驚愕、および戦慄、からの失禁、そして白目。
2014年。アキヴァ・ゴールズマン監督。コリン・ファレル、ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ、ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー。
1900年代のニューヨーク、幼少期に両親と離れ離れになったピーターは、裏社会を牛耳る男の下で悪事を働く毎日を過ごしていた。そんなある日、美しい令嬢ベバリーと出会った彼は瞬く間に恋に落ちるが、不治の病に侵され余命わずかな彼女は亡くなってしまう。100年後、記憶を失ったピーターは生きる意味さえもわからず街をさまよっていた…。(Yahoo!映画より)
皆さま、元気ですか。
昨日YouTubeでブラックビスケッツの「タイミング」を聴いて、懐かしさのあまり落涙しそうになりました。小学生のときに運動会のダンスで踊ったんですよ、この曲で! まぁ、ダンスのタイミングは合ってなかったんですけどね…っていう松本人志が言いそうな返しもしたことだし、そろそろ本題に移るとしましょう。
リクエスト回です。
先日、Gさんから「コリン・ファレルの映画やって」という子供みたいなリクエストを頂いたので、親切な私はそれにお応えしようと思います。なぜって親切だから。
というわけで本日はコリン・ファレル主演の『ニューヨーク 冬物語』です。一足先に冬を独り占め!
◆悪い映画なわけがない◆
この純愛映画の大作は、観る者が奇跡の存在を信じるには十分なだけの説得力がある。
世間の反応は軒並み酷評、製作費の半分しか回収できないなどなかなか派手なコケ方をした作品だが、コリン・ファレルを筆頭に、ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー、ウィリアム・ハート、それに何といってもウィル・スミスが出演しているのである。悪い映画なわけがない。
それに、本作が処女作となるアキヴァ・ゴールズマンという秋葉原にいそうな名前の男は『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(97年)や『プラクティカル・マジック』(98年)といった世紀の名作群の脚本を手掛けてきた天才脚本家である。
にも関わらず、俗世の愚民レビュアーどもは野暮なツッコミを入れて、この純愛超大作を愚弄するのである。死ねバカが!
たしかにあり得ない設定や展開だらけと言えなくもないが、もとより映画など「あり得ない事象」を前提としたハッタリの産物なのだ。
本作を楽しむには「2つの設定」に留意するだけでいい。
・人はいずれ星になるらしい。
・どんな人にも一度だけ奇跡が起こせるらしい。
この、腐りきったJ-POPのごとき綺麗事…ルールにさえ留意すれば、この映画はアナタに目くるめく愛と奇跡の感動ロマンスを約束してくれるだろう!
◆※ストーリー全部言います◆
物語は1895年に始まる。とある移民夫婦が入国審査で「あかん」と言われニューヨーク行きを拒否されたことから、せめて子供だけでもニューヨークに行かせようと、生まれたばかりの幼児を「それで大丈夫?」というような模型の船に載せて海に流す。
さざ波一発でひっくり返りそうな船の模型。
岸に流れ着く確率 ほぼ0パーセント。
にも関わらず奇跡的に岸に流れ着いた幼児は、奇跡的に親切な人に拾われてすくすくと育ち、ルパン顔負けの天才的な泥棒になった、奇跡的に。それが本作の主人公、コリン・ファレルである。
以下はファレ坊と呼ぶ。
ファレ坊はラッセル・クロウ演じるギャングのボスを裏切ったことからラッセル一味に追われているが、捕まる寸前で目の前に現れた白馬にまたがって逃げおおせる。なぜかその白馬は翼を持っていて空を飛ぶことができるのだ。
街をほっつき歩いている途中、泥棒の血が騒いだファレ坊がテキトーな屋敷に忍び込むと、そこには結核で余命幾ばくもない令嬢ジェシカ・ブラウン・フィンドレイがいた。
金庫破り真っ最中のファレ坊と出くわしたジェシカ嬢はまったく動転した様子もなく、不法侵入したファレ坊にこんなことを言った。
「コーヒーでも召し上がる?」
わぁ、すごいなぁ。
私なんて昨夜、マンションの自部屋でレビューを書いてたら急にドアがガチャガチャ鳴ったので「あ、怖い」と思って慌てて包丁を手にしてドアスコープから外の様子を窺ったものだし(たぶん酔っ払った隣人が部屋を間違えただけ)、毎日帰宅して玄関の電気をつけるときに「部屋の中に誰かいたら嫌だな…」とありもしない想像をめぐらせるというのに、ジェシカ嬢は不法侵入者に驚きもせず「コーヒーでも召し上がる?」って。すごいなぁ。エレガンスだなぁ。ブレイブハートでもあるよなぁ。
コーヒーを飲みながらぐちゃぐちゃと談話するファレ坊とジェシカ嬢。
ジェシカ嬢 「それはそうと、私は結核でもうすぐ死にます」
ファレ坊「そうですか。僕はボスに追われています」
ジェシカ嬢 「そうですか。これまで盗んだ物のなかで一番高価なものはなんですか」
ファレ坊「そうですね。目の前にあるけどまだ盗めていません」
ジェシカ嬢 「甘ぁ――――い。ってスピードワゴンみたいなことを思いました」
ファレ坊「そうですか」
すてきな会話である。ロマンチシズムの発露である。
一方その頃、さんざん苦労してファレ坊の居場所を突きとめたラッセル苦労は、ファレ坊ではなくジェシカ嬢の命を狙う。なぜか。実はラッセル苦労は人間ではなく悪魔で、世界征服するには愛や希望が邪魔だから人々の恋路をことごとく打ち砕くという気の遠くなるような作業に精を出していたからだ。
は?
