激痩せ=名演はもうやめろ!
2017年。マーティ・ノクソン監督。リリー・コリンズ、リリ・テイラー、キアヌ・リーブス。
複雑な家庭環境で育った20歳の女性エレンは、重度の拒食症に苦しんでいる。継母の勧めでベッカム医師の診察を受けた彼女は、食べ物の話をしないことや最低6週間の入所を条件に、ベッカム医師が運営するグループホームで暮らすことに。エレンはホームの風変わりな規則に戸惑い、時に反発しながらも、同じく摂食障害を抱える同年代の入所者たちと共に、自分を見つめ直していくが…。(映画.comより)
ヘイヘイ、みんなどうも。ヘイ。
二日前に拙宅で開催した餃子パーティーは大失敗に終わりました。餃子と言っていい水準にすら達しておらず、言わばそう、限りなく餃子に似た何かが出来上がったのです。
友人の一人は「餃子なんて誰が作ってもそれなりに上手くできるんだ」と豪語してました。
主催者の友人は「オレは店で食べる餃子よりも美味しい餃子が作れるんだ」と豪語してました。
わたくしは「市販の餃子をよく焼いてるから私がいれば何も問題はないんだ」と豪語しました。
…どうしてこんなことになったのでしょう。
いくら考えても私たちに落ち度はないので、結局「業務スーパーで買った皮が悪い」という結論に軟着陸しました。
ちなみに誰よりも大口を叩いていた主催者の友人は、帰り際に「最低だったな。二度とやらん」という捨て台詞を吐いていました。主催者がいちばん言ってはいけないことランキング第1位のセリフをついに言いやがった。
ていうか、翌日、あまった具で作ったチャーハンの方が100倍おいしかったです。
そんなわけで本日は『心のカルテ』をレビューしていくよ!
自分でもよく分からないのだけど、なぜか終始半ギレです(餃子パーティーを引きずっているわけではありません)。
◆痩せれば名演なのか?◆
拒食症のヒロインを演じるにあたってぽきぽきに痩せたリリー・コリンズに「役作りがすごい!」とか「女優魂に拍手!」といった称賛の声が集まる。
アホらしくて付き合いきれない。
だいたい、減量して人に褒められていいのは主婦とボクサーだけだ。
本作のリリー・コリンズが称賛に値するのは痩せたからではなく、むしろ痩せきれなかったからである。
たしかに肋骨が浮き上がるほど凄まじく減量してはいるが、顔はほとんど変わっていない。普通の骨格を持った人間であればもっと頬が痩せこけるが、彼女の頬はほとんどコケていない。生まれつきコケ知らずの頬なのだろう。
にも関わらず本作のリリーは誰がどう見ても不健康だし、「あとちょっとでも痩せると死ぬ」という設定にも説得力がある。もちろん目の下のクマや顔面蒼白といった「メイクの力」も借りているのだが、そうした表層的な演出を超えて、リリーはマジで死にそうなのだ。
目が据わっている。リアクションがワンテンポ遅い。無感動な喋り方。摂食障害の仲間たちと楽しく談笑しているときでさえ「次のショットでは床にぶっ倒れて死ぬかもしれない」という凶兆が不断にわれわれを怖れさせる。
彼女の後ろに死神を幻視してしまうのだ。
いまいち痩せきれなかったにも関わらず、このいつ死んでもおかしくない崖っぷちアライブ。そこに『白雪姫と鏡の女王』(12年)や『あと1センチの恋』(14年)で見せた着色料だらけの砂糖菓子みたいなアイドル性からの飛躍を見るからこそリリーの芝居が称賛に価するのではないか。
「激痩せした=すごい=名演」という短絡的な考え方はそろそろやめてほしい。そろそろ次のステージに行ってほしいです。次のステージというのがどういう意味なのかは知らん。知らんがとにかく行け、次のステージに!
激痩せしたけど顔はそれほど変わっていないリリー・コリンズ。
◆ドラマの体裁は保っているが…◆
拒食症のリリーは自分と同じ摂食障害に苦しむ6人の患者が共同生活を送るグループホームに入所する。
ちなみにそこを運営しているのは『ジョン・ウィック』(14年)で大量殺戮の暗殺者を演じたキアヌ・リーブスだが、本作では誰の命も奪わないので安心されたい。むしろ今回のキアヌは命を救う側に回っているのだ。
命救う気満々の医者を演じたキアヌ・リーブス。
そうは見えないが…。
映画はグループホームでの共同生活を中心に、かつてリリーがSNSに投稿した絵が原因で一人の少女を自殺に追いやってしまった暗い過去や、義母と実母との複雑な家庭環境などを描いたり描かなかったり描くふりをしたりする。
というのも、本作はさまざまな要素が絡み合った複合的なドラマなのだが、いかんせん手際が悪いのでどのエピソードも消化不良なのだ。
リリーのSNS事件、父親との確執、ともに暮らす拒食症患者アレックス・シャープとの恋の行方。それらがことごとく端数切り捨てにされるため、観終わったあとにほぼすべてのエピソードに対して「そういえばあの件どうなったの?」という疑問地獄に突き落とされることになる。
もっとも、「拒食症のリリーがすべてに絶望して再起不能になるけどどうにか立ち直って明日に向かって羽ばたく」みたいな物語類型の基礎は押さえているので、表面的には綺麗なところに着地しているふうではある。
だが私に言わせればドラマの体裁は保っているがただ保っているだけだ。
一応ギターは弾けるけど全然うまくない奴とか、一応免許は持ってるけど滅多に車に乗らない奴と同じで、一応綺麗なところに着地しているふうではあるが、所詮ふうに過ぎない。見かけだけ。
