迷う、選ぶ、決める。それがチャーチリング。
2017年。ジョー・ライト監督。ゲイリー・オールドマン、クリスティン・スコット・トーマス、リリー・ジェームズ。
第2次世界大戦初期、ナチスドイツによってフランスが陥落寸前にまで追い込まれ、イギリスにも侵略の脅威が迫っていた。連合軍が北フランスの港町ダンケルクの浜辺で窮地に陥る中、就任したばかりの英国首相ウィンストン・チャーチルの手にヨーロッパ中の運命が委ねられることに。ヒトラーとの和平交渉か徹底抗戦か、究極の選択を迫られるチャーチルだったが…。
皆さん、おはぺっす。
最近前置きに力を入れすぎてる節があるので、この節を取り除きたいっていうか、ばか丸出しの前置きを書こうと思います。過去最低のクオリティを叩き出したい(そうすれば前置き族から期待もされないだろうから)。
気温が低くてむかつく。昨日はお腹がいたかった。
夕焼けみた。
夜、ダイアン・バーチをしっぽり聴く。聴いてよかった。でも野良猫にめっちゃ見られた。4匹いた。4匹ぜんぶに見られた。はずかしい。
『モリーズ・ゲーム』(17年)でおっぱいを連呼した。たぶんひんしゅく買った。
枝豆を食べようと思ってやめた。やめて正解だった。先月からチヂミが食べたいと秘かに願望しているが、作るのが億劫だ。チヂミの出前ってないのか。はらたつ。夕焼けにもはらたつ。なにを焼けることがあんねん。あほか。
というわけで本日は『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』をチャッチャと取り上げます!
うーん、チャーチル。
◆チャーチルが好きになる映画◆
葉巻の煙が充満したチャーチルの部屋に向かおうとする新任秘書リリー・ジェームズは「彼は気難しい人だから覚悟するように」と念を押されていたにも関わらず、タイピングをしくじったことでチャーチルの逆鱗に触れ、涙を浮かべて部屋を飛び出した。
朝だというのにブランデーを飲みながら「まったく。若い奴は使いものにならん!」と愚痴をこぼすチャーチルは、ベッドの下に隠れた猫と戯れはじめる。
すると妻のクレメンティーンが「あんた! また秘書を泣かせて!」とどやしつけ、チャーチルもこれには堪らず猫のように縮こまる。そのあと夫婦は、辞任したチェンバレン首相の後任としてチャーチルに白羽の矢が立つのではないかという話を始めた。
そこへ首相就任の知らせを言付かったリリーが再び部屋に赴き、怯えながらチャーチルに手紙を渡すと、彼は先ほどのブチギレを反省するかのようなモジモジした態度で「ありがとう…」と言い、ぎこちなく笑う。
チャーチルというキャラクターが十全に描かれたファーストシーンだ。
簡にして要を得るとはまさにこのこと。
気難しいが決して怖い人間ではなく、妻によく怒られる。酒と葉巻が大好きで、仕事の合間にニャンニャン言いながら猫と戯れる。そのあと泣かせてしまった秘書にモジモジしながら謝り、自分が怖い人間ではないことを分かってもらおうとしてヘタな笑顔を浮かべる。
まるで少年そのもの。まるで俺。
チャーチルは俺。
俺こそチャーチル。
そんなトチ狂ったことを感じずにはいられないほどチャーチルの豊かな人間性が炸裂したファーストシーンである。
人がこの肥え太った老人に好意を寄せるには十分すぎるほどチャーミングだし、わずか10分足らずのファーストシーンの中でゲイリー・オールドマンはチャーチルという人物を最小の手数だけで最大限に表現している。
平時のオールドマン(右)。戦時のオールドマン(左)。
G・オールドマンがとにかくすごい。それは声や姿勢や歩き方が似ているという話ではなく、いわんや辻一弘が手掛けた特殊メイクが云々という話でもない。もちろんそうした物真似のクオリティも極点に達しているのだが、やはり驚くべきはわずか開幕10分でわれわれをチャーチルに惚れさせてしまったことザッツオールである。
