濫造されるジジイコンテンツの中では良心的な作品。
2017年。ザック・ブラフ監督。モーガン・フリーマン、マイケル・ケイン、アラン・アーキン。
ウィリー、ジョー、アルの3人は平和な老後生活を送っていたが、40年以上勤めていた工場の合併によって大きく変わってしまう。突然の年金打ち切りで会社から見放され、銀行からも冷たくあしらわれてしまった彼らは、今までの生活を取り戻し、家族と幸せに暮らすため、まさかの銀行強盗という命がけの大勝負を決意する。(映画.comより)
うぃー。うぃーっ。
「おまえはスタン・ハンセンか」というツッコミは受け付けません。私はスタン・ハンセンではないからです。
さて。映画批評をするたびにいつも苦労するのはどうでもいい前書きだけど、その次に苦労するのは見出し。たとえば今回なら「濫造されるジジイコンテンツの中では良心的な作品。」みたいなキャッチコピーを毎回考えないといけないわけ!
なぜこの作業が苦手なのかといえば、私は話を要約するのが激烈に下手だからだ。話を一言でまとめたり、何かのタイトルをつけたりするセンスが激烈にない。
なぜそういうセンスがないのかといえば、元々そういう習慣がなかったからだろう。このブログを始めるまで記事のタイトルとかレビューの見出しを考えるという作業をしたことがないのだ。
というのも『シネ刀』を始めるまえに長年やっていたmixiでは、日記を書く際に内容とはまったく無関係のタイトルをデタラメにつけていたのです。
普通、タイトルや見出しっていうのはその内容をうまく要約したものでなければならないにも関わらず、何を思ったのか当時の私はまったくもってナンセンスなタイトルばかりつけていました。
以下が私のmixi日記のタイトルである(ごく一部)。
「なめむし」
「電撃大外刈が決め手となり、まさしが勝った。」
「虎穴に入らずんばルンバ虎子を得ず」
「ついにポトフを、おまえは作ってくれるというのか。」
「恋のしゃがみ☆キック」
「テロンポーリ、はみだし。」
「缶ビールをオレにせむしがもってきた。せむしがやぞ。」
「ハートブレイク大往生」
「マンダラでもない」
もっかい言いますけど、これぜんぶ本文とはまったく関係のないタイトルです。
「ついにポトフを、おまえは作ってくれるというのか。」ってタイトルですけど、ポトフの話なんてしてませんからね。
意味などなく、ただの思いつきなんです。
「なめむし」というのが一体何なのかは私にもわからないし、「マンダラでもない」に至ってはただのギャグ。完全なる語感重視。完全なる意味の剥離。こういうナンセンスな言語感覚が大好きなんだよ。
だから評論内容をうまく要約しないといけない見出しが苦手なんです!!
…というお話でした。それだけ。
ちゅうこって本日は『ジーサンズ はじめての強盗』をスパッと語っていきましょう。
「スパッと語る」っていう語感もいいなー。
◆ハリウッドスター高齢化に関する一家言◆
先に言っておくと、この作品は褒めますよ。
褒めることは褒めるけど、この手の作品に対してはちょっと一家言あるので、先に小言を言わせてくださいね。
オールスター映画のポーカー化問題について少し。
近年、この手のオールスター映画がとにかく多く、大物俳優の安売りが画面を賑やかせる一方で、「これだけのビッグスターが一度に見れるんだから多少出来が悪くても許してね」という不文律が常態化していて、目的と手段が逆転してるというか、オールスターのためのオールスターになっている感が否めず。
強い手札(俳優)を揃えた時点で勝ちという、要するにポーカーみたいになっているのである。
そしてもうひとつの問題はジジババ返り咲き映画の粗製乱造。
ジジババどもが第二の青春を謳歌する類の映画もこれまた多くて、その先鞭をつけたのが本作にも出演しているモーガン・フリーマン(以下フリーガン)の『最高の人生の見つけ方』(08年)でしょう。デ・ニーロも『リベンジ・マッチ』(13年)で年甲斐もなくリングに上がってロッキーと殴り合ったし、『ラストベガス』(13年)に至っては『ハングオーバー!』(09年)の猿真似。
ジジババオールスター。それは2010年代のハリウッドを象徴する悪しき結晶。もとを正せばイーストウッドの『スペース・カウボーイ』(00年)から転移した癌なのです。
とにもかくにも豪華俳優陣による年寄りの冷や水映画がちょっとした流行になっている。
この流行の裏には、40年代に生まれてニューシネマ以降のアメリカ映画を支えてきたビッグスターたちがちょうど70歳を超える時期が2010年代にあたり、年老いたこともあって単独主演では集客率が見込めないので必然的にジジババ寄せ集めのオールスター映画が増える…という悲しき事情があるわけです。
ジジイ返り咲きオールスター。
小言ついで言わせてもらうなら、本作に出演しているアラン・アーキンの役はもともとダスティン・ホフマンにオファーが行っていた。
そっちが観たかったぁぁぁぁ。
だってアラン・アーキンって『ミッドナイト・ガイズ』(12年)でアル・パチーノ&クリストファー・ウォーケンと共演してたし、『リベンジ・マッチ』でもデ・ニーロ&スタローンと共演してたんだから。ジジイ返り咲きオールスターに出すぎなんだよ!