よく見ると各エピソードがとっ散らかっていて要領を得ないし、まるでダメな知事の長話を聞かされたような暗い気分になる。やめろ。俺を暗い気分にさせるな。
リリーは親指と中指をくっつけて腕の細さを毎日測る癖があるようだが(太くなっていないことを確かめて安心するためだ)、反復法としてはあまりに弱い。たとえば終盤に向かうにつれて癖が治っていく…とか、腕が太くなったことに嫌悪感を示さなくなる…といった工夫が欲しいところです。
◆この映画は拒食症を助長させる?◆
とはいえ無価値な映画ではない。
拒食症にまつわる描写からは学ぶところが多く、「この映画がトリガーになって拒食症の人が増えるかもしれないから誰も観んな!」というバカげた反対運動まで起きたほど生々しく描かれている。
強迫観念や自傷行為といった「われわれが頭で知っていること」を視覚に訴えることで拒食症の苦しみが皮膚感覚として観る者に伝わり、痩せの美学に固執する若年層ガールたちとその美学を礼賛する助兵衛ボーイどもに一石を投じています。
また、「筋トレへの執着」とか「自分が吐いたゲロを宝物のように保管する」といった知られざる拒食ワールドが紐解かれていて、拒食症患者の症状をただ紹介したような内容ではなく、彼女たちの精神のメカニズムにフォーカスした洞察的な視点がこの映画を価値あるものにしている気がするなぁ。
摂食障害を抱えたグループホームの仲間たち。意外とワイワイしている。
もっとも、ダイエットの裏技とかカロリー計算の極意みたいなことも耳打ちした内容になっているために「そんなことを教えたら拒食症の人がもっと痩せるでしょうがぁぁぁぁ!」といって大バッシングを受けたようなのだが、そんなつまらんことで非難する奴らには中指を立てて差し上げます。
「社会への影響」など知るか。
良識を振りかざして表現を弾圧するな。
たしかに『タクシードライバー』(76年)を観たジョン・ヒンクリーはレーガン大統領暗殺未遂事件を起こしたが、この映画を観たことで暴力というものに一考を試みて善悪の判断能力を身につけた観客の方がはるかに多いだろう。あまねく表現とは有害であらねばならないし、われわれはそれを反面教師にすることでそこから何かを学べるのだ。
だが、信じられないことにヒンクリーが起こした暗殺未遂事件の責任をヒンクリー自身ではなく映画の側に問うようなイカれブレインの夜泣き豚どもがいるのだ。
映画が「観客に与えた影響」まで保証するわけがないだろう。つまらんことを言ってないでエサ食ってとっとと寝ろ。夜泣きはすんな。
◆いい加減な邦題はやめて◆
ちなみに私は拒食症ではないけれど身長183センチ 体重54キロで、ほとんど面識のない人から「枝」と評されたこともあるほどのガリガリボーイなので、同じくガリガリガールのリリーが周囲の人から「不気味」とか「幽霊みたい」と言われてもいまいちピンとこなかった。さすがにリリーほどぽきぽきではないけれど、彼女を見てドン引きするほど標準的な体型でもないのでね。
しっかりした肉体を手に入れたい。
いまいち事の重大さがわからない。彼女、そんなにヤバいかな?
さて。『心のカルテ』はリリー・コリンズの新たなる一歩となりました。
本作を観る前まではただの小娘セレブと思っていたが、どうやら「覚悟」はあるらしい。激痩せとか激太りといったメソッド演技はあまり評価すべきものではないと思っているけれど*1、まぁ人生で一度くらいならいい経験になると思います(テキトー)。
ちなみにリリー・コリンズの『ハッピーエンドが書けるまで』(12年)はとてもお気に入りの作品だけど『あと1センチの恋』は血ィ吐くぐらい貶しました。
それにしても『心のカルテ』といういい加減な邦題がむかつく。絶対『17歳のカルテ』(99年)から派生させて2分ぐらいで決めただろ。なめた真似しやがって。
もっと僕たちの鑑賞意欲を掻き立てるような邦題にしなければなりません。ウルフルズから曲名をパクって「骨と皮ブギウギ」にするとか。
まぁ今のはちょっと不謹慎な発言だったので怒られる前に反省します。
あと、本作はNetflixオリジナル作品なのでNetflixでしか視聴することができません。
なめた真似しやがって!
レビュアーとしては、Netflixオリジナル作品って取り上げづらいんですよ。こちとら一人でも多くの人に一本でも多くの映画を見てもらいたくてレビューを書いてるのにNetflixに加入しないと見られないとかさ…、なにその制限。なにその間口の狭さ。
我らレビュアーが映画の間口を広めてるというのに、そっちで狭めてどうするんだよ!っていうかさ。
モヤっとするなぁ。
PS
キアヌ・リーブスは相変わらずボーっとしてました。
夢うつつって感じ。
親を殺されたけどまだ幼いから状況がよくわかってない子供のヌーって感じ。
なんやその顔。親を殺されたけどまだ幼いから状況がよくわかってない子供のヌーか?
*1:メソッド演技はあまり評価すべきではない…面影もないほど激痩せするぐらいならもともと痩せてる俳優を使えばいいわけで。「役作りの過程」とか「見た目の変化」は芝居のクオリティとは無関係なのでそれを「女優魂」とか「体当たりの演技」などというクリシェで称揚するのはナンセンスの極致。肉体改造を伴ったメソッド演技のことを俗に「デニーロ・アプローチ」と呼ぶが、その先鞭をつけたロバート・デ・ニーロの功罪は計り知れない。