もちろん実際のチャーチルはもっと怜悧でドス黒くて自己矛盾に満ちた人物だが、本作では「政治家としてのチャーチル」よりも「人間としてのチャーチル」にフォーカスを当てており、G・オールドマン解釈よる唯一無二のチャーチル像がリビルドされている。
まるでチャーチルという楽譜をもとにG・オールドマンが自由な表現でクラシカルロックを奏でたようだ。ゲイリーのGはギタリストのGだというのか。
◆選ぶ映画◆
本作でアカデミー賞主演男優賞をゲットするまでは無冠の帝王で、ここ15年ほどはすっかり脇役続きになっているG・オールドマンは、文字通りOLD MAN(錆びたオヤジ)として扱われている。なんと腹立たしいことでしょう。
だが俺たちは知っている。
オールドマンがOLD MANなのではなく、彼の才能を使いこなせない映画会社の老害こそがOLD MANなのだと。
現に彼はクリスチャン・ベールやジョニー・デップをはじめ業界内に多くのファンを持ち、存命するハリウッドスターの中ではロバート・デ・ニーロに次いで絶大な影響を与えている大家だ(ブラッド・ピットに至っては狂信的なゲイリスト)。
シド・ヴィシャスからドラキュラまで演じるオールドマン。元祖ジョニー・デップ。
そんなG・オールドマンがようやく主演に選ばれ、「この大役を演じるには特殊メイクのプロが欠かせない」といってオールドマン直々の指名によって辻一弘が選ばれた*1。
そしてG・オールドマンが演じたチャーチルは第二次大戦のさなかに首相に選ばれる。一度はチャーチルに嫌われたリリーは秘書に選ばれ、妻クレメンティーンはチャーチルを夫に選んだ馴れ初め話をはじめる。国王ジョージ6世は長らく疎んでいたチャーチルを友に選び、イギリスの未来を委ねられたチャーチルは激論が飛び交う作戦室でヒトラーとの和平交渉よりも徹底抗戦を選ぶ。
ここまでくれば当然「作戦名が必要だ!」というチャーチルのフリがあってダイナモという言葉が選ばれることになる。
事程左様に、全編に渡って選ぶという主題が貫徹されている。
ダンケルクの戦いで英仏軍が危殆に瀕するさなか、チャーチルをはじめ様々な人間が難しい二択を選び続けて「未来」という結果に辿り着くまでの物語だ。
迷う、選ぶ、そして決断。
このプロセスが何度も何度も繰り返される。これほど何かを選ぶ映画も珍しい。「回転寿司に行ったときのオレか?」と思うぐらい、迷いまくり、選びまくり、決断しまくるのだ。
このプロセスをチャーチリングと名づけたい。
決断の瞬間は、たとえばチャーチルの睥睨、作戦室へ向かう足取り、イギリス市民の「Never!」コール、リリーとチャーチルの打ち明け話などに訪れる。熟考を重ねた末に決断! ではなく、日常生活の何気ないタイミングでふと何かを決断する…という感覚に満ちているのだ。
悪く言えばただの思いつき。
だが思いつきのアイデアほど上手くいくもの。えてして突破口とはそうして開かれるものだ。暗い部屋で悩み続けても埒など明かん。チャーチルのように、街に出て、天を仰ぎ、人々を見よ。それがチャーチリングの心得だ。
なんにせよ、この映画はG・オールドマンを主演に選んだ時点で勝ち。
妻役のクリスティン・スコット・トーマスや、国王役のベン・メンデルソーンに至るまで見事な采配。
ちなみにメンデルソーンが演じた吃音症の国王ジョージ6世は『英国王のスピーチ』(10年)でコリン・ファースも演じている。国王目線から『英国王のスピーチ』を観返すのも面白そうだなぁ。
迷うチャーチル。選ぶチャーチル。決めるチャーチル。ちなみに私は選ぶチャーチルが好きです。
◆照明の映画◆
てくにっくの話をします。
「退屈だからてくにっくの話すんなよ!」と思われても、てくにっくの話します。
なんといっても印象的なのは4回ほど繰り返される俯瞰ショットである。
次期首相候補をめぐって紛糾する議会。イギリス上空を飛ぶドイツ空軍機、ダンケルクで見捨てられ空爆を受けるイギリス兵。あとひとつは言わない。