もしもそういう馬鹿馬鹿しい映画を黙殺するダスティン・ホフマンが出ていれば鼻血MAXで興奮したのになぁ…。
ていうか「徹子の部屋」に出たんだからこっちも出ろよ。
◆一から十までクソ真面目◆
さて、この映画は良くも悪くも真面目である。
ファーストシーンは銀行から始まるが、家を差し押さえられそうになったマイケル・ケインが行員から心無い対応を受けている最中に銀行強盗に出くわすアバンタイトルで、よほどニブい観客でもなければ「ケインと強盗はグルなのだ」と誰もが直感する。きっとマスクを付けた強盗はフリーガンとアーキンで、その仲間のケインは人質のふりをして二人の強盗計画をサポートする役回りなのだ、と。
だが実際は違う。たまたま本物の強盗に出くわしたケインが、そのあとに自分の勤めていた工場が買収されて従業員の年金が再編費用に回されてしまったことの仕返しとして銀行強盗を思いつく…という動機付けのためのフリに使われたアバンタイトルなのだ。
真面目か!
普通の映画なら、このアバンタイトルでケイン、フリーガン、アーキンの三人がいきなり強盗計画を実行して、まんまと逃げおおせるor全員逮捕されることで本編が始まる。その後のアバン明けは回想シーケンスによってジジイ3人が銀行強盗をした経緯を辿る…というのがオーソドックスな構成である。
この映画はコメディだが、徹頭徹尾クソ真面目なのだ。
ジジイ3人が銀行強盗の予行演習としてスーパーマーケットでの万引きを企んで大失敗するシーンでも、スーパーの店長は「幸先の短いジジイがしでかしたことだから大目に見る」といって不問に付すし、女性警備員にしても買い物カートで逃げるケイン&フリーガンから小麦粉をかけられて追跡の妨害を受けるという軽い仕打ちしか受けない。
誰ひとり傷つかないように作られた健全な強盗映画なのだ。
なんやそれ。「健全な強盗映画」という語の矛盾にビビる。
フリーガンは腎臓移植が必要なほど大病を患っており、アーキンには美熟女とのロマンスが用意されていて、ケインには年に一度しか会いに行けない孫がいる。難病、恋愛、家族愛というお涙頂戴三原則がキレイにブレンドされた教科書通りのシナリオ。
だから真面目か!
なんだこの優等生みたいな無難なプロットは。はみ出し知らずか!
↓この3人が…
↓これをする映画(でもはみ出さない)。
ただしその真面目さは丁寧と言い換えることもできる。
たとえばアバンタイトルでケインが遭遇することになる強盗シーン。もちろんケインは参考人として取り調べを受けることになるのだが、その経験をヒントにのちに自分が強盗する側へと回り、今度は容疑者として取り調べを受けるクライマックスのイメージへと重なる(反復法)。そこではアバンタイトルでのケインの体験がことごとく伏線として機能し、彼ら3人を徹底追究するFBI捜査官を出し抜くための突破口が切り開かれることになる。
そう考えるとあのクソ真面目なアバンタイトルにもそれなりに意味があったというわけだ。少なくともケイン&フリーガンが出演している『グランド・イリュージョン』(13年)よりも丁寧なトリックでアリバイを立証している。
コメディというよりミステリーの素養の方があるかもしれない。そんな映画でした。
ちなみにジジイ3人を徹底追究する捜査官役にマット・ディロン!