しかもラッセル苦労の上司は魔王サタン。それを演じているのが剽軽者オレ様俳優でお馴染みのウィル・スミス。
えっ…。
サタン・スミスはきったねえ地下に身を潜めており、部下のラッセル苦労に威厳を示すためか、自分で豆電球をつけたり消したりして不気味さを演出する。
どうでもいいけど電気代食うぞ、それ。
あといきなり歯を剥きだして威厳を示すなどもする。
威厳たっぷりの魔王サタン。決してアゴが外れたわけではない。
愛するジェシカ嬢がラッセル苦労の魔の手にかかる寸前で白馬に乗って現れたファレ坊は、ジェシカ嬢を馬の後ろに乗せて大空を飛び、彼女の実家に遊びに行くことにした。シュールというより半狂乱に近い展開に、私の心はおおいに踊った。
結核のジェシカ嬢は熱が上がると死ぬるというので、あの手この手で体温を下げようと努めていて、真冬にも関わらずこんなチャレンジをする女性だ。
・水風呂に入る
・裸足で外出して足の裏を冷やす
・毎晩屋上のテントで眠る
そんなことすると逆に悪化して死期が早まるだけだが、ジェシカ嬢があまりに健気に身体を冷やすものだから、ファレ坊は「そんなことしたら死にますよ」とは言えず、むしろ彼女のチャレンジングな姿勢を高く評価した。
その夜、ファレ坊は「もう辛抱たまりません。あなたと性行為がしたいです」といってジェシカ嬢に夜這いをかけた。ジェシカ嬢は「そうですか」と言った。晴れて二人は「気持ちがいいです」とか「そうですか」などと言いながら実にすてきなセックスをおこなったが、そのせいで体温が上がってジェシカ嬢は死んでしまった。
そうですか…。
ヒロインが腹上死する映画というのもなかなか珍しい。しかもあんなに創意工夫を凝らして身体を冷やしていたのに、まさかセックスで体温が上がるとは思わぬ落とし穴である。よく出来たトリックだ。
ジェシカ嬢「身体は冷やせても、愛の炎までは冷やせませんわ…(そして死ぬ)」
なにを言うとるんだ、この女は。
うまい。とても感動した。これぞ純愛、これぞロマンチシズムの発露である。
自分の性欲のせいで愛する人を死なせてしまったファレ坊は、涙を流しながら「でも性欲は不可抗力だしなぁ」という言い訳じみた顔をする…。たしかに一理ある。ファレ坊は何も間違っていない。
それから100年。
え? 100年?
そうですか、100年も経ちましたか…。なぜかまったく歳を取っていないファレ坊が浮浪者のようなナリでニューヨークを徘徊していると、彼の前に一人の少女とその母親が現れた。
少女は亡きジェシカ嬢と瓜二つで、その母親はジェニファー・コネリーだった。たまらん。いつも髪がすてきなジェニファー!
こればかりはマジでたまらん。
どうやらその少女は癌でもうじき死ぬらしく、それを知ったファレ坊は「ジェシカ嬢を死なせてしまった罪悪感を薄めるために、せめてこの少女の命を救います!」と宣言して、まったく事情が呑み込めないママコネリーに「なにを言うとるんだ、この男は」という顔をされた。
そして、そんなファレ坊たちの前にラッセル苦労が立ちはだかる。
立ちはだかる意味がまるでわからないが、たぶん私の頭が悪すぎるからだろう。
100年間も世界征服できなかったラッセル苦労が、今さら「ファレ坊が癌の少女を救おうとする善行」を妨害したところで何の意味があるのか。それがどのように世界征服に結びつくのか。
そもそもラッセル苦労はこの100年間なにをしていたのだろう?
