界的重要作なので映画好きなら絶対観とけ!)。
田中絹代が男に弄ばれて悲劇的流転の人生を歩む…という、坂から転げ落ちるような不幸の連続を描いた大作だ。ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年)とか中島哲也のゴミ映画『嫌われ松子の一生』(06年)の不幸っぷりなど足元にも及ばないほど壮絶な映画である。
本作『女の一生』も(溝口健二と比べるのはさすがに酷なのでしないが)なかなかの薄幸映画である。
もしこれが木暮実千代とか若尾文子のようなそれなりに不幸が似合う女優だったら、これほど居た堪れない映画にはなっていなかっただろう。誰もが「こんな可愛らしい娘に不幸などあり得ない」と確信するような希望を湛えた志麻ちゃんだからこそ、却って不幸の落差が際立つのである。
中島みゆきの失恋ソングよりも松任谷由実の失恋ソングの方がよりエグみがあるように。
ようやく和解した義姉妹、志麻ちゃんと左幸子。
第三幕では、幸子と再会した志麻ちゃんが東京で破滅的な生活を送っている正和を故郷に連れて帰るまでの苦労が描かれる。
幸子の方にも栗塚との間にできた息子がいたが、彼は母思いのナイス青年だった。ハートウォーミングな幸子家の様子を見て、志麻ちゃんは不意に涙をこぼす。
父親は同じなのに、志麻ちゃんと幸子の息子はどうしてこうも違うのか。
教育の差である。
お嬢様として育った志麻ちゃんは、幼い正和に礼儀も常識も教えることなく「かわええの~、かわええの~」といって甘やかしてしまった。そのツケが今になって回ってきたのだ。
当ブログの読者にはキッズ育成中の主婦もけっこういるようだが、キチンとしている人ばかりなので何の問題もないだろう。ならば動物を飼っている読者にこそ、この映画の教訓を説きたい。
小さいうちにしつけろ!
甘やかせることは愛ではない。
でないとお宅のペット、田村正和になるぞ!
志麻ちゃんのスペシャルフォトを作りました。もはや岩下志麻に綺麗じゃなかった瞬間なんてあったのかしら?と思うレベル。