本作の主舞台は執務室と作戦室だけ。密室劇の『ウィンストン・チャーチル』において、この突き放したような俯瞰ショットの冷たさといったらない。この映画の俯瞰ショットは、チャーチルに見入って「がんばれ、がんばれ」なんて子供じみたエールを送るわれわれを不意に現実に引き戻す。もちろんその現実とは圧倒的物量で侵攻してくるドイツ軍のことだ。
監督のジョー・ライトがキューブリックの『突撃』(57年)を観ているとは到底思えないが、この俯瞰ショットは凡庸ながらなかなか良い。俯瞰に限らず全編に渡ってショット自体は凡庸そのものだが、編集がやけにスピーディーなのでスルスル観れてしまう。嬉しいね、こりゃどうも。
何より『ウィンストン・チャーチル』は照明の映画である。
G・オールドマンの特殊メイクが看破されぬよう、そして何よりチャーチルっぽく見えるようにショット毎に角度を変えたレンブラント・ライトが予期せぬ副産物として格調高い画面をもたらしている。また、メイクしてます感を隠すために全編ローキーなのだが、それすらも落ち着いた味わいになっているから不思議であるよなぁ。
もちろん辻一弘のメイクも素晴らしいが、本作の決定打はなんといっても照明だ。
一方、不満点はクライマックスまで「チャーチルすげぇぇぇぇ」というテンションにならないこと。
政治家としてのチャーチルよりも人間としてのチャーチルに比重を置いたことの功罪でもあるが、この映画はチャーチルの「魅力」は伝えられていてもチャーチルの「偉大さ」は伝えきれていない。
たぶんチャーチルをほとんど知らないティーンエイジャーの抜け作どもがこの映画を観ても「え、チャーチルってなんであんなに尊敬されてるの?」と訝しがるだろう。
しかも、唯一「チャーチルすげぇぇぇぇ」となる山場が議会での演説シーンという反映画的身振りに「異議あり」!
たしかにチャーチルといえばヒトラーに比肩しうる演説の名人であり、言葉の力だけで世界を変えたと言っても過言ではない。実際、チャーチルのすさまじい演説を聞いたハリファックス(チャーチルの対独戦争に反対する外務大臣)は、隣りにいた議員から「なにが起きたんだ…?」と言われて「奴は言葉を戦場に送った」と評したほど、本作はチャーチルがひたすら弁舌でゴリ押しする強弁映画である。
だが、「台詞のカタルシス」と「映画のカタルシス」は相反するものだ。
言葉で表現できることを映像で伝えるのが映画なので、そもそも論として映画と演説は相性が悪い。セリフとは映画の管轄ではない。それは小説だ。「言葉の力」を伝えたいのなら小説なり演劇でどうぞ。
そんなわけで、「チャーチルすげぇぇぇぇ」をさんざん引っ張ったクライマックスが演説に終わったことに少し肩透かしを喰らう。要するにこういうことだ。
このクライマックスは実際のチャーチルの演説に負けている。
当たり前田のクラッカーである。演説勝負で本物に敵うわけがない。この映画のクライマックスを観るよりもYouTubeに上がってるチャーチルの演説動画を視聴した方が感動するわけだ。
もっと映画的なカタルシスを、もっと映画ならではの落としどころを探る余地などいくらでもあっただろうに。
というわけでクライマックスがちょっと残念な作品ではあるが、魔的な求心力と支配力を見せつけたオールドマンに「ヤングマン」を歌いながらの祝福。
もともとすごい磁力を持つ俳優だが、ついに映画全体をゲイリー・オールドマンの磁界に変えてしまった。そんな作品でございます。
最後はやはり裏Vサインで締めましょう(ファックユーの意)。
*1:オールドマン直々の指名によって辻一弘が選ばれた…『PLANET OF THE APES/猿の惑星 』(01年)や『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(08年)のメイクアップアーティストとして知られる辻一弘は5年前に映画界を退いていたが、オールドマンが「きみがオファーを受けないなら私も出演オファーを受けない」という捨て身のラブコールを送って復帰させた。
2018年のアカデミー賞では辻とオールドマンが『ウィンストン・チャーチル』でメイクアップ賞と主演男優賞をW受賞した。美談かくあるべし!