ちなみにサタン・スミスは相変わらず豆電球をつけたり消したりして威厳を演出していた。100年間もそれをやり続けていたのだろうか? 威厳誇示のためにこの100年でどれだけの電気代がかかったのだろう。ていうか悪魔って暇なの?
疑問は尽きないが、それもひとえに私がドブネズミにも劣るサノバビッチ頭脳しか持ち合わせていないからで、きっと頭脳明晰な知識層が観れば「あー、なるほどね」と合点がいく作りになっているのだろう。バカでごめんなさい。疑問を抱いた自分が恥ずかしいです。
物語はいよいよ終盤。
ファレ坊とラッセル苦労の最終決戦の舞台は腹上死したジェシカ嬢の実家の庭だった。「えい」、「えい」といって殴りっこに興じるファレ坊(38歳)とラッセル苦労(50歳)。
よく考えるとラッセル苦労は悪魔だというのに、凡人のファレ坊相手に素手で互角にシバき合っている。
凡人のファレ坊が強すぎるのか、悪魔のラッセル苦労が弱すぎるのか…。
もっとも、そんなことを言い始めると凡人のファレ坊が100年経っても年を取らないのは何故なのかという疑問も出てくるので、あまり考えないようにしよう。
大の大人二人が殴りっこしていると、腹上死して夜空の星と化したジェシカ嬢が空からピカピカ光るとい大技を繰り出してファレ坊を応援する。ジェシカ嬢の妨害フラッシュを浴びたラッセル苦労は「まぶしい、まぶしい!」なんつっていやんいやんしており、その隙にファレ坊は親の仇みたいにラッセル苦労をがしがし殴る。拳よ腫れよと言わんばかりにがしがし殴る。
星とタッグを組んで悪魔をやっつける。しかも純愛映画で…という前代未聞のシーンである。エキサイティングだなぁ!!
悪魔と凡人のあつきたたかい。100年越しの因縁の対決を壮大なスケールで描きあげるスペクタクル・アクション!
その様子を遠目から見ていたママコネリーは「なにをやっとるんだ、この男たちは」という顔をして呆れ果てていた。たまらん。ジェニファー・コネリーの蔑むようなジト目がたまらん。
無事にラッセル苦労を殴り殺したあと、少女がガン限界で死んでしまったので、ファレ坊が「奇跡起きろ。ガンとか治れ」といってキスをして都合よく生き返らせたあと、「俺も星になるわ。ほなまた」といって白馬に跨った。
ママコネリーは「なにを言うとるんだ、この男は」という顔をして呆れ果てていた。たまらん。
白馬に跨ったファレ坊は「ハッハー」などと言いながら夜空を飛んで星になりました。愛するジェシカ嬢のもとに旅立ったのです。これが本当のコリン星。
おわり。
このように、観る者をドカ泣きさせる純愛超大作の金字塔なのである。それが『ニューヨーク 冬物語』…。
身体は冷やせても、愛の炎までは冷やせやしない…。
◆だァらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ◆
もう我慢の限界だぁぁぁぁ!
リクエスト回だから酷評するのは忍びないなぁ…と思ってたけど…関係あるかい!
さっきから下手に出てりゃあいい気になりやがって、このポンコツ映画。
白馬は飛ぶわ、悪魔は出るわ。
ヒロインは腹上死するわ、ウィル・スミスは豆電球つけたり消したりするわ!
100年経つわ!! 歳取らないわ!!
死んだ彼女が星となりて空から応援するわ!!!
主人公まで星になるわ!!!