80年代にはトム・クルーズやロブ・ロウと人気を競ったアイドル俳優だったが、近年はあまりパッとしない映画に多数出演して老後の資金を貯えている。
◆80代だらけでも映画は成立するエモ◆
マイケル・ケイン84歳、モーガン・フリーマン80歳、アラン・アーキン83歳。
ごく控えめに言ってこれはえぐい。
だって当ブログの読者の平均年齢がたぶん32歳ぐらいです(体感)。まぁゲタを履かせて40歳だとしてもその倍以上は生きてますからね。こいつら。
普通はボケ始めるよ。それでなくとも体が動かなかったり、セリフが覚えられなかったり、生きる気力が湧かなかったり。
そりゃあ本作には体を張ったスタントがあるわけでもないし、むしろ80歳オーバーのジジイどもが緩慢な動作で銀行強盗をするという滑稽味こそがキモになっていて。にも関わらず妙な感動を覚えるのだ。
80代だらけでも映画は成立するんだ!という謎の感動である。
エモいわ、この映画。80代だらけでも映画は成立するエモだよ。
ジジババオールスター映画の中では過去最高に平均年齢が高い作品なのではないかしら。
そして忘れちゃあいけない。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)でお馴染みのクリストファー・ロイドと『愛の狩人』(71年)でお馴染みのアン=マーグレットも出ております!
アーキンにゾッコンのマーグレットは76歳とは思えないほど色っぽく、しかも超キュート。「この歳で恋愛する気はない」といってアプローチを断るアーキンを押して押して押しまくる。
クリストファー・ロイドはボケ老人役というか…ほとんどサイコでした。
顔がすでにヤバいもん。完全にイッてやがる。
ほとんどサイコと化すクリストファー・ロイド(左)、愛の狩人と化すアン=マーグレット(右)。
◆ジジイをジジイ扱いしない映画の眼差し◆
まぁぶっちゃけ凡作以上・佳作未満の出来栄えである。
大しておもしろくないし何か凄いことをしているわけでもなく、はっきり言って2週間も経てばほとんど忘れてしまうような内容である。
もっとヒドいこと言いましょうか?
主演3人のうちの誰かが亡くなったときに「そういえばあんな映画もあったなー」といって人々が思い出す出演作リストの中にも入らない映画。かすりもしない映画。
なんだったら主演3人はすでにこの映画のことを忘れてるかもしれない。
だが、セクハラ告発事件*1で好感度ダダ下がり中のモーガン・フリーマンは相変わらず目の芝居だけで魅せてくれるし、アラン・アーキンもダスティン・ホフマンの代打にしては良いヒットを打っている。ちなみにアーキンは『リトル・ミス・サンシャイン』(06年)や『ミッドナイト・ガイズ』に顕著なように最近よく死ぬ俳優なので、本作でもアーキン死ぬかもサスペンスが搭載されてます。
なにより、ここ10年ほどは脇役が多いマイケル・ケインを主演に据えるという決め打ちキャスティングが痛快すぎて。
とにかくこの映画、マイケル・ケインがシビれるほど格好よくて、鳥打帽を深々とかぶってブリティッシュ・ジョークを飛ばすさまや、孫の帰りを校門前で待ってるときの佇まいなど…枚挙に暇がナイケル・ケイン(何度でも言うからな)。
このショットにはゾクッとした。84歳でこの格好よさは…ちょっと常軌を逸している。
何より「近ごろの若者はなってない」とか「ワシらの時代は~」的なノスタルジアに傾斜することなく、ジジイたちが不慣れながらもスマホやチャットを使ったり、低俗な恋愛リアリティーショーを見ながら「おいジェシカ、そんなバカ男を選ぶな」とテレビに向かってヤジを飛ばすさまがなんとも微笑ましい。
主演3人に向けた映画の眼差しがとても温かくて、ジジイをジジイ扱いしてないんだよね。ジジイだってパソコンは触るし、若者向けのテレビだって見る。そういう心ある描写にも作り手の真面目さが滲み出ていて、とても気分のいい作品になっています。
ジジイ同士で「おい、そこの若いの」と言い合うジョークが小気味よく跳ね、彼らのしわくちゃの笑顔が気持ちよく放射した柔らかい作品。
嫌いになれるはずもなく。
*1:セクハラ告発事件…今年5月、16人の女性スタッフがモーガン・フリーマンから撮影中にセクハラを受けたと一斉証言したことで、映画では善人役の多いフリーガンはキャリアの危機に立たされるほど好感度が爆下がりした。
本作『ジーサンズ』の撮影中にも女性スタッフのおっぱいを見続けたりスカートをめくろうとしたらしく、共演者のアラン・アーキンから「そんなことをするな」と注意を受けるとビビって何も言えなくなってしまったらしい。ちょっとおもろい。