もしこれがおふざけコンテストならぶっちぎりで優勝、賞品としてペディグリーチャム50缶とヴィックスヴェポラップ1個が贈呈されるかもしれないが、残念ながらこれはおふざけコンテストではない。映画である。
ムチャポコなのはシナリオだけではございません。2つの時代がまったく描き分けられてないのが致命的なのだ。なんで1900年代初頭なのに高層ビルがボンボン建ってるんだよ? それに100年前と100年後で画面の色調もキャラの服装も同じだから見分けがつかない(見分けるヒントはコリン・ファレルの髪型のみ)。
全編通して背景合成のスタジオ撮影まるだし、作り物の雪まるだし、ウィル・スミスまるだし。
ウィル・スミスがダメな俳優とは言いませんよ。でもこの映画にウィル・スミスを出したのは350%間違いです。
そもそも、この映画のキャストって監督アキヴァ・ゴールズマンとコネのある俳優ばかりなんだよね。
アキヴァが脚本を手掛けた『ビューティフル・マインド』(01年)はラッセル・クロウとジェニファー・コネリーの共演作だし、ラッセル・クロウに関しては『シンデレラマン』(05年)でも一緒に仕事をしている。
ウィル・スミスは『アイ,ロボット』(04年)と『アイ・アム・レジェンド』(07年)、ジェシカ嬢の父親を演じたウィリアム・ハートは『ロスト・イン・スペース』(98年)…という具合に、これまでにアキヴァが脚本を手掛けた映画の出演者に「今度監督することになったから出てえやー。一生のお願い」などと拝み倒したコネ頼みのキャスト陣で。
私が推察するに、ワーナー・ブラザーズから「マーク・ヘルプリンの小説『ウィンターズ・テイル』をコリン・ファレル主演で映画化するから、あとは良きに計らえ」と言われたアキヴァ監督がコネというコネを総動員して豪華キャストを招いた結果、共同脚本家を雇う金がなくなって自分一人で脚本を書いたためにこんなムチャポコな映画になってしまったのでは。
とはいえ、私は脚本を二の次三の次に置くタイプ、すなわちストーリーで映画を観ないので、たとえプロットがムチャポコに破綻してようがあまり気にしないし、なんだったら「ストーリーなど存在しない」という持論を打ち出して憚らない人間ですらある。
映画を映画たらしめるのはストーリーではなくショットである。つまり「何を語っているか?」という観念的な美ではなく「何を映しているか?」という物理的な美が優先する。だがそれを加味してもこの映画はひどい。
コリン・ファレルという色男をまったく色っぽく撮れていないという監督の罪過は、打ち首、股裂き、電気椅子に値するだろう。死刑執行のスイッチを押す権限があるなら躊躇なく押すよ。いちにのさんで押せと言われても2で押すよ。
コリン・ファレルといえば、私の実妹やGさんを始め、世界中に多くの女性ファンを持つハリウッドスター。その特徴は八の字型のゲジゲジ眉毛が発する独特の色気と哀愁であり、コリン・ファレルといえば眉毛、眉毛といえばコリン・ファレルといっても過言ではないぐらいの紛うことなき眉毛俳優だが、そんな眉毛ファレルの眉毛がまったく活かされていない(つまり貌が撮れていない)。
それどころか、頭にバナナの皮乗っけたみたいな奇怪な髪型で観る者の失笑まで誘うのである。
なんじゃこの頭。コリン・ファレルをなめとんのか!
なぜこんなにバカ丸出しの映画になったのかと言えば、脚本が突飛すぎるからというより映像に説得力がないからだろう。空飛ぶ白馬に魔王サタン、大いに結構である。実際、ファンタジーとロマンスを絡めた映画なんていくらでもある。
だが本作がしたことと言えば、ファレ坊がバナナの皮みたいな長髪をぺろんぺろん揺らしながら、やけにノロノロ走る白馬で駆けつけて、刺し殺そうとしてグズグズしているラッセル苦労からヒロインを奪い去り、ちょっとモタつきながら馬の後ろに乗せる、しかも真っ昼間の通り沿いで…という、360°どこからどう見てもギャグでしかないマヌケなショットをあたかも「スピルバーグの活劇にも匹敵するっしょ?」みたいなドヤ感まるだしでフィルムに焼き付けるというアルティメットいちびりザッツオールである。
観ているこっちが赤面するほど「かぁ~~~~っこわるゥ~~…」というシーンのつるべ打ちに驚愕および戦慄からの失禁そして白目である。
バナナの皮ペロンペロンさせながら白馬に乗ってヒロインのピンチに駆けつけるファレ坊(しかも街中で)。ただただ滑稽な画。
リクエストを頂いたGさんには深くお詫び申し上げます。
すまん、選ぶ作品間違えた。
これじゃないよな? こういうこっちゃないよな?
でもどうか私の怒りと困惑もわかってくださいね。「え…。これ、リクエスト回として成立すんの…? コリン・ファレルを語る前に映画自体が論ずるに値しない出来だけど…」って。
Gさんに怒られるのが怖いので、さっきから押入れに隠れて文章書いてます。おしっこ漏れてきた。